6 それぞれの立場
リタが目を覚ますと、そこは見たこともない真っ白な部屋だった。
大小様々な機械が並んでおり、その一つから伸びる紐のような物が自分の腕へと繋がれている。
体にかけられた白い布を触ると、すべすべとして思わず頬に擦り付ける程気持ちがいい。
そして、自分が何かとても柔らかいベッドに寝かされている事に気付いた。
指で押すと、母の胸のように優しく押し返してくる。
「お母さん……」
リタは急に物悲しさを覚えた。だが、母の姿はどこにもない。
自分に何があったのか、ゆっくりと記憶を辿る。
警報のベルが鳴り響き、母と一緒に窓を塞いだ。そして真っ暗な部屋の中で息を潜めていると、突然 扉が破れ、叫虫が入ってきた。そこからは何も思い出せない。
自分は殺されてしまったのかも知れない。だとすると、ここは天国なのか。先に来ている父と会えるのだろうか。
そんな事を考えていると、扉が開き女性が入ってきた。
母より随分若い。だが、リタが驚いたのは彼女の美しさだった。町長の館に勤めるメイド達でも遠く及ばない。それほどの凛々しさと神々しさを覚えた。
ああ、いよいよここは天国なのだ。少女はそう確信すると、胸の前で手を合わせ、祈りを捧げた。
正午過ぎ、フリックがリタの母親を連れて星間船を訪れた。
ウーノにハッチを開けて貰い、医務室に入るとリタのベッドの隣にレニーが腰掛けていた。
二人が振り返り、リタの笑顔が弾けた。
「お母さん!」
「リタ!」
呼び合う二人に、レニーは立ち上がり場所を譲る。母親はしっかりとリタを抱きしめ無事を確認した。まだ顔は青白く生気に乏しいが、昨日生死の境を彷徨っていた事を考えると、奇跡のような回復だった。
「大丈夫? どこか痛いところはない?」
母が尋ねると、リタは笑顔で答えた。
「うん、大丈夫。レニーさまが治してくれたから」
フリッツがぎこちなくレニーを見つめた。
「……レニー、さま?」
リタはレニーの懇切丁寧な説明で、完全とは言えないが、大まかな事情は理解した。だが、星空の彼方から来たというレニーを、どうしても普通の人間とは見なせないらしく、何か神秘的な存在だと思い込んでいるらしい。
フリックは堪えきれず腹を抱えて笑った。レニーの眉がきりりと吊り上る。
「笑い事じゃない。この子は私が魔法で怪我を治したと思い込んでいるんだぞ」
「似たようなもんじゃねーか」
フリックからすると、昨日の星間船の活躍やリタの治療は、最先端の科学だと判っていても何か超常的な現象にしか見えない。
リタの母親がレニーの存在を思い出し、慌てて立ち上がると深々と頭を下げた。
「私はこの子の母でイルザと申します。娘を助けて頂き、本当に有難うございました」
「昨日も言ったが、私がしたくてした事だ。そんなに畏まられる事じゃない」
レニーは素直な気持ちを言ったのだが、イルザはそれを謙遜だと感じ、ますます恐縮した様子だった。
そして懐から小さな袋を取り出し、申し訳なさそうにレニーへ差し出した。
「これは家のお金をかき集めたものです。夫を亡くしてから生活が苦しく、僅かしか御座いませんが……」
レニーは戸惑い、袋を押し返す。
「そんなお金を受け取れる訳がないだろう! 私はお金の為にこの子を助けた訳じゃない」
「それでは私の気がすみません!」
イルザは頑なに袋を差し出している。何が何でも受け取らせるつもりだろう。
ほとほと困っているレニーを見かねて、フリックがイルザに何かを囁いた。彼女は戸惑った様子だったが、やがて焼け石を懐に入れるかのように躊躇いつつ袋をしまった。
「私はこんな身なりですが、恩を決して忘れません。いつか、必ずお返しさせて頂きます」
そういって再度頭を下げるイルザだが、フリックが見てもそれほどみすぼらしい服装だとは思えなかった。礼儀正しい様子といい、夫が生きていた時はそれなりの暮らしと地位を持っていたのかも知れない。
「この子は表面上の怪我が塞がったとは言え、まだ体力が戻って居ない。もう1週間程この船で預かるが良いだろうか」
