12 荒野に降る雨
管理施設に戻り扉を閉めたウーノが、外部端末をしまいながらため息をついた。
「間に合った……」
全力で走った為、隊員達は皆肩で息をしていた。特にハンクは足と肩を痛めた様子で、床に座り込んでいる。
「取り合えず水は回収出来たな。レニーさん達と合流しよう」
フォレストが視線を向け、ウーノが端末を取り出す。
いきなり、建物に衝撃が走った。それほど大きな揺れではないが、音と振動が間断なく続き、閉めたばかりの扉が歪んだ。
「まさか、女王か!?」
フォレストは思いもよらない事態を冷静に把握しようと扉を注視した。
鉄製の扉は、度重なる衝撃に少しずつ歪んで行くが、かなり頑丈らしく破れる様子はない。
やがて音と衝撃が止んだ。
「……諦めたか?」
異様な静けさにフリックが不安がった瞬間、耳をつんざく金属音と共に扉の間から巨大な足が差し込まれた。ギリギリと扉の一方が剥がされていく。
「みんな車へ走れ! 入ってくるぞ!」
フォレストが命令するまでもなく、隊員達は一斉にその場を離れた。走りながらフリックがレニーへ通信する。
「先輩! 聞こえますか先輩!」
間もなく返事が返る。
『聞こえる。現状を報告してくれ』
「バクテリアは入手しましたけど、女王に追われています! 銃が効かなくて、管理施設の方に侵入されそうです!」
『……判った。こっちは浮遊車を手に入れたけど、少し地上に出るのに手間取っている。逃げ切れそうか?』
「今車に向かっています。地上で合流出来ますか?」
『そっちの位置は把握している。とにかく外へ出てくれ。すぐに迎えに行く』
「判りました。なんとかやってみます!」
通信を終えると、車に辿り着いた。隊員達が乗り込み、ウーノが扉に端末を繋ぐ。通路の彼方から女王の鳴き声が聞こえる。
「入って来てるぜウーノさん!」運転席のフリックが急かす。
「判っています!」
ウーノは扉の開閉に慣れたのか、あっさりと開いた。彼が後部座席に乗り込むと、車は唸りを上げて建物を飛び出す。
叫虫を弾き飛ばしながら平原に出るが、湿った草地にタイヤが滑り思うようにスピードが出ない。
「来た! あのアマ完全に切れてるぞ!」
フリックが後方を振り返りながら声を張り上げた。
管理施設から飛び出した女王は全身を焦がしながら車を猛追し始めた。表情などない筈だが、激怒しているのは誰の目にも判る。
窓からフォレストが身を乗り出して迎撃するが、ゴトゴトと揺れる車からは思うように当てられない。
「炸裂弾だ!」
フォレストの号令に、ハンクとウーノは車中に積んであった丸い手の平サイズの塊を投擲し始めた。無数の塊が平原に転がり、女王が近づいた瞬間爆発する。衝撃で巨体が浮き上がり、突進が止まる。
「よっしゃ! このまま逃げ切れ!」
フリックが喜ぶのも束の間、いきなり車が大きく傾いた。片輪が陥没した地面に嵌り、慣性に逆らいきれず車が横転する。
車内は人と銃が入り乱れ滅茶苦茶になった。車が完全に止まるが、フリックは数人に圧し掛かられ身動きが取れない。
「……誰か知らないが、このケツをどけてくれ……」
肺を絞って呻くと、隊員達は這々の体で車から抜け出した。
「女王は!?」
フォレストが後方を確認すると、女王は巨体をよろめかせながらのろのろと近づいて来ている。
ウーノは無傷だった。隊員達にも大きな怪我はないが、皆どこかしらを痛めている様子で、ハンクはハッキリと足を引きずっている。
女王を追い越して無数の叫虫も向かっている。
「逃げ切れん。ここで迎撃する。皆覚悟を決めろ!」
フォレストは決断を下した。隊員達は横一列陣形で銃を構える。
ウーノも収束光拳銃に手をやったが、バッテリーが切れているのを思い出した。外部端末の電力を流用しようかと取り出すと、画面に通信中の文字が表示される。
『ウーノ、状況は?』
「平原に出ましたけど、車が横転して走行不能です!」
縋るような思いでウーノは端末に叫んだ。
『判った。すぐに行く』レニーは至って冷静に答える。
ウーノは驚いて周囲を見渡すが、浮遊車の姿はどこにもない。そうしている間に、いよいよ隊員達の迎撃が始まった。
「先輩、今どこですか!?」
射撃音に負けないよう声を張り上げる。
『すぐ近くだ。女王は追ってきているんだな?』
「はい! 真っ直ぐこちらに向かっています! 距離は約100m! 時間がないですよ!」
