救出
一夜が明け、その陽が落ち、長く延びた影もやがて闇に溶け込もうかという頃、彼らはようやくマルガ村に帰って来た。
ふと見れば、村の入り口にある大樹に矢が一本突き立っている。
それに意味を見出す事ができるのは、今のところこの世界には二人しかいない。
そして幸運にも、その二人のうちの一人がこのパーティにはいた。
「丁度いい。向こうから会いたいって言ってきてくれたぜ。思ったより早く、彼女と連絡は取れそうだ」
レオンはジェイドにそう言って笑いかけるが、ジェイドは妙な顔をした。
「どうしたんだ?」
「村の様子が変だ。妙に騒がしい」
その通りだった。騒がしいというよりは、浮かれているという方が近いかもしれない。
「何かあったかな?」
「入ってみりゃわかるさ」
戦士の誰かがもっともらしい返答をする。しかし、確かにそれは正論であった。
ジェイドはパーティを促し、早足で村に戻る。
村に入りさえしてしまえば、例の噂がレオンたちの耳に入るまでに、そう長い時間は必要ない。
事実、彼らの耳にエルフ捕縛の報が入ったのは、門をくぐった直後にすれ違った交代の門衛の耳からであった。
「それは、どんなエルフなんだ!?」
思わずレオンは門衛に掴みかかったが、門衛も噂を噂で聞いたにすぎない。
「俺もよくは知らないよ。その場を実際に見たわけじゃないし、見たところでエルフの顔なんていちいち見分けがつくもんか。女エルフだったって話くらいしか……」
「リューンだ……!」
レオンは確信した。何しろ門の外にある木に、彼女の来訪を示すこれ以上ない証拠が突き立っているのだ。
こんな事なら、もっと安全な連絡方法を考えておけばよかった。などと後悔したところで、それは後の祭りというものである。
「どうするつもりだ?レオン」
アレクがレオンの脇腹を肘でつつく。
「決まってるさ……助け出す!」
他の戦士には聞こえないよう、レオンは小声で答える。
ジェイドは溜め息をついた。そう答えるであろう事は、誰でも容易に予想がつく。
問題はどうやって助けるつもりなのか、なのである。
ジェイドとしては、もう少し具体的に考えをまとめたかったので、ひとまずここで隊を解散する事にした。
レオンとアレクを、一足先に自分の部屋で待たせておく。
隊長のジェイドには、帰還の報告や書類の提出だの、まだやることが山ほど残っていたからである。
「とまあ、俺が本部でついでに聞いてきた話だとそうなる。捕まえたエルフは、マグリルがどこかに監禁してるらしい。残念ながら、それがどこかまでは聞き出せなかった。というより、本部のお偉いさんも知らないらしい」
ジェイドは椅子にどかっと座り、行儀悪くテーブルに足を投げ出した。
「さて、どうする?」
「決まってら!マグリルのヤツをとっちめて吐かせてやるさ!」
個人的恨みも多分に混じっているのだろう、レオンはそう息巻いた。
しかしそれがどんなに無謀で無策な手であるかは、誰にでもすぐ指摘できる。
「捕虜を捕まえて尋問するってのは軍人としては当然の行動だぜ。それを妨害しようって言うんだから、今回違法なのは間違いなく俺たちの方だ。そんな正攻法で攻めたら先に俺たちが捕まって、軍法会議にかけられちまう」
そんな事は、レオンにだって十分承知していた。
「じゃあどうしろって言うんだよ!リューンが捕まってから、まる一日時間が経っているんだぞ!まる一日もだ!その間、あいつがマグリルにどんな仕打ちを受けていたか、想像するだけで鳥肌が立っちまわぁ!けど、それは全部俺のせいなんだぞ!」
思わずレオンはアレクに掴みかかる。が、アレクは両手を上げてレオンの前でおどけて見せた。
「少し頭を冷やせよ、レオン。時間が惜しいのはわかるが、だからこそ物事は慎重に進めなきゃならないんだぜ。『急がば回れ』ってことわざ、知ってるか?」
レオン自身、自分が焦っているのは十分すぎるほどわかっていた。
何とかしたい、だが何をすればいいのかわからない。そんな自分がもどかしいのだ。
「それでも、早くしなきゃ……こうしてる間にも、リューンがどんな目に遭ってるかって思うと……」
