冷暗所で十年、死体を凍らせ続けていた俺は最強でした~魔石で十分と言われてクビになりましたが、数ヶ月後に王都が腐り始めたそうです~
冷暗所の扉を開けた瞬間、肌に刺さるような冷気が流れ出した。
――いや、違う。
これは外へ漏れ出した冷気じゃない。正確には、“俺が維持している冷気”だ。
「……今日も、なんとか持ってるな」
小さく呟きながら、石壁に手を当てる。
ざらついた感触。指先に伝わるのは、氷ではなく、ただの古びた石の冷たさだけだ。
本来、この施設はとっくに機能していない。
王都の外れにあるこの冷暗所は、十年以上前に建て替えの話が出ていたらしい。だが予算が降りず、そのまま放置。
結果どうなったかといえば――
壁はひび割れ、隙間だらけ。扉の建て付けも悪く、外気はほぼそのまま入り込む。
冷暗所としての機能は、完全に死んでいる。
普通なら。
中に安置された遺体は、数日も経たず腐敗するはずだ。
だが――それが起きていない理由は、たった一つ。
「……今日もやるか」
目を閉じ、魔力を巡らせる。
胸の奥に沈んでいる感覚をすくい上げるようにして、指先へと流す。
そして、そのまま壁へ。
じわり、と。
見えない膜が広がっていく。
壁の内側に張り付くように、均一に、隙間なく。
温度を奪い、外気を遮断する。
――凍結。
だが、ただ凍らせているわけじゃない。
強すぎれば霜が付き、遺体を傷める。弱すぎれば腐敗が進む。
だからこれは、調整の連続だ。
空気の流れ。湿度。遺体の状態。
それらを全部感じ取りながら、微妙に魔力を流し続ける。
十年。
毎日、ほぼ休みなく続けてきた作業だ。
「……少し、消耗が早いな」
息を吐く。
ここ数年、魔力の消費が増えている。
原因は分かっている。
――施設の劣化だ。
外から入り込む熱が、年々強くなっている。
つまり、それを押さえ込むためにより多くの魔力が必要になる。
「そろそろ、限界かもな……」
誰に聞かせるでもなく呟く。
だが、それでも手は止めない。
止めた瞬間、この場所は終わる。
腐敗は、一気に進む。
それだけは、避けなければならない。
……まあ。
誰もそんなこと、知らないんだけどな。
俺の仕事は、“死体を腐らせないこと”。
ただそれだけ。
そしてそれは――
“誰でもできる簡単な仕事”と、思われている。
だから評価されることもなければ、褒められることもない。
ただ、そこにあるのが当たり前。
問題が起きなければ、それでいい。
そんな扱いだ。
「……終わり、っと」
魔力の流れを整え、ゆっくりと手を離す。
空間は、再び安定した。
これで、ここを維持する日数が1日分増えた。
明日も、明後日も――
同じことを繰り返すだけだ。
そう思っていた。
――その時までは。
「おい、ちょっと来い」
背後から声がかかった。
振り向くと、上司が立っていた。
その隣には、見慣れない男がいる。
上等な服。無駄に飾りの多い装飾。
――貴族か。
嫌な予感がした。
「何かありましたか」
「いいから来い」
短く言われる。
有無を言わせない口調だった。
仕方なく、後をついていく。
冷暗所の外に出ると、空気が一気に温くなる。
さっきまでの冷気が嘘みたいだ。
……いや。
実際、嘘みたいなものなんだろうな。
俺が維持しているだけの、仮初めの環境だ。
「で、用件はなんでしょうか?」
歩きながら問う。
上司は振り返りもせずに言った。
「お前の処遇についてだ」
その一言で、すべてを察した。
ああ。
ついに来たか。
どこか、納得している自分がいた。
最近の魔力消費の増加。施設の限界。
そして――
“あの噂”
魔石による冷却管理技術。
どうやら、それが現実になったらしい。
やがて、事務室に通される。
椅子に座らされ、向かいに上司と貴族が座った。
形式だけは整っている。
だが、内容は分かりきっている。
「単刀直入に言う」
上司が口を開いた。
「今日で、お前の仕事は終わりだ」
