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妖精の森のリューン  作者: YOH.
7/9

和解

 リューンはレオンとアレクを連れ、南に向かって歩き始める。このまま進み続ければ、いずれ森にぶつかるだろう。

「森に入ってしまいさえすれば、すぐに村に着けるわ」

 リューンはそう言う。

「すぐって、どれくらい『すぐ』なんだ?うちのばーちゃんみたいに、『あと少し』とか言いながら、山を二つ越えさせたりしないでくれよ」

 アレクが頭の後ろで手を組みながら質問する。

「本当にすぐよ。一瞬で着くわ」

 リューンは笑って答えた。そんな彼女の言葉に、レオンは怪訝な顔をする。

「エルフ村ってのは、そんな近くにあったのか?それでよく今まで見つからずにいられたもんだ」

「近くには無いわ。まともに歩いたらきっと、一週間以上かかるわね」

 今度はレオンとアレクが、二人そろって不思議そうな顔をする。

 いくらエルフの感覚でも、1週間程度の時間が一瞬と大差無いということはあるまい。

 いや、永遠の寿命を持つと言われるエルフならば、その可能性もあるか知れない……

 そんな二人の不安そうな顔を察してか、リューンは言った。

「これ、絶対に内緒よ。誰にも話さないって約束してくれるなら、私たちの村への近道の秘密を教えてあげてもいいわ。ゲイルはちゃんと約束してくれたわよ。彼は誰にも話したりしなかったでしょ?」

 確かにゲイルは、自分には隠し事などせずに何でも話してくれたはずであった。

 だが、そんな彼でもエルフ村の話は一度もしてくれなかったし、第一そんな事を知っているそぶりすら見せなかった。

 そういう意味ではやはり、ゲイルという男は非常に誠実であったのだろう。

「約束するよ。兄貴が守った約束なら、俺も守らなきゃな」

 レオンはそう言った。そしてアレクはと言えば。

「俺も約束できるぜ。自慢じゃないが、秘密を守るのは得意だ。ギルドじゃ機密漏洩は、そのまま命に関る重罪だからな」

 などという訳の判らない理由を持ち出して胸を張る。

「ギルド?」

「言ってなかったっけ?俺が盗賊ギルドに所属してるって。あ、もちろん、今はもう盗みはやってないけどな」

「ギルドなんて初耳だぞ。昔、ヤバい仕事をしてた事があるとは聞いてたけど……」

「ああ、それ、秘密だったから」

 アレクはしれっとして答え、リューンはくすくす笑う。

 あらためてこの事は誰にも、それが例えジェイドと言えど、この場に居ない者には誰にも喋らぬという約束を交わし、リューンは2人に説明を始めた。

「この森の中には、ゲートが設置されているの。それこそ、無数にね」

「ゲート?」

「門っていう意味だけど、ただの門じゃなくて、次元の門。この門を使えば、瞬時に離れた場所に移動できるの。森の端から端までだって移動できるから、敵の追撃だって簡単に振り切る事ができるわ」

 レオンは口笛を吹く。

「なるほど。エルフが神出鬼没だったのは、そういう秘密があったからか」

「そんなの、古代遺跡にしか無いもんだと思っていたぜ。うっかり普通の人間が迷い込んだら、どうなっちまうんだ?」

 アレクも意外な答えを聞かされ、面食らった様子だった。

「『ゲート』は、遥かな太古にエルフの御先祖様が作ったものらしいわ。だから使うことができるのは私たちエルフと、そのエルフが盟友と認めた人だけよ。普通の人じゃ踏み込む事すらできない空間だから、迷い込んだりする心配は無いと思うわ」

