9 ウッドロックの英雄
「……ばかな!」
ダニロにとってレニーの語る計画は驚天動地の事件だった。
彼にはそれを推し量る事も出来ず、ただしつこく同じ質問を重ねる。その度にレニーは地道に一から説明していく。
叫虫の生態、草原の存在、山奥の施設、浄水バクテリア。それらを総合すると、答えは一つしか出ない。
「あれはこの地域に水を供給する施設だったんだと思う。何があったのかは判らないけど放棄され、叫虫の巣になったんだ。そして……」
レニーはメイドから水を受け取って一気にあおった。すでに30分は喋り続けている。ウーノが居ればはしたないと怒るだろうが、構わず口を袖で拭って続ける。
「もし稼動させる事が出来れば、莫大な浄水を作り出すことが出来るはずだ。川はあの山から生まれている。施設へ引けば、下流へ新鮮な水を流すことも出来る。いや、そもそもその為にあんな所へ建てられたんだ。時間をかければ、この地域の汚染を根絶出来るかもしれない」
「とても信じられん……」ダニロは正直に心中を漏らすが、レニーは止まらない。
「私もだ。あの施設を再稼動させられるかどうかは判らない。けど、バクテリアが手に入れば簡単に浄水施設を作る事は出来る。一つや二つじゃない。いくつもだ。他の町にも提供してやれば、この地域から飢えはなくなる」
ダニロは自分の裁量を超えた事態に頭を抱えた。その頭の中でぐるぐると計算を働かせるが、もはや数字では計れない。
「この地域を救うなど、私の仕事ではない……」
「なら誰の仕事だ? 誰がやると言うんだ?」レニーは執務机に詰め寄る。「ダニロ。人が死んでいるんだ。水で、虫で、人が死んでいる。お前はかつて、それが許せなくて立ち上がったんじゃないのか。このまま壁の中に閉じこもり見続けるのか」
「そんな事は判っている。だが、他所から来たお前には判らんのだ。下例え水が手に入っても、それがこの世界にどういう変化をもたらすのか」
言いながらダニロは、力なく顔を伏せた。
「この地域には、水の利権が確立されている。多くの人間の生活が水によって成り立っているのだ。その水の価値を貶める事は、彼らを敵に回す事になりかねん。再び争いが起きる。お前の憂慮より多くの命が失われる可能性もある」
水の利権についてはレニーも考えていた。必ず反発する人間が出てくると。だが、それは彼女を留める理由にならなかった。
「争いは私が止める。一人一人説得してみせる」
「出来ぬ事をいうな!」ダニロは机を叩いた。
水を注がれたコップが倒れ、メイドが慌てて立て直す。レニーは燃える瞳で真っ赤なダニロの顔を見つめる。
「やってみなければ判らない。これは真理だ」
ダニロは言葉を詰まらせた。少女の言うことも、彼には理解出来る。しかし、目線を落とした先には、年老い、枯れた細い指が見える。
「私にはもうそんな力は残っていない……」
「ならこの町を道連れにするのか」
若い瞳に見つめられ、ダニロはただ黙って窓から外を眺める。
小さくも、多くの人間が息づく町が見える。彼が始めて訪れた時は、ただ荒野に小屋が幾つか置かれているだけだった。
黙って、望郷するように景色を見つめていると、扉がノックされる。
「失礼します」
カミルが紙の束を抱えて入ってきた。ダニロの前まで進み一礼する。
「町の人間からこれを預かっています」
差し出された紙にはびっしりと名前が書かれている。
「隊員と、住人の嘆願書です。巣への攻撃を求めた」
カミルの言葉に驚いたのはレニーの方だった。
「嘆願書……? そんなもの頼んでいないぞ」
カミルは嘆願書を一枚抜いてレニーに見せた。その末尾には見知った名前が書かれている。
『親愛なる隣人の為に イルザ・フォークス』
「お前の助けた少女の母親だ。フリックの奴に話を聞いて走り回ったそうだ」
口に端を吊り上げて見せると、嘆願書を読むダニロに向きなおす。