「冷静に、順を追って考えろ」
ジェイドはテーブルから足を下ろし、代わりにヒジをついた。
レオンも深呼吸して、熱くなった頭をまず冷やす。
どんな時にでも、落ち着いて行動出来るようになること。兄のゲイルからは何度も口を酸っぱくして教えられたことだ。
「まず、リューンの監禁場所を探さなきゃ。その為には……」
「マグリルを尾行けるのが一番早いな」
待ってましたと言わんばかりにアレクが答える。
「マグリルは夜の二点鐘が鳴る頃に本部に戻って来るって話だ。それからリューンの監禁場所に向かうつもりなんだろう」
「じゃ、本部でこっそり張っているのが一番近道だな。早速、夜間行動用の色の濃い服を調達しなきゃ」
「それは俺の仕事だな。隊の倉庫から支給してもらえるようにしておこう。マグリルには気取られない様にしないとな」
レオンが冷静になったと思う間も無く、ものすごい勢いでジェイドとアレクが計画を立案して行く。レオンは取り残されっぱなしである。
「何だよ。冷静になったところで、俺の出番なんか何も無いじゃねえかよ」
レオンは憮然として椅子に座り込む。ジェイドはふくれっ面をしているレオンの鼻を、人差し指で軽く弾いて言った。
「お前には、リューンを連れてエルフ村へ一直線に逃げるって大役があるだろうが」
「一番おいしい所を譲ってやるんだから、贅沢言ってンじゃねーよ」
アレクも後ろからレオンの首を両腕で締め付ける。
「二点鐘まで、まだ時間はあるな。今のうちに腹ごしらえしておこうぜ」
ジェイドは戸棚からパンの塊を取り出し、ナイフで人数分に分厚く切り分ける。
さらに床下の食料庫の扉を開けて中からハムとチーズを取り出すと、同じ様に分厚く切り分け、それぞれのパンに乗せた。豪快なオープンサンドイッチの出来上がりである。
いいにおいが漂い、思わず二人の少年の腹が鳴る。
「ハムもチーズもたっぷりあるからな。遠慮しないで好きなだけ食え」
大きなカップにミルクを注ぎながら、ジェイドは二人の少年に促す。
その豪快な夕食に二人は顔を見合わせ、そしていきおい皿の上に手を伸ばしたのだった。
マグリルが本部の扉を開けたのと、二点鐘が鳴ったのはほぼ同時であった。
「ご苦労様です」
入口に立つ新米の衛兵がマグリルに敬礼する。だがマグリルはそれを無視して、奥の執務室に向かう。
執務室はかなり広く、中では十人程の執務官が夜も更けて久しいというのに一生懸命書類の処理を行っていた。
その中でも一番奥の、一番立派な机に座っている執務官の前にマグリルは立つ。
「第一哨戒隊、隊長マグリル以下8名、全員帰還した」
「ご苦労。この書類にサインしたら、ゆっくり休んでくれ」
「そうも言ってられない。これから、あのエルフを尋問してやらなきゃならないんでね。エルフの村の位置さえわかればいよいよ総攻撃だ。忙しくなるぞ」
マグリルは口の端に薄笑いを浮かべて執務官に言った。
「その時は、俺に総指揮を任せてもらえるんだろうな」
「まだ確定した訳ではないが、功績を考えれば当然だろうな」
その返答に満足したようにマグリルは笑みを浮かべた。
「期待して待ってな。すぐに村の場所を吐かせてやるからよ」
マグリルは片手を振りつつ、そして口笛などを吹きつつ、本部を出たのであった。
「出て来やがったぜ。やっこさん、ご機嫌だな」
その陽気なマグリルを、茂みの中から見つめる六つの目があった。
深い色の服に身を包み、その姿をぱっと見で判別するのは難しい。
マグリルは外に出ると、あたりに誰も居ないのを確認してから、東に向かう。六つの目も、そのまま物陰に隠れる様にマグリルを追い続ける。
「どこに行くつもりだ……?」
マグリルは三人の尾行にまったく気付かず呑気に歩き続け、やがて東の門までやって来る。
篝火が焚かれ、門が赤く照らされている。
そして門には、篝火に照らされ長く伸びた門衛の影が映し出されていた。
門の警備に立っている門衛は二人だけのようだ。
意外にもマグリルは門衛に挨拶を交わすと門を開かせ、そのまま村の外に出てしまったのである。
