密会
リューンと別れ、旅人の樹の下で一夜を明かし、ようやく翌日の昼過ぎにレオンはマルガ村に帰って来た。
突然の帰還に村人は、まるで幽霊でも見るような顔でレオンを見つめ、しかしそれが本物だと知ると、今度こそ満面の笑みをたたえて彼の無事を喜んだのだった。
「そう簡単にくたばるタマじゃねえとは思っていたが、やっぱり生きてやがったか」
一番嬉しそうな顔をしたのはアレクである。背中からレオンと肩を組み、腕で首を絞める。彼なりの親愛の情を示す行為なのだろうが、ちょっと苦しかった。
「心配かけたな。みんなは無事か?」
「ああ。お前以外は全員無事だ。ったく、今までどこに行ってやがったんだよ。あれからみんなで危険を承知でお前を探し回ったってのに、どこにも姿が見つからないんだもんな。神隠しにでもあったのかと思ったぜ」
それでもやはり半分は諦めの気持ちがあったのだろう。
アレクは戦友の無事な帰還を、心の底から喜んでいるようであった。
「悪かった、いろいろあってな。帰りはお前が指揮をとってくれたのか?助かったよ」
「気にすンな。あれから襲撃は全然無かったし、それにそいつは俺の義務と責任ってもんだ。お前の言葉を借りるならな」
ふと、レオンは村を出る時には一緒だった、大嫌いな男の事を思い出す。
「そう言えば、マグリルはどうしたんだ?」
「あの野郎なら、俺達が帰ってきた直後に村に戻ってきたぜ。ま、お前にあれだけ完璧にやられて、おめおめと村に帰る事もできなかったんだろうよ。お前が死んだらしいって聞いて、酒場で嬉しそうに酒飲んでたぜ」
レオンはため息をついた。
「あいつもロクな死に方しねえぜ、きっと」
「いっそあの時、本当にブッ殺しちまえばよかったんだ」
「いやだ。兄貴の剣が汚れる」
アレクがぷっと吹き出し、またレオンの肩をばんばん叩く。二人の少年は、肩を抱いたまま笑いあった。
「お前がそんな笑い方をするのを見たのは、何年ぶりかな」
不意に声がかけられた。レオンは、声の方向に顔を向ける。
「ジェイド……」
「心配かけやがって。まあ、無事でよかったぜ。お前はまだ兄貴の所に行くには早すぎる。それを許しちまったら、俺がゲイルに怒られちまうからな」
そこに立っていた青年……ジェイドは、優しそうな笑顔をレオンに向けた。
「心配かけてごめん。次からはこんな事が無いよう、気をつけるよ。ところでさ」
レオンがジェイドに耳打ちする。
「ちょっと内緒で相談したい事があるんだ。今夜、俺の部屋に来てもらえないか?」
レオンの表情は真剣そのものだ。ジェイドもその心中を察してか、真剣な顔で肯く。アレクが一人、不満そうな顔をしていた。
「何なんだよ、二人きりの世界を作っちまいやがって」
「で、なんだ?相談ってのは」
その夜、村人が全て寝ついてしまったような時間を見計らって、ジェイドはレオンの部屋を訪れた。
レオンはジェイドを座らせると、単刀直入に切り出した。
「兄貴が敵の矢で殺された時の状況、思いつく限り詳しく話してもらえないか?」
「レオン?」
ジェイドは怪訝な顔をする。
「いいのか?お前には辛いだろうと思って、ずっと黙っていたが」
「大事なことなんだ。あの時襲って来たのは、本当にエルフだったのか?」
「なに?」
ジェイドは顔をしかめた。当時の様子を必死で思い出す。
「あの時は暗闇で、こっちは逃げるのに必死だったからな。敵の姿を直接見た訳じゃないが、しかしエルフ以外に奇襲してくるヤツなんか……」
言いかけて、ジェイドははっとした。
「思い出した。奇襲を受けたあの夜、しばらくゲイルは姿を消していて、戻ってきた時には見張りを厳重にする必要は無いって言ってたんだ。エルフは今夜は絶対に襲って来ないって、断言してな。俺達は半信半疑だったし、事実その夜に奇襲を受けているんだが、ゲイルのヤツは『ばかな!』って叫んでた……」
「それじゃ、やっぱり……」
レオンはリューンと別れ際に話した時に生まれた疑問符を確認すべく、ジェイドに相談したのだ。
「あの時兄貴達を襲ったのは、本当にエルフじゃなかったかも知れないんだな」
「『本当に』なんて言葉が出て来る所を見ると、誰かから何か聞かされたみたいだな。行方不明になってた間、何があった?」
ジェイドの表情は嬉しそうだった。ジェイドももともとはゲイルと同じ、親エルフ派なのである。
レオンは崖から落ちた後にエルフに助けられた事、その彼女からゲイルがエルフの盟友であったこと、そしてエルフは毒矢を使わないことを聞いた事、さらに我々と同じ様に、相手に同胞を殺されたと思って戦いを始めている事……を告げた。
「確かに、そいつは妙だな」
「だろう?それでひょっとしたらと思って、ジェイド兄貴に相談したんだけど」
ジェイドは腕を組んで考え込んだ。
「とりあえず、もう一度そいつらと当たってみるしかないな。姿の見えない敵を見つけることが、まずは謎解きの第一段階だろう」
レオンも肯いた。
「わかってると思うけど、今はこのことは絶対誰にも言わないでくれよ」
「当然だ。村の中に、その見えざる敵の内通者がいる可能性も高いんだからな。いや、いて当然と考えるべきだろう」
「その割には、あんたらの話は不用心だな」
突然、窓の外から声がした。二人は慌てて窓に飛び付く。
こんな時間に誰も起きてはいないだろうと考えていたのだが、明らかに油断だった。誰に聞かれた!?
