魔王を倒すことより、美味しいごはんが大事ですーーby勇者
何よりもごはんが大事な勇者の、胃袋掴んだ女の子のお話
私の住む街は、勇者が魔王討伐に向かうための最終拠点にある。魔王城に最も近い街のため、魔王配下による侵攻の被害が多い所だ。現に数年前、魔族と人間の抗争のため、私の両親は亡くなった。悲しい最期だった。
私、ニーナは、人々の声援を受けて手を振る、勇者一行を遠目で見送った。自宅兼お店の二階からは、勇者たちはとても小さく見えていた。
勇者一行を見送りながら、私は胸の前で合掌していた。魔王を倒してくれる勇者一行に祈りを捧げたのだ。優しかった両親の仇を彼らが討ってくれる。強暴にして無慈悲な魔王を、ぜひ倒して欲しい。
私は小さな食堂を一人で切り盛りしている。弱冠二十二歳とはいえ、料理人だった父が私にしっかりと味と技術を仕込んでくれたおかげで、お店はそれなりに繁盛していた。
その評判を聞きつけてか、勇者一行は魔王城に挑む直前まで、うちの食堂を贔屓にしてくれていた。ありがたいことである。
この街に滞在中、勇者一行は毎日のように店に訪れた。彼らは仲がいいのか、いつも賑やかに食事をしていった。
その勇者一行を見送ったのは、つい昨日のことだ。
今頃勇者たちは、壮絶な戦いの渦中にいるのだろう。勇者、守護戦士、魔術師、僧侶というバランスの取れたパーティだ。それぞれが途方もない実力者だし、きっと魔王を倒してくれる。
私は彼らの活躍を期待しつつ、いつものように開店準備をしていた。昨日まで毎日勇者一行の顔を見ていたから、若干寂しさを感じている。次に元気な姿を見せてくれるのは、魔王を倒した後だろうな。
勇者たちの顔を思い浮かべながら、厨房で仕込んでいる鍋を覗こうとした時だ。
ある一点に目をやって、私はびくぅっと後ずさった。いつも私が帳簿をつけたり、賄いを食べたりしている小さなテーブル席に、誰かが堂々と座っていた。
当たり前の顔しているけど、絶対にいてはいけない人がそこにいた。
勇者である。
どう見ても勇者である。
白銀の鎧に煌びやかな聖剣を差し、白いマントを止める肩口には勇者一行を示す銀色のブローチが光っている。昨日遠目で見送ったままの姿だ。
紛れもなく勇者なのである。
他にこんな、存在感をダダ漏らす男はいない。
……ていうか、勇者がなんでここにいるの?
いちゃ、だめだろうよ。
魔王討伐どうした。
思わぬ事に固まっている私を見て、勇者はにこやかに破顔した。
「ニーナ、俺、腹減っちゃってさあ」
「なっ……なっ……」
「魔族との戦いは体力勝負だからね。しっかり食べないと。あ、安心して。討伐はちゃんと順調に進んでるよ。
ところで今日の日替わりランチは……ああ! やった、ハンバーグだ! デミグラスソースたっぷりの、俺の大好きなやつ」
「ち、違うでしょ! なんで勇者がここにいるんですか!」
「だって、腹減ったんだもん」
「勇者様、あなた! 今現在、絶賛魔王討伐中ですよね! 死闘を繰り広げている最中ですよね!」
「そうねー。今魔王軍の四天王の一人と交戦中でー、お互い決めてに欠ける膠着状態で、睨み合いの真っ最中」
それよりもハンバーグ、ハンバーグ、ニーナの美味しいハンバーグ! と勇者はにっこにこしながら催促してくる。なんなら足でリズムを刻んでいる。
美味しいハンバーグ、と言われては料理人心がくすぐられる。確かにうちのハンバーグは看板メニューだし。濃厚なデミグラスソースには定評があるし。
私は動揺しながら、それでもいつものようにフライパンを手にした。勇者には客席へ移動してもらう。姿は見えないが、会話は問題なくできる。
私はハンバーグをペチペチと整形しながら、おそるおそる勇者に話しかけた。
「……魔王を倒しに行ってるはずの勇者様が、なんでここにいるのかきちんと説明してくれます?」
「ああ、それね。
なんかさ、魔術師の奴がさあ、ここに転移魔法陣敷いたって言うからー」
「えっ? ここ? この店にですか?」
