将を射んと欲すれば先ず馬を射よ(怜奈視点)
あれから、私と雅人くんは時折メッセージを交換する仲になりました。
雅人くんはマメな連絡があまり好きではないみたいで、返事が返ってくるのは3回に1回くらい。しかも、とっても短い文章です。
だけど文句はいいません。短い文章でも、雅人くんが反応を返してくれる。
それは、とっても幸せなことなのです。
メッセージのやりとりはとても嬉しいのですが、すこし物足りないこともあります。
なぜならこの二週間、私は雅人くんと直接言葉を交わしていないのです。
というのも、メッセージを送った初日、私は雅人くんに学校で声をかけることを禁止されてしまったのです。
なんでも、雅人くんは工学科のお友達に、私とのことを揶揄されてとても困っているのだとか。
それだけならまだしも、どうやら、学内に私と雅人くんに関する噂が流れているみたいです。
しかも、その内容がまったくの出鱈目。
雅人くんが無理やり私に迫って、唇を奪ったとかいう、ワケのわからない噂だったりするのです。
逆ですよ、逆!
無理やり迫ったのは私の方で、唇を奪われたのは雅人くんです!
噂を必死で訂正しても、またまたぁ、とか、あんな奴庇わなくても良いじゃんとか、まったく聞く耳を持ってくれません。
雅人くんにとって不名誉な噂を流されてしまって、もう、本当に泣きたいです。
ただでさえ告白して迷惑をかけているのに、これ以上嫌われてしまったらどうしてくれるのでしょうか。
噂に尾ひれがつくどころか、被害者と加害者が逆転してしまった理由は分かりませんが、人目につく場所で雅人くんに迫った私に非があります。
なので、私は雅人くんの主張を泣く泣く聞きいれ、学校では声をかけないことを誓ったのです。
だけど、学校で声をかけないとなると、私と雅人くんの接点は無くなるわけで。
ほんの少しのメッセージ交換だけでは、耐えきれなくなってきているのです。
ああ、もう、プライベートで雅人くんとお会いしたい!
だけど、私は雅人くんのプライベートを殆ど何も知りません。
もちろん、電話番号は知っているので、デートのお誘いをしても良いのですが、十中八九……いえ、おそらくは100パーセント断られるでしょう。
だからといって、何もせずに手をこまねいているなんて、私らしくありません。
将を射んと欲すれば先ず馬を射よ。
雅人くんには接触禁止と言われてしまいましたが、その周囲に接触するなとは言われていません。
なので私は、雅人くんの友達を味方につけて、じわじわと外堀を埋めていこうと思います。
そうと決めた私は、まず、雅人くんと仲のいい人を探ることにします。
それとなく人に尋ねてもいいのですが、下手に私が雅人くんの名前を出すと、噂が悪化してしまう可能性があります。それは本意ではありません。
なので、私は誰にも相談することなく、コソコソと雅人くんの様子を探ることにしました。
具体的には尾行です。
接触禁止を言い渡されている私が、雅人くんを尾行していることがバレたら、確実に怒られます。
怒られるだけならいいですが、嫌われてしまったら大変です。
なので、私は絶対に誰にも見つからないように、慎重を期して行動しました。
ある時は茂みの中で息を殺し、ある時は工学部のロッカー内で身を小さくして聞き耳を立て、ある時は屋上から双眼鏡で覗き見し、雅人くんと仲のいい人物をつきとめたのです。
ターゲットの名前は、長戸圭くん。少し細身でシルバームレームの眼鏡をかけた、そこそこブサイクな容姿の彼――つまりは、この世界的になかなかの好青年だと思われます。
長戸くんが一人になった時を見計らって、私は彼に接触してみることにしました。
水曜日の午後3時。下調べの結果、この時間、雅人くんは講義を受けていて、長戸くんは次の講義まで予定が空いているはずです。
ついでに言うと、私もこの時間は講義がありません。
なので私は商業科を抜け出して、長戸くんの姿を探します。
長戸くんは工学部棟近くのカフェスペースで、ベンチに座りながら読書をしているようでした。
呼んでいる本にはカバーがかけられていて、何の本かは分かりません。大きさから察するに文庫本でしょうか。
読書の邪魔をしてしまうのは少し気がひけますが、この機会を逃すと次に接触できるのはいつになるか分からないため、私は長戸くんに声をかけることにしました。
「長戸圭くん、ですよね?」
そう声をかけて、少し距離を開けてベンチに座ります。
長戸君は本から顔をあげると、私の顔を見て驚いたように目を開きました。
「えっと、貴方は……上月さん?」
「私をご存じなんですか?」
名前を言い当てられて驚きます。初対面のはずですが、どうして私を知っているのでしょうか。
まさか、尾行がバレていたわけじゃないですよね?