 リューンはくすくす笑う。

「兄貴は、この門を使うことができたのか?」

「ええ。ゲイルは一ヶ月に一回は、この門を使って私たちの村を訪問してくれていたわ。彼は本気で私たちと人間たちの掛け橋になってくれようとしていたもの……」

 レオンの脳裏に、あの夜のジェイドの言葉が克明によみがえった。

『あの夜、ゲイルは見張りを厳重にする必要は無いって言ってたんだ。エルフはこれ以上襲って来る事は無いって、はっきり断言してな。』

 今ならその意味が理解できる。

 きっとその時、ゲイルは『ゲート』を使ってエルフ村に交渉に行っていたに違いない。そして、交渉はうまくまとまったのだ。

 だがその晩にエルフの攻撃を装ったダークエルフの襲撃に遭い、ゲイルは不慮の死を遂げたのだろう。

「リューン。そのゲートってのは、ダークエルフが使う事もできるのか?」

「ええ……ダークエルフも、もともと私たちと同じ妖精族よ。彼らがゲートを使えたとしても、何の不思議も無いわ」

 リューンは少し悔しそうな顔をして答えた。

「すると、あの時ダークエルフが消えたのも……」

「ああ。あいつらもゲートを使ってやがったんだ」

 レオンとアレクの二人は、顔を見合わせて肯く。

 謎は解けた。後はそれをエルフ村のエルフたちと、そしてマルガ村の人間たちに伝えるだけである。

 問題は、それをエルフが、そして人間がどう受け取ってくれるかだ。

 状況を全て伝えた上で、なお互いが互いを拒否するような答えを出すのならば、結局は今の険悪な関係に何の変化も無いのである。

 そうならないようにすることこそが、「掛け橋」たる自分たちの仕事なのだ。

「ほら、森が見えてきたわ」

 リューンが声をあげる。見上げると、丘の向こうに鬱蒼とした森が広がっている。

 暗闇に浮かぶ森は、昼間に見える優しそうな顔とは一変して、暗く不気味な表情をしていた。

「ゲートってのは、どこにあるんだ?」

「探してみないと判らないけど、多分すぐ見つかると思うわ」

 リューンの言葉に、二人は少し不安な面持ちになる。

「本当にすぐに見つかるのか?」

 そう聞いたのはレオンである。

「目印があるからすぐわかるわ。貴方たちも、目が慣れて来たら真っ赤なキノコを探してくれないかしら」

「キノコぉ?」

 素っ頓狂な声をあげたのはアレクである。

「この森にある赤いキノコって言ったら、クリムゾンアイズのことじゃないのか?オーガキラーって呼ばれてる、強烈な毒キノコだぞ」

「ええ。野性の動物に食べられる事もないから、目印としてはぴったりでしょ?」

 リューンはそう言って、森に向かって歩き始めた。

「えげつないモン、目印にするよなあ」

 アレクが呆れ顔でリューンの後をついて歩く。

 東の空が白々としてくる。細い月が東の空の低い所に浮かんでいた。時間はもう残されていない。明後日の今頃になれば、月は完全にその姿を隠しているだろう。

「急がなきゃ」

 そう言ったのは、誰だったのか。

 誰でもよかった。それは、全員の心の中に共通した言葉だったのだから。




 リューンがその目印を見つけたのは、森の向こうに朝日の頭が覗いた瞬間だった。

「あったわ。ここよ」

 リューンが立ったその場所は、森の入り口からそう離れていない、2本の杉の木が並んで立っている場所だった。

「この杉の木がゲートなのか?」

 なるほど、杉の木の根元には毒々しいほどに真っ赤なキノコがちょこんと二つ、顔を覗かせていた。

「ちょっと探すのに手間取っちゃったけど、待ってて。すぐ村への道を開いてあげるから」

 リューンは門の前に立つと、なにか早口で呪文を唱える。

 一瞬、レオンの目には、杉の木の間の景色がゆらめいたように見えた。そしてそう見えたのは、恐らく気のせいではなかったのだろう。

「入って。ここを抜ければ、すぐにエルフ村よ」

 そう言って、リューンは杉の木の間を通り抜ける。

 途端に、リューンの身体は空間に溶け込むように消えてしまった。それは以前、二人が見たダークエルフの時と全く同じ光景だった。

「行くぜ」

「おう」

 まずレオンが、次にアレクが、恐る恐るゲートに踏み込む。

 外から誰か見ていれば、まるで二人が溶けて流れてしまった様にも見えたであろう。

次元の門は3人の客を迎えた後、また何も無かったようにその存在を閉じた。後にはまた、静寂だけが取り残された。




 レオンたちが再び現れた場所は、やはり何の変哲もない森の中であった。

「着いたわ。村はすぐそこよ」

 リューンはそう言ったが、やはりそこは以前と変わらぬ鬱蒼とした森であった。

「見渡す限り、木ばっかりだな。本当に、こんな所にエルフ村があるのか?」

 レオンが半信半疑で一歩踏み出した、その途端。

 彼の足元に一本の矢が打ち込まれた。

「うおっと!」

「止まれ!何者だ!」

 同時に頭の上から声が響く。見上げると、木の上で弓に矢をつがえたエルフの青年が二人、こちらを狙っていた。

「リシェール!タイレル!やめて、弓をおさめて!」

 リューンが叫ぶ。リシェールにタイレルというのは、おそらく木の上にいる二人のエルフの名なのだろう。

「話を聞いてくれ!俺たちは戦いに来たんじゃない!」

 レオンは二人のエルフにそう叫び、腰の剣を外して地面に落とした。アレクも同じ様に剣を外し、両手を頭の上に上げる。

 二人のエルフうち、一人が木の上から飛び降りる。

 もう一人は矢を番えたまま、ずっとこちらをうかがったままだ。

「リューン!まさかお前、人間どもに我々の計画を話したのでは無いだろうな!」

 飛び降りて来たエルフの青年は、そう言ってリューンに詰め寄った。

「リシェール……それは……」

 リューンは言葉に詰まる。が、その二人の間にレオンが割って入った。

「俺があんたたちのところまで連れて行ってくれるように、無理に頼んだんだ。どうしても話したい事があってな」

「何者だ、お前は」

 タイレルと呼ばれたエルフも木の上から下りて来て、胡散臭そうにレオンを見つめる。

「俺はマルガ村のレオン」

「同じくアレク。頼むから、いきなり『ぶすっ』はやめてくれよ。俺にはまだやり残していることが山程あるんだからな。まさかあんたら、いくら俺たちが敵対してる人間だからって丸腰の、しかも話し合いを求めている人間を嬲り殺す様な非道なマネはしないだろう?」