「あいつ、一人で隙を見て来ようとしてたらしいよ。昨日ここにメシ食いに来た時に、こっそり簡易式の転移魔法陣敷いたんだって。だから、一人用の転移陣が、この店の厨房にあるんだよ」
「はあああっ?」
「ひょんなことでそれがバレて、魔術師をみんなでシバキ倒したしたんだけど。誰が最初にニーナのメシ食うかで割と本気で喧嘩になって。埒が明かないから全員でジャンケンして、勝ったから俺が来た」
ああいい匂いがするう、と、ハンバーグが焼ける匂いに蕩けた声を出す勇者。
おい。
あんたたち、命をかけて魔王討伐に挑んでいる最中でしょうが。勇者一行は魔族相手に戦う緊迫した空間で、ごはんをかけてジャンケンポンしてたんかい。
私はサラダとパンとスープを勇者の前に並べた。嬉しそうにカトラリーに手を伸ばす勇者。本当に現在進行形で、魔王軍と戦ってんだろうか、この人。
「私のお店に許可もなく、何してくれてんですか」
「それ、魔術師本人に言ってくれる? で、存分にボコっていいよ」
「……一人用の転移魔法陣、ですよね。なんのために」
「憩いの場の確保じゃない?」
「緊張感漂う魔王討伐中の勇者一行様に、憩いの場なんて必要あります?」
「あります。大事です」
「気が抜けちゃいませんか。しかも、よりによってここじゃなくても」
「息抜きって、重要よ? それに、おいしいごはんは活力の源です」
勇者にキリッと真面目に返されてしまった。
おいしいごはん、と言われるとそれはそれで満更でもないんだけど。割と大袈裟に嬉しいけど……ごにょごにょ。
熱々のハンバーグを勇者の前に出すと、勇者はキラキラした目をしながらハンバーグにナイフを入れた。ぱくんと口にした瞬間に身体を震わせ、幸せそうに咀嚼している。その反応見ると、嬉しいやら誇らしいやらで……むにゃむにゃ。
「ニーナァ。肉汁溢れるハンバーグはもちろんだけど、付け合せのほうれん草と人参が、デミグラと相性抜群なの~。ポテト揚げたても、神~」
「ありがとうございます。してやったりです。今まさに勇者様を手のひらの上で転がしてます。
いや、そんなことより。……この店に一人用の転移魔法陣がある、ということは。これからうちに、一人ずつ勇者一行がやって来ることになるんですか?」
「そうなるね。じゃないと、内部分裂で俺たちパーティが崩壊する」
「大袈裟な」
「大袈裟じゃないよ、何言ってんの。
今までの旅は味気ない携帯食や、戦士の作ったクソ不味い粥だったわけよ。魔術師のやたら苦い薬草入り雑炊とか、僧侶の干し肉しか入ってない筋張ったスープに耐えられなくなった時、折を見てニーナの料理が味わえる。冒険の最中だというのに至福のごはんが食べられる。これほど最高なことがあるか」
「はああ……」
「うわあ、分かってないなー。野戦食の侘しさ。もうね、口の中パサパサになりながら食べる固形食のマズさと言ったら……。
……あ、ヤバい。戦局が動いたらしい」
勇者は耳をすませるような仕草をしている。魔法で誰かと話をしているみたいだ。
勇者は皿に残っていた料理を大急ぎでかき込むと(残すという概念は一切ないらしい、偉い)、何かを取り出して私の手に握らせた。
「勇者一行、貨幣を持ち歩いてないんだよね。今使うタイミングがないからさ。だから、ごはんのお代替わりに受け取って」
「はい?」
「魔王幹部の陣営に山ほどあった。これ、容赦なく攻撃に使われてたらヤバかったな」
「え? えー?」
「ニーナの可愛い顔も見られてよかったよ。ご馳走さま」
勇者はにかっと笑うと、何か呪文を唱えだした。そのまますっと姿を消した。
急に誰もいなくなったお店に、私は一人で佇んでいた。残されたのは、きれいに食べ終えたハンバーグ定食のお皿だけ。突然やってきた勇者は、来た時と同じように突然消えてしまった。こんな不思議なことができるのが、勇者一行なのだ。
私は勇者の渡してくれた手の中の何かを見た。透明感のある黒い何か。もっと不純物の混じった物なら見たことがある。それどころか、日常的に私たちが使う魔道具に欠かせないもの。売れば相当な価格となる。