『情けない声を出すなウーノ。距離が50になった瞬間教えろ』
「……了解です先輩! 頼みますよ!」
ウーノはレニーの意図が理解出来なかったが、疑いなく彼女の言葉を信じた。
叫虫は次々と蹴散らされるが、女王は衝撃から立ち直り、次第に歩みを速めている。
「ここまでかな!」フリックが明るく声を上げる。
「まだまだだ!」フォレストが励まし、ウーノに振り向く。
「あんたはまだ元気だ! 逃げてくれ!」
だが、ウーノは女王を見つめたまま微動だにしない。
「ウーノさん! 聞こえているのか!?」
一瞬放心したのかと思ったが、その表情は強い意志を込め、集中しきっているようだった。フォレストが判断に迷っていると、突然ウーノが外部端末に向かって叫んだ。
「距離50!!」
次の瞬間、女王の足元が大爆発を起こした。爆音が平野に轟き、盛大に土と叫虫を空へと巻き上げる。 施設に向けて等間隔で爆発は続き、最後は施設を粉々に吹き飛ばした。
熱風が、仰天を越え呆然と立ちすくむウーノ達を横切って駆け巡る。
衝撃で地面が大きく沈下し、女王は土の中へと消えた。叫虫の破片と共に土が辺り一面へぼたぼたと降り注ぐ。
「な、なんだぁ……?」
ようやくフリックが声を発すると、彼の目の前の土が盛り上がった。
「なんなんだよ一体!?」
大きく跳び退り銃を構える。土は尚もせり上がると、中からメタリックな筒状の物体が姿を現し、彼の眼前で浮遊する。
「先輩!」
浮遊車と判ったウーノが呼ばわると、ドアを開けてレニーが顔を出した。
「待たせてすまなかった。みんな無事か?」
その一言で今の爆発が彼女の仕業と理解した隊員達は、へなへなと力が抜けたように座り込んだ。
レニーが浮遊車を着地させて重力制御を切ると、車は急に自分の重さを思い出し地面に少しめり込んだ。
「みんな、乗り込んでくれ」
車外へ降りながら周囲に声をかけた。ハンクだけは自力で立てない為、フリックが肩を持って立たせる。
フォレストが呆れと羨望の混じった視線をレニーに送る。
「驚きました。一体どうやって? あれは地中を進めるんですか?」
「いや、地下駐車場に空いた叫虫の巣を通ったんだ。ついでに爆弾をばら撒いてやった」
理屈は判るが、考えて実行するのは常人には不可能に思えた。一歩間違えれば生き埋めの筈で、事も無げに言う少女にフォレストは感嘆を禁じえない。
「何故僕の位置が判ったんですか?」と横からウーノが口を挟んでくる。
「私はやられっぱなしは嫌いだ」
「まだ根に持っていたんですか」
苦笑しつつ頭を掻くウーノに、レニーは意地の悪い笑みを浮かべた。
「そうだ。面白い物を発見したぞ」
そう言うや、地面が大きく揺れた。
まるで水袋の上に立っているようにグネグネと波打つ平原に、レニーは足を取られしゃがみ込みながら周囲に声をかける。
「この下は巨大な貯水池になっているんだ! 沈下する!」
「は、早く言ってくださいよ!」ウーノが非難するが、レニーは悪びれる様子もない。
「ならあのまま食われるか? みんな早く浮遊車に!」
這うように浮遊車に乗り込む隊員達の後ろをレニーが追う。
隊員達が乗り込み、ウーノがドアに手をかけ後ろを振り返る。
「先輩! 急いで!」
急かされるが、揺れはますます激しさを増し思うように進めない。とうとう彼女の後方がごっそりと落ち込むと、そこから巨大な足が現れた。
「女王だ!!」
フォレストが叫んだ。女王は腹部を丸ごと失いながらも、頭と胴体だけで追いかけて来ていた。レニーは収束光拳銃を抜くが、バッテリーを外している為、1ワットの光も発しない。
身軽になった女王は体液を撒き散らしながらレニーへと迫った。
「ウーノ! 逃げろ!」
「嫌に決まっているでしょう!!」
ウーノが浮遊車から跳び、レニーまで辿り着くと彼女の体を背後へと押しやった。
ドアから身を乗り出したフォレストの射撃を受けながらも、女王が顎を広げて2人を挟み込んだ。
浮遊車からその光景を見ていたフォレストとフリックは、吹き上げる鮮血を想像した。
しかし、女王は顎を閉じていない。それどころか、少しずつ鋏が広がっている。頭が持ち上げられ、2人の姿が確認出来た。
倒れたレニーを跨いで立つウーノが、両手で女王の顎を掴んでいる。腕と背筋が異常なまでに膨らみ、皮膚が紫色に変色していた。余りに異様な光景に、フォレスト達は言葉を失う。
