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妖精の森のリューン  作者: YOH.
5/9

虜囚

 リューンとの密会から、また数日が経った。

 そろそろ、ジェイドが迎えに来るころだろう。先日行われた深夜の秘密会議を受け、あらためてジェイドを隊長とするエルフ討伐隊が編成され、早速今日出発するのだ。

 当然の如くこの部隊には、レオンとアレクが隊員として参加している。

「準備はできたか?レオン」

 木製の扉を開け、ジェイドが声をかけた。

「ああ、いつでもOKだ」

 いつものように、レオンはしっかり靴の紐を結んで立ち上がる。だが今日のレオンは革鎧ではなく、緑色と黒と茶色が混じった奇妙な模様の服を着ていた。そして、いつもの剣を帯剣していない。武器は護身用の短剣が一本だけであった。

「サイズはぴったりみたいだな。ちょっと大きめのを用意しといてよかったぜ」

 ジェイドの後ろからアレクも顔を出した。アレクもまたレオンと同じ、奇妙な模様の服を着ている。

「今回は、お前達が主力なんだからな。頑張ってくれよ」

「わかってるさ。まかしとけ」

 ジェイドの言葉に、二人は胸をはって答えた。

「うまく、あいつらと遭遇できればいいけどな」

「まあな。だが、油断はするなよ。敵は毒矢を使うようなヤツなんだからな」

 ジェイドは二人を連れて中央広場に向かう。そこには既にレオン達より年上の、ベテランの戦士が武装して待っていた。

 二人の妙な柄の服装を見て、3人の思惑を知らない戦士達は奇妙な顔をする。

「変な模様の服だな。そんなに目立つ色じゃ、エルフに的にして下さいって言ってる様なもんだぞ」

「俺達は戦いに行くんであって、ピクニックに行くんじゃないんだぜ」

 冷やかしにレオンはむっとした顔をするが、

「言わせとけ。この服の効果は、俺が一番良く知ってるんだからよ」

 アレクにそう耳打ちされ、その場は抑える。

 この服は、町の中で着れば奇妙で奇抜な模様だが、森の中に入ると草木や茂みに紛れ、識別がなかなか出来なくなる。

アレクはこういった隠密行動の知識に長けており、この奇妙な服も彼のアドバイスで調達した物なのだ。つくづく、不思議な男だとレオンは思う。

「出発する!」

 ジェイドの号令とともに、戦士達は出撃した。見えざる敵を求めて……



-------------------------------------------------------------------



「酷い事を……」

 エルフの一人が呟いた。

 今、彼の周りには8人のエルフがいる。だが、そのうちの4人は無残な死体となって、地に横たわっていた。

 剣で何度も斬りつけた痕がある。火傷の痕、そしてロープで縛った痕もある。なにしろ発見された時、彼らはまるでさらしものの様に、服を剥ぎ取られて木の枝から吊るされていたのだ。

 惨殺された4人のエルフのうち、2人は女性だった。その死体は陵辱された痕すらある。

「これが、ヤツらのやり方なのか!」

 エルフの青年の一人が激昂して叫んだ。

「村に戻るぞ!族長に、総攻撃の要請を出す!もうこれ以上の我慢はできぬ!」



 エルフの青年は、今見てきたものを報告し、そして亡骸と化した同胞を族長に見せた。

 族長|(といっても、見た目は人間の20代くらいの青年にしか見えないのだが)は遺体をすぐに埋葬させた。だが、エルフ達の悲しみと怒りまでをも埋葬する事はできなかった。

「人間、許すまじ!」

 ついにエルフ達は立ち上がった。今まで彼らを抑えていた族長も、もはや彼らを抑えることを続けようとはしなかった。

「これまで我々は、いつか彼らが目覚めてくれる事を期待し、こちらから森を出るようなことはすまいと誓っていた。だがもはや、これ以上の暴虐を許すわけにはいかん。次の新月の夜、我々はマルガ村に総攻撃をかける!」

