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17.ずっとずっと好きだった

 鼻先が触れ合うほど近くで慧を睨みつけ、おれは掠れた声で告白する。


「おれ、慧が好きなんだよ。大好きだ。ずっと一緒にいたい。このままぎくしゃくしてるの、嫌だよ。前みたいに、ふたりで何でもしたいんだ」

「分かってる。俺がうまくできないだけだ。……ごめん、光太。前みたいに友だちの距離でいたいって、俺だって思ってる。でも、近すぎて苦しいんだ。光太が忘れてくれてた時にはちゃんとできたのに、今は……」


 だめだ。何も伝わっていない。

 なまじ五年前に『好き』の食い違いを起こしてしまったせいで、おれがいくら好きだと言っても、慧は友だちとしての好きだとしか受け取ってくれない。

 どうしたら伝わるんだろう。何を言えばいいんだろう。伝えたいのに、うまい言葉が見つからない。

 ぐるぐると空回りする頭で思い出したのは、ここに来る直前に贈られた、花子の生暖かく湿った鼻チューの感触だった。

 そうだ。言葉にしなくたって伝えられる方法はあるじゃないか。


「大丈夫だから、光太。うまくできないのは、今だけだから。近すぎるなら、環境を少し変えればいいだけだ」


 ぐだぐだと何かを言っている慧の胸倉をおれはむんずと掴んで引き寄せる。


「だから――んぅ!?」


 がつりと音を立てて、唇と唇が重なった。勢いよく歯と歯がぶつかったせいで、間に挟まれた唇が最悪に痛い。

 慧がまんまるに目を見開く。キスのやり方なんて知らない。したこともない。でも、たまたま当たっただけだなんて間違っても思えないよう、おれは必死に自分の唇を慧のそれに押し付けた。

 息が苦しくなるまで押し付けて、ゆっくりと唇を離していく。


「……な、な、何……っ、え? 何?」


 慧は面白いくらいに動揺していた。ほんのりと血の滲んだ唇をぱくぱくと金魚みたいに開閉しながら、信じられないものでも見るような目でおれを見ている。


「無理やりでごめん。でもおれ、慧が好きなんだ……! 鼻チューだけじゃ足りない、そういう好きに、もうなった。分かってくれよ……!」


 慧のせいだ責任を取れと言ってやりたい気もしたけれど、おれが勝手に好きになっておいて慧のせいにするのは、さすがに筋違いだ。


「え、あ……、好き? え? 夢? 現実?」


 ボケたことを言い出す慧に、ぐいと鼻先を押し付け、犬のようにすり寄せる。


「……わっ」

「現実に決まってるだろ。慧がまだおれのこと、昔と同じ意味で好きでいてくれるなら、慧の好きなひと、もう一回教えてくれよ……!」


 支離滅裂だ。自分でも分かっている。

 それでも伝えたかった。伝えないといけないと思った。

 慧の顔は茹でダコみたいに赤かった。おれの頬も、大概に熱かった。そろり、そろりと慧は確かめるようにおれの頬に手を這わせていく。じっと待っていると、慧は泣く直前みたいに唇を震わせながら、ようやく五年前と同じ言葉を紡いでくれた。


「こ、光太」

「おれが、何?」

「光太が好きだ……! ずっと、ずっと好きだった……!」


 おそるおそるといった調子で背に回ってきた腕は、やがて痛いくらいの強さでおれを抱き寄せる。ばしばしと慧の背中を叩きながら、おれは苦い思いでかすかに笑った。


「……じゃあおれたち、今度こそ本当に両想いだな。もう逃げるなよな。慧に避けられるとへこむから」

「うん。ごめん」


 へなへなと全身から力が抜けた。散々走り回ったツケが今になって吹き出てきたのか、体が一気に重くなる。遠慮なしに慧に体重を預けて初めて、おれは自分がひどく緊張していたことに気がついた。

 どこもかしこも熱い慧の体温を確かめながら、おれはぽつりと口を開く。


「……なあ、さっきも今までも、いつも助けてくれてありがとうな、慧。五年前も、犬養さんたちを呼んできてくれてありがとう。慧もおれの大恩人だった」


 言えよな、と慧の肩口に顔を埋めながら告げると、慧は力なく首を横に振った。


「恩人なんかじゃない。元はと言えば全部俺のせいなんだから」


 おれが慧を庇おうとしたことを言っているのかと思ったけれど、どうやらそれだけではないらしい。懺悔でもするかのように、慧はぼそぼそと話し出す。


「昔、裏山で遊ぼうって光太を誘ったのは俺なんだ。覚えてないか?」

「そうだったっけ」

「そうだよ。俺、光太に他に仲のいい友だちができるのが嫌だった。校庭で遊ぶと知らない間に遊ぶ人数が増えてたし、光太は俺以外ともよく話してたから、邪魔の入らない場所で、ふたりだけで遊びたかったんだ。裏山は俺たちの家の近くだし、他の誰にも邪魔されない。だから、危ないって分かってたけど、光太を裏山に誘った」

「……ふうん?」


 おれは釈然としない気持ちで慧の言葉を聞いていた。

 おれから見たら慧の方がよほど人に囲まれていたし、寄ってくる連中やおれに話しかけてきた連中は、おそらくおれ経由で慧と仲良くなりたがっていただけである。だからこそおれも、慧を独り占めできる裏山での遊びが大好きだったのだから。