 アレクも不敵な笑いを浮かべて言った。

「随分と勝手な言い草だな。お前たちが我々に何をしたか、知らぬとは言わせぬぞ」

 リシェールは腰から抜いた細身の剣を二人に突きつけ、睨み付けた。

 明らかにその目は憎しみに燃えている。

 そしてそれは、つい先日までレオンがエルフに向けていた目と同じであった。

「弁解するつもりは無い。だが俺の兄貴の名に賭けて、俺はあんたらに危害を加える為にここに来たんじゃない事は言っておく」

「我々には関係は無い。お前の兄の名などが何になる……」

「ゲイル、よ」

 リシェールとレオンのやりとりに、今度はリューンが割って入った。

 二人のエルフの青年は、ぎょっとした顔でレオンを見た。

「彼はゲイルの弟よ。その名前なら、賭けるに値すると思わない?」

 レオンは無言でエルフを睨み付けた。

 その時だ。不意に後ろの風景が揺らぎ、何もないはずの空間からまた一人のエルフが現れた。

「これはどういう事だ?この者どもを手引きしたのはお前か?リューン」

「族長!?」

「ユリクール殿!?」

 リシェールとタイレル、それにリューンまでもが、その人物の出現に驚愕していた。

 ユリクールと呼ばれた男は、若いながらも不思議な威厳と貫禄を持っていた。

 もっともエルフゆえに若く見えるだけで、実際にはどれほど長く生きているのかを外見から推し量る事は不可能と言えた。

「精霊が騒ぐので来てみれば……人間が我々の村に何の用だ?お前たちと我々は、血みどろの争いをしている敵同士なのだぞ。命知らずにも程があろう」

「ああ。でも、リューンだって命懸けで俺を頼ってくれたんだ。だからこそ、俺はリューンに応えたい。命懸けでな」

「そこは『俺』じゃなくて『俺たち』って言ってくれよな」

 アレクが後ろから訂正する。だがユリクールは、憎悪に満ちた目で二人を睨み付けた。

「例えお前が本当にゲイル殿の弟だったとしても、すぐに信じる訳にはいかぬ。それに、確かにゲイル殿は我々の盟友と呼ぶに足る人物だった。が、お前もそうだとは限らぬ。そうであろう?」

 レオンは言葉に詰まる。族長の言う事は正鵠を射ていた。

 そして今度は、ユリクールの矛先はリューンに向いた。

「リューン、この始末をどうつけるつもりだ?お前のした事は、我々エルフ族に対する裏切り行為だぞ。敵対する人間に、我らの計画を漏らすなど……」

「いいから話を聞け!」

 業を煮やしたレオンはユリクールに詰め寄ろうとした。

 だがそれはリシェール、そしてタイレルの二人に阻まれる。

 仕方なく、レオンはその場で一気にまくしたてた。

「そりゃ俺たちがやった許されない事だってあるだろうよ!それを今更許して貰おうとは思わない!後で縛り首だろうが火あぶりだろうが、何だって引き受けてやらあ!それであんたらの気がすむならな!だから、頼むから今は俺の話を聞いてくれ!」

 レオンは必死だった。

「こいつ一人の命で足りないっていうなら、俺の命もつけるからよ。それで何とか、話を聞いてはもらえないか?」

 アレクもまた飄々(ひょうひょう)と答える。

 ユリクールは、目の前の二人の少年の姿を見つめた。二人の目は真剣そのものだ。

 リューンも合わせた六つの瞳が、ユリクールの返事をただじっと待った。

 その時である。

 彼らが出て来たゲートから、また別の一団が姿を表した。

 全員がボロボロの状態で、一人まだ若いリューンくらいの年頃の女エルフが、昏睡状態で仲間に背負われている。あるいは、既に絶命しているかもしれなかった。

 新たに姿を見せた一団は、エルフ以外の生物の姿を見留めると、即座に抜刀する。

「人間がなぜここに……!」

 無論、レオンもアレクもそれ以上反抗はしなかった。というより、最初から武器を捨て、両手を頭の後ろに組んでいるのである。

「剣を収めよ。カウンツェル、報告したまえ」

 抜刀したエルフは族長に諭され、剣を収めた。

 カウンツェルと呼ばれた、先頭にいたエルフが重々しく口を開く。

「東の森で敵の奇襲を受けました。トーレスとギリルが死亡、エリナが毒矢を受けて危険な状態です」

「わかった。すぐエリナを解毒してやってくれ。急がなければ命に関る……」

 ユリクールがそう言った時だった。

「族長!ラスティルの隊はまだ帰還していません!」

 悲痛な声で叫んだ者がいる。最初に矢を射掛けてきたエルフ、リシェールだった。

「ばかな!彼らが薬草を取りに出かけたのは三日も前のはず。一日あれば往復できる場所だろう!?」

 ユリクールが驚愕して叫んだ。

「解毒薬……マリルの花の在庫は!?」

「全く残っていません!昨日、アレイルの部隊が帰還した時に全て使い切っています!」

「何てことだ……」

 エルフたちが騒いでいるところで、レオンとアレクは所在無げに立っていた。

(俺たち、存在を忘れられていないか?)

