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妖精の森のリューン  作者: YOH.
3/9

遭遇

 4日目になった。地図から計算すれば、1週間の行程の半分を過ぎた所だ。

 そろそろ全員が行軍、そして野営に慣れて来た頃で、レオンとしてもだいぶ自分の負担が軽くなって来たのを感じる。

 あと、まだ教えていない事と言えば……これが一番危険で厄介なのだ。

 実際に刃を交える戦闘である。

 訓練では何度も剣を振るっているが、生身の相手に剣を振るうのは全員が初めてだ。

 レオンですら、生死をかけた本当の戦いを経験したことはまだ無い。

 3日前の対マグリル戦は、例えマグリルが本気でレオンを斬殺しようとしていたのだとしても、レオンの方はマグリルの命まで奪うつもりは無かった。

 運が悪ければ、マグリルの腕の一本も斬り落とさねばならぬハメになるかもしれぬ、と覚悟はしていたが、結果的にはマグリルはそこまでする程の相手では無かった。

 逆に言えば、その程度の腕前でしかなかったからこそ、マグリルは命も腕も失わずに済んだのである。

 その代わりに命より大切な名誉と信用、そしてプライドと顎髭(あごひげ)を失ったのだ。

「森の中は、エルフどもにとっちゃ庭みたいなもんだ。いつどこから襲ってくるか判らないんだから、一瞬たりとも気を抜くんじゃないぜ」

 必要以上にプレッシャーをかける必要はないのだが、ともすれば遠足気分になってしまう仲間達に、レオンの気苦労は絶えなかった。

「なあ、レオン。オレがちょっと喝を入れてやろうか?」

 隣を歩いているアレクが、こっそりと声を掛けてくる。

「何かいい方法があるのか?」

「まあな。俺がちょっと離れた所から弓を射るんだよ。エルフの襲撃のフリしてな」

 レオンは笑って言った。

「確かに、遠足気分を抜く刺激にはいいかもな。弓に自信はあるのか?」

「まあな。これでも、もともとは……」

 アレクが喋りかけた、その瞬間である。ひゅん、と風を切る音が耳を横切り、レオンの右の木に矢が突き刺さった!

「左から敵襲!全員、木の陰に隠れろ!」

 その瞬間レオンが叫び、全員が慌てて木の後ろに隠れる。

 矢はほんの10秒ほど嵐の様に降り注ぎ、そして静かになった。そのまま、時間が過ぎる。

「終わったらしいな」

 レオンは(しばら)く様子を見ていたが、その後襲撃して来るでもない、また矢を射掛けて来るでもない様で、どうやら敵は去ったらしい。

「全員、無事か?」

 レオンが声をかけると、方々からか細い返事が聞こえてくる。一応、負傷者はいなかったようだ。だが、何人かは震えていて声も出せない。

「わかったか? これがエルフどもの戦い方なんだ。姿を見せずに襲いかかり、そして姿を見せぬまま撤退する。注意を怠れば、次の瞬間に待っているものは死だ。今のでよくわかったろう?」

 レオンは、木に突き刺さった矢を抜いた。

「見ろ、矢に毒が塗ってある。かすっただけで命取りになるからな」

 矢じりが紫色に変色していた。ゲイルの命を奪った毒矢と同じ物だ。

 全員が青ざめた。レオンが的確に指示を出していなければ、誰かがここで命を落としていたかもしれないのだ。

 しかしレオンは逆に、今の敵襲に感謝したいくらいの気持ちだった。これでしばらく、だらけた気分は抜けるだろう。

「ちぇっ、俺の出番がなくなっちまったな」

 冗談半分にそう言ったのはアレクである。彼も相当に豪胆な神経の持ち主であるらしかった。

「敵襲があったという事は、この近くにエルフ村があるってことなのか?」

 少年の一人が尋ねる。

 レオンはしばらく考えてから答えた。

「さあ、どうだかな。俺達みたいに遠征していた部隊が、たまたま俺達を見つけて奇襲をかけただけかもしれない。だけど、近くにあったとしても、それを見つける事は困難だろうな。エルフの村は、人の目に見えなくなるような結界の魔法か何かがかけてあるらしい。すぐ近くまで行ったとしても、簡単には見つからないだろう」