――やっぱりな。
驚きは、なかった。
「ちなみにどういった理由で?」
一応、聞くだけ聞く。
すると上司は貴族の方を見つめ、どこか得意げに言った。
「ここにおられる、ユチャーク男爵様の取り扱っている魔石で冷却管理ができるようになったんだ」
隣の貴族が、満足げに頷く。
「最新技術でね。安定性も高い」
上司が続ける。
「もう人間が魔法で冷やす必要はない。むしろ非効率だ」
「……そうですか」
短く返す。
予想通りの答えだった。
「コストもかかるしな」
上司は肩をすくめる。
「お前の給料分が丸々浮くわけだ」
軽い口調。
まるで、どうでもいい話をしているみたいに。
そして、決定的な一言。
「どうせお前の仕事なんて、誰でもできるんだろう?」
――ああ。
やっぱり、そういう認識か。
ほんの一瞬だけ、視線を落とす。
壁の向こう。
さっきまでいた冷暗所の方向を思い浮かべる。
あそこは、もう。
俺がいなくても回る場所になるらしい。
そういうことになっている。
……なら、まあ。
いいか。
「……分かりました」
それだけを言う。
反論はしない。
説明もしない。
どうせ、理解されない。
「話が早くて助かる」
上司は満足げに頷いた。
「引き継ぎも必要ないから、今日で終わりだ」
「はい」
「荷物まとめて帰っていいぞ」
それで、終わりだった。
十年。
ほぼ毎日通い続けた場所。
誰にも気づかれず、支え続けてきた仕事。
それが――
あまりにもあっさりと、切り捨てられた。
外に出る。
昼の光が、やけに眩しかった。
「……さて」
小さく呟く。
これからどうするか。
特に決めていない。
だが、やることは一つだ。
「とりあえず、仕事探すか」
冷暗所の方を振り返る。
分厚い石の建物。
何も知らなければ、ただの施設にしか見えない。
中がどうなっているかなんて、誰も気にしない。
「……まあ、なんとかなるだろ」
そう言って、歩き出す。
この時の俺は、まだ知らなかった。
あの場所が――
“俺がいないと成り立たない”
という事実を。
そして。
それを失った王都が、どうなるのかを。
王都の喧騒を抜け、石畳の通りをしばらく歩く。
行き先は決めていない。
だが、やることは単純だった。
――金を稼ぐ。
それだけだ。
「……冒険者、か」
自然と口に出る。
これまでの仕事とは、あまりにも違う世界だ。
死体と向き合い続けていた十年。
外で動き回る仕事とは無縁だった。
それでも、他に選択肢はない。
特別な資格もなければ、コネもない。
なら、今すぐ働ける場所に行くしかない。
そう考え、足は自然と一つの建物へ向かっていた。
冒険者ギルド。
石造りの大きな建物は、昼間にも関わらず賑わっていた。
中に入ると、ざわめきと酒の匂いが混ざった独特の空気が広がる。
「……場違いだな」
思わず呟く。
鎧姿の男たち。武器を背負った女。笑い声と怒号が飛び交う。
冷暗所とは、まるで別の世界だった。
だが、引き返す理由もない。
受付へと向かう。
「あのー……すみません」
声をかけると、受付嬢が顔を上げた。
「はい、どうされましたか?」
「登録をしたいんですが」
少しだけ間を置いてから、彼女は頷いた。
「初めての方ですね。こちらへどうぞ」
案内され、手続きを進める。
名前を書き、簡単な説明を受ける。
ランク制度。依頼の受け方。報酬の仕組み。
どれも初めて聞く話ばかりだったが、内容は単純だった。
「これで登録は完了です」
カードを手渡される。
「最初は簡単な依頼からになりますので、掲示板をご確認ください」
「ありがとうございます」
軽く頭を下げる。
思っていたよりも、あっさりと終わった。
これで、ひとまず仕事はある。
問題は――
「……何をやるか、だな」
掲示板の前に立つ。
張り出された紙には、様々な依頼が書かれている。
薬草採取。害獣駆除。素材収集。
その中から、一つ目についた依頼を選んだ。