「安心しな。俺だって他人にこんな話をするつもりはねえし、それにちゃんと周りは確認しといた。今の話を聞いていたのは俺だけだ」
そこにいたのは、アレクであった。彼は窓の下で壁にもたれるように座っており、頭の後ろで手を組んでいた。
「アレク?お前、何でこんなところに」
「何で、は御挨拶だな。一緒に生死の堺をくぐり抜けて来た仲間に、隠し事はあんまりじゃねえか?」
アレクは上を向いてにやっと笑い、次の瞬間には立ち上がって二人と目線の高さを一にした。
「こういう盗み聞きみたいな仕事は、結構昔からやってるんでね。ガキの頃は随分危険な仕事もしたもんだ。捕まったら、楽に十年くらいは牢にぶち込まれそうなコトとかも、な」
「実はとんでもないヤツだったんだな、お前」
レオンは苦笑した。アレクも笑って付け加える。
「俺もあんたらの悪だくみに混ぜてくれよ。自分で言うのも何だが、俺ってけっこう役に立つと思うぜ」
「願ってもない事だが、何が目的だ?」
アレクはいたずらっ子の様な笑いを浮かべて言った。
「ただ、すごく面白そうだと思っただけさ」
それから数日後の早朝。
レオンはたった一人で谷を抜け、獣道を抜け、再びリューンと出会った洞窟に向かっていた。
足の痛みも大分ひき、もう普段と同じ様に歩ける。走るとまだ少し痛んだが、それほど気になるものではない。
やがて、見覚えのある小さな川に出た。この川沿いに登って行けば、やがて洞窟に辿り着くはずである。
『まだ貴方に話していないこと、いっぱいあるんだからね!』
そう叫んだ、彼女の声が頭から離れない。
「何を浮かれてやがる。その『まだ話していないこと』を聞きに行くだけだろうが。それ以外に何の理由があるってんだ」
レオンは無理矢理、浮かれている自分の感情を否定した。
やがて、洞窟が口を開けているのが見えて来る。彼女に教えてもらった抜け道のおかげで、だいぶ早くここに着く事ができた。いつもの山越えの道を使っていたら、たぶんあと半日は余計に時間を食っていただろう。
洞窟の中に踏み込んでみるが、そこに彼女はいないようだ。焚き火の跡がまだくすぶっており、つい先刻まで誰かがここにいた事は間違いが無い。
「いいさ、待ってればそのうち来るだろう」
そしてレオンは自分の腕を枕にすると、洞窟の入り口でごろんと横になる。
風が心地好い。こんな落ち着いた気分になれたのは久しぶりだ。せせらぎの音も、気持ち良く耳に響く。
(昔……兄貴と森に遊びに行った時も、こんな気持ちいい天気だったな)
いつしかレオンの意識は、すうっと夢の世界に溶け込んでいた。
気が付けば、優しい歌声が耳にそよぐ。目を開けると、傍らでエルフの少女が美しい声で歌っている。
「やっと起きたみたいね。あんまり気持ち良さそうに寝ているから、起こすのが可哀想になっちゃったわ」
目を開けて最初に目に入った少女の笑顔に、レオンの心拍数はまた跳ね上がる。
彼女は寝ていたレオンの横に、膝を揃えてちょこなんと座っていたのだった。
「なかなか可愛い寝顔だったわよ。見てて飽きなかったわ」
「からかうなよ」
レオンはぶっきらぼうに答えて起き上がる。だが少しだけ、顔が赤い。
「足は大丈夫?もう痛まない?」
レオンは頭を掻いた。
「本当にお前は変なエルフだな。俺はお前達を滅ぼそうとしている敵なんだぞ。その敵の心配をしてくれるのか?」
「怪我人に敵も味方もないわ。それに私は、人間と争いたいとは思ってないもの」
リューンはまっすぐな瞳で、こちらを見つめて言った。
レオンはどう対応していいかわからなくなる。自分で言った通り、この少女はエルフであり、敵なのだ。理屈ではわかっている。
だが、感情はどうしても彼女を敵だと認めたがらない。
「とにかく、あまりなれなれしくするんじゃない。あくまでお前は俺にとっては敵なんだからな」
突き放す様にレオンは言った。リューンは少し悲しげな表情になり、レオンの罪悪感を苛む。
「……足ならもうだいぶ良くなった。あの薬草が効いたみたいだ」
