4 水と会食
正午過ぎにウーノは作業を区切り、船へと戻ると急いで料理を作り、船内放送でレニーを呼んだ。
ウーノは先ほどの態度を悪いと思ったのか、少し豪勢な食事を用意した。
昼食が始まると、レニーは町であった出来事や、水にまつわる町の情勢を語った。ウーノは怒るでもなく、悲しむでもなく、ただ静かに聞いていた。
レニーは話し終えると、慣れない歩きに疲れたのか料理をすべて平らげ、自動給湯器から食後の紅茶を取り出す。
食器を片付けたウーノがリビングルームに戻り、レニーから紅茶を受け取る。
「それで、サンプルの解析はどうでした?」
「まだ途中だけど、かなり思わしくないな」
レニーは現段階で判明している事を説明した。
まず地下水は問題なかった。自分達が飲んでも平気だろう。だが、川の水は酷い物だった。赤土が溶け込んでいる為に水質が悪い。さらに、見たこともない細菌が多数混入している。中にはろ過装置や過熱殺菌が通用しないものまで居た。
星間船の浄水器でもここまでの物は想定していない。
「……悪魔みたいな水なんだ」
「なんとか浄水は出来ないですか?」
「出来ないことはないと思う。けど、かなりの資材が必要だし、完全な物を作るには数年ぐらいかかるだろうな」
その頃には、もうとっくに星へ帰っている予定だった。それをするぐらいなら、一旦連邦の文化圏へ戻って高性能な浄水器を買って来た方が早い。
「食べ物はどうですか?」
「浄水を使った物なら問題ないと思う。あの店で置いてある食材はほとんど大丈夫だった」
「そうなるとお金が必要ですね……。ダニロさんに頼みますか?」
星間船の電力提供は町の半分程度を設定してある。ダニロに必要以上の船の性能を見せたくはないレニーの配慮だった。
その為、船には十分な余力があり、上限を上げる事で二人が暮らす程度の収入は得られるだろう。
だが、レニーはダニロと会うのが嫌だった。町の状況について、何かを言わずに居られないからだ。
「ぼくが交渉しましょうか?」
そんなレニーの考えを察しウーノが提案したが、彼女は首を横に振る。
「私が行く。なんだか逃げるみたいだからな」
作業を再開したウーノはケーブルの接続を終えると、技術者に会食の件を言付けた。
翌日、崩壊した壁は修復作業が始まり、瓦礫が撤去され人が往来出来るようになっていた。技術者はその道を通って、今日の夕方に会食を行う予定を届けてくれた。
その夕方。
「またぼくは留守番ですか」
不機嫌そうなウーノだが、町との契約でだれか一人は船に残り虫に備えなければならない。
「そう言うな。今度は私が残るから、好きなだけ町で遊ぶといい」
子供じゃないですよと怒るウーノに見送られながら、レニーは壁を抜け、迎えの車に乗り込む。
「よう、また会ったな」
運転席でフリックが笑顔を見せた。
先日レニーを案内した事がカミルに伝わり、それならばと彼女に関する警備隊の仕事を任せられたのだ。
フリックは相変わらず上機嫌で町の中心へ車を走らせ、大きな館の前で停車させた。
家と言うより何か庁舎のように見える。フリックはそういう役割も担っていると教えてくれた。
館の中は、驚くことに空調が利いていた。原始的な、ガスを利用した空気調整機が設置してある。この星には、レニーが思っているより発展した都市があるのかも知れない。
木製の扉を開けると、広々とした部屋に巨大なテーブルが置いてあり、その上座にダニロが座っていた。
後ろにはメイドらしき若い女性が控え、隣にはカミルが座っている。
ここまで案内してきたフリックはいささか緊張気味に敬礼し、部屋を出て行った。
メイドに促され、レニーは憮然とした表情でダニロと反対側の席へ座った。
「良く来てくれた。歓迎する」
ダニロは頭を軽く下げて礼をする。レニーはそれに倣う。
「こちらこそ急な申し出を受けて頂き感謝する」
「今日技術者達から、安定した電力が供給され始めたと報告があった。ありがたい事だ」
「約束だった。礼には及ばない」
にべもないレニーの物言いだが、最初から心得ていたダニロは笑って受け流す。
そこへ、食事が運ばれてきた。瑞々しい野菜や、香ばしい匂いの何かの肉が次々と運び込まれる。
「この星の料理だが、口に合うだろうか」
ダニロの心配は少しずれていた。彼女は基本的に食べ物に頓着しない。大抵の物は食べられる。問題は浄水を使っているかどうかだったが、館の様子からして川の水を使うとは思えない。万が一のために治療薬もいくつか持ってきている。
「大丈夫だ。けど、これらは高価なのだろうな」
ダニロはレニーの言葉の真意を探るように鋭い目線を向けた。
「昨日この町を調べた。地下水やそれらを使った料理なら私たちでも食べられる。だが、川の水を使ったものは無理だ」
「そうだろうな」
ダニロは川の水がどのような物か当然知っている。その事実はレニーを腹立たせたが、怒る時と場合を彼女は心得ている。
