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16.逃がさない

 かくしておれの慧探しこと、校内ひとりオリエンテーリングの最終目的地は、旧校舎となった。

 本校舎と比べると出し物の数は少ないとはいえ、広い旧校舎の中のどこに慧がいるか分からない。手当たり次第に探していくつもりだったが、意外にも慧の姿はすぐに見つかった。


「ねえ、秋月くん。せっかくだから次は脱出ゲームも一緒に行かない?」

「いえ、そろそろ俺もクラス展示に戻らないといけないので。先輩もご自分のクラスに戻られた方がいいんじゃないでしょうか。人手、足りてないんですよね?」

「大丈夫。秋月くんが手伝ってくれてた間に、代わりの人が来てくれたから。……そうだ! その分のお礼もさせて。ね? いいでしょ?」

「いえ、そんな。お気遣いなく」


 絡まれている。いかにも肉食系の女性の先輩にがっつり腕を組まれた慧は、逃げようにも逃げられないのか、笑みを引きつらせて困り果てていた。

 おれよりよっぽど頭が回るはずなのに、慧は勢いで押してくる相手には弱いのだ。要はヘタレというやつである。


「慧」


 手を振りながら、おれはお化け屋敷の前へと近づいていく。

 今日という今日は逃がさない。そんなおれの決意を読み取ったのか、おれと目が合った瞬間、慧は「すみません」と一言傍らの先輩に謝って、腕を振りほどく。そして即座にくるりとおれに背を向けた。


「あっ! ちょっと、秋月くん?」

「用事を思い出しました!」

「うそつけ、バカ慧! つかまえたからな! 逃がさない!」

「まだつかまえてないだろ!」


 ひと言応酬し合って、おれたちは人混みの中を駆けだした。

 周りの人たちにとってはいい迷惑だったろう。申し訳ないとは思うが、おれもなりふり構っていられないのだ。許してほしい。

 このままずっと慧とぎくしゃくしているのは、どうしても嫌なのだ。


「逃げるな、慧!」

「じゃあ追いかけてくるんじゃない!」

「やなこった!」


 おれたちはふたりとも帰宅部だが、伊達に普段から犬の世話をしているわけじゃない。体力にだけは自信がある。

 真っ昼間の一番暑い時間帯に、おれたちは全速力で追いかけっこをした。関係者以外立ち入り禁止と書かれた黄色いテープを乗り越えて、慧は旧校舎の階段をぐんぐんと上っていく。


「優等生がそんなことしていいのかよ!」

「うるさい!」


 もはや向こうもやけくそだ。慧がこうまで声を荒げるのは珍しい。

 そんなにも余裕を失うほど、慧が何をひとりで思いつめてきたのか、おれはどうしても問いたださねばならない。

 古びた静かな校舎の中を、おれたちは縦横無尽に駆け巡る。展示会場になっている本校舎とは違って、旧校舎は一部を除いて、基本的には物置きだ。人気(ひとけ)なんてあるはずもなく、おれたちがいくら走り回ったところで気にする人は誰もいない。

 こちらの体力切れを狙っているのか、慧は階段を上がり切った直後に、今度は校舎の外側にある非常階段を下り始めた。

 一段とばしに階段を下りる慧を見ていると、少しだけ嫌な予感がしてくる。

 スプレーやペンキを使った作業は、だいたいみんな、匂いを嫌って外でやる。非常階段の踊り場は、格好の作業場所なのだ。

 当日に展示物の用意をする生徒は普通ならいないかもしれないが、何しろ穂波高校が掲げる校風は『自由』である。当日の思い付きで、誰が何をやっていたっておかしくない。

 カラフルに染まった踊り場を駆け抜けた慧は、二階へ降りた勢いのまま、一階に続く階段に踏み込んだ。その瞬間、ずるりと慧の足がペンキで滑る。


「……っ!」

「慧!」


 がくりと体勢を崩した慧に、おれは飛びつくように手を伸ばす。

 なんとか慧の肩口を掴み、踊り場の方へ引き戻したまでは良いものの、踏み込んだ位置が悪かった。慧の二の舞を踏んだおれは、それは見事に絵の具に滑ると、階段に向かって頭から突っ込んでいく。


「やべ……っ」


 体勢が良くない。頭を打ったら、それこそ小学生の時の転落事件の二の舞だ。

 迫りくる階段がスローモーションのように目の前に広がっていく。事ここに至っては、おれにできることはせめて打ち身か脱臼で済みますようにと祈ることだけだ。ぎゅっと身を竦めたおれは、衝撃に備えて目をつむる。