仕方なく、レオンは聞かれた事にだけは答えた。
「そう……よかった」
リューンはまた魅惑的な笑顔を浮かべる。どうもこの愛らしい少女に、レオンの調子は狂わされっぱなしだ。
「で、今日は何の用なのかしら?まさか私を捕虜として捕らえに来たとか言うんじゃ無いでしょうね?」
「そんなつもりで来た訳じゃない。聞きたい事と、伝えたい事があって来た」
レオンは立ち上がると、身体についた砂を落とす。
「聞きたい事に……伝えたい事?」
リューンは座り込んだまま、レオンを見上げる。
「この間の続きにもなるけど、お前が知っているこの戦いの発端を教えて欲しい」
確認すべく、レオンはリューンに聞いた。
「発端?」
「ああ。どうして人間とエルフが争うようになっちまったのか、だ」
「……貴方たちが悪いのよ」
リューンの声が沈む。目が伏せられ、声のトーンが落ちる。
「禁忌とされている人間との恋に落ちたエルフを、心無い人間が無残に殺してしまったのが、全ての不幸の始まり。殺されたエルフは、まるで見せしめとばかりに森で一番大きな木に磔にされていたわ。その時から、エルフは人間を信用しなくなった。人間とは絶交し、一切交渉を持たなくなったわ。でも、今でも人間は、森に侵入しては私達の仲間を見つけ、殺していく……」
リューンは悲しそうな、遠い目をした。
しかしレオンの疑問は、どんどん疑惑に変わって行く。
それは自分が聞かされていた話と、まるっきり反対ではないのか?
「!?」
突然、リューンが立ち上がった。そして、洞窟の入り口から辺りを見回す。
「どうした?」
「ノームが教えてくれたの!人間が近づいてくる!」
「ノーム?」
レオンは不思議そうな声を出す。
「大地の精霊のことよ。武器を持った男が3人……きっとあいつらね!こんな近くに来られるまで気付かなかったなんて、不覚もいいところだわ!」
「あいつらって?」
「たまにこの近くをうろついている3人組。しつこくてイヤなやつらよ。この洞窟なら簡単に見つかる事はないと思っていたけど、甘かったみたいね」
リューンが舌打ちする。
レオンの耳にも聞こえた。話し声がこちらに近づいてくる。
「隠れてやり過ごせばいいだろう。何か問題があるのか?」
「焚き火の跡が残るわ。私がこの洞窟を拠点にしているいい証拠になっちゃうもの。残念だけど、ここはもう使えないわね。いい場所だったんだけどな」
そう言ってリューンはため息をついた。
「だったら、この焚き火は俺が使ってたことにすればいい。いいからリューン、お前はどこかに隠れてろ」
「レオン?」
リューンは不思議そうな顔をする。
「私を庇ってくれるの?私を敵だって言ったのは、あなたの方なのよ?」
「まだ、お前から聞きたい事を全部は聞いていないし、伝えたい事も伝えてないからな」
レオンはリューンに背を向けたまま答えた。
「何があっても勝手に出てきたりするんじゃないぞ。いいな」
よくはわからないが、何となくレオンの頬が赤くなっているようにも見える。
リューンは笑顔を浮かべると、
「……ありがと」
そう言って、近くにある茂みに飛び込み、身を隠した。
レオンも洞窟の入り口付近で待ち伏せ、やって来る人間達をうかがう。やがて、森の中から人影が現れる。
リューンの言ったとおり、男達は3人のパーティの様だった。レオンより一回り大きな立派な体格の持ち主が一人、逆に一回り小さい、小柄で卑屈そうな男が一人、そして背は高いが痩せていて陰険そうな男が一人。彼らは、まっすぐこちらに近づいていた。
「兄貴、あんなところに洞窟があるぜ」
「ああ、怪しいな。一応調べてみるか」
先頭の大男がそう言ったのが聞こえる。やはりどうやら、この場は自分が前に出てしらばっくれるしか道はないらしい。
「ん?何だ、おめえは」
大男が、レオンに気付いて声をかけてくる。
「ご挨拶だな。近づいて来たのはそっちだろ。何か用か?」
「あ、おめえ」
後ろにいた小男が声を挙げる。