 皆の顔に、焦りと不安の表情が浮かぶ。

「そろそろ潮時だな。食料も半分を切ったし、ここからは村に帰るコースをとった方が良さそうだ」

 全員の心中を察して、レオンは提案した。一転して全員に安堵の表情が浮かぶ。

「来た道を戻るのか?」

 アレクが尋ねて来た。が、レオンは首を振って地図を広げた。

「ここまで東回りで来たから、帰りは西回りのコースを取ろうと思う」

「西回りのコースって、森から外れて岩山ばっかりの道になっちまうぞ?そっちにエルフはいないだろう?」

「だからだよ。エルフと遭遇するっていう当面の目的は果たせたから、今度はなるべく襲撃の危険の少ないコースを取りたい」

「あ、なるほど」

 アレクは納得したような顔でレオンを見る。

 まだ若い……自分と同い年のくせに、ちゃんと考えて行動している。レオンは隊長として、文句の無い器を持っていた。

「だからって気を抜くなよ。エルフどもの攻撃が絶対無いとは限らないんだからな」

「わかってらあな」

 アレクは笑って、レオンの肩を叩いた。



 西に向かえば、足場の悪い岩山である。そちらに向かいさえすれば、エルフ達の勢力範囲の外に出られる。襲撃も少なくなるはずだ。

 いや、はずだった、と言うべきだろうか。

 意に反して、エルフの闇討ちは続いたのだ。

 昼夜を問わず、奇襲をしかけてくる。まるで彼らの後をつけているようなしつこさである。

「神経が持たないぜ。先輩どもは、本当にこんな修羅場をくぐってきたのかよ」

 豪胆な神経の持ち主である筈のアレクですら、音をあげかけていた。

「参ったな。俺もこれほど敵の攻撃が激しいとは思っていなかった」

 レオンも相当に疲れていた。

 弓矢による奇襲に対応しやすくするために、なるべく木の密集した所を選んで通る。

 そうすれば不意打ちをかわせる確率は高くなるが、代わりに敵を発見、追跡することが困難になる。

 だからと言って見晴らしのいい所を選べば、今度こそ奇襲によって犠牲者を出してしまうかも知れない。

 忘れてはならない。レオンの率いている戦士は全員、経験不足の新米なのだ。

 それでもなんとか犠牲者を出さずに、6日目の昼には森を抜け、岩山にたどり着く事ができた。

「ここまでくればひと安心だな。こんな所までエルフが追って来る事はないだろう」

 皆、疲れ切った表情をしていた。それはそうだろう、あれだけ激しく攻めたてられては満足に寝る事すらできない。

「ここさえ越えちまえば、もうエルフの追撃に脅えることもなくなるだろう。最後の踏ん張りどころだ。頑張ってくれ」

 レオンがみんなを激励する。

 皆も疲れてはいるが、ここさえ越えられればという思いが、その足取りをわずかばかり軽くしている。

 山を越える道は、相当に危険であった。幅が1mに満たない、細い、曲がりくねった山道の片側は、何もない空間である。いや、何もないのではなく、崖があった。

 登れば登るほど危険度が増す山道を、慎重に彼らは進んで行く。

「こんな所を襲われたらひとたまりもないな」

 レオンが笑いながら言うが、目は真剣そのものだ。

「こんな所でどうやって襲われるっていうんだ?」

「ま、俺なら上から矢なり岩なりで攻撃……」

 アレクの質問にレオンが上を見ながら答えた、その時である。

 崖の上で何者かの影が動いた。