(ああ……何だかゴタゴタしてやがンな)

 二人は両手を頭の後ろで組んだまま、顔を見合わせて困ったように肯きあう。

「とにかく、すぐに治療を施してやってくれ。我々もできる限りのことはする」

「はっ……」

 彼らは力無く肯くと、結界の中へと姿を消した。

「リシェール、タイレル。すぐに新たな隊を編成してくれ。リシェール、君が薬草の採集を、タイレルはラスティル隊の捜索を……」

「待ってくれ」

 ユリクールの言葉を、レオンが遮った。

「今は貴様らなどに関っているヒマは無い。貴様らのせいで、かけがえの無い同胞の命が失われようとしているのだぞ」

 もう一度、ユリクールは憎しみのこもった目で二人を見据える。だが、レオンはそんな族長の感情など意にも介さぬ表情で切り出す。

「今から隊を編成してたんじゃ、余計時間がかかっちまうだろう。薬草の採集なら俺たちが手伝おう。案内してくれ」

 ユリクールは意外そうな表情を二人に向けた。だが、再び険しい顔つきに戻る。

「認められぬ。薬草のある場所を人間に教えるなど……」

「下らない意地を張ってる場合か!かけがえの無い同胞の命って言ったのは、あんたじゃなかったのかよ!」

「族長さんよ、俺もぐずぐずしているヒマは無いと思うぞ」

 レオンが叫び、アレクもそれに呼応した。

「場所なら私も知っているわ!案内なら私がします!」

 さらには、リューンまでがそう言って前に出る。

 再びユリクールが考えたのは、ほんの一瞬だけであった。そして族長として、最も的確な指示を出した。

「リシェール。お前はこの二人を連れて薬草を取りに行ってくれ。リューン、私はまだ聞いていない事が山ほどある。お前は私と共に村に戻るのだ」

「族長!」

 リシェールが悲鳴をあげた。だが、ユリクールは

「命令だ!ことは一刻を争うぞ!」

 と一喝し、リューン、そしてタイレルとともに村の中へと消えて行った。

 一人残されたリシェールは、キッと二人に向き直る。

「族長の命令では仕方ない。とりあえず今は休戦という事にしておこう。だが……」

 まだ何かを言おうとした時、レオンはリシェールの襟首を掴んで言った。

「いいから俺たちを信じろ!俺の兄貴はゲイルなんだ!その兄貴の名を落としめるようなマネは絶対しねえし、させねえからよ!」

 リシェールは、レオンの気迫に一瞬たじろいだ。アレクは先程落とした剣を拾い、一本はレオンに渡す。

「いいから早いとこ出発しようぜ。俺たちはあんたが思っている様な人間とは違うって、教えてやるからさ」

 アレクは何事も無かったかのように、リシェールに声をかける。

 リシェールも、時間が無い事は十二分に承知していた。こんな所で意地の張り合いなどをして無駄に時間を費やすのは最も愚かしい事だ。

「ついてこい。こっちだ」

 リシェールはゲートを開き、その中に溶け込むように消えて行く。

 何度も見せられた光景だし、自分たちも経験した事だ。今さら何の驚きもない。

 レオンとアレクもまた、リシェールの後を追ってゲートの向こうへと消えて行った。

 ……驚きは、その直後に起こったのだった。




「な……何だここは!」

 ゲートを出た瞬間、危うくレオンは足を踏み外しそうになる。

 足の下は、高さが五十メートルはあろうかとも思われる断崖であった。落ちたらひとたまりもあるまい。そしてゲートから断崖までの距離は、わずか1メートルしか無かった。

 ヘタをすれば、始めの一歩で足を踏み外していたかもしれない。

「気を付けろ。落ちても助けてやらんぞ」

 横にいたリシェールが、冷たい目でそう言った。

「意地悪いぞ、あんた!こういう場所に出るなら、先にそう言え!」

 レオンが悲鳴のような叫び声をあげる。

 一度レオンは同じ様な崖から転落したことがあるのだ。その時だって決して無事に済んだ訳ではない。

 あの時リューンがいなかったら、自分は生きてはいなかったかもしれないのだ。いや、間違いなく生きていなかっただろう。

 またそんな目に遭うのは、絶対にごめんだ。レオンは崖下を見下ろしながら、心の中でそう呟いた。

 アレクがゲートから顔だけ出してこちらを覗く。

「エルフの御先祖様ってのも、かなりヒネクレ者だな。何もこんな所にゲートを開く事も無いだろうに」

「昔はもっと道幅はあったのだ。いつぞやの地震で崖が崩れていてな。すまん、言うのを忘れていた」

 そのセリフには、わずかばかりの誠意も込められてはいない。

 リシェールはそれだけ言うと、また細い崖の道をすたすたと歩き始める。

「全然あいつ、俺たちの事を信用してないな」

 レオンが悔しそうに言い、アレクの方はさも当たり前だと言ったように答える。

「昨日まで……いや、今現在敵である俺たちをすぐ信じろって方が無理だろ。ここは俺たちが大人になって我慢しようぜ」

 アレクに(さと)され、レオンは渋々細い道をつたって行く。