「そいつ、レオンってガキだぜ。ゲイルの野郎の弟の」
その男には、レオンにも見覚えがあった。マグリルのとりまきの一人だ。訓練中はマグリルと一緒になって、自分を小突き回してくれた人間である。
「レオン?マグリル隊長に大恥をかかせたっていう、あの死に損ないのガキか?そいつがこんなところで、何してやがる」
カチンときたレオンだが、今ここで騒ぎを起こしたくはない。なんでもいいから、早く立ち去って欲しかった。そう思って彼は何も返事をせずに黙っていた。
だが、そうやってじっと我慢していたレオンに何を勘違いしたか、男達は回りを取り囲んで、ちょっかいを出し始めたのである。
「何も言い返さないのか?腰が抜けて、声も出ないか?」
大男が剣の柄でレオンの顎を小突いて言った。
「誰の腰が抜けてるって?そっちこそ多勢に無勢で、弱いもの苛めをするしか能がねえのか?腰抜け野郎」
レオンの悪い癖だ。相手に高飛車な態度に出られると、それを蹴落としてやろうと挑発してしまう。
「こいつ!」
案の定、大男は簡単に挑発に乗り、だがその答えは拳をともなった行動で返って来た。レオンは頬を殴られ、地面に転がる。
上半身だけ起こし、レオンは侮蔑をこめて男達を睨み付けた。
「気に入らねえな、その目がよ!」
今度は、大男はレオンの腹に蹴りを入れる。言い様の無い苦痛がレオンを襲った。思わず胃の中の物を戻しそうになる。
だがレオンはじっと男達を睨みつつも、それ以上の抵抗はしなかった。なすがままにされていれば、そのうち飽きて立ち去ってくれるだろう。そういう目論見があったからだ。
普段のレオンであれば、この様な理不尽な仕打ちを受けて黙っているはずがなかった。しかし今は、(何でもいいから、さっさとどこかに行ってくれ)という思いの方が強かった。
理不尽な仕打ちに耐えているのも、全てはそれが理由だ。とはいえ、挑発してしまったのは自分なのだから、半分は自業自得だと言えようが。
だが男達はすぐに立ち去ってくれるどころか、ニヤニヤと笑いながら何やら短い相談をし、そしてヒョロ長のヤセ男が陰険な笑いを浮かべて近づいて来た。
「いいザマだな、レオンよお。それでまだ自分は腰抜けじゃねえって言い張るか?俺達を腰抜け呼ばわりするか?お前の腰にある剣は飾りかよ。へっ、悔しかったら腰じゃなく、剣を抜いたらどうなんだ?」
「ふざけるな。これは兄貴の形見の大事な剣なんだ。てめえらみたいな下衆なんかを斬るためになんざ、抜けると思うかよ」
「なるほどなあ。お前の腰が抜けてるのは兄貴ゆずりか。だからお前の兄貴は、エルフなんかに殺られちまうんだよな」
「何……だとぉ?」
今のセリフは効いた。自分がどうこう言われるだけなら、まだ我慢もできた。しかし最愛の兄ゲイルまでバカにされて黙っていられるレオンではなかった。
「誰が、腰抜けだって!?」
レオンはゆっくり立ち上がり、そして兄の形見である剣を鞘から抜いてしまった。
「へへ、抜きやがったな。バカめが」
続いて、他の男達も次々と剣を抜き放つ。
「先に抜いたのはお前だ。殺されても文句は言うなよ。これは俺達の正当防衛なんだからな」
「恨むなら、マグリル隊長をコケにした自分を恨むんだな」
その時、レオンはやっと、男達の策略にはまった自分の愚かさを悟ったのだった。
マグリルのとりまきであるこいつらは、これを好機とばかりにレオンをここで亡き者にしてしまおうと言う魂胆だったらしい。
そんなつまらない挑発に乗った自分が情けなかった。だがもう後には引けない。
今さら剣を鞘に戻した所で、この男達の方も剣を戻してくれるとは限らない。いいように嬲り殺されるのがオチだろう。
「どうせ一度死にかけてるんだろ。今度こそ潔く、この世からおさらばしちまいな」
男達はじりじりと近寄って来る。
マグリルを手玉にとったレオンの腕ならば、この程度の相手なら何とか渡り合うことは可能だろう。だが三人を一度に相手するとなると、少し勝手が違って来る。それに、ここで相手を傷つけでもしようものなら、村に帰ってから何を言われるか、わかったものじゃない。軍法会議は免れないだろう。