「はい、もちろんです。ご迷惑をおかけしますが、この子をよろしくお願いします」
イルザの三度目のお辞儀を嫌そうな顔で受けるレニーに、フリッツが「そうだ」と切り出した。
「レニーさんに頼まれてた物を持ってきてるぜ」
叫虫と言わないのはリタを気遣っての事だろう。レニーは親子を残し、早速見せて貰う事にした。
星間船の外に停めてあったのはいつもの4人乗り乗用車ではなく、後部が荷台になっているピックアップトラックだった。
叫虫の死骸は、フリックが選りすぐったのだろう、殆ど原型を留めていた。だが、気になったのはその隣、青いシートをかけられた何かが微かに動いている。
「フリック、これはなんだ?」
「そうそう、カミルの旦那からあんたにプレゼントだ」
フリックがシートを剥がすと、その下からロープで雁字搦めにされた、通常より一回り小さい叫虫が出てきた。レニーが息を呑む。
「……生きているのか?」
「ああ、まだ子供なんだろうな。昨日の襲撃中に群れから逸れて、川に嵌ってたのをカミルの旦那が見つけたんだ。あんたに持ってけってさ」
レニーはカミルとは殆ど言葉を交わした事がないが、銃を向け合った事はある。その為、良い印象は持たれていないと思っていた。
「ありがとうと伝えておいてくれ」
「礼は要らないと伝えといてくれって」
レニーはますますカミルが判らなくなったが、素材の提供は素直にありがたい。
二人はウーノを呼び出し、死骸と子供の叫虫を工作室に運んだ。そして、食料などを入れておいたコンテナを改造し、そこへ生きた叫虫を入れる。
フリックは用事がある為イルザを伴い町へ帰り、レニーとウーノは工作用の服に着替え、死骸の解剖に取り掛かった。
翌朝、レニーはフリックに連れられ川のほとりを歩いていた。
カミルに叫虫に関する報告をしたいと言うと、フリックは何故か川へ向かって車を走らせ、途中から歩きになった。
茶色く濁った水には魚の陰すら見えず全く情緒のない風景だが、フリックは上機嫌だった。そして、出来る限り平静を装ってレニーに尋ねる。
「なぁレニーさん、ウーノさんとはどういう関係なんだ?」
「大学で先輩と後輩だった」
「それだけ?」
「それだけだ。研究所では上司と部下だったが、今はもうない」
レニーは何か考え事をしているようで、特に興味もなさそうに答えている。フリッツはなんとか自分に関心を向けさせようと質問を重ねる。
「でも、ずっと一緒にいるんだろう? なんか、こう……、普通あるだろう?」
彼の努力は功を奏し、レニーは質問の意図を捜すようにフリックを見つめた。
そして、ようやく“男女の仲”について尋ねられている事に気付き、呆れるように答えた。
「お前の想像するような事は何もない。そういう関係じゃないんだ、私たちは」
レニーの言葉がフリックには理解出来なかった。彼にとって男女の仲など、どう逆さに振っても一つしかない。だが、何もないという言葉は彼の機嫌を底上げするのに十分だった。
「そうか、それなら別にいいんだ」
鼻歌を歌いながら歩くフリックに、レニーは怪訝そうな眼差しを向けた。
「この先にカミルは居るんだろうな。私はお前を散歩に誘った訳じゃないぞ」
「判ってるって。隊長は休みの日の朝は必ずここに居るんだ」
そこで何をしているのか聞こうと思うと、前方に人だかりを見つけた。全員がやせ細った老人や子供ばかりで、円を描くように集まっている。
「ほら、居たぜ」
フリックの言う通り、その中心にカミルが居る。足元にはレニーがまるまる収まりそうなほど大きな釜が、火にくべられ湯気を立てていた。他にも、何に使うのか良く判らない筒や大量の砂が見える。
「あれは何をしているんだ?」
「ろ過の仕方を教えてるんだよ」
レニーは驚いた。常にダニロの傍に居た男が、住人を気遣うとは考えて居なかった。
こちらに気付いたカミルが、周囲に休憩を告げ、二人を石から削りだした長椅子へ誘った。
全員が腰を落ち着けると、レニーから話を切り出す。
「忙しい所すまない。構わなかっただろうか」