「まずいな……」
「ああ。てっきり村の中のどこかに監禁しているんだと思っていたが」
再び門は閉じられ、門衛は何も無かったかのようにまた見張りを続ける。
彼らは少し思案げな顔になる。どうやって門から出るか。
勿論、彼らも村を出るだけなら簡単にできる。
だが門衛に自分たちの顔を見られてしまってはまずいのだ。
リューンを逃がしたことが公になった時、真っ先に疑われるのが自分たちになってしまうからである。
「仕方ないな。ちょっと荒っぽくいくか」
アレクが背負い袋をごそごそと探り、中から鉤付きロープを引っ張り出した。レオンは少し心配になって確認する。
「壁を乗りこえるつもりなのか?簡単に見つかっちまうぞ」
「だから、最初にこうしておくのさ」
アレクは鉤を振り回すと、篝火の足元にむかって飛ばした。
そのまま勢いよくロープを引くと、うまく鉤は台の脚にひっかかり、篝火が派手な音を立てて倒れる。
「おい、何やってんだ!」
「俺じゃねえよ、急に篝火が倒れて来て……」
「勝手に倒れる訳ないだろうが。おおかた、うっかり足でもひっかけたのを気付かなかっただけじゃないのか?」
「そんなはずは無いんだけどなあ……」
二人の門衛は、ぶつぶつ言いながら倒れた台を元に戻す。
散らばった薪を集め、あらためて火を焚き直す。
しかしそれだけの時間があれば、鉤付きロープを再び別の壁に掛け、三人がそこから壁を越えるには十分だった。
門からほんの二十メートル程度しか離れていない場所で、彼らは素早く、音も立てずに壁を乗り越えて行く。
篝火を倒したのは、辺りを暗くするだけではなく、同時にしばらくの間、門衛の注意を引き付けるという効果も狙ったものだったらしい。
再び篝火がその役目を果たし直した時、既に三人の姿は村の中にはなく、壁の外の闇に溶け込んでいたのだった。
月はまだ顔を出していない。暦から計算すれば、明け方近くに細い月が顔を出す頃だ。
その細い月はこれからさらにやせ細り、あと二日もすれば完全に無くなってしまうだろう。それから思い出したように、月はまた太りだすのだ。
そんな暗闇の中、大して頼りにはならぬ星明かりを頼りに三人はマグリルを追う。
せめてもの救いは、マグリルがランプを持っている事であろう。
暗闇の中で、マグリルの存在は明るい光の点となってはっきり確認できた。
後は自分の足元に注意するだけである。
「どこまで行く気なんだ?」
「こっちは干からびた田んぼや畑ばっかりで、大したものは無いと思ったが……」
だが、だからこそ人が寄り付かず、隠れて何かをするには絶好の場所と言えた。
やがて、光の点がすっと消える。マグリルがランプを消したらしい。
「あそこに、何かあるか?」
「水車小屋みたいだな。今は使っていないはずだが……」
三人は暗闇の中で顔を突き合わせた。
「急ぐぞ!」
そう号令を発したのは、レオンだったに違いない。事実、真っ先に駆け出したのはレオンであった。
彼は全力で水車小屋に駆けつけ、扉の前で止まる。
小屋とは言ってもそこは穀物倉庫も兼ねており、かなりの広さがあった。
大きさとしては、レオンの部屋とジェイドの部屋を足してさらに2倍してもまだ追い付きそうにない。
奥からは薄く光が漏れており、人が中にいる事は容易に推測できた。
やがてジェイドとアレクも追い付いてくる。息は弾んでいるものの、三人とも声は一言も発しない。
中から「バシッ!」という何かを叩く音と、女性らしき人物の悲鳴、そしてそれにマグリルの太い声が続いた。さらに複数の、下卑た男の笑い声が重なる。
三人は扉の隙間から、こっそり中を伺った。
そんなレオンたちの目に映ったのは、小屋の天井のほぼ中央から釣り下げられるようにロープで両の手首を縛られ、膝をつく様な格好で拘束されているエルフの少女と、その虜囚を取り囲むように立つ三人の男であった。
当然、男の一人はマグリルである。
マグリルは鞭を握っており、時折何かをリューンに問い質しては、その細い身体に鞭を打ち据える。