――ホーンラビットの討伐。
小型魔物。危険度は低い。
初心者向けの依頼らしい。
「これでいいか」
特にこだわりはない。
受注を済ませ、そのまま街の外へ出る。
森の中は、静かだった。
風が葉を揺らす音だけが響く。
「……どこだ」
辺りを見回す。
しばらく歩くと、茂みの奥で小さな気配を感じた。
緑色の毛並み。
ホーンラビットだ。
こちらに気づいていない。
どうするか。
少しだけ考える。
武器は持っていない。
だが、魔法は使える。
――いつも通りでいいか。
手を軽く上げる。
意識を集中させる。
冷暗所でやっていたことと、何も変わらない。
ただ、対象が違うだけだ。
「……凍れ」
小さく呟く。
次の瞬間。
スノーラビットの動きが、止まった。
ぴたり、と。
まるで時間が止まったかのように。
「……え?」
思わず声が漏れる。
近づいて確認する。
触れてみると、完全に凍結していた。
表面だけではない。
内部まで、均一に。
「……え?一瞬、で?」
そんなはずはない。
冷暗所では、常に調整を続けていた。
こんな“瞬間的な凍結”なんて、やったことがない。
だが、現実は目の前にある。
「……まあ、いいか」
深く考えても仕方がない。
依頼は達成だ。
回収して、持ち帰る。
ギルドに戻る。
受付にスノーラビットを提出すると、受付嬢の動きが止まった。
「……え?」
固まったまま、じっと見ている。
「どうかしましたか」
「あ、いえ……少々お待ちください」
慌てて奥へ引っ込む。
しばらくして、別の職員と一緒に戻ってきた。
二人して、スノーラビットを確認している。
「これ……完全凍結ですよね」
「しかも、損傷がほぼない……」
小声で何か話している。
「何か問題でも?」
尋ねると、受付嬢は慌てて首を振った。
「いえ、問題はありません! むしろ……」
言いかけて、言葉を選ぶ。
「非常に状態が良いので、報酬を上乗せします」
「……そうですか」
よく分からないが、金が増えるならありがたい。
報酬を受け取り、ギルドを出る。
その背中を、何人かの視線が追っていた。
翌日。
同じように依頼を受ける。
今度は、もう少し大きな魔物だった。
だが、結果は同じだった。
「……凍れ」
一言。
それだけで、動きが止まる。
完全凍結。
時間が止まったように。
「……なんだこれ」
自分でも、理解が追いつかない。
だが、使えるものは使う。
それだけだ。
数日後。
ギルドの空気が、少し変わっていた。
「あいつだろ?」
「全部凍らせるっていう……」
ひそひそとした声が聞こえる。
気にしないことにする。
いつも通り、依頼をこなすだけだ。
だが――
「おい、お前」
声をかけられた。
振り向くと、一人の大男が立っていた。
見た目からして、そこそこ腕の立つ冒険者だろう。
「オレはここのギルドマスター、サッチだ。ちょっと見せてもらっていいか」
「何をですか」
「その魔法だ」
少しだけ考える。
断る理由もない。
「構いません」
外へ出る。
森の手前で、小型の魔物を見つける。
「……凍れ」
一瞬。
それで終わった。
魔物は動きを止め、完全に凍りつく。
男は、しばらく無言だった。
「……は?」
やがて、間の抜けた声が出る。
「今の、一瞬か?」
「そうなりますね」
「いや、ちょっと待て……」
頭を抱える。
「お前、それ、どういう原理だ」
「原理、ですか」
考える。
だが、うまく言葉にできない。
「温度を下げているだけですが」
「だけってレベルじゃねえだろ……」
呆れたように言う。
「……大型にも効くのか?」
「試してはいませんが、たぶん」
感覚的に分かる。
あれだけ魔力を流し続けていたのだ。
これくらい、できて当然だと思ってしまう。
サッチはしばらく黙り込み、やがて笑った。
「とんでもねえのが来たな」
その言葉に、少しだけ首を傾げる。
何がそんなにおかしいのか、自分では分からない。
その頃――