「先輩……! 今のうちに……」
逃げろと言いたかったが、レニーは”倒せ”と解釈した。
「銃を!」
レニーが浮遊車に向かって吼えた。フォレストがプラズマライフルを投げようとすると、後ろから誰かに押しのけられた。
「これだろレニーさん!!」
ディータが浮遊車に繋いであったバッテリーを投げた。
空中で受け取るや、目にも留まらない速さで装填するとウーノに覆いかぶさり、銃口を女王の顎の間に差し込んだ。
光の槍が頭を貫き、足と胴体だけになった女王が地面へと転がる。
ウーノの膨らんだ筋肉が収縮し、糸が切れたかのように体勢を崩すと、レニーが咄嗟に支えた。
ディート、フリック、フォレストが降りてきて、ウーノを引きずるように浮遊車へ運び入れる。
レニーはバッテリーを再装着し、急いで浮遊車を浮き上がらせた。同時に、地面が崩れ、何処かへと落ちて行く。
高度を上げると、平地が一望出来る。平原も、施設も、ごっそりと沈み込んでしまった。
そして、あちこちから水が吹き上がった。巨大な窪地となった平原跡に、大きな池が形成されていく。
「どうなっているんです? これは……」
運転席の後ろからフォレストが覗き込み、声を震わせた。レニーは少し考え込み、仮説だがと前置きをして事態を説明した。
「ここの地下は巨大な貯水タンクになっていたんだ。叫虫が少しずつ雨水を貯めていたんだと思う。多分、何年も、何十年も」
彼女は巣を通る時、幾つも地底湖を見た。そこには女王が生んだと思われる卵が無数に存在していた。
「だから、かなり地盤が緩んでいた。実際、すでにあちこちが崩落していたしな。そこを爆発させたから、すべてが一気に自壊した」
それは狙っての事だったが、ここまでの規模になるとは思って居なかった。叫虫は、彼女の予想より遥かに大きな巣を作っていた事になる。
「大した物だ、あの虫達は。いつかじっくり研究したいな」
そう微笑む少女は、言葉の内容は別として年相応な可愛さがあった。フォレストもつい口元を緩める。
「レニーさん!」
後ろを振り返ると、フリックがウーノを介抱していた。彼の顔は青く、額に大量の汗が浮き出ている。
「ああ、それは力の反動だ。命に別状はない」
「力って、あの……」
フリックは先ほどのウーノを上手く形容出来ない。それでも言いたい事は伝わる。
「ああ、あれは……」とレニーは口ごもった。
「僕から言いますよ……」
ウーノは目を覚まして、唸る様に割ってはいった。
「大丈夫か? 無理するなよ」
フリックがどこからか取り出した布で汗を拭う。ウーノは熱に浮かされているようにぼんやりと宙を見つめ、静かに語り出した。
「僕は奴隷星の人間なんです……」
「どれい……せい?」フリックが聞き返す。
「文明の汚点だ」代わりにレニーが答える。「昔、労働力確保の為に遺伝子改造を行っていた星があった。その星は100年も前に解放されたが、遺伝子の鎖はまだ続いているんだ」
「その遺伝子改造でウーノさんはあの力を持っているのですか」
フォレストの解釈にウーノは頷いた。
「苦労しているんだなあんたも」
フリックは、前からウーノがレニーを子ども扱いしているのが不思議だった。年齢も、立場も彼女の方が上の筈なのだ。しかし、ウーノが想像以上の重荷を背負っている事からその謎はようやく氷解した。
ウーノは苦々しく囁く。
「まだ、人間はそんな事をやっているんです、今も、昔も……」
「だから私たちは故郷を捨てたんだ」
レニーの告白にフリックは目を白黒させた。
「捨てた? じゃあ旅行中っていう話は……」
「嘘だ。騙して済まない」
レニーの謝罪に隊員達は苦笑いを浮かべたり、呆れてため息を吐いたり、肩を竦めたりと様々な反応を返す。だが、怒っている者は誰もいない。
「あなた達が誰であろうと構いませんよ」
フォレストが総意を述べた。レニーは素直に感謝を述べ、操縦席に座り直した。
「帰ろう。ウッドロックへ」
浮遊車は高度を上げ、山を降りていく。
岩肌のあちこちから水が噴出しているのが見える。荒野へ流れ、降り注ぎ、赤茶色の土を染めていく。
フォレストがその光景を眺めてレニーに訊ねた。
「ここも、いずれは豊かになるでしょうか?」
「ああ……」レニーは答える。「いつかは森になるかも知れないな」




