0話 プロローグ
埠頭近くの倉庫街。昼間は貨物船からの搬入作業で忙しいこの場所も、夜中になると打って変わって猫の子一匹見当たらなくなる。逃げ続けた俺は、よりにもよってこんな場所に迷い込んでしまった。
「鬼ごっこは終わりですか? 小金大河さん」
縦縞のスーツを着て、顔に大きな傷のあるオールバックの男は不敵な笑みを浮かべて俺にそう言った。
昼間会った時にはサングラスをしていたが、さすがに夜ではサングラスは外しているらしい。
「かなり走りましたね。いやぁ、小金大河さん、感謝しないといけませんよ。丈夫な体に生んでくれた両親に」
確かに俺の体は三十歳手前にしては丈夫なほうで、二十分走り続けていたにも拘わらず息切れをほとんどしていない。現在、俺がいる場所が袋小路でさえなければあと三十分は走り続ける自信はあった。
「その両親のお陰でこうなったのに、感謝なんてできませんよ」
あの馬鹿親父、会社の借金が返せないと思うやいなや、俺に断りもなく母さんと一緒に夜逃げして。お陰で連帯保証人になった俺は、こんな自称合法金融業者の人たちに追い回される破目になっていた。
「いえいえ、大河さんを丈夫な体に生んだことに感謝しているのは私たちのほうですよ」
「なんで俺の体が丈夫だと、あなたが感謝するんですか?」
「それだけ丈夫な体なら、その中身は高く売れるでしょ?」
――撤退っ!
中身っていったい何のことを言っているのか? とか、口にも心にも出したくない。
とにかく、中身を出されて売られるのは嫌だ。
袋小路がなんだっ! たかが高さ三メートルの壁くらい乗り越えてやる。
「ひひっ、ちょっと待ちなっ! これが目に入らないかっ!」
顔に傷のある男の傍らにいた下っ端っぽい男が舌を出して、銀色のスーツケースを取り出した。
……えっと、中には何が入っているんだ? カード……とかじゃないよな。
男は笑ってスーツケースを開けた。
そこから出てきたのは――
――やっぱり拳銃じゃないかっ!
男は何故かホフク状態になり、スーツケースを台にして銃を構える。まるでスナイパーのようだ。
「なぁ、兄ちゃん。ゴジ○って映画を見たことあるか?」
「……はい、子供の頃に。最近も海外版を」
できるだけ刺激しないように、俺は声のボリュームを抑えて答えた。
「そうか。ああいう怪獣映画ってさ、大勢の警察官が拳銃をバンバン撃ってるのにびくともしないよな。それでついつい思っちまうわけだ。拳銃って弱いんじゃないかって。そうだよな、あんな化け物相手に拳銃なんて役に立たないよ。人間の力なんてたかが知れている。それでもなぁ、こいつは凄いんだぞ? プファイファー・ツェリスカって言ってな。でかいだろ? 銃身は550mmもあってな弾薬は600N.E.弾でな、こいつにかかればゾウさんだって一発でお陀仏だ。もちろんキリンさんだって例外じゃない」
ゾウさんとかキリンさんとか、単語ひとつだけ取ってみればとても可愛らしいことを言っているのに、内容は全然可愛くない。むしろ恐ろしい。
なんで町の合法な(とりあえず銃刀法違反は確定したけれど)金融業者さんが、そんなゾウさんも殺すような銃を持ってるんだよ。普通、こういう時に出てくるのはトカレフとかマカロフじゃないのっ!? 日本にいないよ? 野生のゾウさんもキリンさんも。
俺の焦りをよそに、男は笑いながら話を続ける。
「これを使ってゴジ○のような怪獣を倒すのが俺の夢なんだ。兄ちゃん、これを使えばあんな怪獣を倒せると思うか?」
「た……倒せるんじゃないでしょうか?」
「はははっ、本気で言ってるのか? 舐めんじゃねぇぞ、ミサイルでも倒せないゴジ○を倒せるわけないだろうがっ!」
男が一気に不機嫌になり、俺を睨み付けた。
やばいっ! 話を合わせすぎたっ!
このままじゃ殺され――いや、銃で撃たれることはない。奴らの狙いが俺のぞ……中身だとすれば、殺さずに生け捕りをするだろう。きっと――
「…………おい」
そう顔に傷のあるこの兄貴分らしき男が止めてくれるはずだ。
「どこを狙えばいいかわかってるんだろうな」
「勿論です、兄貴。逃げるようならあそこを狙え、ですよね」
「あそこってどこですか?」
俺は恐る恐る尋ねた。
「――お前さんが気にすることないが……まぁ、ヒントはやろう」
ヒント? まるでクイズみたいだな。
でも、やっぱり狙われるのなら足か。
でも、ゾウさんも打ち殺すような銃で撃たれたら、骨が砕けるのは確実。良くて一生松葉杖生活じゃないかっ!