たぶんこれ、高純度の、魔石だ。
◇ ◇ ◇
「……でえ、そこで俺の聖剣が高位魔族にトドメを刺したわけよ。魔王軍のナンバースリーって名乗ってたけど、俺の方が上手だったってことだね」
「はあ」
「守護戦士なんて立ってるのがやっとでさあ。魔術師も僧侶も魔力切れかけてふらふらしてるし。
ほら、俺くらい鍛えてないと? そういったピンチな場面で? 実力が明るみに出るというか?」
「あの、勇者様」
「何、ニーナ。俺の事見直しちゃった? 超絶格好いい俺に、ぞっこん惚れ直しちゃったとか? 勇者様ステキ、とか言ってくれていいからね」
「ご注文の、牛すね肉の煮込み、お待たせしました」
牛すね肉の煮込み温玉添えとガーリックトーストを前にして、勇者は声にならない歓声を上げた。やおらスプーンを手にして、慎重に煮込まれた肉を掬った。ゆっくりと口に入れると「お肉、やーらかあい。卵、とろとろぉ~。幸せ~」ともごもご言った。毎回来る度、この人は嬉しそうに感想を言ってくれる。
勇者一行は、本当に代わる代わる厨房の片隅にやって来た。ほとんど毎日誰かがいる。
昨日も守護戦士がやってきて、鯖のトマト煮大盛り三杯と、バゲットを五本平らげていった。大食いの彼が来る時は事前にお知らせが欲しいくらいだ。お店で使うパンが足りなくなってしまう。
でも彼の支払いは豪快だ。魔族の落し物だと言って、豪勢な短剣やバックルなどを持ってくる。大概高位魔族の持ち物は宝石が嵌め込まれているので、売りさばくとすごい金額になったりする。戦いにはいらないからと、お宝を置いて言葉少なに去っていく守護戦士の背中は、とても格好いい。
「どしたの、ニーナ?」
「なんだか聞いていた話と違うな、と。
昨日いらっしゃった守護戦士様によると、勇者様の聖剣から繰り出す必殺技のために、守護戦士様は時間稼ぎがかなり必要だったとか」
「……ぎくぅっ」
「守護戦士様が、あと五秒遅かったら俺死んでたって言ってました。勇者のヤロー肝心な時に呪文噛みやがったって。何が必殺技だふざけんな、と愚痴りながらバゲット齧ってましたから。なんか、ギリギリだったんだなあっ、て」
「あいつっ……余計なことをっ」
「だから昨日は、この店に来る権利を勇者様からもぎ取ったとか。今回の戦いの最大の功労者特典だそうで」
「ま、まあ。守護戦士死にかけてたし? 僧侶いなきゃ死んでたくらいのダメージだったし? 俺は寛大だし?
それくらいは広い心で譲ってやるけどな」
「へえええ」
「ニーナ、白い目が痛いよ?」
牛すね肉の煮込みを食べ終えた勇者は、ふうと息をついた。「すげえ、身体ポカポカする」と呟いている。煮込み、あったかいからねえ。
勇者は立ち上がって、いつものように私に魔石を渡してきた。それを受け取って、私は代わりに勇者に小さな包みを渡した。訝しげな勇者に私は小さく笑いかけた。
「ナッツ入りのクッキーです。腹持ちがいいと思いますので」
「……俺に?」
「魔王軍と戦っている勇者様に、私ができることといったら、これくらいしかないので。手が空いた時に、食べてください」
「ニーナ」
「勇者様には頑張って欲しいし、信じてます。でも、痛い思いや辛い思いは必ず伴ってしまうでしょう。だから、祈りを込めて作りました。少しでも戦いのお役に立てるならって」
「ニーナ……」
勇者はクッキーの包みを持ったまま立ち尽くした。思いがけないことに戸惑っているようだった。
勇者の手が何かを求めたように動いたが、躊躇った挙句にその手は下りた。クッキーの包みを大事そうにしまう。勇者は決意を決めたように横を向いた。
「ニーナ、俺は必ず魔王を倒すよ」
「はい」
「魔王を倒したら、俺にご褒美をくれる?」
「そうですねえ。ケーキでも焼きましょうか」
「ああ、いいね。でも俺は、別のものがいいかな」
「別のもの?」
「そうだなあ。……ニーナのちゅー、とか?」
私は思わず硬直した。勇者をまじまじと見つめてしまう。勇者はいつも通りの端正な横顔を見せているのだが。
……それって、どういうこと?
