雨の足跡
密やかな囁きのようなものを耳にして、目を開けた。
夜の闇は去っているが、カーテンに遮られて朝日は入ってこない。そんな中途半端な薄暗がりに見えるのは、消えた電灯と天井だけ。色はまだ目を覚ましていない。
覚醒しきっていないまま重い身体を起こしてみる。
凄まじい怠さにまた落ちそうだ。
覚束ない手をのろのろと背後へ伸ばし手探りで枕の端を引っ掴むと、ずるずると引き摺ってまだ毛布を被ったままの膝に乗せた。そこへ更に顎を乗せる。
身動きする音が消えると、またあの音が聞こえてきた。
しばし大人しく耳を傾ける。
密やかな音だが、よく響いて心地がよい。
枕に頬を埋め、チェック柄のカーテンに手を伸ばす。しゃらしゃらとレールを鳴らしながらゆっくり引いていくと、少しだけ灰色掛かった白い背景にいつもの町並みが見える。
雨だ
窓ガラスからひんやりと冷気が漏れてきた。寝起きの顔に心地よい。
囁くような音は続いている。
雨粒の筋は見えないが、町は全体にしっとりと濡れ気を帯びている気がした。
そして、やはりまだ色は夢現つといったところ。雨雲に遮られて朝日が届いていない。
人影がひとつ、道路の端を歩いて窓に切り取られた景色に映りこんだ。
眠ったままの色達の中にただ一つ際立つ、黒のコートに身を包んで、傘はささず、何だか妙に悠々と、ゆっくりしたペースで歩いていく。彼の靴の底がアスファルトと擦れて、密やかな音を立てている。まだ車や他の通行人が居ない通りは静かで、そんな小さな音さえここまで届くのだ。
あれ、
あの囁くような音は、小雨だったんだろうか、彼の足音だったんだろうか。
雨粒の筋は見えない。もしかしたら雨はもっと早くに止んでいて、私が寝起きに耳にしたのはあのゆったりとした足音だったのかもしれない。
私の目を覚まさせたかもしれないコートの人は、ゆったりと窓のスクリーンから姿を消してく。
けれどまだ、囁くような音は響き続けている。
私に断りもなく部屋に忍び込んで充満している。
この音も遠ざかって消えてしまったなら、私の目を覚まさせたのは
あなたなんだ。
名前も知らない
遠くて顔もわからない
正直男か女かもはっきりしない
私を知らない
そして二度と逢うことはないだろう、あなた。
小さなときめきを枕に詰めて抱いて顔を埋めながら、足音か雨音かわからないままそれに包まれて
まどろみに浸っていく、ある冬の小雨の朝