「彼女の話は私程度で判断出来る話じゃありません。ですが、彼女がここに来てから今日まで、何をしたか皆が知っています。この町の為に、命までかけた事を知っています」
ダニロは何も答えず、嘆願書を捲っていく。
紙を擦る音だけが部屋に響く。
すべての名前に目を通した後、長い嘆息を漏らした。
「もちろん勝算はあるんだろうな?」
レニーはハッとしてダニロを見た。その表情からは何も感じ取れないが、眼光だけは鋭く彼女を見返している。
その瞳へ挑むように、彼女は背筋を伸ばして答える。
「ある。志願者を募り、その中から優秀な人間を五人貸して欲しい」
その案にはカミルが声を上げた。
「たった五人か?」
「うん」
レニーはカミルに向き直す。
「貴方の部下たちが、プラズマライフルという強力な銃を集めて来てくれた。直せた物が五丁ある」
プラズマライフルの事はカミルも知っている。そう内の一つは彼が先祖から受け継いだものだからだ。
「だが……、たった五人で巣に突入というのは……」
その言葉に、今度はレニーが驚いた。
「五人じゃない。私を含めて……、いや、あいつも来るだろうから七人だ」
ダニロもカミルも呆れ返った。その様子にレニーは眉根を寄せる。
「私の案だ。私が行くのが当たり前だろう!」
その剣幕にダニロは大人しく引き下がった。彼女の烈火のごとき性質は初めて会った時にまざまざと見せ付けられている。
「だが、それでも少なすぎる。せめてもう十人は……」
「いや……」
カミルの申し出をレニーは断る。
「残念だがあなた達の銃では叫虫に対応しきれない。強力な武器を持った少人数で行く方が寧ろ安全なんだ」
長年叫虫と戦ってきた彼には気持ちのいい話ではなかったが、それだけに彼女の意見が正しいと思わざるを得ない。
通常、叫虫は壁の上から炸裂弾を投げて倒す。正面から銃で戦うと、上手く頭や心臓に当てない限り中々死なない。もし山道で集団に襲われたら、火薬銃しか持たない隊員は足手まといになる可能性が高い。彼らが今まで山を探索出来なかったのは、その事が原因だった。
カミルが得心したのを見て、ダニロは念の為と、一つだけ彼女に確認した。
「お前さんの船が直るのを待つ訳にはいかんのか?」
「それは出来ない」
レニーは即座に却下した。
「私の目が届く範囲で、虫などに人を殺させるものか」
彼女は襲撃の後、さまざまな検証を行っている。
結果、あの戦いはたまたま西側に叫虫が集中した為に防げたものだと判明した。初日にダニロが言ったとおり、圧倒的に武器が足りていない。もし同程度の襲撃が西側を避けた時、多数の死傷者が出るのは間違いない。
そして彼女は血溜まりに横たわるリタを鮮明に覚えている。彼女が捕食されなかったのは、恐らく汚染レベルが高かったからだ。今、ウーノの作り出した擬似血液によってかなりのレベルまで浄化されている。町に帰して、また同じ目に合わないとは誰も約束出来ない。
「それに、水は建物の中にあるんだ。どうせ突入する事に変わりはない」
ダニロはしばらく黙考した。
三十年前、遠い地からふらりとこの町にやってきた彼は、人々を救うために銃を取った。今また、遠い星から来た少女が、同じように銃を手にとっている。
これがウッドロックの運命なのかも知れないと苦笑を漏らした。
「まったく。お前さんの星の人間はみなそうなのか?」
レニーは一瞬、侮辱の一形態かと思ったが、はじめて見るダニロの温和な表情に考えを打ち消した。
「そうとは?」
「お前さんのように優しいのかと聞いたのだよ」
「そんな訳ないだろう!」
彼女は腕を組んでダニロを睨み付けた。壮絶な形相に、彼は故郷で何か会ったのかと訝しがった。その予想は当たってはいるが、ここにウーノが居れば別の予測を立てただろう。
照れているのだと。
レニーは怒りを露にしたままダニロに詰め寄った。
「それで、どうなんだ? 結論は?」
彼は宥めるように両手をレニーに向け、ゆっくりと決心を述べた。
「やってみようじゃないか」