王都の冷暗所では、まだ問題は表面化していなかった。
魔石による冷却は、正常に稼働している。
温度も、記録上は安定していた。
「ほら見ろ、問題ないだろう」
上司は満足げに言う。
「人間に頼る時代は終わりだ」
ユチャーク男爵も頷く。
「ユチャーク様、また“お気持ち”の方、よろしくお願いいたします」
「ハッハッハ、お主も悪よのぉ」
すべては順調に見えた。
――この時点では、まだ。
「お前、もうEランクの仕事じゃないだろ」
ある日、サッチにそう言われた。
「……そうですか?」
「そうだよ」
呆れたようにため息をつかれる。
「報告書、全部見てるんだぞ。魔物、全部一撃じゃないか」
「たまたまです」
「たまたまで毎回できるか」
即座に否定された。
「ランク上げるから、次からもう少し上の依頼受けてくれ」
「分かりました」
特にこだわりはない。
仕事があるなら、それでいい。
それからの変化は早かった。
討伐対象は徐々に強くなり、報酬も上がっていく。
だが――
「……凍れ」
一言で終わる。
巨大な狼型の魔物も。
硬い甲殻を持つ魔物も。
動き出す前に、すべて凍りつく。
「……マジかよ」
同行していた冒険者が、呆然と呟く。
「今の、詠唱もなしだぞ……?」
「必要ないので」
事実を答える。
冷暗所でやっていたことに比べれば、ずっと楽だ。
あれは常に調整が必要だった。
だがこれは、ただ一瞬で奪えばいい。
その違いだけだ。
「いやいやいや、意味分からんって……」
頭を抱える仲間を横目に、凍った魔物を確認する。
損傷はない。
内部まで均一に凍結している。
「素材も完璧だな……」
別の冒険者が驚いた声を出す。
「普通、ここまで綺麗に残らねえぞ」
「そうなんですか」
「ああ。傷も腐敗もなしとか、最高品質どころじゃねえ」
評価は、どんどん上がっていった。
気づけば、ギルド内の空気も変わっていた。
「あいつ、もうBランク相当だろ」
「いや、Aでもおかしくないぞ」
そんな声が聞こえるようになる。
だが、本人には実感がない。
「……そんなに変わったか?」
依頼を確認しながら呟く。
やっていることは、ずっと同じだ。
対象が魔物になっただけ。
それだけなのに、周囲の反応だけが大きく変わっていく。
「ねえ、ちょっといい?」
不意に、女性の声がした。
振り向くと、一人の女性が立っていた。
見覚えがある。
「……あれ、アスカか」
思わず声が漏れる。
「久しぶり」
彼女は、少し困ったように笑った。
「やっぱり、あんただったんだ」
「なんでここに」
「それ、こっちのセリフ」
呆れたように肩をすくめる。
「急に仕事辞めたって聞いて、探してたのよ」
――幼馴染。
昔、同じ村で育った相手だ。
「……別に、大したことじゃない」
「大したことあるでしょ」
即座に返される。
「十年も続けてた仕事でしょ?急に辞めるとか普通じゃないわよ。何があったの?」
「辞めたというか……辞めさせられた」
「は?」
空気が変わる。
「どういうこと」
「魔石で管理できるようになったから、人間はいらないって」
淡々と説明する。
すると、彼女の表情が一瞬で険しくなった。
「……は?」
低い声。
「何それ」
「そういうことらしい」
「いやいやいや、意味分かんないんだけど」
明らかに怒っている。
「それ、あんたがずっとやってた仕事でしょ?」
「そうだな」
「で、“誰でもできるからいらない”って?」
「そんな感じだ」
肩をすくめる。
もう終わった話だ。
今さらどうこう言うつもりはない。
だが。
「……あんた、本当にそれでいいの?」
真っ直ぐに見られる。
「いいも何も、もう終わったし」
「終わってないでしょ」
食い下がる。
「絶対おかしいってそれ」
「そうかもな」
あっさりと認める。
「でも、仕事は見つかったし問題ない」
そう言うと、彼女は一瞬だけ言葉を詰まらせた。
そして。
「……無理してない?」
「してない」
本心だった。