「言っておくが、場所を漏らす事は許さんぞ。特にお前らの仲間……人間どもにはな」

 もう一度リシェールは振り向き、冷たい目でそう言った。

 先程から頭に血が上りっぱなしのレオンは、またリシェールにつかみかかろうとする。が、アレクがそれを止めた。

「どうもお前は、頭に血が昇りやすくていけねえな。あいつの対応は、俺に任せとけ」

 アレクは細い道も気にせず身軽にレオンの前に出ると、リシェールの側まで近寄った。

「安心しな。場所がわかった所で、ゲートの使い方がわからなきゃここまで来れねえよ。それとも何か?後でゲートの扱い方も教えてくれるのかな?」

「バカなことを」

 リシェールはぷいっと横を向いてしまい、それっきり何も喋ろうとはしない。アレクは、レオンにそっとウィンクする。

 レオンは肩をすくめた。こういう時の対応は、自分はアレクにかなわないと思う。

 交渉や駆け引きとなると、明らかに自分よりアレクの方が向いている。

 何より、どんな時にでもマイペースを崩さない彼のスタイルは時にとてつもなく強力な武器にもなりうるとレオンは思った。

 二時間もその細い道を歩いたろうか。やがて道は広くなり、勾配が平坦になる。

 そこは岩山の頂上であったらしい。視界がひらけ、一面の花畑が広がった。手前に赤、奥には白、左手には黄色。他にも緑、青、紫、色とりどりの花が咲きほこっている。

「へえ、こんな所にこんな綺麗な場所があったんだな。弁当持って、ピクニックに来たくならないか?」

 アレクの浮かれた言葉にも、リシェールは無愛想な顔をしたままだ。

「解毒剤になる花……マリルは、左手の黄色の花だ」

 事務的にそれだけ答え、腰についていた革袋を外す。

「あまり数を取ってしまっては、その花を滅ぼしてしまうことにもなりかねないからな。とりあえずこの革袋分だけ……」

 リシェールが一歩踏み出した、その時である。

「リシェール!止まれ!」

 鋭く、そう声を発した者がいた。レオンである。彼は眼光鋭くリシェールの方を見つめていた。

 そして、腰の剣を抜いた!

「貴様!?何のつもりだ!」

 リシェールが声を発すると同時に、レオンは猛然とダッシュした。リシェールが腰の剣に手を掛けようとした瞬間、だが彼は横から飛び出したアレクに突き飛ばされる。

「はい、ちょっと失礼!」

「貴様、何を……!」

 倒れ込んだリシェールの真上を、影が横切った。そして、もう一つの影がリシェールの前に立ちはだかる。その影こそがレオンだった。

 レオンは二人を背に回し、『そいつ』から庇うように前に出る。

『そいつ』……突然空から襲いかかって来た獣から!

「な、何だ、こいつは!?ここには、このような獣などいなかったはず……!」

 その時初めて、リシェールはこの二人に命を助けられた事を知ったのだった。

「実際いるんだからしょうがないだろ。いいからあんたは後ろに下がってろ」

 レオンは剣を構え、自分の身体の倍ほどもある巨大な獣と対峙した。

『そいつ』は、ライオンのように身体に大きな翼、足にはするどい爪、そして鷲のような頭に鋭いくちばしを持っていた。その鋭いくちばしをこちらにむけ『そいつ』はあろうことか、舌なめずりまでして見せたのである。

 グリフォンと呼ばれる魔獣だ。人の住む場所には滅多に現れず、時々森に迷った冒険者が出会う事がある程度である。

 性格は獰猛、人間の肉も好んで食らう、始末に負えないモンスターであった。

「うわあっ!」

 もう一度、リシェールが叫び声をあげた。

 彼が突き飛ばされ、手をついた場所にまだ新しい死骸が転がっていたのだ。死骸というより、それは既に残骸であった。

「ラスティル……!」

 かつてそれは、ラスティルという名で呼ばれていたエルフだったのであろう。恐怖に見開いていたのであろう目はえぐられ、腹部は食い散らかされ、まるで巨大なカラスかハゲタカにでもつつかれたかの様な、無残な死体であった。

 その凄惨な光景は、死体など見慣れている筈のリシェールですら、思わず吐き気を催すほどのものであった。

 死体は一体だけでは無かった。少し離れた所には、同じ様に無残な骸と化したエルフが合わせて三体ほど転がっていた。リシェールは、それがちょうどラスティル隊の人数と一致する事を知っていた。

 グリフォンは、まるで品定めでもするかのように獲物を見据え、舌なめずりをする。

 3日前に食べた軟らかい肉に味をしめ、再び襲いかかってきたに違いなかった。

「こいつがラスティルたちを……!」

 リシェールは、今度は怒りに燃えた目でグリフォンを見据えた。

 素早く弓に矢を番え、そしてそれを撃ち込むため、リシェールはレオンの後ろから横に飛び出す。

 しかしグリフォンは、その一瞬のスキを見逃さなかった。

 巨体に似合わぬ素晴らしいスピードで、グリフォンはリシェールに襲いかかる!

