3【貴方様のオンラインキャラクターが決定されました】
泥と、何か手にべっとりこびりつく感触。
私は剣を握っていました。
黒い刃の美しい青光りする柄を握り、鞘を探しました。
柄はべっとりと血がついていました。
気味が悪く、剣を思いっきり投げ捨てます。
乾いた音暗闇の廊下に響きます。
夜でした。
廊下に均等間にある、絵画を見る限り教会と思われる建築物でした。
月日が染みこんだ壁は重厚な雰囲気を醸しだし、自然と厳かな心地に導かれます。
当たりの様子をうかがいました。
これが仮想空間でなにか、試されるというのでしょう。
なにか仕掛けてくるのかと、警戒していましたが
……何か懸命に呟く女性の声を聞きました。
壁に沿って声の方へと歩いて行きます。
そこは、よく映画などで見る教会の懺悔室のようなところでした。
私は扉を開けました。
すると部屋の中から女性が泣きながら、何か許しを乞う様子が伺えました。
「……私の罪を聞いて下さる方ですか」
弱々しくも甘く、優しい声色が魅力的な女性でした。
残念ながら彼女の顔は木造の古きでしつらえた壁が隔ててあって見えません。
ただ、僅かな部分で何重にも重ねられた青銅の網だけが声を伝えてくれるのです。
「いいでしょう」
返答は肯定。理由はただの好奇心です。
人の不幸は蜜の味というのでしょうか。
これほど綺麗そうな人が許しを乞いたいほどの罪とは如何なるものなのか、興味があったのです。
あらかた予想はつきましたが。
「私の夫は強い人です。身も心も……その力量全てが強く、気高く立派なのです。そんな方が私の夫になったのは、ただ生まれというものからでしょう。相応しい人は他にいたはずです。それなのに……私はあの人の妻」
雲行きが私の予想していたポイントにさしかかりました。
「私は弱い女です。彼の強さに見合うだけの無理をしていたのかもしれません。
そんなとき、心惹かれる人が現れ、彼も私の気持ちに応えてくれました。……彼は夫の友でした」
不倫でしょう。私が一番憎み、一番蔑む下劣な所業です。
急速に興味は消え果て、私の心の中に悪意が生まれていきました。
けれどもここは取り繕うべきなのでしょう。
必要なのは本心からの糾弾ではなく、同調してくれる言葉です。
肯定してくれる誰かです。この人はそれが欲しかったのでしょう。
「貴女の幸せを求めて何が悪いのですか。罪と糾弾するには厳しすぎる」
心にもないことを言いました。
すると彼女は……笑いました。嘲笑というような種類のものです。
「……命まで取られるようなことではない。そう言うの?貴女は……女性ならわかりませんか。いかに恥ずべき行いか。私は愚かしいほど女だったということなのですよ」
彼女は、どうやら責められる方がお好みのようでした。
心内で舌打ちをした後、何か言い逃れを考えました。
「政略結婚だったのでしょ……高潔な人間の夫を無理やり押し付けられた。違います?」
「えぇ。彼は誰よりも勇敢で素敵な方です。でも私には」
「結婚した人がその人だっただけで、愛も恋もした相手ではなかった。それだけでしょ」
ゆっくりとした語調で、責めないように抑揚に気を遣いながら彼女に話します。
私は別に彼女を嫌いではありません。
悪意は生まれましたが関心が無くなっただけなのです。
所詮はゲームの中での世界。どうせ私には直接関係のないことです。
だから簡単に言ってやりました。
「いいんじゃないですか?女の幸せが欲しかったんだったらそれで。
その結婚した人よりも貴女を幸せにできる人なんでしょ?貴女を悦ばせる人だった。
貴女の女を満たす人だったのならいいんじゃないんですか」
至極真っ当な口ぶりで彼女の全部を肯定してあげました。
「それは、私が弱いから」
慌てて言い重ねる彼女の言葉を、私は止めます。
「女なんてみんな弱いです。そして男は狡いんじゃないんですか。いいじゃない?