もはや、覚悟を決めるしかないか。レオンはもう一度、男達に向かって言った。
「お前ら、今ならまだ間に合うぜ。剣をしまえ。そのまま斬りかかって来られたら、俺はお前らを殺すしか道が無くなる」
それが、最後通牒だった。だが悲しいかな、それは挑発にしかなっていなかった。
「へっ、まだそんな事をいってやがンのか。だからお前は腰抜けだって言ってんだ。それに、殺されるのは俺達じゃねえ、お前だ」
男達は、レオンににじりよる。あと僅かで、互いの剣の間合いに入る。一触即発であった。
だが、その時。
「何やってるの、あんたたち!私はここよ!」
突然、茂みから飛び出した者がいた。彼女は男どもを挑発してから、森に向かって走って行く。
「兄貴!エルフだ!」
「ちっ、レオン!てめえの始末は後回しだ!追うぞ!」
男達はレオンに背中を向けて走り出した。
「リューン……馬鹿野郎!」
一歩遅れて、レオンも走り出す。だがその瞬間、また足に激痛が走った。
「くっ、まだ全力は無理か!」
それでもレオンは必死に、彼らの後を追ったのだった。
確実に男どもに差をつけられながら。
「そっちに逃げたぞ!回り込め!」
「くそう、ちょこまかと逃げやがって!」
森の中の行動となれば、エルフに人間がかなうはずがない。普通なら簡単に逃げられるはずだ。
だが、リューンはそうはしなかった。付かず離れず男どもを誘い込み、おびき出し、少しでもレオンから遠ざかるように行動していたのだ。もちろん、男達がそんな事に気付くはずは無い。先程から近くに姿が見えては、遠くに移動して行くエルフに翻弄され、どんどん森の奥深くに踏み込んでいった。
ここから、一生懸命自分を追って来ている男達の姿が見える。いつの間にか一人が脱落し、追っ手は二人だけになっていた。
「そろそろいいかしら。だいぶ引き離せたみたいだしね」
リューンはそこで方向を変え、今来た道を戻るように移動を始める。今度は、なるべく姿を隠してだ。
「あんた達は、そのまま森をさまよっていなさい。まさか、私が来た道を戻っているとは思わないでしょ」
リューンはぺろっと舌を出して呟いた。だが、それは油断だった。
「捕まえたぞ、このアマぁ!」
突然、茂みの中から大男が飛び出し、リューンの腕を掴んだのだ。
「きゃっ!」
脱落したと思った一人が、茂みの陰に隠れていたのだ。
「手こずらせやがって、このクソアマが。もう逃げられねえぞ」
「あ……ぐっ!」
リューンは地面に引き倒された。屈強な腕に頭を抑えつけられ、身動きが取れなくなる。
「やったぜ、兄貴!大手柄だ!」
「へへ、さっさと殺しちまおうぜ!」
「まあ待て。殺すのは、こいつにエルフ村の場所を吐かせてからだ。おい、素直に吐いちまいな。そうすりゃ楽に殺してやるからよ」
男の、リューンを押さえつける腕に力が入る。
「くっ、誰が……!」
リューンは苦痛に喘ぎながら、必死で抵抗していた。
「そうかい、じゃ、苦しんで死にな」
大男の片手が、リューンの首に伸びる。
だが次の瞬間、大男の身体は横に蹴り飛ばされていた。
巨体が柔らかい土の上で2度ほど回転する。
「いててて……誰だ!何をしやがる!」
視線が、大男を足蹴にした少年に集中していた。少年は、男達とリューンの間を遮るように立ちはだかる。
「レオン……」
リューンがゆっくり上半身を起こす。目の前に、逞しい背中があった。
「てめえ!俺達の獲物を横取りするつもりか!」
レオン自身、自分の行動をどう説明すればいいかわからなかった。
リューンは、敵のエルフである。そして3人は、エルフを捕まえて敵の根拠地を突き止めようとしている人間である。味方とまでは言えないかも知れないが、少なくとも自分と彼らはともにエルフを敵対視している同胞のはずである。
だが彼の意志は、リューンを助ける為に身体を動かしていた。
(どうしちまったってんだ、俺は……!)
