初陣
自分にはまだ少し大き目の革鎧を着ける。革紐を固く結び、身体に密着させる。
バスタードソードを手に取り、一度だけ鞘から抜く。
手入れを欠かせた事が無いその剣は、新品同様の光を放つ。鎧も剣も、生前兄が使っていた物だ。
大きな姿見の前で、今一度自分の姿を確認する。今日と言う日をどれだけ待ち望んだ事か。
「ようレオン、誕生日おめでとう。今日から早速出撃だって?」
不意に窓から声がかけられる。ふりむくと、そこには20代前半くらいの若者が顔を覗かせていた。
精悍な体つきに、革鎧とロングソードを装備している。彼もおそらく戦士なのだろう。
「ああ、ジェイドの兄貴か。やっと俺も16になったからな。長かったぜ」
銀髪の少年が靴の紐を結びつつ、声をかけてきた戦士に返事をする。
あれから5年、少年は逞しく成長した。兄の形見であるバスタードソードと革鎧を身につけ、今ではどこから見ても立派な戦士である。
もちろん外見だけでは無い。剣士としての資質も彼は群を抜いていた。
兄が死んだ次の日から彼は剣の修行に励み、身体を鍛えてきた。
今日まで一日たりとも修行を欠かした事は無い。14の時には、既に大人と互角に闘えるだけの技量を身につけていた。
もちろん彼の気持ちとしては、すぐにでもエルフ討伐隊に志願したかったのだが、討伐隊への参加は16才以上でなければならないという規約がレオンの前に立ちふさがった。
そして今日、16才の誕生日を迎えた彼は、ようやく念願の討伐隊に参加する事を許されたのである。
「あの小さかったレオン坊やがねえ。時の経つのは早いもんだ」
ジェイドと呼ばれた男も、その勇姿に感嘆の溜め息をついた。
「そうしてると、お前は本当にゲイルにそっくりだな。マルガ村で一番の剣士と噂されていた、お前の兄貴によ」
「ああ。兄貴の分まで頑張らなきゃな」
不意に、レオンの顔が厳しくなった。
「仇を取ってやる。俺がこの手でエルフどもを滅ぼしてやる。兄貴を……俺のたった一人の大事な家族を奪った奴らを、俺は絶対許さない!」
少年の青い瞳に一瞬赤い炎が宿ったような気がして、ジェイドは背筋が寒くなった。
「そんなに気張るな。残念だが今回のお前の任務は偵察だ。そりゃ、エルフどもに襲われたら反撃もしなきゃならないだろうが、目的は戦闘じゃなくて敵の村を発見する事なんだからな」
「わかってるさ。けど、だから戦っちゃいけないって理由は無いだろ?」
頑ななレオンに、ジェイドは溜め息をついた。
「そろそろ時間だぜ。集合場所はわかってるな?」
「ああ。確か、西の広場だったよな?」
「そうだ。遅れるなよ。今回の隊長はマグリルだからな。遅刻したら、いつまでネチネチ言われるかわかったモンじゃないぜ」
その名前が出た瞬間、レオンは心底嫌そうな表情で喉から舌を出して見せた。
「あの陰険な見栄っ張り野郎が隊長だもんな。ツイてねえよ。あんなオッサンから教わることなんて、今さら何もあるもんか」
「お前、あいつが教官になった時に散々いじめたらしいじゃないか。わざわざ好んで目をつけられるようなマネをしなくたってよかったろうに」
「だってあいつ、兄貴をバカにしたんだ。どんなに剣の腕が立とうと、死んじまう様なやつは愚か者だって。自分が兄貴に助けられた恩も忘れてよ」
「間違っちゃいないさ。死ぬのは愚か者だ」
一瞬レオンがまた気色ばむが、ジェイドはそれを片手で抑えた。
「わかってるさ。お前の兄貴が死んだのは仲間を逃がす為に盾になってくれた所為で、そのおかげで何人も他の人間が助かったんだってのはな。あいつがいなかったら、パーティが全滅してたかもしれない。俺だって、ここにいなかったかも知れないんだ。だがそれでも、お前を残して死んじまうような無責任な男は、愚か者と言われたって文句は言えないのさ」
そうなのだ。ゲイルの親友だったジェイドは、彼が戦死した戦いで彼とともに出陣しており、そしてゲイルに助けられて生還した一人なのだ。
そして今回、レオンが編入された部隊の隊長となるマグリルもまたその戦いに出撃し、同じ様に無事生還した戦士なのである。
「本当ならお前には、ゲイルと同じ様にエルフ族との和平の道を求めて欲しかったんだがなあ」
