5 襲 来
レニーが館から飛び出すと、太陽は壁の向こうへ消え、周囲は薄暗くなり始めていた。
船へ走ろうとする彼女の前に車が滑り込んでくる。
「フリック! 行かなくていいのか?」
「あんたを船に戻さなくちゃいけないんだ! 早く乗ってくれ!」
レニーが乗り込むや否やフリックはアクセルを踏み込んだ。星間船とは違う荒々しい加速にレニーは身を強張らせる。
「悪いけどちょっと急ぐぜ!」
フリックの話では、警報は北門、西門の順に鳴ったと言う。その場合、叫虫は北北西から来ている事になるらしい。
レニーは外部端末からウーノを呼び出した。すぐに回線が繋がる。
「ウーノ。状況は判っているか?」
『相当数の動体反応を捕らえています。先輩、今どこですか?』
突然機械と話始めたレニーにフリックは一瞬驚いたが、通信装置の存在は知っているらしく、すぐに意識を運転に戻した。
「今そっちへ向かっている。対応出来そうか?」
『デブリに比べたら止まっているようなものですよ。問題ないと思います』
「判った。私もすぐに戻る」
それだけ言うと一旦通信を解除した。
大通りには殆ど人がおらず、家の窓という窓が鉄板等で塞がれている。不気味なほど静まり返った町を車がひた走る。
やがて遠くから乾いた破裂音が聞こえ始めた。他にも爆発音や何か笛のような音も聞こえる。
「始まった! 北門だ!」
フリックが歯噛みした。
崩壊した壁から星間船の後部が覗いた。瓦礫はまだ車が通れるほど片付けられて居ない為、その手前で停止した。
レニーが車から降りようとすると、突然青白い光が空を照らした。
星間船から放たれた光線が、縦横無尽に荒野を駆け巡り始める。ウーノが近づく叫虫を片っ端から蹴散らしているのだ。
フリックはまるで乱舞するかのように猛り狂うレーザーの群れを呆然と眺め、言葉にならない驚嘆の声を漏らした。
その様子を見たレニーは落ち着きを取り戻し、再び外部端末でウーノを呼び出す。
「ウーノ。そっちは大丈夫そうだな」
『大丈夫です。これなら一匹も近寄らせません』
「なら私は北側の応援に向かう。ここは任せたぞ」
『え……!?』
ウーノは何かを言いかけたがレニーは一方的に通信を切り、まだレーザーを見つめるフリックの肩を掴んだ。
「フリック! 北へ向かおう!」
「え? レニーさんあんたは?」
「私も向かう。足手まといにはならない」
レニーは収束光拳銃を抜いてみせた。フリックは一瞬戸惑いを見せたが、すぐに頷いた。
町は車が通れる道が少ない。その為一度中央に戻り、そこから北に向かって走る。硬く閉じられた北門が見える頃には、ヘッドライトがなければ走行出来ないほど夜が迫っていた。
前方から携帯照明を持った守備隊の人間が4人ほど走ってくる。フリックは大通りの真ん中で車を止めた。
「ラドル! 今どうなってる!?」
フリックが声をかけると、先頭の男が駆け寄ってきた。レニーを見て一瞬ギョッとするが、そんな事を問いただす余裕もないのだろう。中年期を少し越えた男は早口で説明する。
「本隊は引き返して行ったが、10匹ぐらい壁を越えやがった」
「オレ達が来た道では見なかったぞ」
フリックがそういうとラドルは忌々しげに周囲を見渡す。
「ならどこかの路地に入り込んだんだな」
「手分けしよう」フリックの提案に、ラドル達は隊員達を路地へと向かわせる。「で、オレ達はどうすりゃいい?」
「ここで待っててくれ! やつ等が飛び出してきたら頼む」
フリックにそう言うと、ラドルもまた路地に入って行った。
「レニーさんは車の中に居てくれ」
「いや、私も出る」
二人は車を降りて銃を構えた。車のライトが通りを照らすが、辻々に開いている路地への入り口は真っ暗で何も見えない。
いつ飛び出して来るかも知れない叫虫を二人は待ち続ける。レニーは耳を凝らしてみるが、何も聞こえない。その静けさは急速に不安を掻き立てる。
ふいにレニーは全身の血が冷えるような感覚を覚えた。バックからライトを取り出し後ろを確認する。何も居ない。だが、嫌な感覚は消えない。
そして何気なく視線を上げた。
レニーから10m程離れた家の屋根。そこに何かがいる。
ライトをゆっくりと持ち上げると、それは姿を現した。
大きさは人間とそう変わらない。青銅色の胴体を6本の足で支え、頭部に嵌った3つの赤い瞳は、どこを見ているのか判らない。
口らしき場所に生えている鋏状の二つの牙を、レニーは顎だと判断した。全体的に蟻と似ているのだ。
ただ、蟻はどうやってもあそこまで大きくならないし、頭を持ち上げて威圧するような姿は蟻というよりカマキリにも近い。
刺激しないよう慎重に銃の標準を合わせる。
だが、引き金を引く寸前に、フリックが叫び声を上げた。
「叫虫だ!!」
仲間を呼ぶためだったのだが、その一言に叫虫が反応した。
レニーが慌てて放った熱線は、偶然だろうが屈んで避けられる。そして、一気に跳ね上がると、真っ直ぐにレニーへ向けて落ちて来た。
彼女は咄嗟に体を捻った。叫虫はその脇を掠め、勢い余り車に頭を打ち付ける。
フリックが銃声を鳴らした。火薬の爆発により高速で押し出された鉛玉が叫虫の胴体を穿つ。