 いくらエルフが弓の名手とは言え、こう一瞬で間合いを詰められてしまってはまともに太刀打ちできない。

 リシェールは、矢を番えたまではよかったが、狙いをつけることまではできなかった。

「う……うわっ!」

 めくら滅法に射った矢は、目標を大きくそれて彼方へと飛んで行く。

 巨体がリシェールの眼前に迫り、目の前で鮮血が飛び散った。

「ひっ!」

 悲鳴を上げたリシェールは、しかしかすり傷のひとつも負ってはいない。

 間一髪で伸びたレオンの剣の切っ先がグリフォンを牽制したのだ。

 そこに間に合ったレオンもレオンだが、瞬間に横っ飛びに逃げたグリフォンも流石(さすが)と言わざるを得まい。

「勝手に動くな!死にたいのか!」

 そう叫んで再びリシェールの前に立ったレオンは、肩から血を流していた。今の交錯はただではすまなかったらしい。

 なにしろ今日のレオンは剣は持っているものの、鎧は何もつけていないのだ。

 夕べはマグリルを追跡する為に色の濃い服を着用していたのであり、しかもその上着はその後リューンに貸し与えたままなのである。

 グリフォンの鋭い爪の攻撃を遮るための物は、薄手の生地で織られたシャツ一枚だけであったのだ。

 しかし無論、レオンもただで傷を負ったわけではない。

 グリフォンも左前足を切られ、出血していた。転んでもタダでは起きぬとは、まさにこのことだろう。

 グリフォンは目を赤く血走らせ、自分に傷を負わせた戦士を睨む。

 レオンもまた微動だにせず、グリフォンを睨む。

 グリフォンは一度だけ咆哮し、大きく羽ばたいて上空に舞い上がると、今度は急降下してレオンに襲いかかって来た。

 固いものどうしがぶつかり合う、乾いた音が響く。

 レオンは剣を斜めに構え、正面からグリフォンの爪による攻撃を受け止めていた。

 まさにグリフォンとレオンの一対一の力比べになろうかと思われた、その瞬間である。

 レオンの背中からアレクが飛び出し、グリフォンの左目に短剣を突き立てた。グリフォンは悲鳴にも似た咆哮をあげ、横転する。

「レオン!こんなもんでどうだ!」

 アレクも横転した状態から、素早く起き上がって指を鳴らす。

「ああ、いいフォローだ!」

 レオンは笑って答えた。

 力比べでグリフォンなどに勝てる筈が無い。

 それを承知で、一瞬だけわざと相手を優位に立たせたように見せ、スキをついて奇襲をかける。

 言葉も交わさず二人はやってのけたのだ。よほど互いを信頼していなければできる芸当ではない。

 怒り狂ったグリフォンは、文字どおり盲目的に突進してくる。

 だが、片目と同時に遠近感までをも失った状態では、攻撃を命中させることは難しい。

 最小限の動きでグリフォンの突進を交わしたレオンは、そのままグリフォンの柔らかい脇腹を切り裂いた。

 再度グリフォンは横転し、脇腹から鮮血が止めど無く吹き出し始める。

 今度こそ、致命的な一撃だった。

 力無く起き上がったグリフォンは、勝ち目は無いと悟ったか、それでも最後の力を振り絞って羽ばたき、上空へと飛び去った。

「リシェール……とどめを刺すのは、あんたの役目だぜ」

 弓を握ったまま呆然としていたリシェールの肩を、レオンがぽんと叩く。

 はっとしたリシェールは、今初めて気付いたように正面を見た。

 グリフォンはふらふらとよろめきながら、恐らくは巣穴があるのであろう、谷を越えて向こうの山に向かって飛んで行く。

 リシェールは思い切り矢を引き絞った。

「くらえ!仲間の仇だ!」

 次の瞬間、弦の弾ける甲高い音がして矢は弓を離れる。

 射られた矢は大きく弧を描き、逃げるグリフォンの背中に突き刺さった。

 一瞬グリフォンは空中でのけぞった様に見え、その巨体は錐もみしながら谷底へと落下して行った。

「お見事。エルフが弓の名手と言われているだけあるな」

 レオンが感心した様にリシェールに声をかける。

 リシェールは肩で息をしていた。

 運動量で言えばレオンの方が遥かに多い筈なのだが、レオンは特に息を弾ませるでもなく、けろりとしていた。

 レオンは剣に付いたグリフォンの血をぬぐい取り、鞘に戻す。

 その剣を、リシェールが見留めて(ただ)した。

「待ってくれ。お前が使っているその剣は何だ?」

「こいつか?兄貴が生前使っていた剣だよ。手入れは怠っていないから、刃こぼれなんか全然してねえぞ」

 もう一度鞘から剣を抜き、レオンはリシェールの前に差し出す。

「そうか……やはり、どこかで見たことのある剣だと思った」

「あんたも、兄貴とは親しかったのか?」

「というより、もともとその剣は我が族長が彼に授けた剣だ。エルフと人間の絆を結ぶ、特別な力を持つと言っていた」

「この剣が?」

 そう言ったのはアレクである。レオンはもう一度、その刀身をまじまじと見つめた。

「エルフから授けられた剣……?」

「別に、特に変わったところはないけどな」

 アレクも剣をしげしげと見るが、何も変わったところを見出せずにそう言った。

「そんな事より、早いとこマリルの花ってやつを集めちまおうぜ。ぐずぐずしてる時間はないはずだろう」

 レオンは剣を鞘に収めて言った。

「ああ。だが、お前も怪我をしているんじゃないのか?」

 リシェールが、心配そうにレオンの肩を見る。

「おや?心配してくれているのか?」

 レオンは意地の悪い笑顔をリシェールに向けた。それにはリシェールは答えず、すこし恥ずかしそうな顔をして横を向いた。

「傷の治療には白い花が効く。二、三本なら分けてやってもいいぞ」

「素直じゃねえな」

 レオンは笑って答えた。

「助けてくれたことに関しては礼を言おう。もしかしたら、私も今頃このような姿になっていたのかもしれぬのだな」

 リシェールはもう一度、無残な亡骸と化した同胞の傍らに立つ。アレクが自分の上着を脱ぎ、亡骸の上に被せる。