勇者は笑いながら、「冗談」と背を向けた。ちらりと目だけこちらに向けてくる。少しだけ熱のこもった眼差しが私を捉えていた。
「あんまり可愛いことすると、早く君を暴きたくなるよ」
「な、何をですか」
「ニーナには分からないかな」
「だから、何をです」
「なんだろうねえ」
クスッと笑って、勇者は呪文を唱えると姿を消した。 いつものように唐突で、いつもと違って意味深だった。
私は両手を胸の前で結んだ。勇者の言葉が思い返される。君を暴きたくなる、って。
勇者様。それ、どういうつもりで言ったんですか……?
◇ ◇ ◇
クラブハウスサンドにかぶりつく勇者に、私は困惑した顔を向けていた。
最近うちの店は従業員も雇って、随分楽にお店を回せるようになった。勇者一行がくれるごはん代のおかげである。ホール仕事や洗い物をしなくていいと、厨房での仕事に集中できる。素晴らしいことだ。
今日の勇者は、心なしか焦っているように見えた。明らかに私の言葉に動揺している。もぐもぐの速度が速い。
早く食べて早く立ち去ろうとか思ってないか? せっかく作ったんだから味わって食べて欲しい。クラブハウスサンドはターキー、ベーコン、レタス、トマト、卵を挟んでる。しかもトーストしたパンで挟むという、割と手のかかるサンドウィッチなのだ。さらっと注文されるとイラッとする商品だからね。よく噛んで味わえ。
「勇者様。僧侶様をなんとかしてください」
「……なんとか、って言ってもね」
「勇者様一行の中で、唯一の女性メンバーじゃないですか。ちゃんとケアしてあげないと可哀想です」
「そうなんだけどさあ」
「このままでは、痛くもない腹を探られてる、私も可哀想です」
「うっ」
勇者一行の唯一の女性メンバー、女性僧侶は、勇者のことが好きなのだ。
勇者の隣に立ちたくて、必死に修行して命懸けで勇者に付いてきたような女性である。実力もさることながら、ものすっごく美人だしスタイルもいい。自分の意見ははっきり言う、大変強気で格好いい、できる女性の典型のような方である。
そんな強め一杯の人なんだから、勇者に直接自分をアピールすればいい。それが一番手っ取り早い。早いところ勇者のこと好きって言っちゃえばいいのだ。
しかし彼女は、プライドが高いくせに色恋沙汰に関してはたちどころにシャイになる、という奥ゆかしいタイプの人だった。自分の恋愛を進めるために自ら動くことができず、だからと言って周囲の手を借りるような柔軟さも鷹揚さもない。
どちらかと言うと取り扱い注意の、非常にめんどくさ……繊細な女性だった。
ところで、どうしてそれが私サイドで問題なのかというと。
私という女が切り盛りしてるこの店に、勇者が一人で訪れている、という状況が女性僧侶は気に入らないらしい。
分かりやすく言うと、勇者と私の仲を疑っている。ティーボーンステーキとスペアリブという、僧侶らしからぬ食事を摂りながら、女性僧侶は勇者と私の間を切り裂こうとしていた。「勇者はあんたみたいな食堂の小娘なんか興味ないわよ。余計な感情は持たない事ね! あと、次に来た時はもう少し大きい肉用意しときなさいよ!」と分かりやすく牽制してくる。私と勇者の間には、店主と客という間柄しかないのに。
「私が勇者様と何を話したとか、勇者様に何を言われたとか。僧侶様がご来店の際に報告が義務化されてるんですけど。疑惑の塊で、全力でぶつかって来られるんですけど」
「ああ、そうね……」
「適当に流してますけどね。しつこいので困ってます。
勇者様は、女性僧侶様の想いに気づいてらっしゃるんですよね? いい加減、なんとかしてくださいよ」
「……なんとかできたらとっくにやってるよ」
「じゃあ、勇者様自身は女性僧侶様のこと、どう思ってるんですか」
「純粋に、魔王討伐のパーティメンバーとしか見てないから。僧侶としての実力は申し分ないけど、性格キツくて言葉もキツくて。恋人として付き合うにはちょっと引くよね」
「うー……」
クラブハウスサンドを食べ終えた勇者は、追加で頼んだミルクティーを一口飲んで長い足を組んた。ふぅぅと、アンニュイなため息をついている。目はここではないどこかを見つめていた。
ねえ、食堂のテーブルで優雅に黄昏てるあなた。本当に魔王討伐中の人なんですよね?