 一斉にエルフ達から声が上がる。いまや、エルフ達の士気は最高潮に達していた。だが、それでもその勢いを押しとどめようとする者がいないわけでは無かった。

「お待ち下さい、ユリクール様!」

 その少女は、必死で族長に訴えた。

「リューンか。どうした?」

「早まらないで下さい!まだ和解の余地はあるはずです!」

 リューンはレオンと出会ったことにより、ようやくエルフと人間が和解できる一歩を踏み出せたと実感していた。少しずつ、人間との架け橋を自分とレオンが築いて行ければと願っていた。しかし、その矢先に起こったこの事件は、そんなリューンの幻想を脆くも吹き飛ばしてしまった。

「もはや我々は後戻りできない所まで来てしまったのだ。我らの誇りは、完膚なきまでに踏みにじられた。我々の誇りと栄光、そして平和な生活を取り戻す為に、マルガ村の人間は滅ぼさねばならない!」

 ユリクールはそう言って、リューンの言葉を一蹴したのである。

「そんな……!」

 族長はきびすを返し、リューンの前から立ち去る。

リューンはしばらく茫然と立ちすくむしか無かった。



 そしてその夜、エルフ村からリューンの姿が消えた。

 誰も、彼女がどこに行ったかを知る者はいなかった。



-------------------------------------------------------------------



 ジェイドを隊長とする討伐隊一行は、森の奥へと分け入って行く。

 今日で3日目。そろそろ襲撃があってもおかしくはない。

「俺達が攻撃を受けたのは、東回りの道で4日くらい行った所だったな」

 レオンがジェイドに説明する。

「それから昼夜を問わず、西の山道を抜けるまで攻撃は続いたんだ」

「正確には山道の上からのが最後の攻撃だったな。それでレオンは崖に落とされちまったわけだけどよ」

 レオンの説明をアレクが補足した。

「始末に負えない相手だな。お前達に個人的恨みでも持っていたみたいだ」

 ジェイドが笑った、その時。

 鋭く風を切る音とともに、その矢は飛んで来た。

「危ない!」

 ジェイドはあの時のレオンと同じ様に、皆に木の陰に隠れるよう指示を出す。

「来たか、やっと!」

 矢は次々と襲って来るが、さすがに歴戦の勇者達は落ち着いて構えていた。ジェイドは素早く、木に刺さった一本の矢を引き抜き、矢尻を確認する。

 紫色に変色している。毒矢だ!

「行け、レオン!アレク!ここは俺達が引き付ける!気を付けてな!」

「わかってる!」

 ジェイドの指示で、こちらの戦士達も弓による応戦を始める。そこを迂回するように、レオンとアレクは矢が飛んできた方向に迫る。

 二人が着た服の奇妙な模様は、木や茂みの色に溶け込み、その識別を困難にさせた。戦士達は初めてその服の効果を知り、感心したものである。

 本隊からレオン達の姿が完全に見えなくなった頃、レオン達は遥か遠くの敵の姿を確認していた。敵の数は意外と少なく、どうやらたった2人らしい。ちょうど撤退をしている最中らしかった。

「追うぞ!」

「承知!」

 レオンとアレクは素早く追跡を開始する。だが、敵もなかなか素早い。こちらもかなり急いでいるのだが、引き離さないようにされるだけで精一杯だ。それでも二人は必死になって、敵の影を見失わないように走る。

「逃がしてたまるか!」

「わかってるな、レオン!奴らにばれない様、敵の根拠地を見つける事が俺達の任務なんだからな!」

「わかってるさ!だから剣も鎧も置いてきたんだろうが!」

 そうなのだ。少しでも軽くなる為に、今の彼らは武装をしていない。いざとなれば、短剣一本で渡り合わなければならないのだ。

 努力の甲斐あってか、彼らは少しずつ距離を縮めていった。

まだ、敵に気付かれた様子はない。距離は百メートル程に縮まっただろうか。

「え……?」

 レオンは一瞬、目を疑った。

「見たか?」

 アレクがレオンに問う。彼も同じ物を見たらしい。

「ああ」

 レオンも、信じられないといった表情で返答する。

 アレクは息を飲み、一言一言を噛みしめるように言った。

「あいつら、黒い肌のエルフだ……」



 ダークエルフ。

 全ての種族に忌むべき生物とされ、憎悪と嫌悪の対象になっている邪悪な種族である。

 闇の軍勢の手先として暗躍することもあれば、邪な考えを持つ人間の味方についたりもする。その残虐ぶりは徹底しており、敵対するものに加える攻撃は情け容赦が無い。

 エルフが光に属する種族だとすれば、ダークエルフはまさに闇に属する種族と言えた。

彼らほど残忍な種族は、人間を除けば他にいない。オーガやデーモンですら、相手をひと思いに殺してくれるだけまだ親切と言えた。



「何であんなやつらが……」

「しっ!いいから、後をつけるぞ!」

 ダークエルフは、レオン達の尾行に気付いている様子は無かった。ただひたすら森を走り、移動を続ける。やがてダークエルフどもは木の生えていない、広さ二十メートル四方程度の広場で停止した。