「強情を張れば、それだけ苦痛が長くなるだけだぞ。さっさと白状して楽になった方が、何倍もマシだと思うがね」
リューンの上半身は露わにされ、その白い肌には幾条もの鞭の跡が付けられていた。
さらにもう一人は水を張った桶を抱えており、リューンが気絶でもしようものなら、すぐに水をかけてやるぞといった体勢で構えている。
「なに、喋りたく無いというなら、それでもかまわないさ。それだけ、俺が貴様をいたぶる時間が長くなる。俺にとっても悪い事じゃねえ」
リューンは、冷ややかな目をマグリルに向けて、ただ一言だけ言葉を発した。
「……下衆」
「貴様ぁ!」
リューンの挑発に、再び鞭が入る。二発、三発。白い肌に新たな鞭の痕が刻まれる度、彼女はのけぞって天井を仰ぎ、悲鳴を上げる。
苦痛に表情を歪ませながら、しかし彼女は必死に耐えていた。
「あの野郎……!」
思わずレオンは飛び出そうとするが、それはジェイドに制される。
「今出て行っても、軍法会議は変わらないぞ。やるなら悟られず、そして確実に、だ」
「あいつら三人とも、叩っ斬っちまえばいいんだろうが!」
「ゲイルは、そんな事のためにお前に剣を教えたのか?」
ジェイドに諭され、レオンははっと息を飲む。
レオンには、以前やむなくとは言え斬り殺してしまった戦士たちの事がまだ後悔として心に引っ掛かっていたのだ。
だが現実に目の前で打ち据えられているリューンを見せ付けられ、黙っていろと言う方が酷である。
「で、でも……じゃあ、どうすれば……!」
「まあ、少し待ってろ」
そう言ったのはアレクである。彼は背負い袋の中をごそごそと探っていた。
やがて、中から丸い塊に導火線が付いた、爆弾のような物を取り出す。
「炸裂弾か?」
「いや、煙幕。ただ、ちょっと改良して睡眠薬を混ぜてある。火をつけて投げ込めば煙に巻かれてお休みなさい、って寸法のな」
アレクは片目をつむって笑った。と、その時である。
「お前ら、俺はもうひとつ行かなきゃならん所があるんでな。続きは任せたぞ。くれぐれも、うっかり殺したりするんじゃねえぞ」
「わかってまさぁ、隊長」
マグリルは拷問を部下に任せ、大股でこちらにやって来た。レオンたちは慌てて陰に隠れ、息を潜める。
マグリルはそのまま、レオンたちには気付かずに小屋を出、ランプに火を灯すと、再び東に向かって歩き始めた。村とは反対方向である。
「今度は、どこに行く気なんだ……?」
「何にしても人数が減ってくれたのはありがたい。アレク、もう少しマグリルが離れたら、そいつを中に投げ込んでくれ」
「承知」
アレクはじっとマグリルの持ったランプを見る。小屋の中では、相変わらず男がリューンを鞭で容赦なく打ち据える。すぐにでも飛び出して行きたい衝動を、レオンは必死で抑える。
マグリルはおよそ百メートルは離れたろうか。もうこちらで何が起こっても簡単には気付かれないだろう。そう判断し、アレクは煙幕催眠弾に火をつけ、中に投げ込んだ。
煙幕弾はうまく男たちの足元に転がり、炸裂する。もうもうと煙が立ち昇った。
「な、何だっ!?これは……」
睡眠薬は即効で、そして強烈だった。煙が発生して十秒もせぬうちに、二人の男はバタバタと倒れ、リューンまでもが意識を失って眠り始めた。
「うまく行ったみたいだぜ」
とアレクが声を掛けた時、もうレオンはそこにはいない。まだ煙が立ち込める中、彼は口元を濡れた布で押さえながら、リューンのもとへと駆け寄っていた。
「はあっ!」
レオンは天井からリューンを釣り下げているロープを剣で一閃、叩き切る。
リューンの身体はゆっくり崩れ、床に倒れそうになる。だがその前に、レオンがその華奢な身体を抱き止めた。
背中に、腕に、胸に……情け容赦無い鞭の痕が、ミミズ腫れや内出血となって白い肌に痛々しく刻み込まれていた。
「辛かったろうに……」
レオンは露わにされていたリューンの上半身に自分の上着を脱いで被せ、そのままその細身の身体を抱き上げる。
「大丈夫か?その娘は」
ジェイドもゆっくり追い付き、レオンに抱きかかえられた少女の安否を気遣う。