「そもそも今ね、これから魔王城に攻め込もうって大事な所なんだけど。僧侶、こんな時に何言ってんの」
「魔王城の真ん前まで行っておきながら、勇者様はごはん食べにここへ来たんですね」
「俺が誰を好きだろうが、どうでもよくないか。魔王討伐に集中しろよ」
「これから魔王城に攻め込もうって勇者様は、のんびりティータイム決めてますけど」
「あいつ、いっつも俺に対して言う事キツイしさあ。作戦立てるときもミス見つけてはボロクソに言ってくるし。ホントにこいつ俺の事好きなん? とか毎回思ってる」
「女性僧侶様、無駄にプライド高いから……」
「しかもさあ、ヒールかける時に俺に触る必要なくないか? いっつもベタベタ触ってくるぜ。守護戦士や魔術師には離れてヒールかけてるくせに。これ、セクハラだよな。俺、僧侶のことセクハラで訴えられるよな」
「女性僧侶様、心の奥底にしまってあるハズのめくるめく欲望が、行動で出ちゃってますね。
触るのやめろとか、一回くらい言ってみたらどうですか?」
「戦局が佳境に入ろうかって時に、テンション下げるようなこと言えねえよお」
なんなんだよあいつ、魔王倒したらぜってー縁切るからな、と勇者は毒づいた。ついでにミルクティーにそっと添えて出したメープルラスクをばりばり食べた。なんなら空いた皿を私に見せておかわりを要求している。勇者は甘党である。
私はラスクを皿に載せながら、ため息をついた。
女性僧侶様、勇者様の様子を拝見するに。あなた様は完全にミャクなしです。それどころか縁が切られそうです。ここは切り替えて、新しい恋を探した方がいいのでは……と、誰か伝えてあげて。私からは無理です。
勇者は不機嫌そうに頬杖をついた。
「僧侶め、せっかくの俺の癒しを台無しにしやがって」
「癒し、ですか」
「そうだよ。ニーナは俺の癒し。セクハラ僧侶の話のせいで台無しだ」
「勇者様、違いますよ。正確には、『ニーナのごはんは癒し』、ですよ」
「違う。ニーナがオレの癒し。ニーナと話してると活力が沸くの」
「勇者様、それは違う」
「違わない」
勇者は私を真っ直ぐに見つめてきた。息を飲むほど真剣すぎて、戸惑うくらいだ。
思わず後ずさった私の手を、勇者はさっと握った。強い力が勇者の本気を表しているようだった。
「ニーナは俺の力の源だ。本当に、君と話した後の戦闘は、驚くほど上手くいく。力がみなぎるんだ」
「勇者様、だからそれは」
「ニーナの美味しい食事と笑顔と会話が、俺を魔王城まで辿り着かせてくれたと思っている。君のおかげだ」
「そんなはずないです。私は」
「ニーナ。俺、魔王を倒したら、君に言いたいことがある」
勇者は立ち上がった。背の高い彼は少し屈んで、私の耳元で囁いた。勇者の低い甘い声が、耳朶を打った。強く握られた手が、熱くて戸惑う。
「魔王を倒したら、必ず君の元へ向かう。俺は、どうしても君に訊ねなくてはならない」
「……勇者様」
「俺は必ず魔王を倒す」
「……」
「それまで待ってて、ニーナ。続きはお預けにしよう」
そっと私の髪を撫でると、勇者は消えた。
魔王を倒しに行ったのだ。
◇ ◇ ◇
魔王が討たれた。
勇者一行は、本当に魔王を倒したのだ。
そのニュースは瞬く間に国中に広まった。
勇者一行は王都に凱旋し、国の英雄として褒賞を授かった。
魔族からの侵略が途絶え、私の街にも平和が訪れた。戦いがなくなったということは、徴兵されていた兵士が街にたくさん戻ってくるということだ。街は活気づき、私の店も大いに賑わった。
お店はかなり忙しくて、仕込みの量も格段に増えた。でも私のこだわりはちゃんと続けていく。私にしかできない、私の秘密の調理法。
従業員の帰った深夜。私は誰もいない厨房で、仕込みの鍋に向かって作業していた。
厨房にあった、勇者一行の魔術師が設定した転移魔法陣は、魔王討伐と共に撤去した。魔王が倒れた今、勇者一行の旅に私の店は必要が無くなったと思ったから。彼らは魔法陣を使って私の店に来れなくなった。