少しだけ間があってから、アスカはため息をついた。
「……まあ、いいわ」
完全に納得したわけではなさそうだが、それ以上は言わなかった。
「とりあえず、あんたが無事ならいい」
「無事だ」
「知ってる」
苦笑する。
「噂になってるから」
「噂?」
「あんたのこと。“絶対零度の魔法使い”って」
そんな呼ばれ方をしているらしい。
「……別に大したことはしてない」
「してるっての」
即ツッコミが入る。
「普通じゃないから、それ」
そう言われても、実感はない。
ただ、やるべきことをやっているだけだ。
一方その頃。
王都の冷暗所では、確実に異変が起き始めていた。
「……おかしいな」
管理担当の職員が、首を傾げる。
「魔石の消費量が増えてる?」
記録を確認する。
確かに、徐々に増加している。
「そんなはずは……」
魔石による冷却は安定しているはずだった。
設計上、問題はない。
それなのに――
「温度も、少し上がってる……?」
ほんのわずかだが、変化がある。
誤差の範囲とも言える。
だが、気になる。
「上に報告するか……?」
迷いながらも、報告書を作成する。
「誤差だろ」
上司は一蹴した。
「魔石は完璧だ。問題あるわけない」
「ですが、数値が――」
「気のせいだ」
強く言い切る。
「人間の感覚なんて当てにならん。記録を信じろ。こんなことでわざわざ報告するな!」
「……はい」
納得はしていないが、逆らえない。
報告は、そのまま握り潰された。
さらに数日後。
異変は、よりはっきりとした形で現れる。
「……臭い?」
誰かが呟いた。
冷暗所の中。
わずかに、だが確実に。
異臭が混じり始めていた。
「気のせいじゃないか?」
「いや、でも……」
確認する。
遺体の一部。
ほんのわずかに、変色している。
「……腐敗?」
その言葉に、空気が固まる。
ありえないはずだった。
ここは冷暗所だ。
腐敗など起きるはずがない。
だが――
「な、なんでだ……?」
誰も答えられない。
原因が分からない。
ただ一つ、確かなのは。
“何かがおかしい”ということだけだった。
異変は、止まらなかった。
むしろ――加速していった。
「温度が維持できません!」
冷暗所の中で、焦りの声が響く。
魔石は確かに稼働している。だが、それでも足りない。
じわじわと、確実に。
外気の熱が侵入していた。
「追加の魔石を持ってこい!」
「すでに最大数です!」
「ふざけるな、そんなはずが――!」
怒号が飛び交う。
だが現実は変わらない。
魔石の冷却は“点”だ。
空間全体を覆うものではない。
かつて存在していた
“膜”
目に見えない、均一な冷却層。
それが、完全に消えていた。
十年かけて維持されてきたそれは、魔力の供給が絶たれたことで、ゆっくりと崩れ落ちていたのだ。
「……臭いが強くなってる」
誰かが顔をしかめる。
もう、誤魔化せる段階ではなかった。
腐敗は、確実に進行している。
「貴族様の遺体も……変色が……」
「なに!?」
空気が凍りつく。
それだけは、絶対に許されない。
だが現実は、無情だった。
「すぐに何とかしろ!」
「無理です!原因が分かりません!」
「分からなくてもやれ!」
命令だけが飛ぶ。
だが、誰にもどうにもできなかった。
問題はすぐに王都全体へ広がった。
冷暗所の異常は隠しきれず、上層部へ報告される。
そして――
「……どういうことだ、これは」
上位貴族である大臣が、低い声で問う。
その前には、顔面蒼白の上司と、あのユチャーク男爵が立っていた。
「魔石で管理できると言ったのは貴様らだな?」
「は、はい……ですが、その……」
「現状は見ての通りだ」
冷たい視線。
「遺体の腐敗。悪臭。苦情の山」
一つ一つ、突き刺すように言葉が落ちる。
「説明しろ」
逃げ場はなかった。
「……そ、そうだ」
上司が、何かを思い出したように顔を上げる。
「以前、魔法使いが一人……」
「魔法使い?」