リューンはレオンの腕の中で、くーくーと小さな寝息を立てていた。
「なるほど、噂されるだけあって美人だな。お前がイレ込むのもわかる気がするぜ」
リューンの顔を覗き込み、感心したようにアレクが言う。
「べ、別にそんなんじゃねえよっ!」
レオンは思わず反論した。だが、そう言ったレオンの頬は真っ赤に染まっており、この場は誰がどう見てもレオンの方が分が悪かろう。
ジェイドはそのやり取りの始終を見ているだけであったが、いつまでもそんなバカ騒ぎを続けているわけにもいくまいとばかりに二人を諭す。
「いいから早く、薬を塗って身体を冷やしてやれ。鞭の傷は内出血した部分から発熱するぞ。アレク、俺たちは倒れてる二人をフン縛っちまおうぜ」
「承知」
ジェイドはレオンにゼリー状の傷薬の入った瓶を投げてよこし、その後アレクとともにだらしなく眠りこけてしまったマグリルの手下を縛り上げる。念を入れ、さらに目隠しと猿轡も忘れない。
そしてレオンは、今はもう使われておらず単に積まれているだけの樽や木箱の陰にリューンを運び、彼女に着せた上着をもう一度……ためらいながら、はだけた。
再び素肌が露わにされ、レオンは顔を赤らめて目を背ける。
緊急事態だ、仕方ない……と自分に言い聞かせ、レオンはそっとリューンの胸の上辺りに薬を垂らした。
「……目の毒だ」
レオンは、目の前の美しい少女の裸体から目をそらして、ぎこちない手で薬を塗ってゆく。
その時、うっすらとリューンの瞳に光が戻った。
リューンの瞳には、困ったように目を反らしているレオンの顔が映っていた。
「レオン……」
唇から小さくその名が漏れ、レオンは慌てて飛びすさる。
別に疾しい事はしていないのだが、それでもリューンに悪い事をしているという罪悪感がレオンの良心を責める。
リューンは起き上がり、そして自分の格好を確認し……
「きゃっ!」
小さく悲鳴をあげ、顔を赤くしながら両腕で自分の胸を隠した。
「つうっ!」
その途端、忘れていた痛みが全身を駆け巡る。叩かれた時の痛みともまた違う、深い、そして重い痛みだった。
「だ、大丈夫か?リューン……」
レオンが心配そうに声をかける。リューンは、それでも必死に笑顔を作ってレオンを見上げた。
「遅かったじゃない……待ちくたびれちゃったわ」
一言を発するだけで全身に激痛が走る。身体中が熱い。
「ああ、遅くなってごめん。後ろを向いて……背中にも薬を塗ってあげるから」
そう言われて、初めてリューンは自分の身体に塗られている薬に気付いた。
胸の辺りの塗り方に妙にムラがあるあたり、レオンの遠慮が感じられる。
「ありがとう……助けてくれて」
「気にするな。もともと俺の責任だからな。今度までにもっと安全に連絡が取れる方法を考えておくよ」
「そう願いたいわ。もう、こんな目に遭うのはゴメンよ」
「ああ……」
薬を塗りながらレオンは答え……
「そろそろいいか?こっちはカタが付いたぜ」
突然、アレクが木箱の向こうから顔を出す。
「きゃっ!」
「アレク!見るんじゃねえ!」
レオンは慌てて、再び上着をリューンに被せた。
リューンも頬を赤くし、レオンの上着をこそこそと着込む。
ほんの少し汗臭い上着だったが、不思議とそれはリューンの気持ちを落ち着かせた。
まるでレオンに抱きしめられているような気分になる。
「そっちは気が付いたみたいだな。大丈夫か? エルフのお嬢さん」
手下どもを縛り上げるのに使ったロープの余りを腕に巻き取りながら、ジェイドも話の輪に加わった。
リューンは立ち上がると、ジェイドとアレクの二人に向かって頭を下げた。
「助けてくれて有り難う。私は東の村のリューン。貴方たちに、お願いしたい事があって来たの」
「お願い?」
レオンがリューンの顔を見る。その表情からはいつもの笑みが消えており、真剣そのものだった。
「とりあえず、話は後でゆっくり聞く。今はここから逃げ出すのが先決だ」
ジェイドが自分の荷物を背負い、さっさと移動の準備をする。確かに、いつまでも水車小屋の中にいる訳には行かなかった。縛った兵士どもに目を醒まされ、自分たちの会話を聞かれる恐れもあったし、マグリルが突然戻って来ないとも限らない。