「敵だ!走れ!」

 反射的にレオンは叫んだ。

 ほぼ同時に、上から矢が降って来る。まさかの敵襲だった。

「こっちだ!ここまで来れば、岩かげになって矢は届かない!」

 真っ先にアレクが安全地帯を確保し、皆を誘導する。

 彼のすばしこさは、他の者と比べて群を抜いていた。

 レオンもアレクには一目置く所はあったし、自分の目が届かない場所を的確にサポートしてくれる。

 アレクがレオンを隊長として認めていたのと同じくらい、レオンもアレクを頼れる副官として認めていた。

「急げ!早くアレクのところまで走れ!」

 と、その時である。最後尾を走っていた少年がつまづき、転倒した。

「バカ!何をやってる!?」

 反射的にレオンは飛び出した。頭にあったのは、とにかく仲間を助けたいという事だけである。降りしきる矢も目には入っていない。

「早く立て!死にたいのか!?」

「あ、足が、すくんじまって……」

 レオンは少年の手を引き、岩陰まで走る。あそこに隠れることができれば大丈夫……

 だが、その一瞬が油断だった。

 レオンは頭部に激しい衝撃を受けた。視界が暗くなり、平行感覚が無くなる。宙に浮いているような気分になる。

「わあああ!レオンー!」

 誰かが叫んでいた。それすらも彼の耳には聞こえていたかどうか。

 レオンを頭部を襲ったのは矢ではなく、赤子の頭ほどもある岩だったのだ。自然に落ちた物か、それとも敵が落とした物なのかはわからない。

 感覚だけでなく、実際にレオンの身体は宙に浮いていた。バランスと意識の両方を失った彼は、そのまま崖下に転落していったのだった。



「目的は果たした。これ以上の襲撃は無用だ。引き返すぞ」

 攻撃をしかけた者達は、足早に崖の上から立ち去る。

「てこずらせやがって……」

 撤収の号令を出した者が、そう呟いた。



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「レオン……噂をそのまま信じちゃいけない。エルフってのは、本当はとても優しい種族なんだ。本当なら俺達は、戦う必要なんか無いはずなんだ」

「それじゃ、どうして兄ちゃん達は戦うの?どうして話し合いで解決しないの?兄ちゃんが言うみたいに話し合いで解決できれば、戦う事なんか無いじゃないか」

「ああ。だから兄ちゃんは今、一生懸命話し合う為のきっかけを探しているんだ。いつか絶対、俺は人間とエルフを仲直りさせてやるよ。そしたら、お前をエルフに会わせてやるからな」

 頭の中に声が響く。二人が話しているらしい。

 やがて、ぼんやり辺りが白くなり、楽しそうに遊ぶ子供と、それを優しく見守る青年の姿が映る。

(あれは……兄貴?そばにいるのは、俺……か?)

 優しい歌声を背景に、懐かしい情景が甦ってくる。

「会ったらびっくりするぞ。エルフの男はみんなハンサム、女は美人だからな」

「酒場のミリィ姉ちゃんより?」

「ああ。おっと、これはミリィには内緒だぞ」

 小さなレオンが、楽しそうに笑った。

「あはは、エルフかあ。友達になれるかな?」

「なれるさ。ずっと昔から、人間とエルフは友達だったんだ」

「わかった!ボクも兄ちゃんを手伝う!ボクもエルフと仲良くなるんだ!」

「ああ。頼もしいぞ、レオン」

 ゲイルが優しく笑いかける。

(兄貴……)