寂しい気もしたけど、勇者一行は魔王を倒して国の英雄になったのだもの。王都で毎日、私の料理よりもっと美味しいものを食べているに違いない。それは彼らにとって、とても幸せな事だ。
私は目の前の寸胴鍋に集中した。香味野菜や鶏から煮出した、全ての料理に使う基本のスープ。ここに私の力を注ぐ。もう、何年もやっている作業だ。
私はスープに手をかざし力を込めた。手のひらに熱い空気が溜まってくると、スープの表面が揺らめいた。熱い空気をスープに注ぐ。私の力をスープに混ぜ込むのだ。これが、私の料理の、誰にも明かしていない秘密――
「約束通り、魔王を倒して会いに来たよ、ニーナ」
突然現れた勇者が、鍋にかざしていた私の手を取った。にこやかな笑みを浮かべて私を引き寄せる。私は驚いて身を竦ませた。
ここには誰もいないはず。この店には誰も入れないはずなのに。
うそ。勇者、いつの間に。
魔術師の転移魔法陣は、確実に撤去した。お店だってきちんと施錠している。勇者がここに現れるはずはない。
なのに、どうして。
驚く私を勇者は抱きしめた。
……いや、違う。羽交い締めにしたのだ。私が抵抗できないように。
「魔術師が設置した転移魔法陣がなくなって、俺が来れないと思っていたね、ニーナ」
「くっ」
「転移魔法陣の作成は、魔術師しかできないわけじゃない。俺だって時間をかければできるんだ」
「勇者……様」
「何度かこの店を訪れた時に、転移魔法陣を少しずつ書き足していった。ニーナには気付かれないように」
「そんな……嘘でしょ」
「俺は勇者だ。特殊な魔力には敏感だ。だから君に気づいたんだ」
「くっ……」
勇者は私を拘束する力を強めた。
スープに力を注ぐため、私は本来の姿に戻ってしまっていた。勇者が唐突に現れたせいで、擬態することができなかった。私の黒く長い爪が勇者を掴もうともがく。普通の女性とは思えないだろう力で足掻くが、勇者は難なく私を押さえ込んだ。さすが魔王を倒した勇者。腕力だって桁外れだ。
勇者は抵抗する私を押さえつけて、耳元で囁いた。
「ニーナ……君は魔族だね」
後ろ手に縛られて、私は椅子に座らされていた。人間に擬態していない私は浅黒い皮膚に黒い爪を持つ魔族の姿だ。身体の所々に鱗があるのは、トカゲの性質を持つからである。
勇者はしげしげと私を眺めていた。魔族を倒して魔王を討った勇者だ。なぜ魔族である私を殺さないんだろう。拘束するだけなんだろう。
「なぜ殺さないのか、とか思ってる?」
「……はい」
「約束したじゃないか。君に聞きたいことがあるって」
「……勇者様は、どこまでご存知なんでしょう」
「そうだね。君は魔族のくせに、魔族らしくない行動をとっていた。
ニーナは俺ら勇者一行の、魔王を倒す手助けをしている、と思っていたよ」
私は息を飲んだ。
勇者はただ漫然とごはんを食べに来てただけじゃなかった。私の作るごはんの力を知っていた。
「……気づいていらっしゃったのですか」
「どういう理屈かわからないが、君の料理を食べると力がみなぎる。確実に戦いが楽になるんだ」
「お料理に、魔族の力を振るいました」
「理由くらいは知りたいじゃないか。敵対しているはずの勇者一行に、なぜ魔族が手を貸すのか」
勇者の言葉に、私は目を閉じた。
まぶたの裏にあざやかに蘇るのは、戦いで捨ておかれた魔族の両親の遺体。非戦闘員として駆り出されたにも関わらず、戦場で無惨に捨てられた両親。遺体すら回収してもらえなかった。
そんなことをしたのは、魔族を守るべきはずの魔王軍。傲慢に下級の魔族を従え続け、使い続けていた魔王軍。
ひいては、魔族のトップに立つ、魔王だ。
「……私の両親は料理人でした。人間との戦争のため、魔王軍に調理兵として徴兵されて、従軍しました。私も予備役として後方にいて」
「うん」
「両親は魔族としては腕力は弱い方ですが、魔力の強い調理人でした。料理に魔力を込める技術を持っていたんです。両親の作る料理を食べるだけで魔力が上がるので、重宝されていたのですが……私たちの所属する隊の隊長が、ロクでもない男で。戦局が悪くなった途端、魔王軍の隊長は幹部だけ連れて逃げ出しました。全ての兵士を捨てて」