「もちろん。噂は色々聞きますし、雅人からも少し話を聞いています」
「え、雅人くんが私の話を!?」
雅人くんがお友達に私に話をしてくれている。
その事実が嬉しくて、私はパァっと目を輝かせます。
「なので、だいたいの事情は聞いていますが――本気ですか?」
「本気とはどういう意味でしょうか?」
「本気で雅人が好きなのかという意味です。からかって遊ぶだけのつもりなら、アイツをそっとしておいてやって欲しい」
私は顔を顰めます。雅人くんもそうですが、どうして私の気持ちは信じてもらえないのでしょうか。
「私って、そんなに人を弄ぶ悪女に見えますか?」
「見た目はなんとも。けれど、無害そうな顔でえげつないコトをしている人って、結構多いですから」
「誤解ですよ。私は純粋に雅人くんが好きなだけです」
「友人の目から見ても、あいつは悪い奴じゃないとは思うけど、惚れるほど接点はなかったよね?」
「ひとめ惚れですからね」
私がきっぱりと言い切ると、長戸くんは形容しづらい、甘いものを食べたら実は辛かった時のような顔をしました。
「ひとめ惚れというと、つまり、雅人の外見に惚れたと?」
「私の理想のど真ん中でした」
「…………」
長戸くんはたっぷり沈黙をしたあと、言葉を探すように周囲をぐるりと見回してから、ようやくぽつりと言いました。
「趣味が悪いですね」
「美醜の判断が他の人と少しズレている自覚はあります。だけど、趣味が悪いとは思っていません」
言外に雅人くんを悪く言わないで下さいという意味をこめて睨むと、長戸くんは小さく笑みを浮かべました。
「雅人に惚れるなんてただ者じゃないと思っていたけど、想像していたよりも上月さんは愉快な人みたいですね」
「それは褒められているのでしょうか」
「褒めたつもりですよ。ちょっとばかり、上月さんを応援しても良いかな? という気にはなってます」
「本当ですか!?」
どんな言葉よりも、協力を取り付けられることが一番嬉しです。
コソコソと尾行した日々が報われるというものです。
「そのために、僕に声をかけたんでしょう?」
「そうです。その、どうやって雅人くんと進展すればいいのか分からなくて。学校では接触禁止と言われていますし、メッセージを送りすぎるのも迷惑になってしまうし……そもそも、私、雅人くんが何に興味を持っているのかもよく知らないんですよね。なので、話題のきっかけがないんです。せめて趣味でもわかれば良いんですけど」
雅人くんの好きな物や趣味をリサーチするために声をかけたことを打ち明けると、長戸くんは苦虫を噛み潰したような顔で言いました。
「趣味ね……そこを聞いてしまいますか。これ、言って良いのかな?」
口ごもる長戸くんの言葉に不安になります。もしや、なにか人に言えないような趣味を抱えているのでしょうか。
もちろん、多少のことは受け入れる自信はありますが。
「聞いてはいけないような趣味なのですか?」
「そういうワケじゃないけど、人によっては拒絶反応がキツいからね。あぁでも、それを聞いて諦めるなら、その方が雅人のためなのかな」
もったいぶった長戸くんの言葉に、ゴクリと唾を飲み込みます。
「雅人はね、いわゆるオタクなんだ。まあ、見た目から想像ついたかもしれないけど」
「……オタク?」
「うん」
反射的に尋ね返した私の言葉を、長戸くんは首を縦にふって肯定しました。
オタク。なるほど、オタクですか。
オタクというのは、一つの趣味にのめり込んでいる人の総称でもありますが、雅人くんの場合、漫画・ゲームなどのサブカルチャーが好きな人、という意味らしいです。
長戸くんいわく、ハマり方には軽度から重度まであるらしいですが、雅人くんは中程度と言っていました。しかし、そのあたりの知識がまったくないので、中程度がどんなものかよく分かりません。年2回コミケは行くけどカイセンでソウサクはしないとか、何語でしょうか。
よく理解できない単語も多かったですが、長戸くんとの会話で良い情報も手に入れました。
雅人くんがハマっているという、オンラインゲームを教えてもらったのです。
パソコンは得意ではありませんし、ゲームの経験もありませんが、関係ありません。
私、人生初のネットゲームデヴューをしたいと思います。
その前に、まず、パソコンを買わないとですけどね!