 レオンの顔にも優しい笑みが浮かぶ……その刹那。

 一瞬で、辺りは暗くなった。

 そして。

「あぐっ!」

 ゲイルが天を仰ぎ、地に膝をついた。

「兄ちゃん!?」

 小さなレオンがゲイルに駆け寄る。

 ゲイルの背中には……紫色に変色した矢が刺さっていた。

 暗かった辺りは、徐々に血の色に染まって行く。

 優しい歌声はまだ続いていた。

 悲劇の背景に聞こえるその歌はひどく場違いで、レオンの悲しみ、怒り、そして絶望感を増幅する。

「うわああああああああーーーーーーーっ!」

 レオンの叫び声が響く。小さなレオンではなく、自分自身の声だった。




 レオンは、その自分自身の叫び声で目を醒ました。

 身体じゅうが脂汗でべっとりしている。全身が痛い。あちこちぶつけたらしい。特に頭がズキズキする。

 そして、だんだん頭がはっきりしてくる。少しずつ現状を思い出す。

 そうだ。自分は確か頭部に激しい衝撃を受けて、崖から落とされたのではなかったか。

「俺は……生きてるのか?」

 身体を起こす。途端に、身体じゅうに痛みが走る。頭、腕、肩、腰、膝、足、背中、それこそ身体のあらゆる箇所が悲鳴をあげており、ちょっと動かすだけで耐え難い激痛が走る。

 だが一応動くだけは動いたので、骨折はどこもしていないようだ。あの状況の結果としては、破格の好運と言えよう。

 何とか上半身だけを起こし、周囲を確認する。天井に硬そうな岩肌が見えた。どうやらここは、洞窟の中らしい。

「……?」

 レオンは首をかしげた。上から落ちて来たにしては不自然である。少なくとも、天井がある洞窟に上から落ちてくることはできないだろう。

 入り口は、ほんの10m先にあった。そこから見える景色は既に暗くなっている。

 陽は()うに沈んでおり、広大な森と、そして綺麗な星空が見えていた。かすかに水の匂いと音がする。近くを川が流れているらしい。

「やべえ、早くあいつらと合流しないと」

 そういって立ち上がろうとしたが、今までと比較にならないくらいの激痛が足に走り、レオンはまた崩れた。

「ちっ……足をひねっちまったらしいな」

 そっと、足首に触る……と。

 足に薬草がまかれていた。しっかりと布で縛ってある。明らかに人の手による治療だった。

「誰かが手当をしてくれたのか……?」

「気がついたみたいね。いきなり叫び声が聞こえたから、何ごとかと思ったわ」

 不意に、洞窟の入口の方から声が掛けられる。その高い声は、女性か子供を想像させた。

「君が、助けてくれたのか……?」

「まあね。貴方、その川の岸に流れついていたのよ。あのまま放っておいたら溺れていたかもしれないし、それに倒れてる人を見つけて放っとくわけにも行かないでしょ。ここまで運ぶの、重くて大変だったんだから、感謝してよね」

 良く通る声が、洞窟の中に心地好く響く。

 どうやら彼は崖から転落した後、下を流れていた川に落ちたらしい。

「ああ、ありがとう」

 とりあえず、レオンは礼だけ言った。

 月明かりで、かろうじてその人物のシルエットだけがわかる。小柄だが、子供という程小さくはない。女性の様だが、大人びた様子も無い。

 少女、なのだろう。流れるような長い銀髪が、僅かに差し込む月明かりを美しく反射させていた。

 それにしても、こんな時間にこんな場所で、彼女は何をしていたのか。

 少女はレオンの近くまでやって来ると、置いてあった荷物を探りながら声をかける。

「待ってて。今、火を起こしてあげるわ。それとお腹すいているでしょ?川魚を取ってきたから、一緒に焼いてあげるわね」

「ああ、すまない。火なら、俺の荷物の中に火口箱が……」

 レオンの言葉は、それ以上続かなかった。少女が小さく何かを呟いたかと思うと、その手元に小さな炎が現れたのだ。

 炎を発する魔法であった。レオンが魔法というものを目にするのは、これが初めてだった。

 が、そんなものは些細なことだった。

 灯された炎に映った姿は、細身で耳の長い……彼が現在、この世で最も忌み嫌う種族のものであったのだ!