隊長は、魔王の息子の一人だった。個人としての戦闘力は高かったが、兵団を率いて戦う指揮能力はなかった。残された両親を含む非戦闘員は戦場に放置した。激戦の中武器も持たない両親は、撤退する道筋さえ見えないまま、恐怖と絶望と共に戦死した。
「私は敗走するどさくさに紛れて、人間に擬態して生き延びました。魔王軍の隊長のことは信じられなかったし、両親がもしかしたら生きているかもしれないという望みを捨てきれず……数日後には両親の遺体と対面しましたが」
「ああ」
「そのままこの街にたどりついたんです。
そうしたら、人間のほうが優しかったんですよ。避難所があってごはんを食べさせてくれて。着るものとか、寝るところとか作ってくれてて。魔王領では弱ければ死ねというのが当たり前だったので。こんなに待遇が違うのかと」
「そうか」
「私はここで生き延びられたから。この街に恩返ししようと決めました。私にも料理はできますから」
「両親直伝の、魔力を込めた料理、だね」
「人間だって魔力を上げれば、少しだけ魔族からの攻撃に耐えられるでしょう。魔法が使える人は、ちょっとだけ強い魔法が撃てますよね」
「復讐なんだね、ご両親に向けての」
勇者の言葉に、私はコクンと頷いた。
これは、小さな復讐だ。
両親を殺した魔王軍への。弱い者をかえりみない魔王への。
私は私のお店で、人間に魔力を上げる料理を振る舞い続けた。私の料理を食べた人間が、少しずつ魔王を追い詰められるようにと。
まさか、勇者一行が私の店に訪れるとは思っていなかった。そして、魔族である私の目から見て、勇者一行の魔力耐性は明らかに強かった。
だから私は、勇者たちの料理へは、できる限り魔力を注ぎ込んで調理をしたのだ。一般人なら魔力過多で身体を壊しそうなものの、勇者一行はどんどん魔力を吸収して強くなっていった。根本的に身体の出来が違うのだろう。
「ニーナの店で食事をすると、力がみなぎるような気がしてたのはそのためか」
「魔力を底上げしてますからね。魔王を倒す一助にはなれたでしょうか」
「間違いなくね。礼を言うよ。
魔術師が君の店に転移魔法陣を敷いたのは偶然だけど、そのおかげで魔王討伐の期間は明らかに短縮されたはずだ」
「誰かさんは私と話すと力がみなぎるとか仰ってましたが。単純に魔力が上がっただけでしたね」
「そうだねえ。でも、魔力が上がっただけではこんな気持ちにはならないよ。
だって俺は、君自身を気に入っているんだから」
「……え?」
勇者は立ち上がって私の顔を覗き込んだ。浅黒い私の頬を撫でる。頬にある鱗に勇者の指が触れると、勇者の体温が熱く感じられた。
「ニーナの店でごはんを食べる事が、俺はすごく楽しかったんだ」
「……勇者様……」
「楽しい食事は心を癒す。戦いしかない俺に、君が与えてくれた食事の時間はどれだけ癒しになったことか。
拘束してごめん。でも正面から問い質したら抵抗しただろう? 君を傷つけたくなかった」
「あ……」
「ニーナ。人間だろうと魔族だろうと、俺の気持ちは変わらないよ」
「勇者様」
「……もう抵抗はしないよね」
勇者が私を拘束している縄を解いた。私を傷つけないよう、緩く拘束してくれていたのだと今ならわかった。拘束を解く手つきも優しい。
魔族なのに、勇者は躊躇いなく私を受け入れようとしている。信じてくれている。
そんな人が、そんな人間が、この世界にいるなんて。
じん、と胸が熱くなるのを感じた。
なんだか世界が変わったみたいだ。人間と魔族の垣根が壊されたような、同じ目線で立てるような、そんな気がした。種族の違いなんか些細なことで、お互いのことをどう思うかが重要で。
勇者に至っては、私との間にある垣根を、とっくにとっぱらっていた。
勇者は私の戒めを解くと、正面から目を合わせてきた。勇者の真剣な瞳が私を捕らえていた。
「ニーナ。王都で食堂を開かないか?」
「……王都で、ですか?」
「俺の生活は王都中心になるだろうから。王都でも君のごはんが食べたいんだ。俺はもう、君の料理なしでは生きていける気がしない」
