序 章
七万人の拍手と歓声がコンサートホールに轟き渡る。
誰もが胸に自由人類党のシンボルである小さな花を付けて、熱狂を持って自らの党首が壇上へ上がるのを歓迎している。
演壇に立ったのは、一見すると冴えない小男だった。
事実、その男はかつて地方惑星の経済庁で数字を弄るだけの一議員だったが、何の因果か運命の悪戯か、政略という流れに押され党首の座についた。
そして、近隣諸国の戦争による動乱が政治を掻き混ぜた結果、人類党は圧倒的な議席を獲得し与党となり、党首だった男は自動的に首相の椅子へと座らされた。
彼の困惑は相当な物だったし、自らの能力を自覚してもいた。だが、メディアは連日この小男の特集を組み、何処へいっても、また自宅で寝ていても、新たな指導者を歓迎する声は聞こえた。
一ヶ月のち、事は所信表明演説に至り、彼は単なる小男から、立派な国家代表へと変貌を遂げていた。
万雷の拍手をたっぷりと浴び、静まるのをゆっくりと待ち、演説が始まる。
「親愛なるテレフィス連邦の国民諸君! かの暴虐なるフィーンは我が国に十六の要求を付きつけてきた! これは、栄光あるテレフィス120億人民の自由意志と尊厳に対する、明らかなる挑戦である!」
再び称賛の拍手と歓声が沸き上がり会場をビリビリと震わせた。
「人生最高の時だな……」
ステージと反対側。観客席の三階に設置された報道フロアで、スーツ姿の男が苦い表情を浮かべていた。
「死ぬには良い日だ」
その隣でカメラを構える作業服姿の男が不吉な言葉を呟くが、周囲は騒がしく入り乱れており二人に注視する者は誰も居ない。
「それで、どうやって殺すんだ?」
とはいえ、余りに直接的な物言いにスーツの男、恒久平和党員幹部ジュードは眉をしかめる。それが作業服の男は気に入らない。
「おいおい、オレだってここまでしているんだ。お前らの党員でもないのにだぜ」
ジュードは黙れと視線を送る。テレフィスで最も過激な非戦主義で知られる平和党幹部に睨まれる事は、党員にとって最も恐れるべき事態ではあるが、本人が口にした通り作業服の男は党員ではない。名をロッツといい、普段はコンサートホールの従業員をしている。
施設を自由に行き来可能な人間として党が雇ったのだが、従順さに欠ける部分がジュードを腹立たせていた。本来なら細工が済んだ時点で口を封じる所だが、党執行部は彼をのちに“英雄”として使おうとしているらしく、今の所は生かされている。
「なぁ、あれがどうなるんだよ?」
ロッツが指差したのは、演説の佳境を向かえ一層声を激しくする党首の真上に設置された、どこにでもある変哲もない照明設備だった。
その瞬間、ジュードの胸中で揺れていた執行部命令と感情の天秤は砕け散り、最小限の動作でロッツの腕を捻るや、小型の注射器を首に押し当てた。
「いい加減にしろ。これが失敗したら二人とも終わりなんだぞ」
底冷えするような低い声に、ロッツは負けじと言い返す。
「どうせ後で俺は殺されるんだろ? 口封じ、しない訳ないもんな。だから、最後に教えてくれたっていいじゃねーか」
ジュードは逡巡する。注射器には即効性の睡眠導入剤が入っているが、間違いなく周りの注目を引くだろう。如何様にも誤魔化す事は可能だが、時間がない。余計なトラブルは避けたかった。
ロッツの腕から手を離し、しかし注射器はそのままで耳へ口を寄せる。傍から見ればカメラマンへ熱心に指示を送っているように見える。
「あれの中には小型の爆弾が幾つも入っている。人類党の議員が演壇に集まったら投下する予定だ」
「爆弾?」ロッツは注射器が当たったままの首を捻る。「あれは検査に通ったぜ?」
ホールは警察によって前日から徹底的に検査されている。通常の毒物や爆発物は持ち込めない筈だった。
「熱で変化する特殊な爆弾だ。昨日まではただの蛋白質だから検査じゃ判らない」
「俺も長年ここで働いちゃいるが、そんな物聞いたこともない。本当なのか?」
「連邦大学の研究所に居た人間に作らせた。人類党の方針に反対して大学を飛び出して、かなり金に困っていたからな。張り切ってやってくれたよ」
「……耄碌したジジイじゃないだろうな」
連邦大と言えば宇宙でも最高位に属する教育機関だ。通常の天才程度では試験を受ける事も出来ないと言われている。それ故に、方針が気に入らないとの理由で退学するのはロッツの理解を超える。
だが、その疑念は遠く外れている。ジュードが会ったその研究者は若い女だった。
大学を飛び出し自身の研究所を設立したが、人類党の妨害によって経営は上手くいかず従業員を大幅に解雇している。最後に爆弾のテストで会った時は、精神的にかなり参っている様子だった。
ジュードは我ながら良い人材を見つけたと思っている。ロッツをなます切りにした後は、公私共に利用してやろうと内心でほくそ笑んだ。
「なぁ、俺も党員になったら殺されないかな?」
ロッツのいまさらな質問に、ジュードの笑顔はサディスティックに変化する。
「無理だ。お前は死ぬ。人類党を皆殺しにした英雄としてな」
そうしている間に、いよいよ演説が終わりを向かえ、首相の後方に控えていた人類党の主要議員達が演壇に集まった。
ジュードは胸から懐中時計を取り出す。母星で作られたというアンティーク品だが、内部は電子部品が詰まっている。
首相がひときわ大きな声で万歳を叫んだ。
七万人の唱和は、もはや怒号となってすべての音を飲み込み、傍らに居るロッツが何かを喋るがジュードには聞こえない。
その一瞬、それは錯覚に違いないのだが、ジュードは首相と目が合った気がした。反射的に親指に力が篭り、懐中時計のスイッチが入った。
破裂音は歓声と拍手の本流に溶けるが、照明の一つが割れた事実は覆らない。
首相は天井から何かが降ってきた事に気づいた。
ひらひらと舞い落ちるそれを空中で掴む。
そして、手の中に納まったのがただの紙吹雪だと判ると、何事もなかったように、党員へ手を振る作業に戻った。
ジュードはその光景が理解できずに、ただ呆然と眺めるしかなかった。
胸に微かな振動を感じる。
党執行部からの通信だというのは確認するまでもない。
隣でロッツが大きく仰け反った。表情から爆笑しているのだと判る。
思わずジュードの喉から呪いの言葉が迸ったが、誰にも届かず、彼自身も何と言ったのか良く判らない。
目の前が暗転し、膝を付く。
徐々に収まる歓声に混じって、ロッツの笑い声だけがハッキリと響き続けた。