「人間の神様のでよければ、祈りの言葉もかけられるけど、どうする?」

 アレクの言葉に、リシェールは僅かに微笑んだ。

 今度こそ、その笑顔には一片の嫌味も嘲笑も含んではいなかった。

「その気持ちだけで十分だ。彼らのことは、後から来るタイレルたちに任せよう。私たちは死んだ仲間より、死にそうでも生きている仲間の為に急ぐべきだろう」

「同感だ。花を集めたら、さっさと村に帰ろうぜ」

 レオンが声を掛け、今度こそ三人の『パーティ』が村へと凱旋したのだった。




 しばらく時間を戻そう。

 一方、マグリルを追ったジェイドはと言えば、よほどマグリルがのんびり歩いていたのであろうおかげで、さしたる苦労も無く追いつく事ができた。

 月明りすら無い闇夜の中では、遥か遠くで揺れるランプの明かりが、1キロ離れた先でその存在を確認することができたのだ。

 何しろマグリルは鼻歌混じりでのんびり歩いていたのであり、無防備この上無かった。

 こっそり背中から斬り付けてやろうか……などと物騒な事を考えるジェイドだが、実行に移せば簡単に成功するであろうことは火を見るより明らかである。

 夜が白々と明け始めた頃、マグリルは大あくびをしながら、今度は南に進路を取る。

 南に向かえば、広大な森が見えて来る事になる。

「森に向かっているのか?何の為に……」

 ジェイドは携帯食を頬張りつつ、追跡を続ける。

 やがてマグリルの姿は、森の中へと消えて行った。

「まずいな……まさかとは思うが、気付かれたか?」

 ジェイドは慎重に慎重を重ね、マグリルの後を追う。

 だがマグリルは、尾行に気付いた風も無く、森の中に入っても無防備のままである。

 マグリルの様子は何も変わっていない。強いてあげれば鼻歌が口笛に変わっただけだ。

 一時間ほど森の中を歩いたマグリルは、やがて見えた泉のほとりで立ち止まる。

「口よ、開け!」

 マグリルが大声をあげる。

 一瞬、ジェイドの目には泉が揺らいだ様に見えた。

 いや、正確には『泉のある風景が揺らいだ様に見えた』のである。

 そして次の瞬間、信じられない物を見た。マグリルの姿が風景に溶け込んだのである。

「な……何だ!?」

 ジェイドは駆け出し、今までマグリルが立っていたであろう場所まで来た。

「どういうこった……まるっきりレオンのやつが言ったのと同じじゃねえか」

 マグリルの姿はどこにも無く、ただ足跡だけがそこに今までマグリルがいたのだと言う事を語っていた。

「異界への口……か?」

 ジェイドは思わず生唾を飲む。

 そんな所を通って、マグリルはいったいどこに行こうというのだろう。

 ジェイドは大きく息を吸い……

「口よ、開け!」

 マグリルと同じ言葉を、叫んだ。

 再びジェイドの目の前の風景が揺らぐ。試みは成功したらしい。

 ジェイドは意を決して、一歩を踏み出す。

 すると彼の姿もまた、溶け込むように消えたのだ。




 再びジェイドが現れた場所も、やはり森の中だった。

「ここは……一体、どこなんだ?」

 妙に薄暗い森の中だ。

 先程まで左の方に見えていた太陽が、今度は後ろに見える。

 どうやら『口』を通る場合、入った方向と出た方向は、必ずしも一致するわけではないらしい。

 ジェイドは素早く回りを見渡す。

 道は一本だ。まっすぐに前と、そして後ろに伸びている。

 そしてマグリルは正面の道を歩いていた。

 距離は約二十メートル。だいぶ距離を縮めてしまった。

 ジェイドは手近な木の影に隠れながら、マグリルの後を追う。

 相変わらずマグリルは、ジェイドの尾行に気付いた様子は無い。

 やがて、少し開いた場所で立ち止まる。

「バディス!ガルム!聞こえるか!俺だ、マグリルだ!」

 マグリルはその場で、そう叫んだ。

「叫ばずとも、ちゃんと聞こえている。少し静かにしろ、貴様の声は耳が痛くなる」

 声と共に現れた人物に、ジェイドは目を疑った。

(ダークエルフ!?なんだってマグリルのヤツがダークエルフなんかと……!?)

 そこに現れたのは、黒い肌と長い耳を持つ邪悪なる妖精族……噂で聞いたダークエルフそのものだったのだ。

「何の用だ。また、つまらぬ用で呼び出したのでは無いだろうな、マグ()ル」

「マグリルだと何度も言っているだろう。相変わらず舌ったらずだな。ガルム」

「抜かせ。人間の共通語は、どうもしゃべりづらくていかん」

 マグリルは二人のダークエルフと、まるで旧知の仲という様に(いや、実際そうなのだろう)気さくに話し掛けていた。

「いい話だ。エルフを一匹、捕虜にした」

「ほう」

 ダークエルフの片方が感嘆の声をあげる。

「今、部下にエルフ村の場所を吐かせているところだ。場所がわかったら、すぐにエルフどもを滅ぼしてやる。その後は頼んだぞ、あんたら」

(その後……?)

 マグリルの目的は、エルフを殲滅させる事だけでは無いのか?他にも何か目的はあるというのか?

「それとな、近いうちにもう一度、あんたらの手を借りたい」

「どうした。また始末したい人間が現れたか?」

「というより、この前始末したと思ったヤツが生きてたんだ」

「ああ、お前に恥をかかせたというあの小僧か?」

(……!?)

 ジェイドは目に続き、今度は耳を疑った。

 マグリルに恥をかかせたという小僧とは、レオンの事ではないのか?

 まさかレオンが受けたという襲撃は、マグリルがダークエルフを手引きしたものだったというのか?

「あの状況で助かるとは、なかなか悪運の強い小僧だな」

「まったくだ。俺もてっきり、あれで始末はついたと思っていたんだがね」

 マグリルは、まるでその場で見ていたような口を聞いた。

 いや口振りから察するに、おそらくはマグリルもそばで見ていたに違いなかった。

(あの野郎……!)