「貴様……エルフなのか!?」

 レオンは立ち上がる。

 ひねった足で立つのは相当につらい作業だった。が、それでも彼は立った。

「だめよ、無理しちゃ!せめてあと2日はゆっくりしてなきゃ……」

「触るな!」

 駆け寄ったエルフの少女の手を払いのけ、レオンは殺意を込めた表情で睨み返す。

「何て不覚だ……よりによって仇敵に命を救われるとはな。だが、これ以上の情けはいらない。助けてくれた礼に、今回だけは見逃してやる。その代わり、二度と俺の前に現れるな。次に会った時は、容赦なく斬り殺す」

 喘ぎながら、レオンは言った。だが少女は臆する事もなく、毅然としてレオンに向かった。

「別に恩に着せるつもりは無いけれど、命の恩人にその態度は無いんじゃない?それに、今のその身体で、何ができるっていうの?」

「黙れ!俺から兄貴を奪っておいて……今さら味方ヅラしてんじゃねえ!」

 レオンは鬼の様な形相で、目の前のエルフを見つめた。

 エルフの少女は、その殺気と気迫のこもった燃える瞳に、今度こそ脅えの表情を見せた。

 だが、それでも逃げはしなかった。

「意地なんか張ってる場合じゃないでしょう!今じっとしていないと、どんどん足の傷が悪化するわよ!」

「うるさい!エルフが俺に指図するな!」

「今は私の言う事を聞いて!貴方が私達を憎む理由はなんとなくわかったけど、それは私達だって同じよ!人間達に何人の同胞を殺されたか、わかったものじゃないわ!だけど、だからと言って私は人間全部を憎みたいとは思わない!人間にも優しい、話をわかってくれる人がいることは知っているもの!」

「…………」

 必死なエルフ少女の説得に気おされ、レオンは一瞬たじろぐ。そんなレオンを知ってか知らずか、少女の話は続いた。

 心なしか、少女の声のトーンが落ちた。何かを懐かしむような話し方になる。

「私が知っているその人は、何とかこの戦いを終わらせようと、必死に私達の村と人間の村を往復して説得にあたってくれていたわ。私達は盟友として彼を迎えた。けど、彼は5年前に姿を消して……それ以来、村には現れなくなってしまった」

 レオンも黙って少女の話を聞いた。なぜか、そうせねばならないような気がした。

 だが次の刹那、少女は衝撃の名を口にした。

「貴方たちの村に、ゲイルって人がいるでしょう?」

「ゲイル……だと!?」

 レオンは驚きを隠せなかった。そしてまた、新たな怒りが沸き起こったのだった。

「ふざけるな!何が盟友だ!エルフは盟友を殺すのか!?」

「殺……?どういう事!?」

 少女も驚愕する。だが、それを気にせず、レオンは続けた。

「ゲイルは5年前、撤退の最中に貴様らの奇襲を受けて戦死した!貴様らの毒矢を背中に受けてな!」

「私達の!?まさか……!」

「嘘じゃない!現に兄貴が村に連れて帰られた時、もう息は無かったけれど……背中には貴様らの射った毒の矢がしっかり刺さっていたんだぞ!」

 レオンは感情にまかせて、一気に喋る。

「兄……?貴方、ゲイルの……」

 今度は少女が驚きの表情を浮かべる。だが、次の瞬間にはまた真剣な顔つきに戻り、話を続けた。

「すぐに信じろって言うのは無理かもしれないけれど、それは絶対に私達の仕業じゃ無いわ。私達は決して盟友に対して弓や刃を向けたりしないし、ましてや毒矢なんて卑怯な手段、どんな相手にでも、例え憎むべき敵に対してでも絶対に使わない!」