「急ごう。落ち着いたらまず俺たちに自己紹介させてくれ」
ジェイドがリューンに笑いかけ、真剣なリューンの表情はわずかに緩んだのだった。
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「ダークエルフ!?それは本当なの!?」
リューンは想像していなかった敵の出現に驚愕した。
水車小屋から離れた森の片隅で彼らは輪になり、互いの情報を交換することにしたのだった。
まずジェイドとアレクがリューンに自己紹介し……あらためて、彼らは見えざる敵の正体をリューンに告げた。
リューンはまだ信じられないといった顔で、三人の顔を見つめる。
「本当のことさ。俺も一緒に見ていたんだしな。二人揃って見間違えるなんて事は、そうは無いと思うぜ」
アレクがレオンの情報を後押しする。
「でも、ダークエルフが何のために……」
さすがに、そこまではまだ判らない。だが見えざる敵の正体を突き止めた事は、人間とエルフが互いが歩み寄るための非常に大きな材料となるはずだった。
「それなら、なおさら急がなきゃ!もう時間が無いの!」
リューンが必死の表情を向ける。そのただならぬ雰囲気に、皆もまた真剣な眼差しをリューンに向ける。
「先日、また私たちの仲間が惨殺されたの。族長様はそれを人間の仕業だと思って、マルガ村に総攻撃をかける準備を始めているわ。決行は次の新月の晩……!」
リューンは要点だけをかいつまんで、エルフ村の状況を三人に伝えた。今度は人間の側が息を飲む。
次の新月と言えば、おそらく明日か明後日だ。既にエルフの側では、そこまで話が進んでいたのか。
「それを俺たちに教えてくれる為に、あんたは危険を承知でわざわざ人間の村まで出て来たって言うのか?」
ジェイドが感嘆の声をあげる。
「私のしたことは……仲間には裏切り行為と取られても仕方ないかもしれない。でも私はこれ以上人間とは争いたくなかった。人間にも、ゲイルやレオンや、ジェイドやアレクみたいな人がいるんだって、私はよく知っているもの……」
リューンの言葉が、そこにいた人間たちの心に染み込む。
無論、彼らはここまで自分たちを信じてくれたエルフの少女の期待を裏切るつもりは毛頭無かったし、そんな彼女に報いたかった。
「リューン、頼みがある。俺たちを君の村まで連れて行ってくれないか?」
レオンがリューンに向いて言う。彼の表情も、真剣そのものだ。
「貴方が言わなければ、私の方からお願いしていたわ。族長を説得できるのは、きっともう貴方たちしかいない。一緒に来て貰える?」
リューンはレオンの手を握り、そして笑顔で答えた。少し目が潤んでいる。
そしてレオンは、ジェイドとアレクの方を見た。
「願ってもない。一度、エルフの村ってのを見てみたかったんだ」
アレクも片目をつぶって承諾する。もともと彼はエルフに会う事が目的で討伐隊に参加したのだ。ついて来るなと言っても、こっそりついて来るであろう事は明白である。
だがジェイドは少し考えた後、
「俺は、別行動を取らせてもらう」
そう、答えた。
三人は意外そうな表情をジェイドに向ける。
「何でだよ。遠慮なんかする事じゃないだろう?」
「遠慮している訳じゃない。俺は、マグリルの方を追う」
レオンはハッとする。
「あいつがどこに行くつもりなのか、妙に気になる。エルフ村の説得はお前たちに任せた。リューン、二人を頼んだぞ。またマルガ村で再会しよう」
言うが早いか、ジェイドは暗闇に紛れて走り出した。
「ジェイド!」
だがレオンの声は、もうジェイドには届いていなかった。
枯れ葉を踏み砕く音が徐々に遠くなって行き、やがてそれすらも聞こえなくなる。
「私たちも急ぎましょう。早く族長に説明しなきゃ。取り返しのつかない事になってしまう前に」
リューンの言葉に、残された二人も肯いたのだった。
(ジェイド……無茶するなよ)
レオンは心の中で、そう呟いていた。