1 惑星ラグファリア
宇宙に広大な版図を描くテレフィス連邦の端の端に位置するトレパ星域。
最も近隣の星域から亜光速船を使っても1ヶ月以上かかる上、さしたる資源惑星もなく、銀河の最果てとも言われる星域だが、一つだけ稀有な特性を持っていた。
ロストプラネット・ラグファリア。
様々な理由によって、文明社会から隔絶した惑星の総称をロストプラネットと言う。
国家に帰属せず、経済圏にも組み込まれていないこの有人惑星ラグファリアは、犯罪者の逃亡・潜伏先になり得ると言う観点から航路管理局に航路を封鎖されていた。
しかし、犯罪者とて補給衛星すらない、行けど戻れずの星域まで逃げる者はおらず、航路上の岩屑に張り付く管理基地の職員達は、早々に職務への情熱を暗黒空間へとばら撒き、ひたすら退屈の駆逐へと心血を注いでいた。
だがその日、基地創設以来、ついにレーダーが登録外の船影を捕らえる。
その船は通常では自壊しかねない速度で航行しており、職員達は始め計器類の誤作動だと考えた。
しかし、モニターに合わせて縮小された星域の立体図面に狂いは認められず、職員達は新人研修以来の操作マニュアルと悪戦苦闘し、老朽化極まる設備を蹴り動かした。
ついに船影が現実のものだと気付いたのは、船が監視区域を遥か彼方へ抜けて行った後だった。
小型の星間船と判明した侵入者はロストプラネットへ直進している。
彼らは緊急会議を開き、基地長に向けて次々と進言を行った。
今からでは高速艇でも追いつけない事。
ロストプラネットへはいかなる干渉も許されない為、一度降りられてしまえば手が出ない事。
今回の不手際を中央に報告した場合、多大なる心労と労力を消費し、上層部からの評価が著しく低下する事。
もうすぐ任期を終え、数年ぶりに故郷へ帰れる職員が多数居る事。
基地長は一々彼らの言葉に頷き、しばしの黙考に入った。
そして、速やかにすべてのデータを消去し、退屈な日常へ帰属する事を選択したのだった。
「やりました先輩! 無事抜けました!」
無茶な高速航行の結果、ガタガタと揺れる星間船の副操縦席でウーノは思わず歓呼した。
少年と大人の狭間に揺れる顔には幼さと疲労の色が浮かび、船内の照明を輝きで返す金髪は汗で額に張り付き、先ほどの緊張を濃く残している。
「だから大丈夫だと言ったんだ」
先輩と呼ばれたのは少女レニー。年頃はウーノと変わらないが、彼とは対照的に落ち着いた様子で操縦席に深く腰掛けている。
光沢のある真っ直ぐな黒髪と対比する白い肌。細いがはっきりとした線を描く眉の下に嵌められた大きな黒い瞳は、眼前へと広がる赤茶けた惑星を写していた。
その様子に、一人心労する不平を感じたウーノは口を尖らせる。
「お陰で船はボロボロですけどね。AIが怒り狂っていましたよ」
星間船は銀河航行船等と違い、本来は同星域内での往来を目的としている。その為、今回のような航路管理基地の探知範囲を突っ切る程の長距離亜光速航行は想定していない。さらに言うと、レニーが用意したのは老朽船と言って良い程の中古品だった。
船は現在、惑星の周囲を巡航しているだけなのだが、船体の軋む音が操舵室に響いている。
だが彼女は悪びれる様子も無く、寧ろ心外そうに眉を寄せた。
「首都星を離れて三ヶ月。ここに来るまで十分検証しただろう。それに、他に方法があったか? 過激派の連中は血眼になって私たちを探しているんだ。特にあのジュードとかいう男は相当しつこそうだ」
ウーノは三ヶ月前、レニーがインチキ爆弾で騙した恒久平和党幹部のいかにも神経質そうな顔を思い出した。あの顔が爆発の瞬間どのように変化したのか、想像するだけで恐ろしい。
「まぁ……、確かに。それこそ地の果てまで追って来ているでしょうね」
「なら宇宙の果てに逃げるしかない。流石にロストプラネットまで探していたらキリはないからな」
人主党は議席こそ少ないが、テレフィス建国当時から続くそれなりの与党であり、警察や管理局等に幅広いパイプを持っている。しかし、レニーの言葉通り、ロストプラネットは珍しくはあるが1つと言うわけではなく、テレフィス内だけでも50を超える。そのすべてを調べるのは不可能に近い。
「一年」レニーは軽く人差し指を立てる。
「それぐらい待てばほとぼりも冷める」
だが言葉に反して、その声には力と感情が篭らない。
「首都星は無理でも、田舎の星で細々と暮らすなら奴らも探しはしない。なんなら他国へ亡命したって良い。私の才能ならどこでも引く手数多だ」
自分の語る展望を、彼女自身信じ切れない様子だった。言いながらも、どこか諦観めいた気持ちを拭い切れない。
ウーノが心配そうな視線を投げてくるのを肌に感じるが、シートに深く身を沈め会話を打ち切る。
『ルート探索終了。大気圏突入まで1分』
AIによるアナウンスが流れた。