「ナメやがって!もう容赦しねえ!そこのエルフと一緒にブッ殺してやらあな!」
大男は剣を抜いた。他の二人もつられて剣を抜く。
「うおおおお!」
大男はまず相手にしやすいと見たか、やっと上半身を起こしたばかりのリューンに向かって突進する。
レオンはとっさにリューンを庇う位置に立ち、男の斬撃を正面から受ける。
重い衝撃が腕から身体に走った。
「ぐっ……なんて馬鹿力だ……!」
「けっ、次はそのナマクラ剣ごとぶった切ってやるぜ!」
もう一度、大男は振りかぶった。その隙をついて、レオンは大男に体当たりをかけた。おもわず大男はぐらつき、体勢を崩す。
「う、うおっ!」
大男は慌てて剣を地面に突き立て、転倒だけは防ぐ……
「ぐぎゃあああ!」
凄まじい悲鳴が、静かな森にこだました。
大男の突き立てた大剣の先に、哀れな小男がいた。剣を杖代わりにしたはずみに、横にいた小男を地面に串刺しにしてしまったのだ。
「ジ、ジフ!? てめえ、よくも!」
ジフと言う名だったらしい小柄の男を、突き刺したのはまるでレオンであるかのような言い様で、男は剣を引き抜いた。
そして剣を振りかぶると、もう一度レオンに向かって振り下ろす。
できればこれ以上この重い斬撃を受けたくはなかったのだが、避ければその斬撃はリューンを襲う事になる。それにケガをしたレオンの足では、まともに避けられるかどうかはわからない。結果として、斬撃は正面から受けるしかないのだ。
堅いもの同士がぶつかる音がして、火花が散る。
「ベルン!お前は今のうちに、エルフの方を始末しちまえ!もういい、殺しちまったってかまわねえ!」
大男は、剣でレオンを圧倒しながら叫んだ。
「わ、わかった!」
後ろにいた痩せ男が、慌てて剣を構える。
(まずい……身動きがとれねえ!)
レオンは大男の怪力に耐えるだけで精一杯であった。
「死ねやあ!」
痩せ男は、リューン向かって突進した。
「きゃああ!」
リューンが悲鳴をあげた。その悲鳴を聞いた瞬間、レオンは自分の腕に強大な力が宿るのを感じた。同時に、剣が黄金色の輝きを発する。
「な、なんだっ!?」
「うぉらああ!」
気合とともに、レオンは自分を押さえつけていた大剣を押し返した!
「う、おおっ!?」
大男は信じられない力に押し戻され、再びバランスを崩す。
レオンはそのまま、リューンに襲いかかろうとした痩せ男に向かって、なぎ払うように剣を振るった。
「うぎゃああ!」
再び断末魔の悲鳴が森にこだまする。
痩せ男の細い胴は、レオンの渾身の一撃で両断されていた。切り離された上半身は宙を舞い、切断面から真っ赤な鮮血が激しく吹き出す。
「あ……」
レオンは呆然とした。
とっさのことであったとは言え、彼は渾身の力で剣を振るってしまった。その結果……
「てめえ!よくもベルンまで!もう生かしちゃおかねえ!ミンチにしてやる!」
大男は目を血走らせて剣を振るう。
「レオン!」
リューンの、彼を呼ぶ絶叫がなければ、おそらく彼は大剣によって両断されていたであろう。今の痩せ男と同じ様に。
彼は一瞬早く正気に戻り、斬撃をかわした。だがその瞬間、また足に激痛が走った。
「ぐあっ!」
片膝が崩れ、レオンは転倒する。
「もらったあ!死ねェ!」
大男の大剣が迫る。レオンは無我夢中で剣を突き出した。
……それで、勝負はついた。
「お……うぐ……っ……」
レオンの剣は、振りかぶって来た大男の喉元を貫いていた。大男は剣を取り落とし、白目を向いて膝をついた。喉元に剣を突き刺されたまま。
レオンは地面に腰をついたまま、まだ呆然としていた。そのすぐ横に、喉から鮮血を噴き出し息絶えた男の身体が、重い音を立てて倒れ込んできた。
「レオン……大丈夫?」
リューンが心配そうに、レオンの背後から声をかける。
「俺……俺が……」
彼はがくがくと震え、文字どおり血にまみれた自分の両手を見つめていた。いつの間にか、剣が発していた黄金色の輝きも失せていた。
「人を……斬っちまった……斬り殺しちまった……!この手で……兄貴の剣で……!!」
先程までの勇敢な戦士の姿はそこに無かった。その表情はまるで、何かに脅える子供のようであった。
「レオン……」