「嘘をつけ!現に俺達はこの3日の間、昼夜を問わず、貴様等の毒矢から逃げ回るような日々を送ってきたんだぞ!」

「襲って来たのは、本当にエルフだったの!?」

 レオンは言葉に詰まった。

 弓矢で攻撃してくるのはエルフしかいないという先入観から、これまでの襲撃をすべてエルフのものと決めつけていたが、実際にその姿を見た訳ではないのだ。

「け、けど、お前らじゃないとしたら、一体誰の仕業だっていうんだよ!」

「そこまでは私にもわからない。だけど私達の仕業じゃないということは、はっきり断言できるわ。信じて欲しい……」

 少女の目は真剣だった。

 レオンは混乱していた。少女がウソを言っている様には見えない。

 だが、すぐにその言葉を信じていいものなのかどうか、彼はまだ迷っていたのだ。

「ぐっ!」

 その瞬間、またレオンの足に激痛が走った。

 レオンは前のめりに倒れかけ、少女が慌ててそれを支えようとする。しかし少女の華奢(きゃしゃ)な身体では、それは相当に無茶な行為だったかもしれない。ともすればレオンの重い身体を支えきれず共倒れになりそうな所を、彼女は精一杯足を踏ん張って耐えていた。

「言わない事じゃないわ。まだ動くのは無理よ」

 少女は肩を貸したまま、心配そうにレオンの顔を覗き込む。

「いいだろう……」

「え?」

 レオンの呟くような声に、少女は問い返す。

「とりあえず、お前の言う事は信じてやる。だけど、お前らの事を全て信用した訳じゃない。兄貴を殺したのがお前達じゃないっていう明確な証拠が出て来ない限り……俺にとってお前らエルフは敵だ」

「頑固者」

 少女は呆れたように溜め息をつく。

「いいわよ、とにかく今は足を治す事に専念なさい。今、薬草を替えてあげるわ」

 少女はもう一度レオンを冷たい石の床に座らせると、優しく包帯を外し、新しい薬草を患部に当てる。水に浸した薬草が、痛む足を冷やしてくれる。

「ゲイルから時々聞かされていたわ。可愛い弟が村で待っているって。貴方がレオンだったのね。何となくゲイルに似ていると思ったけど、気のせいじゃなかったんだ」

 少女は顔を下に向けたまま、もう一度丁寧に包帯を巻きながらレオンに話しかけた。だが、レオンは頑なに沈黙を守りつづけていた。

 エルフの少女は溜め息をつき、黙々と包帯を巻いて行く。

 彼は、敵であるエルフと馴れ合うのを嫌っただけではない。

 口を開いたが最後、このまっすぐなエルフの少女に、全て心を許してしまいそうな気がしてたまらなかったのだ。

「せめて名前くらいは教えろよ。お前だけ俺の名前を知っているんじゃ不公平だ」

 精一杯強がって、レオンはエルフの少女に問った。

「リューン、よ」

 そう名乗り、少女はわずかに表情を明るくする。

 その口調が決して友好的な物でなくても、レオンの方から口をきいてくれたという事が彼女にとっては嬉しかったのだ。

 レオンは横柄な口調を崩そうとせず、質問を続けた。

「お前は、こんなところで何をしていたんだ?まさか、エルフ村がこの近くにあるってわけじゃあるまい?」

「まさか」

 少女の顔が、また少し愁いを含んだ表情になった。

「ずっと、ここでゲイルを待っていたの」




 丸一日の静養で、レオンの足はほぼ回復した。まだ少し痛むが、歩けない程ではない。

「別に、ゲイルとそんな仲だった訳じゃ無いわ。私が一方的に憧れていただけよ」

 昨晩、リューンは他にもいろいろとレオンの知らないゲイルの話をしてくれた。

 初めて聞かされるエルフ村でのゲイルの姿に、レオンは驚きを隠せなかった。

 そのような話、ゲイル本人から聞かされた事は一度も無い。

「彼、約束してくれたもの。エルフの村のことは絶対誰にも言わないって。彼はちゃんと約束を守っていてくれたんだわ」

 確かに、エルフ村の場所を知っているなどと言ったら、裏切り者扱いどころか、下手をすれば拷問され、無理矢理にでもエルフ村の場所を喋らされたかもしれなかった。拷問ならマグリルあたりが喜んで実行しただろう。