――長旅で疲れているのだろう。そう思い直し、彼女は視線を前方に戻す。
大気の改造を受けているはずのラグファリアに緑は少なく、海も地表の4割程度に見える。さきほど通り抜けた基地が監視しているのだから、少なくとも依然居住可能なのだろうが、一体どんな環境なのか不安が沸くのを止められない。
その時、レニーの心境を察知したかのように船内に警告音が響いた。
『動力部に異常発生。出力急激に低下中』
「このタイミングで!?」
ウーノが悲鳴を上げ、レニーが跳ね起きる。
すでに大気圏突入体制に入っていた船体は惑星の重力に引かれ、ルートを外れはじめる。
「突入角度が維持出来ません。AIは大気の摩擦に船体が持たない可能性を示唆しています!」
ウーノは対応を求めたが、小型の星間船に予備動力は存在しない。レニーはエンジンの回復を図ったが効果は認められない。
『大気圏突入10秒前 ……5・4・3・2・1』
船は体制を立て直せないまま分厚い大気の層へ落ちていく。最早彼らにはAIが過剰な安全主義者によって設計されている事を祈るしかない。
突入の瞬間、大気と船体の摩擦による強い光から搭乗者を守る為、すべての外部映像が遮断された。衝撃は重力制御により無効化されているが、二人は操縦席を通じて船の揺れがどんどん大きくなっているのを感じる。
「まだ……」ウーノが緊張に耐えかねて口を開いた瞬間、操舵室のありとあらゆる警告灯が点灯した。レニーが素早くモニターへ詳細を表示するが、突然の強烈なGに体が座席に押し付けられる。
『重力制御機関停止。第二噴射口中破。自動修理不能と判断』
「ウーノ……、エンジンの再起動を……!」
肺を押し潰されながら必死に指示を出し、ウーノがコンソールにしがみ付きながら船に命令を与える。
『動力部反応なし。物理的切断の可能性。回路ケーブルを確認して下さい』
――そんな暇はない! 叫びたかったが、もはや声にもならない。
『船首温度に異常。外部装甲融解の危険』
不幸中の幸いか、船は重力と空気抵抗の狭間である終端速度に近づき加速を弱めた。自由を取り戻したレニーは素早くコンソールに指を滑らせる。
「抵抗板を出す!」
目線だけでウーノに意思の確認を求めた。
空気抵抗で急激な減速を行う抵抗板だが、現在の速度では船体へ深刻なダメージを与える恐れが強い。船体の状況を加味すれば、空中分解してもおかしくはない。
だが、それ以上の考えは浮かばなかったし、このまま灰となり地上へ降り注ぐよりはマシだと思える。
「信じていますよ」
ウーノは躊躇なく彼女の判断に賛成した。レニーが――ウーノの記憶からすると珍しい事に――微かに微笑んだ。
船のあちこちで抵抗板が展開し、分厚い大気を受け止める。強烈なGが今度は前へと掛かり、二人は席から投げ出されそうになるが、操縦席から伸びる無数のベルトがそれを繋ぎ止めた。
砲撃を受け続けるかのように揺れ軋む船体は、断末魔の悲鳴を上げる。
10秒程だろうか。極度の緊張状態にある二人の感覚だと正しい時間は判らなかったが、途端に揺れが収まり始めた事に気付く。
外部モニターが次々と薄い雲越しのラグファリアを映し出した。
大気圏を突破したのだ。
ウーノが歓声を上げた。レニーは倒れこむように座席へ体を預け、荒れた呼吸を落ち着かせる。
「速度0.09デソル。尚減速中。高度1440カイル」
「……だから、……言っただろう」
こんな時でも強がる彼女にウーノが笑う。レニーが心底気味悪そうな視線を送ると、咳払いで気を取り直す。
ウーノは改めて船の状況を確認するが、想像通り酷い有様だった。
「噴射口は全て破損し、エンジンは完全に沈黙状態。このままだと垂直着陸は無理です」
一難は去ったが、依然危機は脱していない。船は機首を下に向けて自由落下を続けており、このままだと小さなクレーターを作る事になる。
「船体を切り離しパラシュートで降りるのが確実だと思います」
レニーは左手で拳を作り人差し指の第二関節を唇に当てる。
この船には緊急時に操舵室だけでパラシュート降下する機能が備わっている。しかし居住区画がないと、未知の惑星で一から住む場所を探さなければならないし、動力部を捨てると言うことは二度と飛び立てないと言うことだ。
エアコンとシャワーのない生活は心底考えられないし、一生この星で暮らす積もりもない。
「その案はギリギリまで保留しよう。滑空飛行での不時着を試みる。翼は出るか?」
「自動展開装置は生きています。まともに広がるかは不安ですが」
「やるしかないだろう」
ウーノがコンソールを指で叩くと、船体の両横腹から翼が迫り出す。しかし、一方の翼が半分も出ずに止まった。バランスが保てず船がゆっくりと切りもみを始める。
「左翼が展開出来ていません! 何かが引っかかっています!」
――そんなに私が嫌いか!
