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登山はつらいよ  作者: 加茂正路
はじまりの高尾山編
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1.きっかけはいつだって些細なこと

 山手線のグリーンな車体がゆっくりと停車する。ドアが開くと、乗客が急くように電車から降りていく。

 人混みを縫うように歩きながら改札を出ると、見慣れた街の夜景が出迎えた。

「今週も疲れたな」

 途中でコンビニに寄って荷物の受け取りを済ませる。

 今日は金曜日だ。

 一週間の仕事疲れがピークに達する週末の夜である。普段なら気晴らしに飲みに行くのだが、本日に限っては仕事を定時に切り上げて早々と帰路に着いた。

 俺こと『神田寛』は今年で入社六年目の会社員だ。任せられる仕事も増えてきており、ここ最近は帰宅時間も遅くなりがちだった。

 しかし、そんな疲れを吹き飛ばすアイテムを、先ほどコンビニで回収していた。

「ふふふ~ん♪ 今日やろうかな? それとも明日にしようかな? まてまて、その前に本体のアップデートをしないといけないか」

 左腕に抱えるネット通販のダンボール箱には、先日発売したばかりのゲームソフトが入っている。それも待ちに待ったシリーズの最新作だ。土日は家でダラダラとゲームをする予定である――訂正しよう、キビキビとゲームに励むだ!

 一人暮らしをしているマンションの部屋に帰り着き軽快に鍵を回した。

「ただいまー……っと?」

 誰もいないはずの部屋へ帰宅の挨拶を告げると、俺はリビングの照明が点いていることに気が付いた。

「マジか。電気点けっぱなしかよ」

 もったいないことをしたなと思いながらリビングへ入ると、俺は違和感を覚えた。朝起きてから一度も点けないリビングの照明が点けっぱなしになることがあり得るのか? もしかして泥棒にでも入られたのか?

 念のため部屋の中を点検しようと思った矢先、寝室のドアが勝手に開いた。

「あ、ヒロ兄、おかえり」

「うおあぁぁぁぁぁ!」

 驚いたなんてものじゃない。思わず変な声が口から発せられた。

 もしも寝室から現れた人物が長い黒髪の女性であったのならば、俺は恐怖で失禁していたに違いない。

 だがスマートフォンを手にした招かれざる客は、髪は長いが色は染めているため明るめだった。

「いきなり大声出さないでよ。ビックリしたじゃん」

「それはこっちの台詞だ……『優』」

 不法侵入を果たした少女の正体はテレビから這い出てきた怨霊でもなければ、異世界から訪れた魔女でもない。歳の離れた実の妹の『神田優』だった。

 当然のことながら一緒に暮らしているわけではない。

「何でここにいるんだよ。鍵は?」

「お母さんに預けていたのがあったでしょ。ちょっと借りてきた」

 学校の制服姿の優は未だ驚きを消化し切れていない俺のことなど意に介さずソファへと座る。

「初めて来たけど、女っ気のない部屋だね。まだ彼女の一人もできないの?」

「ほっとけ」

 兄妹といっても歳の差が一回りもある。優は今年高校に入学したばかりだ。妹が物心ついたころには俺は高校生になっており、その後大学では一人暮らしを始め、卒業と同時に就職してからもそのままだ。家で一緒に過ごした時間が少ない。

 ただ、仲は悪くない。むしろ良好だ。理由は毎年正月にお年玉をあげているからだろう。反抗期の時も俺に対する口撃はないに等しかった。

「それで、何しに来たんだよ。まさか家出とかじゃないよな」

「そんなわけないじゃん」

「じゃあ何の用だ」

「えー……んー……」

 これは少し時間がかかるかな。優は言い辛いことがあるといつも視線を逸らすのが癖だ。小さいころからちっとも変っていないな。

「とりあえず紅茶にするか、それともコーヒー?」

「さっき勝手に冷蔵庫開けたから大丈夫。アイスごちそうさま」

「……何だって? 俺の楽しみを食ったのか!?」

「だって帰ってくるの遅いんだもん……」

 まだ八時前だぞ! いつもは十時過ぎてるんだぞ!

