リュウ、罪を認める。
リュウの存在は、例えると「脳」だ。全ての物事を指令し、完璧にこなす。そしてリュウの身体となるのが、ツルギとヤヨイだ。彼らはリュウの思うまま、思い描いたまま行動する。ヤヨイは例えるなら「脊髄」にあたるだろう、とリュウは考えた。リュウの命令を素早く、正確に伝令する。そして咄嗟に適切な判断が下せるのが、ヤヨイの特徴であった。ツルギは「手足」だろう。脳と脊髄の指令のまま、伝令のままに正確に行う。その精密さや速さは常にリュウの納得のいくものだった。
「どうだ?私の『脊髄』と『手足』の仕事ぶりは」
「リュウさん!」
ケンがリュウの声に反応し、振り返る。リュウは昔使っていた名前で呼ばれて苦笑いをした。ケンの隣にいるふわふわとした青年、サキもつられてこちらを向く。丸く、力強く光る瞳がリュウを射る。まるで、何かを暴くかのような視線にリュウはすこし嫌悪を感じた。
「あの、ヤヨイさんは俺が知ってる人ですか」
サキが唐突に、率直に質問をぶつける。テツは目を見開き慌てたようすで身体を震わせて、何かを言おうとした。リュウはそれを煙草を持った左手で制す。
「いや、関係ないよ」
にこり、と模った笑みを浮かべるリュウ。テツはリュウを睨み、苦虫を飲み込んだとでも言いたそうな表情を浮かべる。リュウはその顔を一瞥し、ケンに視線を向けた。ケンは畏まってリュウの声を聞いていた。
「ケン君、そんなに緊張しなくていいといつも言っているだろう?」
「リュウさんは、憧れですから」
「……ありがとう」
ケンは本当に真面目で良い青年だ、とリュウは改めて感じた。リュウは、そんなケンがこの穢れた世界に入ることをあまりよしとしなかった。血にまみれない、清らかな世界で生きて欲しかった。
リュウは『マスター』となり、本名を返してもらっているがあまり使わない。本当の名前で仕事をすると、自分の全てが穢れで埋め尽くされると感じたのだ。リュウは、人を殺める時間だけは他人でいたかったのだ。憧れるような人間ではない、とリュウはため息をついた。人間ではない、ただの獣であると。
(私は、人殺しだよ)
自分達が狩る獲物と何一つ変わらないのだ。リュウは煙草をふかした。
「あまり私を誇らないでくれ、照れるだろう」
リュウは微笑んだ。ケンは小さく謝る。その謝罪にさえ、リュウは罪悪感を覚えた。すこしの空白を打ち消すかのように、リュウの胸元で携帯電話が震える。リュウが取り出し、確認するとメールであった。リュウは素早く読み、また胸元に携帯電話をしまった。
「今日は終わりだよ、君達はもう帰りなさい。テツ、ちゃんと送ってやるんだよ」
「わーっかってるっつの……」
煙草を落とし、踏みつけて火を消す。テツは暗い茶色の天然パーマをがしがしと掻き回し、ケンとサキはリュウの背中に向かって一礼した。
リュウは靴底を鳴らして階段を下った。
「寒っ……」
ベランダに出たヤヨイは二の腕を両手で摩擦した。梅雨入りを発表した気象庁は夏日が続くと言っていたが、流石に夜は冷えるようだ。ランジェリーだけではシャワーで温まった身体も冷えてしまうだろう。ヤヨイは今すぐシャワーを浴び直したかったが、ツルギが使っているのを思い出して諦めた。
ヤヨイが空を見上げると丸い月が光っていた。正しくは太陽の光を受けて明るいのだが、そういうのは風情がないとヤヨイは理屈を嫌った。
(あそこに誰かいるかもしれない)
「例えば、白いうさぎさんとか」
先日、そのようなことをヤヨイはツルギに話した。するとツルギは至極真面目な顔で
「うさぎは餅をつけないぞ」
と夢のない返事をされてしまったのをヤヨイは思い出し、身震いをした。ツルギとヤヨイは、かなり前から同居生活を送っている。その理由となる記憶はヤヨイの脳からは欠落していたが、ヤヨイは何か特別な理由があることだけはわかっていた。ツルギがヤヨイを過保護に扱うからだ。しかし、それがヤヨイは嫌いではなかった。ヤヨイも、ツルギといると安心するのだ。一緒の布団に潜り込んでも、ソファーで抱きしめ合って寝ても、ツルギはそこらの獣のように何かする訳でもなければ、ランジェリーや下着で部屋をうろうろ歩き回っても変な気を起こさなかったのだ。
「うーん……」
ツルギに無理をさせているのではないか、とヤヨイはたまに考える。ツルギも一応男で、私に興味を示さないが獣の一面も持っているはずだ。
ツルギとヤヨイは謂わば「友達以上恋人未満」のような関係であり、家族のような関係でもある。
ヤヨイはツルギの煙草を唇で挟んだ。ツルギには内緒で、26年間の人生で初めて煙草を吸う。ヤヨイはツルギに煙草だけは固く禁じられているのだ。ヤヨイは興味があっても、触れることすら許されなかった。
(ツルギがシャワー浴びてる間に吸っちゃお)
そう考えたヤヨイは慣れない手つきでライターで火をおこす。煙草にその火を近づけた刹那、ヤヨイの背後から太い腕が伸びてくる。唇からものが離れた。ヤヨイの目の前には煙草を捕まえた、ごつごつした大きい手があった。
「駄目だ」
「うっ……ちょっと返して!」
「駄目だ」
後ろからライターまで取り上げられたヤヨイは。驚きと焦りがこみ上げる。ツルギは少し怒っていた。ほのかに漂う石鹸の香りを掻き消すように、ツルギは煙草を吸った。
「ごめんなさい……」
「何故吸おうとした」
ツルギの声がいつもより低い。
「口、淋しかったのよ」
ヤヨイは思わず本音をこぼす。ヤヨイは口に何か触れていないと安心しない癖を昔から患っていた。普段はガムや飴で誤魔化しているが、限界がきてしまった。ふと、何かを忘れている気がして頭の片隅が疼く。ヤヨイは何故か気分が悪くなってきた。きっと忘れた過去が関係しているのだろうか、ヤヨイにはそれが何か全く見当もつかなかった。
「最近男を相手にしていないからか」
「……そうかしら」
ツルギはため息をつく。煙草を落とし、素足の踵で踏み消した。煙草の箱を部屋の机に投げる。パトン、と軽い音がした。ヤヨイは星がまた一粒増えたような気がして、空を見上げた。ツルギは片手に持っていたシャツをヤヨイの肩にかけた。
「ツルギ、風邪引くわよ!」
「ヤヨイ、風邪引くぞ」
月明かりに照らされたツルギの上半身は、ヤヨイにとって見飽きたものである。家では大体上を脱いでいるからだ。割れた腹筋、血管が行き交う太い腕、整った骨格、浮き出た鎖骨、小さな切り傷やかすり傷。風呂上りのせいか、細やかな傷が充血し、赤く光っていた。
「月が綺麗ね」
「いつも綺麗だ」
ヤヨイは月をみて微笑む。ゆっくり月を眺める日は二人にとってそう多くない。ツルギはいつもトレーニングをするため、治安維持隊本社地下のジムにこもっているし、ヤヨイには別の『シゴト』がある。二人が揃って夜、平穏な時間を過ごすことが単純に珍しかった。しかも、二人でいるときは寝てばかりである。
ヤヨイには、月が笑ってくれているように思えた。