「お断りだ!和平の道を求めていた人間が、何故エルフに殺されなきゃならないんだ!?それはつまり、あいつらが和平の道なんか求めていないって事だろ!だったらこっちもヤツらが全滅するまで、とことん付き合ってやるさ!」
やれやれ、という感じでジェイドは溜め息をついた。
「くれぐれも無茶はするなよ。お前が死んだって、喜ぶヤツは誰もいないからな」
「わかってる。俺だって、そう簡単にやられる気はないさ」
靴の紐を固く結びなおすと、レオンはすっくと立ち上がり、机の上に立てかけてあった小さな肖像画……兄の遺影に語りかけた。
「兄貴……見ててくれよ。絶対、仇は取ってやるからな」
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かつて、エルフと人間は友であった。
共に手を取り合い、闇の軍勢と対抗した時もある。
エルフと人間の間でロマンスが生まれた事もある。
だが、今は違う。
エルフと人間は互いに憎しみ合い、殺し合う仇敵同士なのである。
何故そうなってしまったのか。
きっかけは些細な事だった。
人間とエルフとの恋愛は、そう珍しい事では無い。だが、その恋が実るかどうかは別問題である。むしろ実る場合のほうが極めて希だ。
理由は、2種族の寿命の違いである。
永遠とも言える寿命を持つエルフに対し、人間が生きていられる時間は、わずか100年に満たない。
しかも、いつまでも若々しいエルフに対し、人間は年をとれば老いる。
エルフは自分が愛した人間が老いて死んで行くのを、ただ見守るしかできない。
そして年老いて死んだ最愛の伴侶を追って、同じ様に死出の旅路に赴くエルフも、決して少なくなかった。
それほどにエルフは純粋な種族であった。
人間とエルフは、結ばれれば不幸になる。お互いがそう悟り、いつしか異種族間の恋は禁忌とされた。
そんなある時だった。
禁を犯して、人間の青年がエルフの娘と恋に落ちた。
いくら他人が忠告しても、青年は聞かなかった。彼の恋は本物だった。
結果的に、その恋は引き裂かれた。しかしそれは、最悪の形によって。
青年はエルフの矢によって射殺され、その亡骸は村の近くにある大木に磔にされていたのだ。
しかもあろうことか、さらにエルフは禁を犯した制裁とばかりに、村に火矢を射掛け、当時の村を一つ滅したのである。
生き残った者は、程近い場所に新たな村をおこし、エルフに対抗した。
新しい村はマルガ村と名を付けられ、エルフとの戦いの拠点となった。中央から腕利きの傭兵達が、戦いを求めて集まって来た。
マルガ村はだんだん、村という名の砦と化していった。
それが、今からおよそ10年前の話である。
以来、森のエルフと人間はいがみ合い、殺しあって来た。
無論、和平を望む声がなかった訳では無い。
レオンの兄であるゲイルは、そんな人間の筆頭であった。
ゲイルは幼いレオンにいつも、エルフがどれほど美しく、純粋で、そして聡明な種族であるかを説いてやまなかった。
レオンもそんな兄の話を聞き、いつかは自分と兄の二人で、エルフと人間の間に橋を渡せる役になりたいと願っていたのだ。
だが皮肉にも、ゲイルはエルフの矢によって命を落とした。
同時にレオンのエルフに対する幻想も脆くも崩れ去った。
それから5年、幼い彼はひたすら兄の形見である剣を振るった。
いつか戦いに赴くために。
兄を奪ったエルフどもを殲滅させるために。
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「我々とエルフどもの戦いは、もう10年の永きにわたる。しかし未だに決着はつかず、戦局は不利なままだ。これは敵の本拠地がはっきりせず、攻撃の拠点を決められない所が大きい」
集まった新米どもを前に、マグリルは拳を振りかざして熱弁した。
長く伸ばした顎鬚が、時折風にそよぐ。見ている者は失笑を禁じ得ない。
だがマグリル本人は、それは威厳を保つ為に必要なものだと考えているらしい。
外見の威厳ばかりを気にして肝心の中身はどうなんだと、レオンはいつも心の中で罵声を浴びせていた。