彼女の言葉は、レオンには届いていないようであった。彼は返り血にまみれた自分の両手を見つめ、泣き出しそうな表情でただ震えているだけだった。
「大丈夫よ、レオン」
「リュー……ン?」
レオンは一瞬、驚いたような声をあげる。
リューンは座り込んだまま、背中からレオンを抱きしめていた。そして、彼のその血に染まった手を、自分の小さな手で握りしめたのだった。
「あなたが気にする必要なんか無い。ううん、気にしちゃいけない。あなたは、間違った事はしていない。それに殺さなければ、あなたが殺されていたわ」
リューンはレオンの背中に自分の額を当て、まるで呪文のようにレオンに呟く。その言葉は、本当に魔法の呪文のようにレオンの心に染み込んでいった。
「……助けてくれて、ありがと」
その言葉とともに、自分の心を支配していた後悔と恐怖の意識が少しずつ溶かされてゆくのを、レオンは感じていた。
彼女の片手を離し、片方の手は握ったまま、彼はゆっくりと立ち上がる。
リューンは手を握られ、しかしまだ座り込んだまま、自分を見つめている少年の顔を覗き込んだ。木洩れ日が逆光になり、最初はよく見えなかった彼の表情は、やがて目が慣れてくるにつれ優しい笑顔を浮かべているのがわかった。
「そうか……。俺は、お前を助けちまったんだな」
リューンはレオンに手を引かれ、立ち上がった。そしてレオンは大きく深呼吸すると、いきなりリューンに向かって怒鳴ったのである。
「このバカ!隠れていろって言っただろうが!見つかればこうなることくらい、わかっていただろう!」
突然の怒声に、リューンは慌てて両手で耳を塞いだ。
エルフの大きい耳には、大声はことさら拡大されて届くのだろう。
「だって、あのままじゃ貴方の方が危ないと思ったんだもの。だから私が、こいつらの気を引き付けておこうと思って……」
リューンはうつむき、耳を両手で押さえたまま上目使いでレオンを見る。
レオンの右手が上がった。リューンはびくっと身体をすくませ、反射的に目を固く閉じる。
が、その手は優しくリューンの背中に下ろされ、一秒の後にはリューンはレオンの胸に抱き寄せられていたのだった。
「きゃっ!」
「そうだな。おかげで、俺も助かった。ありがとう。だけど、もうあんな無茶はしないでくれ。寿命がいくつあっても足りやしない。人間の寿命は短いんだ」
「レオン……?」
逞しい胸に抱きしめられたまま、リューンは小さく呟いた。
「どうやら俺は、どうしても君の敵にはなりたくないらしい。無理に敵になろうとしても疲れるだけだし、無駄みたいだしな」
レオンは不器用にそう言った。頬がわずかに赤くなっている。
「ありがとう……」
レオンの胸の中で、リューンはそう呟いた。リューンの頬も、桜色に染まっていた。
「それにしても……何だったんだ」
「え?」
歩きながら、レオンは首をかしげた。
「さっきリューンを助けようとしたとき、剣が光ったような気がしたんだ」
レオンは鞘から形見の剣を抜くと、不思議そうにその刀身を眺める。血の痕は既に拭き取ってある。だが、今日は念入りな手入れが必要だろう。
今日初めて、この剣はレオンの手によって人の命を吸ったのだ。殺さなければ殺されていたのだと頭では理解しているものの、割り切れるものでもなかった。
ましてや相手は人間であり、本来の意味での「敵」ではない。
まだレオンの頭の中から、後悔の念が完全に払拭されたわけでは無いらしい。
無理も無いことだとは言えるが。
「まだ、気にしてる?」
「ああ。気にしたところでどうしようもない事だってのも、わかってはいるんだけどな」
そう言ってレオンは大きくため息をついた。
「そうだ。結局リューンには、まだ『伝えたかったこと』をまだ伝えてなかったな」
「え?」
レオンは洞窟にリューンに会いに行ったもう一つの理由を思い出し、話し始める。
「君は、人間に恋したエルフを人間が殺した事が戦いの発端だと言ってたよな」
「え、ええ。確かにそう言ったわ」
リューンは悲しそうに目を伏せた。
「でも、俺達に伝わっているのは逆に、禁を犯した人間がエルフに殺されたっていう話なんだ。そして同じ様に、殺された人間の死体は村の前の木に磔にされていた。しかも制裁のつもりか、その後火矢を射掛けて村を焼き払っているんだ」
