6.下山後の蕎麦は格別なり
「足の裏が痛い……」
一度解いた靴紐を緩く結び直しながら俺は一人ごちた。
登山の宿命は、登ったら下りなければならないということだ。
下山は一号路を選んだ。
理由は大きく二つある。
一つは、個人的に登りと下りを同じルートにしたくないことだ。登ってきた道をまた歩くなど面白みに欠ける。どうせならいろいろな登山道を歩いてみたい。
もう一つは、すれ違いの多さだ。なにせ稲荷山コースは登山者が後を絶たない。道幅が狭かったり滑りやすかったりする箇所は危険性がある。一号路なら車が通れる道幅がある。
全長3.8キロの一号路には【薬王院】という寺院がある。せっかくなのでお参りをした。さらに香ばしい匂いが空腹の登山者を惹きつける炭火焼きの『三福だんご』を賞味し、長い杉並木に置かれた『ひっぱりだこ』から運気をもらうなどしてきた。
もはや登山でもハイキングでもなくただの観光だった。
しかし楽しかったのはケーブルカーの【高尾山駅】(頂上側)を通り過ぎた辺りまでだった。そこからは勾配の急な道が続く。
そう、登山は登りよりもむしろ下りに慎重になるべきだ。歩き方によっては膝を悪くする恐れがある。
そうとわかって注意はしていたものの、長年の運動不足と体重増加が影響した。下山直後は足の裏が痛くなり膝も笑っていた。
「だからケーブルカーに乗ろうって言ったのに」
「うぐ……」
登りのときとは打って変わって優は余裕の表情だった。荷物なしの軽量スニーカーだから負担が少なかったのだ。一方、俺はそれなりに重量のある登山靴を履いている。一号路の舗装された硬い地面を歩くにはまったく適していない。
明日は筋肉痛確定だろうな……ははは。
「あー、お腹空いちゃった。お昼にしようよ」
低いテンションの俺を置き去りにして優は大きく伸びをしながら周囲に目を光らせていた。
「さっき団子を食べたばかりだろ」
「二人で分けたじゃん。あれだけじゃ足りませんー」
時刻はお昼を回ったところだ。登って下って約二時間半。確かにお腹はかなり空いている。
「あそこのお蕎麦屋さんとかどう? もちろん奢ってくれるよね」
「わかったわかった」
高尾山はとろろ蕎麦でも有名だ。駅や登山口の周辺にはたくさんの蕎麦屋が暖簾を掲げている。
適当なお店に入って二人そろってとろろ蕎麦を堪能した。喉越しの良い蕎麦が疲労した体を癒してくれる。ついでに味噌田楽を注文した。優に進めてみたが微妙そうな顔をして手を付けてこなかった。せっかく美味しいのに。まだまだ子供だな。
心もお腹も満たした。残すは帰るだけ。遠足と同じで「無事」に帰宅するまでが登山である。
「今日はありがとね」
「ほんと、手間のかかる妹だ」
「それは言わないのが決まりでしょ」
何の決まりだよ。
今朝まではとんだ災難だと思っていたけれど、優の満足した笑顔を見ていたら自然と俺も笑みになった。
「明日も来るんだろ? 今日の経験を活かしてヘマだけはするなよ」
「はいはい、わかってますって」
優とは帰る方向が違うので高尾駅で別れる。
「疲れているから寝過ごすなよ」と告げながら優を見送った。