「問題ない。それより、先日の活躍を聞いている。叫虫の撃退もそうだが、子供を救ってくれたな。心から感謝する」
「成り行きだった。気にしなくていい」
素っ気無い態度に、カミルが笑った。レニーは、この男は公務を離れるとこういう表情をするのかと、少し複雑な思いになった。
「それで、私に何か用があるのか?」
散歩ではあるまいと聞くカミルに、レニーは紙の束を渡した。
彼女に紙を使う文化はないが、叫虫の詳細を広く伝える為に、この町に合わせて徹夜で作成した物だった。
カミルはじっくりと時間をかけて目を通した。
解剖の結果、叫虫の体は一般的な昆虫と同じく、頭、胸、腹の三構造に分かれ、内臓物は心臓、胃、腸がほとんどを占めていた。極めて単純な構造の為に生命力が異常に強く、脳か心臓を破壊しないと致命傷は与えられない。
だが、ここまではカミルも経験から知っている。問題はその先だった。
叫虫は卵巣がある事から雌だと判ったのだが、それはかなり退化しており産卵能力はない。つまり、産卵を担当する女王が居るのではないかと推測された。
カミルは、読み終えると結論を一言で表した。
「なるほど、女王を殺せば良いのか」
「そうだ。念の為、ここに来る前に他の死骸も調べてきた。染色体から、すべてが一つの母体から生まれていると判った」
カミルは、目の前の少女がそこまでするのかと目を見張った。死骸置き場は凄まじい腐臭で、彼自身でも近付きたくはない代物だ。
フリックが教師にするように手を上げた。
「染色体ってなんだ?」
レニーが答える。
「体の設計図のようなものだ。親から子に受け継がれる。もし女王を始末する事が出来れば、一気に叫虫の数を減らす事が出来るかも知れない」
フリックが飛び上がった。
「すげえじゃねえかレニーさん!」
はしゃぐフリックだが、カミルは冷静だった。
「居場所は判るのか?」
「捕らえた叫虫に発信機をつけて放せば、巣のありかは判ると思う。だが……」
レニーが言葉を詰まらせる。
「方法が問題か……」
言葉を繋げたカミルに、フリックが拳を振って抗議した。
「何言ってるんですか! 全員でその巣へ乗り込めばいいんですよ!」
「それは出来ない」カミルは承諾しない。
「なんでですか!?」フリックが詰め寄る。
「一時でも大勢の兵士が町を離れる訳にはいかない……」
カミルの声には明らかな苛立ちが混ざっていた。だが、フリックはそれに気付かない程に憤っている。
「奴らの親玉が居るって判ったんですよ?!」
彼の叫びが響き渡り、周りで休憩していた人達が何事かと振り返った。
「だが全員で行っても倒せるかどうかは判らない。我々が死んだら誰が町を守るんだ」
「それは……」
フリックは言葉を詰まらせる。そしてレニーは兵士の運用。つまり命に関する事柄だけに、話に立ち入れない。ただ黙って成り行きを見ていると、カミルは目を瞑り掃き捨てるように言った。
「例え勝算があっても、ダニロ様がお許しにならない」
フリックは力なく長椅子に腰掛けた。カミルは勤めて淡々と語った。
「町の安全がダニロ様の第一だ。勝算の判らない戦い等に賛成する訳がない」
レニーは、彼もまた思いあぐねているのだと気付いた。
結局それ以上話は進まず、その場に重い沈黙だけが落ちた。
やがて、レニーが立ち上がった。
「私はもう少し叫虫について調べてみる。居場所だけでも判ると思う。それからまた考えよう」
カミルは同意した。そして、立ち上がり目の前の少女を見た。
まだ幼い。彼の基準では大人とは言えない年齢だ。だが、その瞳は深く、強い意思を湛えて彼を写していた。彼は湧き上がる疑問を質さずには居られなかった。
「なぜ、私たちにそこまでしてくれる?」
レニーには思いもよらない質問だった。そんな事は考えた事もなかったのだ。
改めて理由を探す。しかし、その胸の奥には言葉で言い表せられる物は見付からなかった。
「判らない」
正直に、ただそれだけを答えると、カミルは思わず笑みをこぼした。
「不思議な奴だ。お前は」