「それ、どういう事?」
リューンははっとした表情でレオンを見る。
「君達の仕業じゃないんだな?」
レオンは、リューンの目を見つめて言った。
「私達がそんな事するはずが無いじゃない。禁忌は互いが不幸にならぬよう、思いやって作られたものよ。禁を犯したからといって制裁されるようなものじゃないわ。それじゃ何の為に作られた禁忌か、わからないじゃない」
リューンもレオンを見つめて言った。
レオンの心に膨らんでいた疑惑は、一瞬にして確信に変わった。自分達は、何者かの掌の上で躍らされている。何か悪意あるものが、自分達を戦いに駆り立てている。自分達は、互いを誤解『させられて』いるのだ。
「わかったよ」
レオンは優しい笑みを浮かべて言った。
「約束するよ。俺はもう、エルフを恨んだりはしない。そしてこの戦いを終わらせるよう、みんなに呼び掛けてみる」
「ありがと、レオン。ゲイルもきっと天国で喜んでくれてると思うわ。自分の遺志を継いでくれるのが、自分の弟なんだものね」
リューンはレオンから視線をそらさず、まっすぐ目を見つめて答えた。少し、頬が赤くなっていた。
「族長にね、ゲイルの話をしたの。とっても悲しそうな顔をしていらしたわ。ううん、族長に限らず、話を聞いた仲間達はみんな悲しんでいた。みんな、心の中では人間達と和解を望んでいるのよ」
レオンもゆっくり肯いた。
「心配するな。まだたった二人だけど、協力者もいないわけじゃない」
「協力者?」
「一人は兄貴の親友で、ジェイドっていうんだ。兄貴がいなくなってからずっと、俺の面倒を見てくれた人で、オレにとってのもう一人の兄貴さ。あと一人、アレクってヤツがいるんだけど、何か変なヤツでさ。お調子者というか、つかみ所が無いっていうか。ま、悪いヤツじゃないし、信頼もできる。会えば君もきっと気に入ると思うぜ」
レオンは嬉しそうに仲間の事を話した。リューンも微笑みを浮かべながら、レオンの熱弁に聞き入っていた。
「近いうち、もう一度出撃することになると思う。けど今度の目的はエルフじゃなく、今話した、俺達を戦いに駆り立てている見えざる敵だ。そいつらの正体を暴いて、今度こそ兄貴の仇を討ってやる。そしたら……」
「そしたら、私達ももっと堂々と会えるようになるのかな」
リューンはレオンから視線をそらし、はるか向こうにあるはずのマルガ村の方向を見つめて言った。
「なるさ。いや、してみせるさ。それは全部、俺達の頑張り次第にかかってるんだ」
レオンは力強く、そう言った。
「気を付けてね。ゲイルみたいな別れは、もうイヤだからね」
今度はリューンは、心配そうな顔をレオンに向ける。レオンは精一杯の笑顔を浮かべてリューンを見た。
「約束するよ。必ず無事に戻ってくる。そして、またリューンに会いに来るよ」
リューンもまた、ほっとしたような、嬉しそうな顔を浮かべた。
「また、会えるのよね?」
「ああ、君が望むならいつでもね。村の正門前に、ちょっと大きめの木が立ってるんだ。そこの幹に矢を射ってくれ。その矢を見たら、急いであの洞窟に向かうよ」
「わかったわ。弓はあまり得意じゃないけど、頑張って練習しておくわね」
リューンが嬉しそうに笑う。その魅力的な笑顔に、レオンの鼓動がまた少し早くなった。
「えっと、逆に俺が君に会いたくなった時はどうすればいいんだ?」
「直接、あの洞窟まで来てくれればいいわ。洞窟にいるノームは友達だから、貴方が来てくれれば、すぐに彼が私に教えてくれるわ」
「ノームと友達か。つくづくエルフってのは、不思議な種族だな」
レオンは笑う。
目の前に巨大な樹木「旅人の樹」が見えてくる。
「それじゃ、見送りありがとう。あとは一人でも帰れるよ」
レオンは、今度は一人で歩き始めた。
「レオン……」
リューンの足も一歩、前に出る。だが、それ以上前に進む事はできなかった。
今は、それは許されない事だった。
リューンの目に、レオンの逞しい、大きな背中がうつる。
「レオン!絶対に、無事で帰って来てね!約束よ!」
レオンは振り向かなかった。ただ背中を向けたまま、拳を天にむかって突き上げたのだった。