不徳?それは男から見た観点ですよ。貴女子供はいないでしょ?なら自由です。
だったらいいんじゃないですか?もっと好きに生きて好きに振る舞って。昼も、夜もお好きなように」
こちらからは彼女の顔は見えません。けれどおそらく真っ赤になったでしょう。
そして、涙ながらに心にもないことを彼女は言葉に連ねます。
「違う……でも私は、私は夫を愛しているのです」
「……でも男のこと夫以上に愛してるんでしょ」
もう言葉が返ってきません。
女の人はずっと泣いている声を響かせるだけでした。
その声をずっと聞いていると、私は独りでいつしか喋っていました。
「止めて泣くの……鬱陶しいです。泣かれると」
けれども泣き止まない、彼女の声色に、苛立ってしまいます。
懺悔室の境目の隔てを取り払いました。
現れたのは、妖艶な儚げな美しいベルベッドのようなしなやかな黒茶髪の女性。
切れ長で、端正な顔立ちは紅潮し、涙が流れていました。
泣き顔すら美しい。それも非常に腹立たしくて、手をあげます。
「だから、鬱陶しいんですよ!」
けれどその掌が彼女の頬を叩くことはなかったのです。
ふりあげた手首には、男の大きな掌に捕まっていました。
「女性がはしたないですよ、それに八つ当たりはいけませんね」
聞き知らぬ淡泊な調子の男の声でした。
その瞬間、空間がガラスを割るように、砕け散りました。
***
場面は教会に戻っていました。
その場にいる全員が跪き、かしこまって私ともうひとりの男を見つめています。
表情に感情はなく、完全に北欧かそこらの顔立ちをしていました。
こぎれいに整った服装や髪型、整った眉。
きっちりしているといえば聞こえが良いけれど神経質そうな男。
睨まれれば萎縮させてしまうくらいの気迫が、彼にはありました。
服装はまたゲームに出てくるようなきてれつなデザインだと思いきや、
意外と落ち着いた藍色や茶色、何本かのダガーが腰のベルトに帯びています。
明るい茶色の髪色をしています。
綺麗な水色の目をしています。眼鏡をしています。
「……誰ですか?」
「女性に名を尋ねられたらたとえ、なら己が名乗ってから人に名を聞けよ。
と内心思っても、私は紳士ですから笑顔で応える。これ礼儀ですね」
にこやかな営業スマイルの後、彼は私の手首を離しました。
それから綺麗な形でお辞儀をした後、微笑んでこちらを見つめながら名乗ります。
「私はケイといいます。あなたにこれよりお供する為にここに呼ばれました」
「執事……さん」
どこか勘に障りますがその礼儀正しさ、流暢でいて敵意を包み優しさのみを見せる語調。笑顔。
そのどれをとっても連想させる職業がこれでした。
「はい。……で、お嬢様。貴女は?」
「私は……直江真穂です」
水色の両眼が細められ、こちらを値踏みした後ため息をつきます。
「ふぅ……私はこんな巨乳などではなくもう少し慎ましやかな胸と、
心安らぐ気質を持ったレディと同行願いたかったですね」
開口すぐにケンカを売られました。なんだろうこの高慢な態度と口調は。
すぐに言いかえそうとしたら、すぐに私の耳元で甲高い声がします。
【わぁぁぁぁ!!!眼鏡ですぅ~】
「……戻ったんですね」
【すてきな方をひいたんですね。で、これがオンラインキャラクターになります】
「はい?」
【だって、真穂様がモンスターとか危ないことをガチで迎え撃てるならば問題ないですけどできないっしょ?その為にオンラインキャラクターがいます。これ、ネットゲーム知識からいえば当たり前でしょ】
「え、直接モンスターとかと戦うとかあるんですね」
【はい!蛮勇ですよぉ~!!テンションあがった馬鹿が突撃した経歴130件ひっと!全部全滅ですねぇ】
映画のような恐竜パークを思って、年甲斐もなくテンションがあがったけれど、すぐに零下までさがりました。
ではこの男、ケイと共に行動する羽目になるのです。
【はい、職業は重要デスよぉ。彼、なんて職業って言ってますか?】
「執事」
沈黙の間がおかれます。
【はい?そんな職業、存在無しですよ】
「はい?え、でもそう言ってますし」
【……なにやらかしたんですか?性格診断の異空間で】
「え、特にへんなことは」
していないつもりです。泣かせたくらい別に問題ないですよね。
予測の範囲内の選択肢ですよね
狼狽えながらも、私は傍の彼を見やります。
彼は眼鏡を外していました。眼鏡チェーンでネックレス扱いのように、胸にぶら下げているようです。
目があうとにこやかに微笑み、爽やかにこう告げられました。
「これからもよろしくしてやります。感謝させてあげますね、真穂さん」
もうなんでもいいから早く家に帰して欲しいと、思いました。