「光太!」


 悲鳴のような声が聞こえた。焦りきった慧の声を聞いた瞬間、昔、崖から落ちたときの記憶が走馬灯のようにあふれ出す。

 力強い手がおれの腕を掴む。肩が抜けそうなほどの痛みを感じた直後に、ドゴンと重苦しい音が間近で聞こえた。

 したたかに打ち付けた膝の痛みに涙ぐむ間もなく、全身を強く抱きすくめられる。


「う……、え?」


 階段を転げ落ちたにしては軽すぎる衝撃だ。おそるおそる目を開けると、慧の白いシャツが視界いっぱいに広がっていた。

 ぎりぎりのところで、慧がおれを踊り場に引き戻してくれたらしい。ドゴンという音は、おれを抱きかかえるようにして倒れ込んだ慧が、階段の手すりにぶつかった音だったようだ。


「あ、あ、あぶねー……。ありがとう、慧」


 ドキドキとやかましく響く鼓動を宥めつつ、おれは引きつった声で礼を言う。途端に、怒鳴り声が降ってきた。


「……バカ光太!」


 思わずびくりと身を竦める。


「なんで光太は、いつもいつもそういう危ないことばっかりするんだよ……っ!」

「おれだってしようと思ってしてるわけじゃねえもん! 体が勝手に動くんだよ」

「バカじゃないのか! 考えて動けっていつも言ってるだろ! 滑ったって、俺は階段から落ちるほど間抜けじゃないんだよ! あんな危ないやり方で助けてなんてほしくない!」


 慧の声は聞いたこともないくらい感情的だった。ともすれば、涙さえ混ざっていたかもしれない。


「……しょうがないだろ。だっておれ、慧が大事なんだから」

「……っ、俺は自分だけ助かったって嬉しくないって言ってるんだ!」


 顔を上げると、悲痛に顔を歪めた慧と目が合った。幸いにも泣いてはいなかったが、怒りなのか悲しみなのか、何なのかも分からない激情でゆらゆらと瞳が揺れている。

 その目を見た瞬間、あ、と思った。


「……思い出した……!」


 そうだ。五年前は校舎ではなく裏山で鬼ごっこをしていたけれど、()()()()()()()()()()()――!

 五年前、おれから逃げようとした慧は、おれの目の前で崖から落ちた。おれは慧を守ろうとして、腕を掴んで、空中で必死に慧を抱き込んだのだ。

 今日の十五歳の慧には、十五歳のおれと自分を両方助けられるだけの力があった。

 でも、五年前の十歳だったおれには、自分も慧も助けるだけの力はなかった。

 ふたり揃って崖から落ちた。せめて慧の怪我が浅くなるように、自分の体で庇うことしかできなかった。

 どうして忘れていたのだろう。

 好きな人はと尋ねたおれに、「俺をつかまえられたら教えてやる」と、小学生の慧は言った。

 ズルいごまかし方をしたおれの言葉をそのまま信じて、両想いだと誤解して、幸せそうに笑っていた。

 おれが何も言えなかったせいで、慧を死ぬほど悲しませた。

 熱っぽい目で見られてびっくりしたけれど、あの時だって、おれはかけらも嫌だなんて思わなかった。その理由が今なら分かる。

 ――光太、……光太! いやだよ、起きろよ……!

 ――ごめん。……ごめん、光太……、俺のせいだ。全部、俺のせい……!

 ――今、人を呼んでくるから。絶対に助けるから。

 ――大丈夫。もう大丈夫だから。

 ゆらゆらと揺れる瞳も、泣きそうな声も、覚えている。心の一番深いところに、ちゃんと残っている。

 慧はいつだっておれを助けてくれる。安心をくれる。言葉にすることだってためらわない。

 それならおれも、同じことをしなくては。


「ごめん、慧。今まで本当にごめん。全部、やり直させて」

「やり直し……? 何の?」

「五年前の隠れ鬼の時から、全部」


 慧は何のことやら分からないとばかりに、おれを抱き込んだまま顔いっぱいに疑問符を浮かべている。

 そんな慧に構わず、おれは幼いころにそうしたように、ぎゅうと両腕を慧の体に巻き付けた。


「覚えてるか、慧? おれが慧をつかまえたら、好きな人を教えてくれるって約束だった。五年前の約束だ」


 つかまえた、と小声で耳元に囁くと、ようやく慧はおれが何の話をしているのか気づいたらしい。ぴしりと体を硬直させた。


「――いや! あれは子どもの時の話だから! 忘れてくれって言ったじゃないか……!」

「おれが忘れたくないんだ。ずっと忘れててごめんな。今、全部思い出した。ようやく思い出したんだ」

「今……? 前に思い出したって言ってなかったか」


 慧がぽかんとおれを見つめる。おれもぽかんと慧を見返す。


「前? いつの話だよ」

「俺の部屋に来たとき」


 なるほど、どうやらおれたちはそこも食い違ってしまっていたらしい。

 思い込みの激しい慧と、咄嗟の状況になると言葉が出ないおれは、いつもこうだ。おれたちは多分、言葉が足りていなさすぎる。


「……ああもう!」


 頭を掻きむしりたい気持ちになった。

 こうなればヤケだ。格好よく言おうだとかちゃんと話をしようだとか、そんなことを考えるからうまく行かないのだ。不格好だろうが、一番大事なことを伝えなければ始まらない。


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