 すでに陽が傾き始め、影が長くなっている。この季節は、陽が翳るのも比較的早い。

「野営でも始める気か?」

「助かったぜ。あの姿で夜の闇を動かれちゃ、闇夜に逆立ちする黒い牛の絵と同じで、どこに何があるんだかわかりゃしねえからな」

 アレクが訳のわからない例えを出して笑う。

だがダークエルフどもがおこなったのは、野営ではなかった。

 次にレオン達が見たものは、ゆらめいた空間に吸い込まれてゆくダークエルフの姿だったのだ。

「な、何だ!?」

 ダークエルフは二人とも、ゆらいだ空間に消えて行った。

 広場から人影がなくなったのを確認して、レオンとアレクは広場まで出て来る。

 幻を見せられたのだろうか?いや、確かに彼らはここにいたのだ。踏みしだかれた雑草や下草がそれを物語っている。

 だが、彼らの姿は無かった。足跡を追ってみても無意味だった。先ほど見た光景が幻では無かった事を証明するかのように、足跡はぷっつりと跡絶えていたのだ。

「これ以上の追跡は無理だな」

「ああ。一度本隊まで戻った方が良さそうだ」

 レオンとアレクはお互い肯きあうと、来た道を撤退し始めたのである。


      *             *


 その日の遅く、レオンとアレクは再び本体に合流した。

 そろそろ他の戦士は休もうか、という頃である。

「みんな、先に寝ててくれ。俺達はまだ疲れちゃいないからな。先に見張りに立っていてやるよ」

 レオンが提案し、戦士達はレオンとアレク、そして同じく立候補したジェイドに見張り番をまかせ、休息に入った。3人が見張りの時間を合わせたのは無論、『悪企み』のミーティングをする為である。

「ダークエルフ?」

「ああ。俺達にちょっかい出していたのは、森のエルフじゃなかったんだ」

 パチパチと音をたてている炎を囲んで、3人は顔をつき合わせていた。

「最後にやつら、まるで溶ける様に何もない空間に消えて行ったんだ。多分、結界か何かじゃないかと思う」

 レオンは燃える炎の中に薪をくべながら、自分の考えを述べた。

「あるいは、空間をネジ曲げる魔法かも知れない。どっちにしても、一筋縄でいく相手じゃない事は確かだな。さて、どうする?」

 アレクも腕を組んで考えた。

「まずは当然、この事を森のエルフにも知らせなきゃならないな」

 そう言って、ジェイドはレオンを見た。

「レオン。お前、エルフ村の場所は知らないのか?」

「ああ、残念ながらな。だけど、リューンとならすぐに会えると思う。何とか彼女を説得して、そして彼女にエルフ村の連中に伝えてもらおう」

「そうだな。それはお前にしかできない仕事だ」

 ジェイドは笑った。

「問題は、マルガ村の連中の方にどう伝えるかだな」

 そう言ったのはアレクである。

「コトがコトだけに、迂闊に伝えることができねえ。内通者にバレたら、二度とあいつら出てこなくなっちまうだろうからな」

「そうだな。それは慎重にタイミングを選ぶ必要がありそうだ」

 ジェイドはため息をつく。

「とりあえず、これからはできるだけ一直線に村に向かうコースを取ろう。ここからなら一日あれば帰れる。レオンは村に着いたら、できるだけ早くリューンと連絡を取ってくれ」