「でも、魔王は倒れましたし。私の魔力料理は必要ないです」
「魔力料理じゃなくてもいいんだよ。
俺は君が作った、普通のごはんが食べたい」
「それは、嬉しいですけど……王都みたいな人の多いところで、私が魔族だってバレたら」
「ニーナがやってる人間の擬態は完璧だよ。ここの従業員だって、ニーナの正体に気づいてないだろ。王都でもバレないよ。
それに、勇者お墨付きの店って、初めから宣伝すればいい。もし君が魔族だと気付いた奴がいたとしても、君の店を支持しているのは勇者である俺だ。魔王を倒した俺に、敢えて喧嘩売ってくるやつはいないから」
勇者は無邪気な顔で私に微笑んだ。魔王を倒した英雄ではなくて、ただお腹をすかせた青年がそこにいた。私のごはんを楽しみにしてくれている、一人の男の人。
「とにかく俺は、毎日君の作るごはんが食べたい」
「……その言葉。まるで、プロポーズみたいですよ、勇者様」
「あははは、そうだね。いっそ、一緒に暮らそうか、ニーナ」
「待ってください。そんなの……女性僧侶様を敵に回してしまいます」
「……あいつなあ。どうにかしないとなあ。まあ、なんとかするよ。
食堂の場所も開店資金も、俺が準備するからさ。どうかな、ニーナ」
勇者がうずうずしているのが分かった。私の「イエス」を聞きたくてうずうずしてる。
この人、そんなに私のごはんが好きなんだ。
それは料理人として嬉しいことで。
私を差別しない純粋な勇者に求められているというのも……すごく嬉しい。
「……私も、勇者様がごはんを食べる姿見るのは、好きなんです。美味しそうに食べてくれるでしょ。見ててすごく幸せになれるから。
それに開店資金なら、実は勇者一行様の貢物で、かなり貯まっていたりして」
「ああ、現金以外でのごはん代金のことか。魔王軍からぼったくったやつだもんな」
「ほとんど使ってないんです」
「それにね、ニーナ。王都はいろんな食材があるよ。王都は各地から様々な食材が集まってくる場所だから。ニーナが扱ったことのない食べ物がたくさんあるかも」
「うわあ……見てみたい」
「ニーナ。俺と一緒に行こう。美味しいもの探そう」
「勇者様。
……王都、行ってみようかな」
私の言葉を聞いて、勇者はたちどころに顔を輝かせた。それはかつて、初めて私のスープを口にした時に、私を振り返った表情と同じだった。
勇者様はきらきらな顔でごはん食べる人だな、と思ったものだ。
嬉しいとおいしいは、同じような顔になるんだね。弾けるような明るい表情。打算のない素の反応。幸せいっぱいを恥ずかしげもなく見せられる人。
……この人、いい人だな。と、出会った頃から思ってて。その印象は今も変わらない。
「……勇者様って、いい人ですね」
「あ。そう言われるのは、やだな」
「え? いい人って言われるの……?」
「ううん。ニーナに『勇者』って呼ばれるの」
「嫌なんですか? 本当の勇者様なのに」
「『勇者』って、戦うためにある役職だろ。ニーナにまで戦ってこい、と言われてるみたいで。殺伐とした気分になる」
「ああ。そうなんだ」
「ニーナといる時は、戦いとは無縁の俺でいたいから。だから、これからは俺の事は名前で呼んでくれる?」
「わかりました。なんて呼べばいいですか」
「ニーナに名前を呼ばれるなんて嬉しいな。
俺の名前は――」
――勇者の名前をそっと呼んだら、勇者は今まで見せたことのないほど照れた顔をした。そしてはにかんだように私を見て、「もう一回呼んで」とおかわりしてきた。
ごはん以外のおかわりは、私にとって初めての経験かもしれない。
―― 終 ――
戦闘シーンの全くない、魔王と勇者の戦いでした。
ジャンルは、ハイファンタジーか異世界恋愛かで迷いました。甘さ成分控えめなのでハイファンで! 異世界恋愛だったら、勇者は魔王討伐後、ご褒美であるニーナのちゅーをおねだりしたことでしょう。
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読んでいただき、ありがとうございました!