運命の理不尽さに意識が遠のく程の怒りが湧き上がる。
「リトライ!」
「やっていますが出ません!」
外部映像では翼が出たり引っ込んだりを繰り返している。何か僅かなきっかけで飛び出しそうにも見えるが、そんな猶予は無い事を高度計が告げている。
尚も船体が回転を増す中で、レニーは決断した。
「切り離す!」
「はい!」ウーノが叫び、レニーは操縦席脇のレバーを引いた。
だが何も起こらない。モニターには『ERROR』の表示。二人の背筋が凍りつく。ウーノが何かを叫んだが、彼女の耳には入らない。最早何かを考える余裕も無く、反射的に膝でコンソールを跳ね上げる。その下から出てきたマニュアル用の操縦幹を握り、躊躇なく赤いトリガーを引いた。
船体左舷に設置されているデブリ除去用のミサイルが発射され、彼女の命令により至近距離で自爆する。
安全装置の解除範囲ギリギリとは言え、岩石を粉々に砕く爆発は船体にも響き渡った。
僅かに回転が緩む。
「左舷展開!!」
ウーノが狂喜の叫びを上げた。だが一緒に喜ぶ余裕はない。すでに地表は荒野を這う小川まで見える。
レニーは細い腕に渾身の力を込め操縦幹を引くが、焦りに反して船体は緩慢にしか上がらない。その体に何かが覆いかぶさった。ウーノが操縦幹に飛びついたのだ。
二人がかりの努力は実を結び、満身創痍の船は健気にも水平へと近づいていく。
「席へ戻れ! ここを飛び跳ねたいなら別だが!」
ウーノは素直に副操縦席に戻る。ベルトを装着しながら前方を確認し、絶句する。
「ま……、町です!」
地平線の先に茶色い壁が見える。その向こうにはビッシリと屋根が犇き合っている。レニーは発狂しなかった自分の精神力を褒めた。回避するとバランスを崩し街中で墜落するのは目に見えている。
「座っていろ!」
ベルトを外そうとするウーノを制止し、最早感覚の無い両手で操縦幹を握り直す。
壁は見る間に迫り、船底を擦って通過した。船は徐々に高度を下げ、恐らく人が暮らしているのであろう家々を掠めていく。
反対側の壁が見える。
――越えられない!
レニーが肘掛に取り付けられているスイッチを、薄いカバーの上から拳で叩きこむ。彼女はこの一ヶ月、何故こんな誤作動させやすい場所にあるのか疑問に思っていたが、その意図をようやく理解した。
一瞬のうちに操縦席の背もたれが翼のように広がると、卵のように二人を包んだ。凄まじい勢いで内部に液体が流れ込む。
レニーは何も見えず、呼吸すら出来ない状態で激しい衝撃を感じたが、そのほとんどは粘体へと変化した液体が吸収する。次に細かい振動が続く。
やがて全ての揺れが収まり、不気味なほどの静寂が訪れた。
――止まった。
そう思った瞬間ついに彼女の緊張が切れた。息の出来ない苦しさは心地よさへと変わり、意識は吸い込まれるように暗闇の中へと落ちていった。