「わかった」

 レオンは真面目な顔で肯いた。

「本当は、説得するのに物的証拠があると有り難いんだがな」

「物的証拠?」

 レオンの言葉に、アレクが首をかしげる。

「一番いいのは生きてるダークエルフ、次に有り難いのはダークエルフの死体、もしくは首だな」

 質問に答えたのはジェイドである。アレクは一言、

「物騒な」

 といって苦笑するだけであった。

「とにかく、やっと兄貴を殺した真の敵を見つける事ができたんだ。今度こそ容赦なんかしない。徹底的に叩きのめしてやるぜ」

「ああ。ダークエルフが相手なら、俺も遠慮せず暴れられる」

 遠慮という言葉を耳にし、アレクがふっと顔を上げる。

「ジェイド。あんた、今まで遠慮なんかしてたのか?」

 その言葉にジェイドは答えず、ただ笑っただけだった。

 だがレオンは知っている。本当ならゲイルに匹敵する剣の腕を持っている筈のジェイドが、ゲイルの死後にはまったく戦功を挙げていないことを。

「ゲイルのヤツが、いまわの際に言ったんだ。エルフとは戦っちゃいけないってな。それがあいつの遺言だって言うのなら、せめてそれを聞いた俺だけでもエルフとは戦わずにいようと思ってな」

「俺は兄貴のそんな話、聞いてないぞ」

 レオンが不満気な顔をするが、今度はジェイドの顔が呆れ顔になる。

「ちゃんと最初に言ったさ。けどお前その時、何て言ったか覚えてないのか?すごい顔で、『知った事か!エルフは俺がこの手で滅ぼす!』って叫んだんだぜ」

 そう言われて初めて、レオンの脳裏にその時の情景が鮮明によみがえった。

 確かにそういう事があったような気がする。だがあの時は頭に血が昇っており、誰に何を言われたのかなど、よく覚えていなかったのだ。

「それじゃあんた、この5年の間、ずっと敵前逃亡を続けていたってのか?」

 アレクが呆れた声を出す。だが、ジェイドは片目をつぶって笑った。

「敵前逃亡ってのは、敵のいる所でなきゃできないんだぜ。自慢じゃないが、俺はここ5年の間、敵に遭った事はない。まあ、荒れ地や岩山にエルフが出るとも思えないけどな」

「悪党」

 レオンは笑った。要するにジェイドはエルフと戦いたくないが為に、わざと森を外れた荒れ地や岩山の探索を行っていたらしい。

「もともと、俺達の隊はさほどエルフに敵意を持つものはいないからな。エルフに敵意をむき出しにしてる奴は、それなりのヤツの部隊に配属される。お前がマグリルの部隊に配属されたのも、決して運命の悪戯だけじゃなかったってことさ」

「自業自得って言いたいのか?」

 レオンは憮然とした表情になる。

「ところで、アレク。お前もマグリルの部隊にいたってことは、何かエルフに恨みでも持っていたクチか?」

 ジェイドの質問は、不意にアレクに向いた。アレクはすました顔で答える。

「いや、俺はいっぺんエルフってやつに会ってみたかっただけでさ。だから一番エルフと遭遇しそうな部隊に配属されるよう、エルフに恨みを持ってるような芝居をして質問に答えたんだ」

「エルフに会ってみたかった?何でだ?」

 アレクはにやりと笑った。

「エルフには美女が多いって聞いてたもんでな」

 アレクのとぼけた返答を聞き、レオンとジェイドは同時に吹き出したのだった。

 今夜はこれ以上、何事もなく更けてゆきそうだった。だがそれはあくまでこのパーティの中だけの話であって、マルガ村ではちょっとした事件が起こっていたのである。




 エルフ村を出た後にリューンが向かったのは、当然の如くマルガ村であった。

 総攻撃の事を、せめてレオンには伝えたい。リューンではなくレオンなら、族長の意志を変えてくれるかも知れない。盟友ゲイルの弟、レオンなら。

 リューンは背中に弓と矢を背負って、ひたすら走った。旅人の木を越えて半日、辺りがすっかり暗くなった頃にマルガ村が見えてくる。門の側には篝火が焚かれており、ひょろっと伸びた大木のシルエットを遠くから映し出していた。

「あれが、レオンの言っていた木ね」

 リューンは人目につかないよう、慎重にその木に近づく。門と木の間は、せいぜい二十メートルくらいしか離れておらず、すでに陽が落ちていたとは言え、慎重に行動しなければ見つかる危険は十分にあった。