無論、それがマグリルの耳に届く筈はなかったが。
マグリルの前には、8人の少年達が並んでいる。
レオンを含め、この隊は若い実戦経験の無い少年ばかりで編成されていた。
全員がまだ、おそらくは10代後半にさしかかったばかりと思われる少年達である。
「君達の任務は何としても敵の村を発見する事にある。場合に寄っては、敵の仕掛けた罠等にかかる事があるかも知れん。エルフ以外の敵とも会うかもしれん。だが、どんな時でも慌てず、落ち着いて対処するように。健闘を祈る!」
その場にいた戦士達全員からおうっ、という声が上がる。だが、レオンだけはそっぽを向いて「けっ」と舌打ちしていた。
彼自身は偵察部隊などでなく、早く最前線の討伐隊に参加したかったのだ。偵察部隊は偵察の名を借りてはいるものの、その実体は実戦経験の無い新米どもの訓練部隊と言っていい。レオンは疾うにその事は知っていたし、自分にはそんな訓練期間など必要無いと考えていた。
それだけに、この任務は彼には少々物足りなく感じていた。
何より、自分が大嫌いな男の部隊に編入された事が一番気に入らなかった。
不意にレオンの胸ぐらを何者かが掴む。目の前に、大嫌いな男の顔があった。
「貴様。人の話を聞いているのか!?」
マグリルはレオンの胸ぐらを掴んだまま、見下すように睨めつける。レオンも無言のまま、マグリルを睨み返す。
それがまたマグリルのカンに触ったらしく、彼は早口でまくしたてた。
「いつまでもいい気になっているんじゃないぞ!ゲイルの弟だろうが何だろうが、新米は新米なんだからな!それに結局ゲイルは敵に殺されちまうような未熟者だったんだろうが!」
レオンの眉間にシワが寄る。何もこんな所で兄を引き合いに出す事はないだろうに。
無神経なマグリルの言葉に、レオンの反抗心は一瞬で燃え上がった。
「うるせえな。てめえこそ、その兄貴に助けられて生還できたくせに……」
言い終わらないうちに左頬にマグリルの拳が飛び、レオンは地面に転がった。口の中に鈍い痛みが走り、鉄臭い血の匂いが充満する。
「覚えとけ!お前が誰の弟だろうと、そんなものは戦いでは何の役にも立たん!虎の威を借りる狐ほどみっともない者は無いぞ!ましてや、その虎がもう死んでいるのであればなおさらな!」
倒れたレオンの頭をさらに踏みつけ、マグリルは勝ち誇ったように言った。
勿論、レオンは兄の事を自慢した事はある。だが、その威光を借りた覚えなど無い。とんでもない言いがかりだ。
むしろ、必要以上にゲイルの事を気にしているのはマグリルの方であり、レオンはそのとばっちりを受けているに過ぎない。
もともとマグリルは自尊心と功名心の強い男であり、実力もゲイルには遥かに及ばないものの、そこそこの物は持っていた。
だが彼にとっては、実力がゲイルに及ばなかったことこそが最もプライドを刺激されるものであり、逆にこれで自分こそが最強になったと、ゲイルが死んだことを密かに喜んでいる節すらあった。
だが、ゲイルが死んだ後も『最強の剣士』の称号はやはりゲイルの物であり、マグリルがいくら頑張った所で、もうゲイルの上に立つ事はできなかった。
何しろ力を比べるべき相手は、『最強の剣士』の称号とともに墓の中に入ってしまったのだから。
マグリルはどんなに自分を誇示しても、結局ゲイルと比較され、落としめられる立場に我慢などできなかった。
しかも今では比較の対象が『最強の剣士の弟』に……まだ一度も出陣した事の無いヒヨッコに変わりつつあるのだ。
マグリルの様に了見の狭い者であれば、我慢ならぬのも道理だろう。彼は事あるごとにレオンを目の敵にした。
そしてまたレオンも、その様な理不尽な態度を取られて黙っていられる性格ではなかった。
マグリルが教官となる訓練で、彼は率先して反抗し、反目した。
さぼった事が一度もなかったのは、それはレオンにとって敵前逃亡に等しい行為だったからである。
だが、それが為にマグリルと反目しあう機会はいや増し、とうとう修復不可能なまでにこじれてしまったのだ。
もっとも、マグリルの様な男に心酔する人間もそうはいないだろうが。
「出発する!」
レオンに背を向けて、マグリルは叫んだ。