そんなの御免だ。
「ヒントその1――生命保険」
――撤退っ!(その2)
俺は後ろを向くと、大きく跳び、三メートルの壁に手をかけた――
その時だった。
バカでかい――ここまででかいと逆に花火と勘違いされるのではないかというような銃声が鳴り響く。と同時に俺はそれに驚き、手を離してしまった。
弾がスローモーションで俺に近づいてくる。
実際はスローモーションなどではないのだろうが、俺のアドレナリンがそう感じさせているのだろう。弾は零コンマ数秒で俺に命中するだろう。下手に落ちてしまったばかりに、足ではなく俺のどてっぱらに大きな穴を開けることになるに違いない。
こんなところで俺は死ぬのか――まだ夢を成し遂げていないのに。
俺はこんなところで――
弾は段々と近づいてくるにつれ、その速度を落としていく――これはきっと走馬燈を見ているかのように過去の想い出に浸る時間を神様が用意してくれたのだろう。
「はっ、まったく神様も粋な計らいをしてくれるな……でも、どうせならもっと別の人生を用意してほしかったもんだ」
「用意してやってもよいぞ?」
「……え?」
気が付くと、銃弾は俺の目の前で完全に停止している。銃弾だけじゃない、銃の反動で体を後方に持っていかれそうになる金融業者の下っ端や、あのデカイ銃声にまゆひとつ動かさない顔に傷のある男もまったく動かない。
「これって――」
本当に時間が止まっているようだ。もしかして、死後の世界ってこんななのか? 銃弾が当たる前にショック死したのか? それとも、もしかしたら俺に超能力でも目覚めたか?
いろんな疑念が俺の脳裏に浮かんでは積もっていく。
「驚くでない、主と会話するために時間に干渉しておる」
突如、壁の上から声が降り注いできた。顔を上げると――そこには白いドレスを着た女性が見えた(しかしここからだと正確には純白のパンツしか見えない。パンチラどころかパンモロだ)。
当然ながら、さっきまで壁の上には誰もいなかったはずだ。誰かいたとしたら壁を登る前に助けを求めていたし、町の合法な(現時点で殺人未遂だけど)金融業者さんだってむやみに発砲したりしない。
俺の新たな疑念をよそに、彼女は壁の上から俺を飛び越えて銃弾の向こう側へと飛び降りた。
「あんたは――」
「妾は神じゃ」
そんな彼女の言葉を信じることはできなかった。こんな状況じゃなければ。
しかし、突然現れ、この時間が止まった世界で動きまわる彼女。
また、そのピンクブロンドの髪は夜だというのに遠くの街灯の光だけで宝石のように輝き、煌く白い肌と比べれば一級品の真珠ですらも曇って見える。そして、その赤い瞳を覗き込むと、全ての物欲をそこに注ぎ込んでしまいたくなるくらいに美しく、もしも人間が獣のように本能で生きている動物なら、その瞳を抉って巣へと持ち帰っていただろう。
月並みな台詞でいえば、彼女は俺がテレビで見たどんなアイドルや女優よりも美人で輝いて見えた。
とどのつまり、彼女は人間にしては美しすぎた。
「神様……えっと、神様なら、この状況をなんとかしてくれるんですか?」
実はさっきから銃弾を避けようと動いているのだが、しかしどのように動いても心臓の位置だけは固定されているらしい。このまま時間が動きだせば間違いなく俺の心臓は銃弾によって大きな穴が開けられる。
臓器を売る話をしているのに、心臓をいきなり壊すなんてどうかしている――俺が壁から落ちたのが原因なのだけれども。
「無理じゃ。妾は神じゃがこの世界の神ではない。よって過干渉はできん。こうして主と会話するのが妾にとって関の山といったところじゃ」
「そんな……」
絶望だ。
やっぱり俺は死んでしまうんだ。そしてこの神様は俺の魂を迎えに来たんだ。
魂を迎えにくるのは死神か、それとも天使かと思っていたが、神様が直々に来てくれるとは。
「でも、よかったのではないか?」
神様はあっけらかんとした声で言った。
「主の事情はある程度把握しておる。親に一億超えの借金を背負わされ、自己破産をすることも許されずに追いかけまわされておる。しかもこの騒動がきっかけで会社もリストラになったそうじゃないか。相手がトラならばそれこそそこのプファイファー・ツェリスカとやらで一発ズドンで片付いたのじゃが、リストラはそうはいかんじゃろ? 再就職をするにもこういう輩の嫌がらせが終わるとは限らん。それなら死んでよかったと――」
「思うわけないでしょっ!」
俺は思わず叫んでいた。相手が神でも、言っていいことと悪いことがある。
「死んでよかったなんて死んでも思いませんよ。死んだら夢が叶えられないじゃないかっ! 俺は子供の頃からずっと叶えたい夢があった。それが叶えられないまま死ぬなんて、死んでも死に切れないっ!」
「夢か。主の夢とはいったいなんじゃ?」
「正真正銘の金持ちになって左団扇で暮らすことです」
売り言葉に買い言葉、もう二十年以上誰にも言っていない俺の子供の頃からの夢を口に出していってしまった。
顔が紅潮する。
「笑いたければ笑っていいですよ。三十歳手前の男がただ漠然と金持ちになりたいだなんて」
俺は自暴自棄にそう言った。
「確かに愉快じゃが、しかしバカにはせん」
神は首を横に振った。そして、俺の目を覗き込み、尋ねた。
「主よ、王権神授説って言葉を知っておるかの?」
「王権神授説? ヨーロッパの……国王っていうのはその権威を神から与えられているっていう政治思想ですよね」
「その通りじゃが、しかし察しが悪いの」
察しが悪い……?