「はい、その……人間が魔法で冷却していまして……」
「そいつを切ったのか?」
「ま、魔石で十分だと……」
声が小さくなる。
責任者の表情が、さらに険しくなる。
「……その魔法使いは、今どこにいる」
「わ、分かりません……」
「探せ」
即答だった。
「すぐに連れてこい」
数日後。
俺は、ギルドの外で呼び止められた。
「……ひ、久しぶりだな」
振り向くと、そこにいたのは元上司だった。
顔色が悪い。
以前の余裕は、どこにもない。
「お久しぶりです。どうされました?」
淡々と問う。
すると、彼は一歩近づいてきた。
「も……き……くれ」
「え?なんですか?」
「戻ってきてくれ!!」
その一言に、周囲の空気がわずかに変わる。
「冷暗所が……大変なことになっている」
「ああ、そうですか」
短く返す。
予想はしていた。
むしろ、遅いくらいだ。
「お前がいないと、維持できないんだ」
必死の表情。
「頼む。報酬は上げる。待遇も見直す」
言葉を重ねる。
だが――
「……人間の魔法使いはいらないんですよね?」
静かに言う。
上司の表情が固まる。
「あ、あれは、その……」
「どうせ誰でもできる仕事だと、言ってましたよね」
さらに重ねる。
「…………」
何も言えない。
否定できない。
自分が言った言葉だからだ。
「……い、今は違う!」
絞り出すように言う。
「必要なんだ。お前が」
「そうですか」
頷く。
だが。
「無理です」
はっきりと告げる。
「もう、別の仕事がありますので」
振り返ることもなく、歩き出す。
「待て!」
背後から声が飛ぶ。
だが、止まらない。
「頼む! このままだと王都が――!」
「……関係ないですね」
それだけ言い残す。
もう、終わった話だ。
「……あんた、容赦ないわねー」
少し離れた場所で、アスカが腕を組んでいた。
「そうか?」
「そうよ」
ため息をつく。
「まあ、当然だけど」
肩をすくめる。
「自業自得ってやつでしょ」
「たぶんな」
同意する。
「それより」
アスカはじっとこちらを見る。
「これからどうするの?」
「どうするって?」
「冒険者、続けるの?」
「そのつもりだ」
今のところ、困ってはいない。
むしろ――
「前より楽だしな」
正直な感想だった。
「……は?」
アスカが固まる。
「何それ」
「冷やすだけなら、前の仕事の方が大変だった」
「いやいやいや、あんた何してたのよ……」
呆れたように頭を抱える。
説明しようとして、やめた。
たぶん、言っても伝わらない。
「まあいいわ」
アスカは一歩近づいてくる。
「だったら――」
少しだけ、言葉を濁す。
「えっと、その……一緒に組まない?」
「組む?」
「パーティよ」
視線を逸らしながら言う。
「どうせ一人なんでしょ?」
「そうだな」
「じゃ、じゃあ……決まりね」
半ば強引に話を進める。
「……別にいいけど」
「よし」
「なんか顔が赤いぞ?」
「うっさい!!やっぱやめたは無しだからね!」
「はいはい、分かりましたよ」
なぜかアスカは満足そうに頷く。
その後。
王都の冷暗所は、完全に機能を失った。
魔石ではどうにもならず、遺体の多くが損傷。
責任問題は大きく広がり、関係者は処分されたと聞く。
詳しいことは知らない。
知る必要もない。
俺にはもう、関係のない話だ。
「……凍れ」
一瞬。
目の前の魔物が、動きを止める。
完全凍結。
時間が止まったかのように。
「相変わらず規格外ね……」
隣で、アスカが呆れたように呟く。
「そうか?」
「そうよ」
ため息混じりに言う。
「自覚なさすぎ」
そんなものだろうか。
自分ではよく分からない。
ただ――
今は、ちゃんと評価される場所にいる。
それだけで、十分だった。
「……まあ、いいか」
小さく呟く。
俺の魔法は。
どうやら、思っていたより価値があったらしい。
(完)
感想、レビュー、☆、励みになります(小躍りします)