「もう少し安全な合図の方法を考えて欲しかったわ」

 リューンは溜め息をついて、それでも薮や岩陰、木陰に隠れながら、少しずつ大樹に近づいて行く。

「これくらい近づけば……」

 目印の木までおよそ五十メートル程まで近づいてから、リューンは背中の矢筒から矢を取り出し、弓につがえる。

「お願い、風の精霊。この矢を、正確にあの樹の幹まで運んでちょうだい!」

 矢は弓から放たれると大きな弧を描き、狙いを違えずに幹に刺さる。

 リューンは風の精霊に礼を言った後、手早く弓と荷物をまとめる。後は、自分があの洞窟で待っていればいい。

 そのはずだった。だが、その時である。森の反対方向から、人間の声がしたのだ。

「そこで何をしている!?」

 リューンは舌打ちした。矢を射るのに集中してしまい、後ろから迫る敵に気付かなかった。前は人間の村、後方もまたいつの間にか忍び寄っていた人間に囲まれ、リューンは逃げ場を失った。

「エルフのスパイか。こいつはなかなか、いいモノが手に入ったな」

 嫌らしい笑いを浮かべてそう言ったその男は、マグリルであった。

「捕まえろ!こいつからエルフの村の位置を聞き出してやる!」

 マグリルの指示で、兵士が一斉に襲いかかる。

 リューンも脱兎の如く駆け出したが、所詮は多勢に無勢、囲まれてしまえば逃げ場は無い。四方の行く手を全て塞がれ、絶体絶命である。目をギラつかせた獰猛な戦士が、少しずつその距離を狭めて来る。

 後ずさりしたリューンの背中には、背の低い木があった。もはや、それ以上の後退もかなわない。

 リューンは覚悟を決めた。腰の短剣を抜き、最後の抵抗に出る。低木を背にして盾とし、眼前の敵を見据える。

 無駄なあがきになるであろう事はわかっている。だがせめて、無抵抗で捕まりたくは無かった。自分で運命を切り拓く努力をした上で捕まるのなら、まだ納得できる。例えその結果、命を落とす事になっても。

 だが、その覚悟は空回りで終わった。最初の攻撃は彼女の意に反して、と言うより、彼女の意の及ばぬ所からやってきたからである。

突然盾にしていた木の背後から伸びて来た腕が、リューンの両腕を掴んだのだ。

「あっ!」

 そのまま両腕を後ろに引っ張られ、思わずリューンは握っていた短剣を取り落とす。腕の自由は奪われ、背中を木に押し付けられ、リューンは身動きが取れなくなってしまった。

「懲りないヤツだな!背中がスキだらけだぜ!」

 その太い嫌らしい声は、間違いなくマグリルの物であった。

「やめて!離してよ!」

 必死になって抵抗するリューンだったが、腕力でエルフの女が人間の男にかなうはずはない。

「助けて!レ……」

 レオンの名を叫びかけ、リューンは押し黙る。ここでレオンの名を叫んだりしたら、今度は彼にまで迷惑がかかってしまうだろう。自分の為に、レオンまで窮地に立たせるわけにはいかない。

「抵抗するんじゃねえ!何なら、このままこの腕をヘシ折ってやってもいいんだぜ!」

 マグリルが叫び、リューンも観念せざるを得なかった。もはや、自分には何の手だても残されてはいない。そう悟ったからである。

 マグリルに背中の後ろで腕を抑えられ、はからずも草色の服の上に胸の形がくっきりと浮き彫りにされてしまっていた。

 調子にのった兵士の一人がリューンの服に手をかけ、力任せに引っ張る。ビッ、という甲高い音が、一瞬だけ響いた。

「やめて!変な事したら、舌噛んで死ぬわよ!」

「やめろ、バカどもが!本当に死なれちまったら、モトも子も無いだろうが!こいつは、大事な情報源なんだぞ!」

 マグリルが叫び、兵士はしぶしぶリューンの草色の服から手を離す。それでも力任せに引っ張られた服は半分ほど破れ、エルフの白い肌が胸元まで露わにされていた。

 リューンは思わず頬を赤くして舌打ちする。その表情は、悔しそうという表現がおそらく一番的確だろう。

「エルフ村の場所さえ聞き出しちまえば、もう用は無いんだ。それからゆっくり、お前らの自由にさせてやるさ」

 マグリルがそう言い、兵士達からは下品な笑いが起こる。

「下衆!」

 腕を押さえられたまま、険しい顔でリューンが吐き捨てる。マグリルはリューンの言葉を無視して兵士に命令した。

「縛り上げろ。抵抗できないようにな」

 マグリルの指示で、戦士がロープでリューンの手首を縛り上げる。リューンは殊勝にも、それ以上の抵抗はしなかった。

 1つは多勢に無勢で抵抗したところで意味が無い事はわかっていたからであり、もう1つは、レオンが自分の事を知ればきっと助けてくれるという、淡い期待があったからである。