新米の戦士の一人がレオンに肩を貸す。
「お前もよく飽きねえな。もうちっと要領良くできないのかよ」
レオンは口元をぬぐって立ち上がった。唇の端が切れて出血している。
「けっ、あんなヤツに尻尾をふるくらいなら、インプに尻尾を振った方が100倍はマシってもんだ」
インプとは小悪魔の意味で、魔物の中では最も下位に属する、言わば「ザコ中のザコ」の代名詞だ。
レオンは革鎧に付いた砂を払い落としながらマグリルを罵り、しかしこう付け加えた。
「まあ、エルフに尻尾ふるよりは、あいつに尻尾振った方が10倍マシだがな」
ふてぶてしく吐き捨てるレオンに、その新米戦士はにやっと笑って言った。
「気に入ったぜ、レオン。オレはアレク……知ってたか?」
「いや、訓練の時によく顔は見掛けたが、名前を聞いたのは今が初めてだな」
レオンも僅かにその顔に笑みを浮かべ、アレクと名乗った少年に答えた。
「何をしている!置いて行くぞ!」
「うっせェな!わかってら!」
レオンはそう叫び返し、渋々とついて行く。
彼にとってマグリルは、例えどんなに気に入らなくとも自分を憎きエルフの所まで連れて行ってくれる有り難い案内人なのである。
今の彼ならエルフの所に連れて行ってくれるのであれば、本当にインプにでも尻尾を振ったであろう。
あるいはデーモンにさえついて行ったかもしれなかった。
* *
およそ半日も歩いたろうか。新米どもはようやく森の見える丘までやってきた。
森はかなり広く、地平線の彼方まで広がっている。
「あの広大な森のどこかにエルフの村がある。見つけるのは困難だろうが、君達の努力を結集すれば、決して見つける事は不可能ではないと思っている」
無責任なマグリルの発言に、レオンはまた心の中で舌を出した。
努力だけで見つかる物であれば、とっくに誰かが見つけているだろう。でなければ10年もの間、エルフの村が発見されずにいるはずがない。
だいたいこんな広い森のどこをどうやって探せと言うのだ。この程度の人数では、例え百年かけて探したって見つからないだろう。
そんな事を考えていた矢先である。マグリルはとんでもない作戦を提示した。
「ここでパーティを3人ずつ、3つに分ける。手分けして探せば、発見できる確率も高くなるだろう。集合は、一週間後の正午に……」
「反対だ!」
マグリルの作戦に、瞬時に異議を唱えた者がいた。言うまでもなくレオンである。
「また貴様か。いつも貴様は教官に反抗しやがる。そんなにオレが嫌いか」
「ああ、大嫌いだ。だが、それを差し引いても今の意見は聞きかねる。ベテランの戦士達ならまだしも、俺達は全員ヒヨッコだ。それをたった3人ずつに分けるなんて、エルフどもに各個撃破して下さいって言ってるようなもんだ!」
「ふん、臆病風にふかれおって」
マグリルの返事はこうであった。
レオンは怒るより以前に呆れた。
本当にこの男は教官なのか。進んで人を死地に追いやる死神の間違いじゃないのか。
「俺達は全員、この森は初めてだ!それを道案内なしでうろつけっていうのか!?」
「道案内など必要ない。案内できる場所には、村が無い事はわかっているのだからな」
いかにも自分の理論が正しい、というマグリルの態度に、レオンはまた反抗した。
「自分の責任をどう果たすつもりだ!罠の見つけ方!奇襲された時の対処の仕方!野営の仕方!あんたが実戦の場で教えなければならない事は山ほどあるだろうが!」
「う、うるさい!敢えて可愛い新兵どもに苦労を与えてやろうという親心が、貴様にはわからんか!貴様らは谷底に突き落とされた獅子の子と同じなのだぞ!」
マグリルのメチャクチャな理論に、レオンは心底呆れ返った。
獅子が子を千尋の谷に突き落とすというのは、子供を厳しく育てるという意味だけではない。
そこから這い上がれぬ者は死を待つだけという厳しい自然淘汰の意味も含んでいるのだ。
この男はそこまでちゃんと理解して獅子云々の例を持ち出してきたのだろうか。
無論そんなはずもなく、彼はただレオンの正論に対抗したかった為だけに、そんな例えを持ち出してきたに過ぎない。