王は神によってその権威を授けられる。
そして、目の前に神がいる。
もしかして――
「もしかして、俺を王にしてくれるのですか?」
「無論じゃ。王になれば金だけでなく、権力も手に入るぞ?」
突然の話に頭が追いつかない。
「妾の本来いる世界にその魂を持っていき、大国の第一王子として生まれ変わらせてやろう。どうじゃ? そうすれば主は生まれながらにして次期国王じゃ」
「生まれ変わり……転生ってことですよね。それって、俺の記憶とかは?」
「無論、そのまま持って行かせることも可能じゃ。ゼロ歳児にしてこの科学技術の発達したこの世界の知識の一部を持っておる。どうじゃ? 権力チートだけでなく知識チートを持っていける、素晴らしいじゃろ」
確かに、それは願ってもないことだ。
異世界で転生。しかも王族に。
「まぁ、記憶に関しては十五歳、あちらの世界でいうところの成人年齢で統合される――とした方がよいと思うがの」
「え? なんで?」
俺は尋ねた。赤ん坊に転生して美人乳母のミルクを飲みたいなんていう願望は(それほど)ないけれど、子供の頃から天才児として周囲からちやほやされたいと思っていた。
「こちらの世界での知識や先入観があちらの世界で何かと問題になるかもしれんからな。たとえば生まれて間もない幼子が、寝言で見知らぬ言葉を使えば悪魔に憑かれていると思われるかもしれん」
む、確かに寝言だとついつい日本語が出てしまう可能性はある。
「それに、言語習得も自然に行った方がいいじゃろ。お主の英語の成績はあまりよろしくないようじゃからな」
どうやら俺の個人情報はかなりの割合で流出しているらしい。でも、本当に神様の言う通りだ。
「わかりました、記憶は十五歳で統合されるようにしてください」
「あいわかった。他に希望があれば言うてもよいぞ? 出血大サービスじゃ! まぁ、これから銃弾が当たって出血するのは妾ではなくお主のほうじゃがな」
神様はそう言ってまた笑った。
その冗談は全然笑えない。
「じゃあ、えっと、両親が優しくて……あと、第一王子で十五歳ということは許嫁とかいますよね? その許嫁相手が美人で性格がよければいいです」
「両親の性格は安心せい、転生先の情報を持っているが悪くないと思っておる。許嫁に関しては善処しよう。巡り合わせを良くする。それと、特別に妾の力を授ける。妾は金の神じゃからな。金を使うことで様々な奇跡を行使することができる。たとえばお金から剣を生み出したり、お金を払って遠くに転移したりすることも可能じゃ」
「有料の魔法……みたいなものですか?」
力を使うのにお金を使うなんて。某ゲームに「ゼニ投げ」というお金を使って攻撃する特技があるけれど、それと似たようなものなのだろうか?
「うむ。しかし、王子に生まれ変わるんじゃ。お金には不自由しないじゃろうから、むしろ使い勝手のいいスキルじゃろ?」
それもそうか。
王子が国民より貧乏ということはないだろう。それに、お金がなかったら力を使わなければいい話だ。貰えるものは貰っておけ。
「最後に妾の名前を教えておこう。いいか、タイガ。主が国王になったら妾を捜して会いに来てくれ。そのために妾は今ある全ての力を主に授けるのじゃからな」
神様がそう言うと、その姿が消えた。
そして、時間が動きだし、銃弾は俺の心臓に吸い込まれるように、体の中へと入っていく。
そして死ぬ間際、確かに俺はその言葉を聞いた。
「妾の名前はゼニード――金の神ゼニードじゃ。必ず会いに――」
※※※
「はっ!」
記憶喪失の人間が過去の記憶を取り戻した時、このような感覚なんだろう。
「小金大河……日本……ゼニード……プファイファー・ツェリスカ」
蘇った記憶を整理するため、印象深い言葉を呟いていく。
俺の中に、日本人としての記憶が蘇った。
そして、もうひとつ。
この世界での記憶もしっかりと残っている。
そう、大国の第一王子としての記憶が。
そのふたつの記憶が統合された結果、俺が思ったことはひとつだった。
「ふっざけるなぁぁぁぁっ!」
俺は確かに王子として生まれ、厳しいながらも将来が約束された毎日を過ごしていたさ。
三日前、国が滅ぶまでは。そして、今は放浪の身っ!
俺、小金大河ことタイガ・ゴールドの第二の人生は、こうして無一文の状態からはじまるのだった。