 ジェイドは、腹の底から込み上げてくる怒りを、必死で抑えていた。

「あいつもバカな野郎だぜ。俺様に楯突いたりしなければ、こうして命を狙われる様な目にも遭わずにすんだってのにな。兄弟そろって、バカなヤツらだ」

 マグリルの話はまだ続いていた。

「小僧の兄弟がどうかしたのか?」

「ああ。あんたらと知り合った頃に、始末を頼んだ男がいただろう。そいつの弟が、あの小僧なんだよ」

 ジェイドは耳を峙てる。話が意外な方向に展開していた。

「あの男か。確かに不幸な奴だったな。たかがお前より剣技に優れ、人望が厚い……それだけで殺されちまうんだからな」

「いいんだよ。マルガ村いちの剣士は、このマグリル様でなきゃいけねえんだ。それに、あいつはエルフとの友好的な関係を復活させようなんぞと吹きやがった。そんなことをされたら、せっかくエルフを敵に回した苦労が水の泡だ」

 マグリルは吐き捨てる様に言った。そしてその言葉は、一字一句違えずにジェイドの耳に届いていた。そして、今度こそジェイドは心に誓った。

 この男を生かしてはおかない。

 レオンはまだいい。彼は生きていた。

 だが、ゲイルは死んだ。

 もし、本当に彼の死にこの男が関っていたのだとすれば、そしてその理由がそんな下らないことだけであるのならば、絶対にこの男は許さない。許す訳にはいかない。

「ところでマグ()ル。後ろに隠れている人間は、お前の連れか?」

「!」

 見つかった!

 マグリルがあまりに無防備すぎた為に気配を消すのを忘れ、つい殺気をあらわにしてしまった。その気配を察知されたに違いない。さすがにダークエルフは鋭かった。

 ジェイドは全力で、『口』のあった方向に駆け出す。

「逃がすな!話を聞かれた!」

 マグリルが叫ぶ声が聞こえる。が、ジェイドにはそんな事を気にしている余裕など全くない。すぐに、先刻の『口』のあった場所が見えてくる。果たして、もう一度同じ方法で『口』は開いてくれるだろうか。

「口よ……!」

 ジェイドがそう叫ぼうとした瞬間、彼は足に激痛を感じて転倒した。見れば、自分の右足には矢が突き立っていた。

「しまった……!」

 ジェイドは急いで矢を引き抜いた。矢じりが変色している。

「まずい……毒矢か!」

 ダークエルフとマグリルが迫って来る。

 ジェイドは痛む足をひきずって立ち上がったが、瞬間、目眩(めまい)に襲われてふらついた。

「くっ……もう毒が回ってきやがったか……!」

 目の前がかすんでくる。ジェイドは、側の木にもたれかかった。足が震え、まともに歩く事さえできない。

「くっ……そォ……!」

 視界は完全に失われた。その他の感覚がマヒするのも時間の問題だろう。意識が段々遠くなって行く。

「ここまでか……」

 どさっ、という重い音がして、ジェイドの身体は地に伏した。だが、ジェイドは自分が倒れた事にすら、気付くことはできなかったのだった。




「ジェイド!?何でこの野郎がここに……!?」

 マグリルは倒れた侵入者を見留めると、驚愕の声をあげた。

尾行()けられていたのにも気付かなかったのか?お粗末にも程があるぞ、マグ()ル」

 ダークエルフは、険しい顔をしてマグリルを見る。

 マグリルは顔を赤く、また青くさせながら、冷や汗まじりで二人のダークエルフを交互に見ていた。

「精霊に問い(ただ)してみたが、今回侵入したネズミはこいつ一匹だけの様だ。不幸中の幸いだな」

「そうか。ならばこいつさえ始末してしまえば、この場所を知る者は居なくなる」

 二人のダークエルフの言葉に、マグリルはほっと溜め息をつく。

 しかし、二人のダークエルフに睨まれているのに気づくと、今度は申し訳ない様に首をすくめた。

「二度は無いぞ、マグ()ル。今後この場所を知られるような事があれば、今度こそお前の首は胴体に付いていないと思えよ」

「わ、わかってるよ。二度とこんなドジは踏まねえよ」

 マグリルはしどろもどろになりながら答える。ダークエルフは冷たい目でマグリルを見据えて言った。

「ならば、早く行け。そして、エルフどもの村を見つけだすんだ。村の場所がわかるまで俺達に接触は無用と思え」

「わ、わかったよ!」

 二人のダークエルフに睨まれ、マグリルは逃げるように『口』から出て行った。

 片方のダークエルフが、もう一方のダークエルフに声をかける。

「ガルム。この男、本当にこのまま始末してしまうつもりか?」

 ガルムと呼ばれた方のダークエルフが、陰険な笑みを浮かべて足元を見た。そこには、ジェイドが倒れている。呼吸は小さくなり、その命の火は今にも消えようとしている。

「まさか。いろいろ使い(みち)はありそうだ。このまま殺してしまうのは惜しい」

 ガルムと呼ばれたダークエルフはにやりと笑い、ジェイドの身体を担ぎ上げた。そして何やら呪文を唱えると、再び空間が揺らぐ。

 彼らは揺らいだ風景の向こうに消えた。

 後には何も残らず、ただ小鳥のさえずる声だけが響いていた。


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