15.行ってきます
昼の空が目に眩しい。ざわざわと騒がしい屋台の通りをかき分けながら、おれはまっすぐに廊下を進む。
目指すは犬たちの尻尾が揺れる中庭だ。
段ボールを二段抱える上級生をささっと手伝い、迷子と思わしき子どもをキッズルームへと送り届けて、道中で出くわした問題に対応しつつ、おれは渡り廊下を抜けて中庭に出る。
模擬店が立ち並ぶ渡り廊下とは打って変わって、保護犬譲渡会が行われている中庭に入ると、客の年齢層は一気に上がる。
おれが中庭に踏み込むと、看板犬こと花子が真っ先に気づいてくれた。家族連れの手を離れ、ふさふさと尻尾を揺らす花子は、おれと目が合うなり、にぱっと花開くように笑ってくれる。
花子を撫でつつ、クラスメイトや『いぬかいの小屋』のスタッフたちに挨拶をしていると、少し離れたところでたこ焼きを食べている犬養さんを見つけた。いつも通りの派手なオレンジのツナギ姿に、イベント仕様と思わしき肉球印のカウボーイハットが良く似合う。
「お疲れ様、光太くん。慧くんなら、ちょうど保健室にいったところだよ」
おれが聞くより前に、犬養さんは校舎を指差しながら教えてくれた。
保健室という言葉に、おれはしぱしぱと目を瞬く。
「あいつ、どこか怪我でもしたんですか」
「いやいや。学生さんでひとり、具合が悪くなってしまった子がいてね。保健室まで送ってくるって、慧くんが真っ先に動いてくれたんだ」
そう言いながら、犬養さんは何かを思い出したように苦笑する。
「君たちは本当に優しくて、似た者同士のふたりだね。光太くんもさっき迷子の子を送ってあげていただろう? 本当にいい子たちで、私も勝手に鼻が高いよ」
どうやら見られていたらしい。なんとなく気恥ずかしくて頭をかくと、犬養さんは微笑ましいものを見るように目を細めた。
「慧くんと仲直りできるといいね」
「喧嘩したわけじゃないんですけどね……」
「でもここ最近ずっとぎくしゃくしているだろう? 夏休みの時くらいからかな。何かあったんじゃないのかい」
ボランティアの時は普通にできていたと思ったのに、犬養さんにはバレていたらしい。昔から変わらず優しい犬養さんの顔を見ていると、弱音を吐きたくなってくる。
「……多分、おれが何かしたんだと思います。慧は理由もなくこういうことをするやつじゃないから。でもどうしたらいいのか、本当はおれ、よく分からないんです。話さなきゃとは思うんですけど、何を話したらいいのかもよく分からなくて。このままずっとこうなのかな……」
夏休みの最後の日、慧は「何も言わなくて大丈夫」だなんて言っていたけれど、全然大丈夫じゃない。
慧が何を考えているのか分からない。ずっとこのままだなんて、考えるだけでも嫌になる。
おれがしょんぼりと下を向くと、犬養さんは力強く両手で肩を叩いてくれた。
「そう悲しい顔をするものじゃないよ。今言ったことをそのまま正直に伝えてみればいいんだよ。それに、言葉がうまく出てこないときは、無理に言葉にしなくたっていいんだ。誰かと仲良くなる方法を、私たちは誰より教えてもらっているだろう?」
「教えてもらってる……?」
「そう。――犬たちに!」
ちらりと犬養さんが花子に目くばせする。心得たとばかりに、花子は素早くおれの腿に前足を掛けた。
「わ、花子! 何だよ」
ぶんぶんと尻尾を振りながら、花子はつぶらな瞳でおれを見上げてくる。わしわしと首元を撫でてやると、お返しとばかりに花子は湿った鼻を手にも頬にも押し付けてくる。暑苦しいくらいに全身で伝えられる愛情は、まさに犬たち特有の愛情表現だ。
いつの間にかおれは、花子につられるように笑っていた。
「あははっ、くすぐったいって」
「うん、いい顔だ」
満足そうに犬養さんはにこにこと笑う。花子を座らせながら、犬養さんは悪だくみをするようにちらりとおれを見た。
「大事な話をするには、まず笑顔がないとね。大好きだって全身で伝えられると、顔も心も自然に緩んでしまうだろう?」
「あ……。そうですね。本当にそうだ」
犬たちはいつでも全身で愛情を伝えてくれる。だからおれも全力で犬たちに向き合いたくなるし、悲しいことも嬉しいことも、犬たちの前では隠さずにいられる。
おれは犬ではないけれど、ずっと犬と近しく生きてきた。犬たちが教えてくれたことを、おれが実行せずしてどうするのだ。
「おれ、慧を探してきます」
言葉はするりとこぼれ出てきた。
「――おれ、慧が大好きなので! どうしたらいいか分からないけど、このままじゃ嫌だから。とりあえずそれだけでも伝えてきます!」
「そうかい、そうかい」
