10【 オンラインキャラクターを初期化いたしますか 】
与六君の蒼白い顔が見えます。
私は両手を見やり、そして周囲を見やり、あの化け物がもう遠くにあることを
十分視認した後、体ががたりと崩れ落ちました。
安心に対しての脱力、解けた緊張は……私に暫く思考するという能力を奪っていました。
「真穂さん!!ジャックできたのかよ!!どうだったんだ!!」
視界ジャックと、彼は視点をかりることをそう呼びます。
RPG慣れでしょうか、ゲーム用語に疎い私にはよくわかりません。
でも次第に状況が鮮明に浮かび上がってきました。
ドラゴン。
そんなもの、ゲームの中でキャラクターが戦えばいいだけのこと。
画面の向こうという絶対の安全な境界線があり、それを隔ててみる怪獣。
恐怖なんて感じるわけもありませんし、第一に今だって安全が保証されているのだから
危機を思わなくてもいいのです。
それでも戦慄が走り、汗がどんどんあふれ、動悸がしました。
あんな化け物に、私はキャラクターを使って、ただ「戦う」なんてコマンドを
連打しながら戦わせていたというのでしょうか。
無茶苦茶にも程があります。
( なに考えているの。所詮ゲームじゃない )
同情、気の毒など感じなくても良いんです。例え実体のように隣にいたケイ。
でも突き詰めればケイは作りものです。壊れたってなんの問題もないのです。
それに彼は言ったじゃないですが。代えがいるって。
私は与六君の語りかけを無視して、イヤリングのAIに呼びかけました。
【ねぇ、いい加減に佐助ちゃんとでも呼んで下さいよぉ。AI呼ばわりっていい加減へこむんですけどぉ】
「いいの。あのね、ケイが言ってたんだけど代えがあるとか、なんとか。
とにかく今の状況を打開できる方法があるんですよね」
私の問いかけに、佐助はいつものように軽い口調でした。
【えぇ、できますけどぉ。ケイさんじゃなくなりますぅ】
なるほどケイはそういうことを言いたかったわけです。
私とケイはこれでお別れで、次からは彼ではない新しいキャラクターが相棒。
そういうことなら良いじゃないですか。
「ここから出られるならいいわ。お願い」
「ちょっと待ってくれ!クエストを放棄するんですか?」
横やりに制止してかかるのは与六君。
厳しい面持ちで私を見やりますが、童顔の彼がどんなにいきがっても怖くはないです。
私は彼の手を取って言い聞かせるように話します。
「与六君、いい?このゲームを早くクリアしたい……それが私の願いです」
「その為なら自分の冒険の分身みたいなやつがどうなってもいいって言うんですか」
真っ直ぐで純粋な眼差し。
正義感溢れた言葉はまるで劇作家の台詞にでてくるような言い回しでした。
反吐がでます。
「与六君、これはゲームなのよ」
どれほど感情移入しても、どんなに活躍しても、勇者気分を味わっても、
所詮はゲームの中。電脳世界の絵空事でしょう。
どれほど現実とゲームの融合をはかっている今回の計画「アヴァロン」というシステムが、
どれほどすごいのかはわかります。
でもやっぱりこうやってどこかにゲームと現実との境界があります。
融合と言っても、このゲームはその境界を非常に狡猾にわかりにくくしているだけのこと。
「早くクリアするためには、いいキャラをひきあてて勝ち続ければいい。騎士だったのに
確かに気の毒だけど……でもチャンスはいくらでもあるから!」
「真穂さん。俺はそんなんじゃない」
手を払いのけ、与六君は言い切りました。
「俺はただ!!トラントと冒険をもっともっといっぱいしたいって思ったんだ!」
【おぉ、かっちょいいねぇ与六君。名前だけ残念だけどぉ】
AIの軽口がイヤリングから聞こえます。
いつもは勘に障るAIの言葉も今では蚊の鳴くような音に等しいです。
「諦めるなよ!!!どんな腑に落ちないキャラでも、短い期間であってもなんであれ、
真穂さんと交流したキャラだろいいのかよ!!消えちゃって!!寂しくないのかよ!?」
えぇ腑に落ちないですとも。あの男ときたら口を開けば毒舌ばっかりでてくるんです。
こちらを素直に誉めた事なんて砂漠の中でコンタクトを探すような勢いですとも。
優しくもないですし、提案も腹黒さがにじみ出ています。
ケイ曰く、「だって、私もお嬢様もお互い・・・気が合いませんからね」ですって。
その通りです。絶対に気が合うわけがありません。
これからも一緒に冒険なんて、楽しいわけがないでしょうが。
ゲーム設定的にも吟遊詩人です。どうしろっていうんですか。
ただでさえ得体のしれないゲームなんです。
もしクリアできなかったらどうなるかなんて、そんな危機感この坊やは持っていますか?
ケイなんて消えていいです。むしろ好都合です。
彼よりいいキャラが私にあたればいい、確かに思うのです。
「トラント!!トラント!!!おい!!!!応えろよ!!!!」
何度も何度も呼びかける与六を見つめ、私も呼びかけます。
「ケイ……」
もう応えるのはノイズ音しかありません。
「ケイ、聞いてる?」
貴方が誰かわかりません。貴方の気持ちなんてきっとひねくれてそうだからわかりたくもないです。
貴方の表情なんていつでも人を小馬鹿にしたものだけしか印象がありません。
貴方の言葉もまた、酷い言葉ばっかりなのでしょう。
貴方のどんなものも知ったことじゃありません。
「私は、貴方じゃないと……怖いって気持ちだってちょこっとあります」
絶対に気が合いそうじゃないから私にとって都合がいい……これが私の本心でした。
「トラント!」
なおも呼びかける与六の言葉。トラントという人に届いているのでしょうか。
見やると、与六君と視線が合います。
彼は何か言いたげに、口を開きますが真一文字に口を結びました。
そして続けてトラントに呼びかけます。
「絶対に勝て!戻ろう!!!ケイってやつも一緒に!絶対に、だ!」
【ひゅー、惚れ……】
耳についたイヤリングを手の中に握り込みました。