「あんたの仕事は、強い戦士をさらに強く育てることじゃない!弱い戦士を普通の戦士に育てることだろう!ちゃんとわかってるのか!?」
レオンの的を射た指摘も、もはや頭に血の昇ったマグリルの耳には入っていなかった。
『新米に口答えされた』それだけですでに、マグリルには許せない事だったのである。
ましてやその新米は、特に自分が目の敵にしてきた「ゲイルの弟」なのだ。
プライドと意地にかけて、マグリルは負けるわけにはいかなかった。
例えそれが、明らかに誰の目から見ても自分の方が間違っていると分かっていても。
「俺がお前達の年の頃は、こうして鍛えられたんだ!ヒヨッコが俺に意見するなど十年早い!」
「時代が違う!あんたがヒヨッコだった時は、この森はまだ安全だったんだ!少なくともエルフどもが襲って来る心配などなかった!」
「まだ言うか!」
逆上したマグリルは、ついに剣を抜いた。近くにいた者が悲鳴をあげる。
「上官反抗、命令違反、そして敵前逃亡の示唆。これ以上隊紀を乱されては他の者に示しがつかん。貴様をここで制裁する!」
制裁、すなわち処刑である。
「そうきやがったか」
レオンはふんと鼻で笑った。
「言い残す事があったら聞いておいてやろう。それくらいの寛大さなら、俺も持っているからな」
マグリルの目は血走っていた。
逆上した教官は、自ら後戻りできない場所に踏み込んでしまっていた。
むしろ、レオンの方がずっと落ち着きはらっていた。顔には薄笑いすら浮かんでいる。
「黙って斬り殺される理由は無いな。何しろ……」
そして、レオンもまた剣を抜く。
「俺はあんたを隊長とも上官とも思っていないんだからな。マグリルのおっさんよ」
その言葉を投げ付けた瞬間、レオンの顔から薄笑いが消えた。凄まじい気迫がマグリルにぶつけられる。
「う……ぐっ……」
マグリルは、自分より遥かに年下の少年の出す気に圧倒されていた。まわりをとりまく少年達は、声もなく見守っているだけである。
「上官にここまで反抗して、ただですむと思うなよ、貴様……!」
「最初から処刑するつもりなんだろうが。それに言ったはずだぜ、俺はお前を上官だなんて思っちゃいねえってよ」
わずか5mほどの間を置いて、二人はにらみ合った。
だが、初めから微動だにしないレオンに対して、マグリルの剣は小刻みに震えていた。
正確に言えば、震えていたのはマグリルなのであるが。
重圧に耐え切れなくなったか、先に斬りかかったのはマグリルの方だった。
「くたばれ、小僧!」
なるほど最強を自称するだけあって、その剣筋はそこそこの物だった。
だが、自称最強が真の最強にかなうはずも無い。
レオンは軽いステップでマグリルの剣を避けると、自分の剣を跳ね上げてマグリルの剣を弾き飛ばす。
「うおっ」
バランスを崩したマグリルを、さらに足を引っ掛けて転ばし、すぐさまマグリルの上にのしかかった。そして、自分の剣をマグリルの喉元に突き刺す!
「ひっ!」
思わずマグリルは悲鳴を挙げた。
ザクッ、という剣の突き刺さる音がする。ギャラリーからも悲鳴があがる。
だが、レオンの剣は、マグリルを突き刺してはいなかった。喉元の右、わずか1センチほどの地面を突き刺していた。
マグリルは目を見開き、息を呑んだ。冷や汗が首筋を流れる。切り落とされた一掴み分ほどの顎髭が、風に吹かれて辺りに散らばる。
「てんで話にならねえ。攻撃した後がスキだらけだ。あんた、今まで生徒に何を教えてきたんだ?」
レオンは立ち上がると剣を鞘に戻し、マグリルに侮蔑の視線を送る。
「あんたに付き合ってちゃ、命が幾つあったって足りねえ。エルフの奴らだけじゃなく、あんたにまで命を狙われるんじゃな。俺はここで抜けさせてもらう」
そう言い放つと、レオンはマグリルの荷物のポケットから森の地図を奪い取り、一人森に向かって歩きだそうとした。
「貴様!こんな事をしてただで済むと思うな!二度と村に帰って来れんようにしてやるからな!」
そんなマグリルの捨てゼリフを無視して、レオンは他の新兵仲間に声をかけた。
「一緒に来る奴はいるか? 少なくとも俺は、マグリルなんかよりずっとためになる事を教えてやれると思うぜ。なんたって俺の師匠はあんなニセモノじゃない、本物の最強の剣士、ゲイルなんだからな」