「……もういいから、さっさと要件だけ話してくれ」

「うん……。実はね」

 優はソファの上で姿勢を正すと神妙な面持ちで口を開いた。

「その前にさ。アレって、まだやってるの?」

「アレ?」

「高校のときにやってたやつ」

「高校のとき?」

「部活で」

「部活…………あっ」

 俺は高校生のときに山岳部に所属していた。大学に入ってからもサークルに入って精力的に続けていた。だけど大学三年生のときにとある理由によってやめてしまっていた。

「就職してからはさっぱりだな。装備は押し入れの中にあるけど」

 全部捨てようと思った。けれど登山の装備は高価だ。それに思い入れがあるので捨てるに捨てられなかった。登山靴は履きもしないのに定期的に手入れもしている。

「ふーん」

「それで、山登りがどうかしたのか?」

「お願い! 連れてって!!」

 優は手を合わせて俺を拝んだ。まるで神か仏へ願掛けするかのように。

「連れてく? どこに?」

「【高尾山】」

「高尾山? どうして?」

 高尾山――は、東京は八王子市にある山だ。標高が低いため登山というよりハイキング感覚で登ることができる。登山初心者にはオススメの山ではある。しかし山登りに無縁の女子高生が突然行きたいとは思いつきでは言わないだろう。

「言わなきゃダメ?」

「一応は山だからな。原宿に買い物に行くのとは違うだろ」

 優は両手を頭に置いたまま狭い部屋をうろうろと歩き回る。「あー」とか「うー」とか何度か口にしたあと、ついに腹をくくったのか一度深呼吸をした。

「絶対に誰にも言わないでよ」

「お、おう」

「実はね、その、あの、き、ききき気になる人がいるの」

「へ、へぇー……」

 顔を真っ赤にする実妹。予想していなかった事情に俺は動揺を必死に隠した。

 この四月から高校生になった我が妹は、さっそく気になる男子生徒ができたらしい。そいつがワンダーフォーゲル部に入部したので、追いかけるまま仮入部したらしい。そしたらオリエンテーションを兼ねて高尾山へ行くことになった、ということだった。

 随分と青春な話だな! 理由もなく走りたい、海に向かって叫びたい!!

 ん? まてよ。

「じゃあなんでわざわざ俺に連れていってほしいなんて言うんだ?」

「だって山だよ。わたし山登りなんかしたことないし、どうしたらいいかわからないし……」

「そのためのオリエンテーションだろ」

「だって、変なところとか見られたくないし」

 要するに男子が女子に格好悪いところを見られたくない、の逆パターンってことか。

「だからさ、予行練習しておきたいの。ね、お願いだから、連れてって」

 優はゲームソフトが入っているダンボール箱を睨みつけた。

「せっかくの休日なんだがな」

「かわいい妹の頼みでしょ」

「自分で言うなよ」

「受験の合格祝いのとき、戻ってきてくれなかったよね」

「う……」

 いや、それは、その、納期で忙しくて会社に缶詰状態だったんだよ。

 ふて腐れた優はイエスと言うまで帰ってくれそうにない。なぜお願いする側の立場が上なんだろうね。

「……仕方がない。どうせ日帰りだし、連れてってやるよ」

「本当に? やったー!」

 これが兄の宿命というやつか。

「じゃあ明日、現地集合ね♪」

「はいはい明日……明日!?」

「だってオリエンテーションは明後日なんだもん。もう時間がないの」

 そういう大事な情報は最初に伝えてくれよ。

「わかったわかった明日だな。毒を食らわば皿までだ」

 俺はとりあえず待ち合わせの時間だけ決めて優をさっさと帰宅させた。

 服装や持ち物に関してはメールで追って連絡する。

 それにしても明日か。

 疲れている体に鞭打つながら、急いで押し入れから登山道具を引っ張り出した。

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