「言い始めたのが慧だろうが、裏山に行ってたのはふたりで決めたからだろ。なんで全部慧のせいになるんだよ」

「だって、入るなって言われたところに光太を連れて行った挙句に、俺が変なこと言ったせいでああなった」

「それを言ったら、おれが最初に紛らわしいこと言ったのが悪いだろ。ふたりで落ちてふたりとも助かったんだから、その辺はもういいんじゃね?」

「でも――」


 おれがいくら言葉を重ねても、慧は納得できないらしい。変なところで頑固なやつだ。


「慧は考えすぎなんだよ」


 顔を上げて、おれは慧をじとりと睨む。


「光太が考えなさすぎるんだ」


 やり返すように、慧もおれを睨み返してきた。

 文化祭の喧騒が遠くに聞こえる。吹奏楽部の奏でる軽やかなマーチが、楽しげな手拍子とともに響いてくる。

 しばらく睨み合ったあとで、おれたちは同時に吹き出した。


「――おれが考えなさすぎって言うけどさ、アホみたいに散々逃げ回ってたのは慧だろ! 慧のせいでおれ、山本先生にまでかわいそうなやつ扱いされたんだからな!」

「バカのひとつ覚えみたいに光太が追いかけ回してくるからだろ。俺はちょっと距離を置こうとしただけなのに、後追いしてくるそっちが悪い」

「勝手に距離なんて取ろうとするからだ、バーカ!」


 げらげらと笑いながら、おれたちはゆっくりと立ち上がる。ペンキ塗れになった互いの姿をひとしきり笑い合ったあとで、おれたちは手すりに腕を預けるようにして、横並びに立った。


「慧が特進クラスに行く気なら、おれも行くからな」


 おれが宣言すると、慧は驚いたように目を見張った。


「気づいてたのか」

「坂上と話してて気がついた。おれから逃げられると思うなよ!」


 じとりと睨むと、慧は決まり悪そうに目を逸らした。


「……もう逃げないよ」

「当然だ。おれが考えなさすぎで、慧が考えすぎなら、ふたり合わせたらちょうどいいだろ? 目指すものが一緒なら、せっかくなら大学も一番いいところを一緒に目指そう! それならいいだろ?」

「一番いいところって?」

「北大」

「……漫画読んだろ」


 読んだ。家の本棚にあった。

 北海道の獣医学部を舞台にしたコメディ漫画は、かなり年季が入っていた。多分、物持ちのいい父さんのものだろう。

 ――物持ちがいいといえば。

 おれはロボットのキーホルダーをポケットから取り出すと、そっと慧に差し出した。


「落とし物。さっきはありがとうって、中野が言ってたよ」

「中野さんが拾っててくれたのか」


 慧はほっとしたようにキーホルダーを受け取って、大切そうに手の中に閉じ込めた。


「それ、おれがあげたやつだったんだな」


 くすぐったい気持ちになりながら問いかける。

 おれが覚えていることが意外だったのか、慧がびっくりしたように肩眉を上げた。


「中野と話してて、思い出したんだ。ずっと大事にしてくれてたんだな」


 下から覗くように慧の顔を見上げると、慧は決まり悪そうに目を逸らした。


「……光太が小遣い全額注ぎ込んだって言うから」

「貰いものは捨てられないもんな、慧」

「貰いものっていうか、光太が俺にくれた物だからだよ。大切にするに決まってる」


 言った後で恥ずかしくなったのか、慧は照れ隠しのようにキーホルダーを手の中で転がした。

 小さなボタンを押すたび、ロボットの目がピカピカと忙しなく点滅する。

 五年前はネックレスだったキーホルダー。おれの記憶の中できらめいていたものは、当時の慧の胸元に下げられていた、このロボットのネックレスだったのだろう。小学生の時はスマホなんて持っていなかったから、日が沈んだ後の裏山で、慧はこのロボットを懐中電灯代わりに使っていたに違いない。


「今度はもっと良いもの用意するよ。もうじき慧の誕生日だしな!」


 にかりと笑ってそう言うと、慧は泣き笑いのように唇を歪ませた。


「……これ以上ないくらい最高のもの、もう貰ったよ」

「へ?」


 何のことかと慧を見つめる。慧はそれ以上言葉にせずに、黙っておれを見つめ返した。

 潤んだ瞳は幸せそうで、見ているとおれまで嬉しくなってくる。

 慧の手が頬に触れる。両手で掬い上げるようにおれの顔を上向ける。そこまでされてようやく、おれは慧の言葉の意味を理解した。

 目を閉じた方がいいのかなあなんて頬を熱くしながら考える。考えた末に、おれはぼそりと慧を挑発した。


「間違えて鼻にするなよ」

「するか。光太じゃあるまいし」


 おれは勢い余って歯をぶつけただけだ。鼻チューしかできなかったヘタレの慧と一緒にされたくない。

 慧の後頭部に手を回す。近づいてくる顔を見ながら、おれはゆっくりと目を閉じた。

 くすりと笑う気配とともに、唇に唇が重なった。

 覚えたばかりのキスをして、おれたちはひっそりと笑い合う。

 気の抜けた慧の顔はこっちが恥ずかしくなるくらい幸せそうで、でもきっとおれも同じような顔をしているのだろうなと思ったら、胸がいっぱいになった。

 秋の空はどこまでも高く青く澄んでいる。

 世界が輝いて見えるという言葉の意味が、初めて本当に分かった気がした。 

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