そう言って笑ったレオンに応えた者がまず一人……先ほど名前を知ったばかりの少年、アレクである。
「乗ったぜ。お前はあのオッサンよりは、ずっと頼りになりそうだ」
一人がなびけば、後は話が早い。我も我もと、若い戦士はレオンについて行く。
「貴様ら!戻って来い!隊長は俺なんだぞ!こら、聞いてるのか!?」
もはや、マグリルの言葉を聞いている者など誰もいない。
新米達は新たな隊長を得て、森の中へと消えて行ったのだった。
* *
陽が落ち、辺りは急に暗くなる。平原には肌寒い風が吹き始める。
森の動物達も息をひそめ、静かに眠りに就く。
あるいは今こそ我らの時間とばかりに、活動を開始する者もいる。
「焚き火ってのは、ただ燃やせばいいってモンじゃない。大事なのは赤く燃える炭……熾火を作る事なんだ。こうしておけば簡単には消えないだろう?炎を上げさせたければ枯れ葉でも上に乗せてやればいい」
パーティも野営の準備を始め、レオンは兄から教わった知識と技術を惜し気もなく皆に伝授する。
野営の場所の選び方、身体を冷やさない眠り方、急な敵襲に備えた休み方、見張り番についた時の心得、その内容。
その1つ1つが新米の彼らにとっては新鮮で、そして大事であった。
生き延びるために、彼らは真剣にレオンの説明を頭に叩き込んで行く。そして、疑問はその場でレオンにぶつけてくる。
遠慮など無しだ。何しろレオンは、立場的には彼らと同じ新米なのである。
「焚き火なんかしたら、かえって敵に見つかりやすいんじゃないのか?」
例えば、新兵の一人がレオンにそう尋ねる。
「相手は夜目のきくエルフだぜ。火がなかったら、こっちの方が圧倒的に不利だ。真っ暗な中で襲われたら、パニックを起こしちまうだろう。超ベテランの冒険者だったらまだしも、俺達みたいな新米には灯りは必須だ。それにエルフ以外の敵は、例えば狼みたいな獣は、火には寄って来ないからな」
レオンは丁寧な理詰めで彼らを納得させる。
そのやり方は明らかにマグリルとは違うものであり、そしてマグリルに比べれば数倍わかり易かった。
「それじゃ、見張り番のヤツはしっかり頼むぜ。4時間たったら交代して休んでくれ」
そうしてレオンも、木の幹にもたれかかって休んだ。この格好であれば、革鎧程度ならつけたままでも十分休める。それにいざ敵襲があった場合でも、囲まれない限りすぐ木の影に隠れる事ができる。これもレオンがゲイルから教わった知識だ。
「それにしても、本当にお前は苦労を自分で背負い込むヤツだな」
背中から声がする。
幹の反対側では、すでにアレクが同じ様な格好で休んでいた。レオンは先客にその木を譲り、隣の木に移って答える。
「しょうがないさ。ここまでみんなを連れて来たのは俺なんだ。俺にはマグリルのバカに代わって、みんなにいろいろと教えてやらなきゃならない義務と責任がある」
「同じ16才とは思えないな。よほど師匠がよかったんだな」
「ああ。兄貴は最高の剣士で、最高の師匠だった。両親はさっさと死んじまったんで、俺にとっては兄であると同時に父親だったんだ」
レオンは目を閉じた。まぶたの裏に懐かしい兄の顔と、幼い自分の姿が映る。
「アレクには兄弟はいるのか?」
「いるのかも知れないが、会った事は無いな。何しろ俺は、本当の親の顔すら知らないんだ」
一瞬、場が沈黙する。
「……何か言えよ。こういう沈黙は苦手なんだよ」
「いや、悪い事を聞いたかと思って」
「気にすンな。本当の両親はいなくても、育ての親ならいた。もっとも、そのジジイもくたばっちまって、今は本当に一人になっちまったけどな」
アレクは笑った。
「まあ、もう保護者が必要な年でもないし、一人でもなんとか生きては行けるさ。後は人生を楽しくさせてくれる仲間が見つかりゃ、言う事無しだな」
「羨ましいヤツだな。俺はもう……楽しみなんて言葉は忘れちまった」
レオンの声が沈む。アレクは肩をすくめて苦笑いした。
「休もうぜ。明日もまた大変なんだろ」
「ああ、そうだな」
夜が静かに更ける。
焚き火がはぜる音を子守り歌に、いつしか彼らは深い眠りに落ちていった。