「ゲイルが死んでしまったのは、とても残念な事だけど……いいわ、かわりに貴方に会えたんだから。これもきっと、ゲイルが天から導いてくれたのよ」

「もしそうだとしたら、もっとおとなしい方法で導いて欲しかったな。頭に岩をぶつけて崖から叩き落とすなんて、もう絶対やめて欲しいぜ」

 レオンは吐き捨てる様に言い、リューンはくすくすと笑う。

 そんな冗談が出る程度には、レオンもこのエルフの少女に気を許し始めていた。

 リューンは、また甲斐甲斐しくレオンの面倒を看てくれた。足の薬草を取り替えてくれたり、熱を持った患部を冷やす水を汲んだ来てくれたり、食料となる魚や木の実などを持ってくれたりもしてくれた。

 レオンは最初はそれを拒絶し、自分の保存食で凌ごうとしたものだが、しかし保存食は川に落ちて水に浸かった際、大半がもう保存不可能になってしまっていた。

 仕方なくレオンはリューンが持ってきてくれた魚や木の実を食べたのだが、それは味気のない保存食などよりも、ずっと豪華な食事であったことは間違いなかった。

 またリューンは、よく洞窟の外で歌を歌っていた。リューンの歌声は良く通り、聞いていて耳に優しい。レオンもその歌声を聞くことは、決して不快ではなかった。

「歌……うまいんだな」

「ありがとう。村では、それが私の役割だからね」

「歌を歌うことがか?」

「ええ。祭りや宴の時は、必ず私が歌うことになってるわ。それに、舞もね。よかったら、今ここで見せてあげましょうか?」

「いい」

 ぶっきらぼうに、レオンは応える。レオンはこの上無く友好的なこのエルフ少女に、少しでも気を許さないように努める必要があったのだ。なるべくリューンのことは無視し、話をしないようにする。それでもついつい話しかけてしまうのは、この純なエルフ少女の持つ天然の魅力のせいなのだろうか。

 翌朝、歩ける様になったのを確認した上で、レオンは山越えを決心した。

「本当はもう少し、安静にしていた方がいいんだけどな」

 リューンが心配そうにレオンを見たが、彼の決意は固かった。早く心配しているであろう仲間に自分の無事を伝えたかったし、何よりこれ以上このエルフ少女の側にいて、気を許してしまうことを嫌ったのだ。