犬養さんは嬉しそうに笑った。前に『好き』の種類について犬養さんと話をした覚えがあるけれど、おれの『好き』がどんな『好き』なのか、犬養さんは聞かなかった。代わりに犬養さんは、ただ優しく笑って、いつものようにおれを見送ってくれる。
「行ってらっしゃい」
「行ってきます!」
犬養さんと花子に手を振って、おれは保健室目掛けて駆け出した。
「――やっと来た。遅かったね、春日井」
保健室の中では、青白い顔をした中野がひとり、ベッドの上で身を起こして待っていた。そろりとベッドの脇に近づきながら、立ち上がろうとする中野を手で制する。
「寝てていいよ。倒れたのって中野だったのか。大丈夫か? つーか、保険医の先生は? それに、遅かったねって?」
「一度に聞きすぎ。私は貧血起こしただけだから大丈夫。先生は今、トイレに行ってる」
耳に髪をかけながら、中野はクールに口角を上げた。
「遅かったねっていうのは、春秋コンビの隠れ鬼が始まったって、咲菜が連絡くれたから。そのうち春日井もここに来るだろうなって思って、待ってたの」
「そりゃどうも」
咲菜というと、坂上か。抜かりない。ピースをする坂上の姿が目に浮かぶようだった。
「でも、隠れ鬼って?」
「言葉のとおり。最近は毎日追いかけっこしてたじゃん。春日井はいっつも鬼で可哀想だね」
「そう思うなら、いい加減観念しろって慧に言ってくれよ」
「自分で言えば?」
すげなく返して、中野はごそごそとポケットを探ったかと思うと、パッと何かをおれの前へと差し出してきた。
小ぶりなロボット型のキーホルダー。いつも慧が持っていたものだ。
「秋月くんに返しておいて。さっき、落としちゃったみたいなの。あと、ついでにありがとうって伝えておいてくれる? 手間かけさせちゃったのに、お礼を言う間もなかったから」
「慧、そんなすぐに出て行っちゃったのか?」
礼を告げる間もないほどと言ったらよっぽどだ。キーホルダーを受け取りながら尋ねると、中野は疲れた様子で肩をすくめた。
「文化委員の先輩に連れてかれちゃった。人手が足りないとか言ってたけど、大方一緒にお化け屋敷回りたいだけでしょ。『暑いの分かってたのになんで水飲まないの』とかってねちねち言われて嫌な思いしたし、引くくらい秋月くんとべったりなところ見せつけて、他人が入る余地なんてないってこと、分からせてやってよ」
おれに慧のキーホルダーを渡しながら、中野はニヤリと口角を上げた。
「べったりって言うほどべったりしてないだろ、別に」
ここ最近はむしろ避けられているし。
おれがそう抗議すると、中野はとんでもないバカでも見るような冷たい目をおれに向けてきた。
「秋月くんに『そのキーホルダーいつも付けてるよね』って聞いてみたことがあるの。そうしたら、なんて言ったと思う? 『昔、光太にもらったんだ』って言ったんだよ」
「えっ、おれ?」
ぽかんとしながら自分を指さす。おれの動きと連動するように冷たさを増した中野の視線は、もはや氷そのものと言っても過言ではない。
「貴重なものだから大事にしろ、毎日つけろって言ったらしいじゃん。当の本人は丸っと忘れてるのに、律儀に約束守って大切にして、秋月くんも報われないね」
「げっ、約束? えーっと……」
慌てて記憶を探るおれに、中野は呆れきった声で追撃してきた。
「十歳の時の誕生日プレゼントだったって言ってたよ」
その言葉を聞いた途端、ぱっと脳内に記憶がよみがえってきた。
「ああ、あれか!」
家族旅行に行ったとき、たまたま高性能な土産物を見つけたのだ。ライトにもなるし、当時のおれの目には格好良く見えたロボットのネックレス。慧にやりたいと思って、小遣い全部を使って買った覚えがある。
今はキーホルダーになっているようだが、チェーンが壊れても、慧は律儀に使い続けてくれたということだろう。
「物持ちのいいやつだなあ。まさかまだ持ってると思わなかった」
「サイテー。自分で言ったことも忘れるなんて、ほんっと最低」
返す言葉もない。
中野はやさぐれた様子でフンと鼻を鳴らして、独りごとのように何かをぼそりと呟いた。
「私、結構本気で秋月くんのこと好きだったのに。そんなの聞かされる身にもなれって話だよ」
「え? 何? 何か言ったか?」
「……何でもない! 早く行ったら? ぐずぐずしてると、秋月くん、また別のところに行っちゃうよ」
それはたしかにその通り。粛々とカーテンを引いたおれは、去り際、ベッドに横たわる中野を振り返る。
「ありがとな、中野。休んでたのに、邪魔してごめん」
「別に。私が勝手に起きてただけだし。秋月くん、捕まるといいね」
ぶっきらぼうに応援してくれる中野に、おれは「頑張るよ」と手を上げた。