だが、それだけでは致命傷にならず、叫虫は怒ったように頭を持ち上げ、空気が震える程の甲高い音を発した。あまりの大音響にレニーは収束光拳銃を取り落とし、耳を塞ぐ。
その隙にフリックが連続して銃弾を叩き込むが叫虫は倒れず、全身を自分の体液で染めながらもレニーに向き直った。
そこへ別の方角から銃弾が飛び込んできた。路地に散った隊員達が駆けつけ、一斉に射撃を開始する。
「炸裂弾を使う! 虫から離れてくれ!」
ラドルの言葉に、レニーはようやく鳴き声のショックから立ち直り、収束光拳銃を拾うと銃撃に巻き込まれないよう、叫虫と逆の方向へ体を投げ出した。
レニーが離れたのを確認して、ラドルは手のひらサイズの黒い塊を投げた。叫虫の足元に転がる。
「全員伏せろ!」
ラドルが叫び、フリックがレニーの頭を抱え込む。
爆発音が轟いた。巻き上げられた砂埃の中で、腹部を失った叫虫がもがいている。
フリックを押しのけて、レニーは起き上がった。
「すごい生命力だな……」
「壁の上から爆弾を投げるのが一番なんだ。銃じゃ中々倒れない」
二人が安堵の表情を浮かべるのもつかの間、路地から女性の絶叫が聞こえた。
誰よりも素早くレニーが反応し、フリックの脇をすり抜け路地へと入っていった。
狭い路地を少し進むと、女性が道に立ち、家の中へ入るかどうか迷っているのが見えた。
「リタ! 誰かリタを! 誰か!!」
「どけ!」
叫び声を上げる女性を突き飛ばし、レニーは躊躇なく家に飛び込んだ。
部屋の真ん中に叫虫が居た。だが、視線はその足元に注がれる。
そこには血まみれの少女が横たわっていた。
レニーは激怒で頭が真っ白となった。叫虫が振り返るより早く放たれた熱線は的確に頭を貫き、そのまま胴体をも両断する。
二つに分かれて崩れ落ちる叫虫には目もくれず子供に駆け寄った。
少女の、まだ10才にもなっていないだろう小さな手を握った。その手が、僅かに握り返して来る。
生きている。
体を調べると、あちこちに切り傷があり出血が酷いが、致命的な怪我は見当たらない。
遅れて入ってきたフリックにレニーは叫んだ。
「この子を船まで運ぶ!」
彼はすばやく状況を理解すると、少女を抱え上げ車へ走り、後部座席に少女を寝かせ、その隣にレニーが乗ったのを確認し車を発信させる。
レニーは白衣を破いて少女の傷口を縛りながら、ウーノへと通信を繋げた。
「ウーノ、そっちはどうだ?」
『撃退しました。動体反応ありません。それよりどこに行っていたんですか?』
ウーノが非難めいた声を上げる。
「それどころじゃないんだ。子供が怪我をしている。出血が酷い。医務室の準備をしてくれ」
レニーの声から緊迫した雰囲気を察したのか、ウーノは短く答えた。
『判りました。準備します』
その言葉通り、星間船は後部ハッチを開け放して待っていた。
ウーノはフリックから少女を受け取り、医務室のベッドへと運んだ。
レニーが服を脱がせ、縛ってある布を解き、傷口を消毒液で洗浄し、再生剤スプレーを振りかける。
泡立つ薬品が痛みを麻痺させると同時に、ゆっくりと傷口を塞ぎ始めた。連邦でも非常に高価な為、星間船には2本しか積んでいない。
計6箇所にも及ぶ傷を処置し終えた頃には、スプレーは空になっていた。
次にウーノが少女の血を採取し、擬似血液を生成すると点滴を行う。
最後に清潔なシーツで少女の体を覆い、レニーはその場に座り込んで長いため息をついた。
「もう大丈夫だ……」
その声はまるで自分に言い聞かせているようだった。
ウーノはベッドの脇に腰掛け、少女の手を握っている、無意識でも、人の温かさは感じるものだ。
その場をウーノに任せ、レニーは医務室を出た。
後を追いかけてきたであろう母親は、縋るように目で問いかけてきた。声に出すのも恐ろしい想像に囚われているのだろう。
「安心していい。もう大丈夫だ」
レニーがそういうと、母親は床へと泣き崩れた。
「中で寝ている。ただし起こさないように静かに入ってくれ」
母親はレニーに促されて立ち上がり、嗚咽を堪えながら医務室へと入っていく。
「レニーさん」
声に振り向くとフリックが立っていた。
「町の仲間を助けてくれてありがとう」
目に涙を浮かべてそんな事をいうフリックにレニーは少し寂しげな表情を見せる。
「町とか星とか、……関係ない」
そうだなと笑い返し、フリックは肩をすくめた。
「オレは町に戻るよ。仕事が残ってるんだ」
「それだったら、叫虫の死骸を確保しておいて貰えないか。調べれば有効な攻撃手段が判るかもしれない」
「判った。任せてくれ」
「それと、これを渡しておく」
レニーは手の平に収まる小さな機械を放り投げた。フリックが空中で掴む。
「こりゃなんだ?」
「通信装置だ。頭のスイッチを押すとこの船に繋がる。何かあれば連絡してくれ」
「ああ、判った」。
フリックが通信装置を興味深げに眺めていると、医務室からウーノに付き添われ母親が出てきた。彼女は何度も何度も二人に頭を下げ、フリックと一緒に町へと戻っていった。
こうしてレニーとウーノが初めて遭遇した叫虫の襲来は、少女を含めて多数の怪我人を出したものの、死者0という戦果を上げた。