 レオンは一歩一歩、慎重に歩いて洞窟の出口に向かう。踏み込むとまだ少し痛むが、歩けないほどではない。

「無理しちゃだめよ。痛々しくて見てられないわ」

 リューンが無理矢理、自分の肩をレオンに貸す。

「よせよ、一人で大丈夫だよ」

 レオンは慌ててリューンを振りほどこうとしたのだが、その為にまた足に激痛が走り、危うく倒れかける。リューンの肩がなければ倒れていたに違いない。

「ほら見なさい。どこが一人で大丈夫なのよ」

「悪い……」

 意外にも素直に、レオンから謝罪の言葉が出た。リューンは一瞬、呆気にとられた顔をし、そしてくすくすと笑い始める。

「何だよ」

 レオンはふくれっ面をして見せたが、やはりリューンはただ笑っているだけであった。

 洞窟の外に出た。空は雲ひとつない晴天だ。久しぶりに太陽の光を浴びた気がする。

「晴れてくれてよかったわ。雨が降って地面がぬかるんだりでもしたら、貴方の足じゃあ危なくてしょうがなかったもの」

 すぐ隣で、リューンの明るい声が聞こえる。

 レオンはこの時初めて、薄暗い焚き火のもとではなく、明るい陽光のもとで、そしてこんな間近でリューンの姿を見たのだった。

 エルフは美人が多いとはゲイルからよく聞かされていたが、確かにその少女は美しかった。

 鼻筋のとおった整った顔立ち、大きな瞳、薄い桃色の唇……髪は流れるように長く、陽光を反射して銀色に美しく光っていた。

 身体はエルフらしく細身で小柄な、まだ少女のそれではあったが、草色のチュニックとミニスカートから覗く足は、病的とは程遠い、健康的な白色だった。

 そして、吸い込まれそうな青い瞳でまっすぐにこちらを見つめられては、レオンでなくとも頬を赤らめて視線をそらしてしまうのは無理もない。

(何を考えてるんだ、俺は!こいつはエルフだ!敵なんだぞ!)

 レオンは必死でそう自分に言い聞かせた。

 とにかくさっさと山を越えてしまおう。そうすれば、こんな変な気持ちにうろたえずにすむ。

 レオンは揺れ動く自分の感情に、強引にケリをつけた。リューンの肩を無理矢理離し、一人で歩き始める。

「山を越える道はどっちだ?それだけ教えてくれればいい」

「その足で峠を越えるなんて無茶よ。抜け道を知っているから、案内するわ」

「いらねえよ。道さえわかれば、一人で帰れる」

「無理はしない方がいいわ。それに抜け道を使えば、半日以上時間が短縮できるわよ」

 確かに、少しでも早く帰れるに越した事は無い。レオンは一応渋々と、リューンの申し出を受けた。

 だが渋々という感情の裏側に、まだしばらくは彼女と一緒にいられるということに安堵している自分もいた。

 それがどんな感情であったのか、レオンにはよくわからない。だからこそ、そのたびに心が動揺するのだ。

 リューンは川岸を下り、獣道や洞窟を抜け、ゆるやかで平坦な道を選んで歩く。

「こんなところを村の連中に見られたら、何を言われるかわかったもんじゃないな」

 レオンは苦笑した。だが、リューンは真面目な表情で答えた。

「もともと、人間とエルフは友好的な関係だったはずなのよ。少なくとも十年前まではね。心の狭い一部の人間が、禁忌にこだわって恋人同士を引き裂いたりするから……」

「……?」

 その時、レオンの心の中に疑問符が生まれた。

 確か自分が聞いた話は、二人の仲を引き裂いたのは……

「見て、『旅人の樹』よ。ここからならもう、道はわかるでしょう?」

 不意にリューンが指を差した。

 丘の向こうに、高さが百メートルほどもある巨木が立っているのが見える。レオンの住むマルガ村からもよく見える大樹だ。旅人の目印としては、これ以上の物はないだろう。いつしかその木は、『旅人の樹』と呼ばれていた。

 だが巨木ゆえにはっきり見えるが、今のレオンの足ではさらに村まであと半日は歩かねばならぬ距離だろう。

「案内はここまででいい。ここまで来れば、もう道に迷う事はないだろう。世話になったな。一応、礼は言っておく」

 そっけなくそう言うと、レオンはまた歩き出した。これ以上彼女の側に居ると、本当に彼女に気を許してしまう。それは兄の復讐を誓う彼の、存在意義そのものを否定される事に等しかった。

 だから、彼はもうリューンを振り返らなかった。その時はそのつもりだった。

「今から、また俺とお前は敵同士だ。早く立ち去れ。でないと、今度こそお前の命の保証はできないぞ」

 引かれる後ろ髪を断ち切る様に、彼は声を絞り出す。

リューンを振り切って、まっすぐマルガ村に向かって歩く。

「レオン!」

 リューンが叫んだ。

「まだ貴方に話していないこと、いっぱいあるんだからね!またあの洞窟で、私は待っているからね!」

 その叫びは、激しく揺れ動くレオンの心にもう一度追い撃ちをかけた。

 そして最後にもう一度だけ、彼は後ろを振り向いた。

 しかしその時レオンの瞳はもう、あの美しいエルフ少女の姿を捕らえる事はできなかった。


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