「電力供給を20%上乗せする。それで安全な水や食料を買う資金にしたい」
「なるほど。お前さん達でも腹は減るか」
ダニロは思案を巡らせ、やがて算段がついたように承諾した。
「そもそも電力の代わりが壁の修繕と居住権では釣り合いの取れぬ話だったのだ。よろしい、毎月15万ガロルを支払わせて頂く」
「感謝する。だが、私はこの町の金銭感覚が判らない」
「そうじゃな」
ダニロはテーブルに置いてある花瓶を指差した。
「カミル、今地下水はこれに一杯でいくらだ」
それまで置き物のように黙っていたカミルは、花瓶をしばらく凝視してから答えた。
「約50ガロルです」
花瓶の容積は0.5リットルほどだった。レニー達が一ヶ月の旅で消費し廃棄した水は約300リットル。3万ガロルの計算だ。船のリサイクルシステムがなければ倍は掛かっただろう。
次にカミルは野菜や生活必需品などの値段を上げ、レニーはそこから15万ガロルの価値を見出した。2人が暮らすには十分過ぎる。そして、それは川の水で暮らす人々にとって法外な値段と言えるのだろう。
「不足かな?」
「十二分だ」
ダニロの問いに短く答え、レニーはコップに注がれた地下水を見つめる。
故郷の星では不足など有り得なかった。いつでも欲しいだけ使うことが出来た。人間は水なくしては生きていけない。頭では理解していたが、実感が伴っていなかったのだ。
今でも痛感しているとは言えないだろう。だが、地下水を見て何も思わずには居られない。
「ダニロ。この水を均等に分ける事は出来ないだろうか」
レニーは呟くように言った。自分自身、叶わぬ願いだと知っているのだが、つい口をついてしまった。
ダニロは目の前の少女が、自分の感情と理性の折り合いをつけられずに居るのだと見抜いた。顔には出さず、あえて諭すように答える。
「川の水を飲み、弱った兵士達でどうやって町を守るのかね? 弱った体でどうやって町を管理する? 私たちは水を独占したい訳じゃない。だが、町を守るためには全員が病人になる訳にはいかないのだよ」
レニーは反論出来なかった。地下水の量が決まっている限り、必ず飲めない人間が出てくる。
町で見かけた川の水で暮らす人々と、ダニロの暮らしとの差にやり切れない思いがあった。だが、問題の本質はそこではない。彼女は考えを切り替えた
「なぜここの水はこんなにも汚染されているんだ?」
「判らん。私の祖父は惑星改造に失敗したのではないかと言っていたがね、200年程前に移住して以来、この星は地下水以外飲めるものじゃなかったらしい」
「改造の失敗か……」
レニーは有り得ない話ではないと思った。惑星を無理やり居住可能な大気に変えてしまうテラ・フォーミングの成功率は半々だと言われている。
だが、改造可能な星自体が貴重で、さらに莫大な費用をかけて行う為、宇宙開拓当初はかなり過酷な環境でも、人間が住めるのならばと無理やり移民を送り込む国も多かった。
この星もそんな不完全な居住惑星の一つなのかも知れない。
「しかし……」そうなるとレニーには新たな疑問が浮かぶ。
「移民して来た時は浄水技術ぐらい持っていたんじゃないか? 星間船と違い、移民船は一つの町に近い。食物を生成するプラントが完備され、人口にさえ気をつければ100年単位で暮らせるシステムが組まれている。その船があれば、浄水施設を作る事は可能だった筈だ」
確かに移民の中には思想や主義によって、敢えて文明を捨てる例がある。連邦の中にも人間の手で農業や畜産を行う星や、森の中で機械を廃絶して生きる人たちもいる。その為、文明レベルが低いのは珍しい事ではない。
だが、ここまで苛酷な環境を敢えて選ぶのはおかしかった。誰が好き好んで凶暴な昆虫や汚染された水と寄り添い暮らす選択をするというのか。
「それも判らん」ダニロは苦々しくかぶりを振る。
「我々の祖先は突然荒野に放り出された。それ以外に何も伝わっていない。文明も、船もどこに消えたのか誰も知らん」
「そんなことが……」有り得るのか。レニーは考えたが、情報が少なすぎて推測は難しい。
「そういう歴史があるのだよ、我々には」
ダニロは話を戻した。
「お前さんの気持ちは判らん訳じゃない。私自身こういう暮らしをしながら言えた事ではないが、地下水が飲めない人々には申し訳ないと思っているのだ。だが、世の中にはどうしようもない事もある。仕方ない事なのだよ」
仕方ない。その言葉は、レニーが故郷で散々聞いてきた言葉だった。
――どこまで離れても着いてくるんだな。この言葉は。
レニーがそう思った瞬間、けたたましい鐘の音が屋敷の窓を震わせた。
カミルが椅子を蹴って立ち上がる。
「ダニロ様!」
「判った。行け」
ダニロの返事にカミルは慌しく部屋を出て行く。
「これは……?」
レニーもただ事ではない気配を察知し、窓から外の様子を伺う。路上に居た人たちは大急ぎで家の中へ入っていく。
ダニロは沈痛な面持ちで答えた。
「叫虫が来たのだ」