「マグリルがエルフを生け捕った!」

 この情報は、瞬く間に村を駆け巡った。

 マグリルのこの功績は、レオンによって落としめられた威信を取り戻して、なお余りあるものとなるに違いなかった。

 エルフとの戦いがおこって十年、生け捕りなどに成功した例は無い。

 なぜならエルフの戦い方はあくまで遠距離攻撃主体であり、必然的にこちらの戦いも弓による反撃しかなかったからだ。

 たまに接近戦に持ち込む事が可能になっても、そうなれば今度はどちらかが全滅するまで戦う総力戦となった。

 さらにそこで負傷したエルフを捕虜として捕らえた事も無かった訳ではない。

 だがエルフは、捕虜になるくらいなら自ら死を選ぶプライドの高い種族であった。

 それ故、今までエルフを生きたまま捕らえる事など殆ど不可能であったのだ。

 リューンとて、もし戦いの最中に捕われの身となったのであれば、死を厭うこともなかったであろう。

 だが、今の彼女には使命があった。

 レオンにもう一度会うまで、自分は死ぬ訳にはいかない。

 例えこれから自分を待つのが、恐ろしい拷問だったとしても。その果てに陵辱されるような事があったとしても。

 暗い地下牢に閉じ込められ、リューンは膝を抱えてうずくまっていた。扉の側には、冷えきったスープとすこし表面が固くなったパンが置いてある。

 冷遇されているわけでは無い。置かれたばかりの時は、温かいスープと柔らかいパンだったのだ。ただリューンが手を付けなかっただけに過ぎない。

「困るぜ、しっかり食って体力をつけといてくれなきゃよ。簡単に気絶されちゃ、拷問のし甲斐が無いからな」

 牢の外からマグリルが声をかけて来る。相変わらず、顔には嫌らしい笑いを浮かべていた。

 リューンはマグリルを一瞥しただけで、一言の言葉も交わそうとはしない。

 マグリルは扉を開けて中に入る。古い鉄扉が立てる重苦しいを音が、辺りの石壁に響く。

 マグリルはリューンのアゴに手をかけ、顔を覗き込んだ。

「なかなか綺麗な顔してるじゃねえか。これで一体何人、男をタラし込んだのかね」

 リューンの目の前、ほんの数センチの所に嫌らしい男の顔があった。リューンは無言のまま反抗した。マグリルの顔に唾を吐きかけたのである。

「このくそエルフ!」

 逆上したマグリルは、リューンを殴り倒した。リューンの頬は赤く腫れ上がり、唇の端から一筋、血が流れる。それでもリューンは叫び声一つあげず、ただマグリルをキッと見据えていた。

「いつまでも意気がっていられると思うなよ!お前の命はこの俺が握っているんだという事を忘れるな!その気になればお前くらい、簡単に殺す事はできるんだ!そうしないのは、お前が大事な情報を握っているからだという事、忘れるんじゃないぞ!エルフ村の位置を聞き出しさえすれば、すぐにでもその細首をねじ切ってやるわ!」

 この長ったらしいセリフをマグリルは一息で叫び、そして荒々しく扉を閉める。

「しっかり見張ってろ!自決なんぞさせるんじゃないぞ!こいつは俺がいたぶった後に、嬲り殺してやるんだからな!」

 牢番にそう言い残し、マグリルは立ち去った。

 リューンだってこんな所で捕虜に甘んじるくらいなら、いっそ一息に殺してくれた方がずっと気が楽だ。

「レオン……」

 思わず弱気の虫が頭をもたげ、口から小さくその名が漏れた。

 しかしそれを聞く事ができたのは、他ならぬリューンだけであった。


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