主人公
「ブラフ」という名は、その竜人のデザイン画の端に刻んだ仮の名だったが、実際のゲームでも使われた。
その名の大元は、ヒンドゥー教の神、ブラフマーから来ている。その名の響きが気に入って、なんとなくつけた。
ペットのヒョウモントカゲモドキにも、その名をつけている。
ブラフ、つまりスズナリは、木製の椅子に座して、テーブルに運ばれてくる食べ物を見ていた。
「…………」
野草のソテーに、カエルのような生き物のテリヤキだ。
そういえば、食事シーンはゲームには登場しないのでイラストや3Dモデルなども起こされていないはずである。
ではここにあるこの料理はなんなのだろう。美味そうな匂いはするが。
「それ、ずっとしてるの?」
対面に座っているアレクが、スズナリがかけている仮面を指差した。
「まあな」
その仮面は、設定状、竜人の中に眠る強力な竜の血を制御する代物だった。だから、外す訳にはいかなかった。
「しばらくこれを外していると、血が荒ぶって、俺は自分を保てない」
「へえー!」
アレクが目を輝かせて驚きを見せた。
「竜の血だよ。恐ろしいだろ」
だが実際、そういった事態が起きるかどうかは、わからない。しかし得意げに、ブラフとなったスズナリは言った。
アレクの父だというリザードが、ペタペタと廊下を歩いてきて、スズナリの斜め隣に座った。
ぎし、と椅子がその脂肪の厚い巨体を受け、苦しげに鳴いた。
「君はもう大丈夫なのかい?」
「ええ、お陰様で、もう」
「そうか」
アレクの父が、野草のソテーをフォークですくって、口に運びながら言った。
うんうんとうなづいたアレクの父は、続けた。
「しかし竜人さまとあろうものが、どうしてこんな田舎町に」
「それはブラフも覚えてないんだよ。ねえ?」
「ああ……」
スズナリは、紙と鉛筆とを自分の雑嚢から取り出した。
「どうしてここで倒れていたのかは思い出せないのですが、自分が何をすべきだったのかは、少しづつ思い出してきました」
「ふーん」
スズナリは、アレクの顔を見ながら、紙に鉛筆で描画していく。
「とりあえず東のパッセに行きます」
「なるほど、大きな町のあそこなら色々と治療もできよう」
手慣れた手つきで、スズナリはアレクの顔を描いていく。
それを覗き込んだアレクが、感嘆した。
「すごいー! 似てるー!」
スズナリはそのクロッキーをアレクに渡した。
「こんなことしかできないが。すまない」
「いいんだよー!」
アレクはスズナリの絵を持ってはしゃいで見せた。
スズナリは、自分に出されたカエルのような生物の肉をナイフで裂いて、フォークで口に運んだ。
なんともいえない、不思議な味がした。
ソースは塩味が濃く旨いのだが、肉はゴム鞠を食べているようだった。
よくいえば、弾力がある、ということになるのだろう。
スズナリは、出された全てを食した。
改めて二人に礼を言い、スズナリは彼らの村から出た。
昨日に引き続いて、ひどい雨だった。
鎧一式を身につけて、頭からローブをかぶって移動している。
鎧は、身体の各部にフィットして、窮屈な印象はないし、実際、見た目に反して軽く動けた。
それは自身が竜人であるからこそ、軽快に動けるのだ。と、スズナリはそう思う。
全身ずぶ濡れになりながら、山道を抜けて、岩が立ち並ぶ場所へ出た。
東のパッセという町は、もう真近である。
パッセに来た理由は、こうだ。
この町に、ザレムという国のアムリタという女王が「通ることになっている」はずだった。
ブラフは、アムリタと、さらに、ここに現れるはずのダークワンの主人公と共に、旅をするはずだ。シナリオ上では、そういう展開が待っているはずだ。だからここに来た。
自分、ブラフに課せられた任務を思い出したのだった。
パッセに入り、町のあちこちを移動したが、それらしき影はなかった。
「…………」
人々やクリーチャーに聞くと、アムリタが既にパッセを通ったという話は聞かないため、まだここを通過していないのだろう。
手がかりのないまま、ブラフは町の宿に入った。
「あー……見た目がボロボロで、肌が白く、男なのか女なのか一目見たのではわからない。あやしい人物を知らないか」
ブラフは、宿の主人らしき甲殻類モチーフのクリーチャーに聞いた。
この宿の主人は、スズナリがデザインしたクリーチャーであった。ザリガニとカニに、人を足したかのような風貌で、背中から頭にかけての赤いグラデーションが美しかった。
聞いたのは、ダークワンの主人公のことだった。
宿の主人はシュー、と息をしながら、ブラフに困惑の視線を向けてきた。
「知らないみたいだな。まあ、いい。3日泊めてくれ」
ブラフが言うと、宿の主人はまたシュー、と息をした。
そして、身を乗り出して、ブラフの後ろを見たようだった。
「?」
ブラフがそれに気づいて、背後に振り返ると、先に言葉にした人物が、そこに立っていた。
「おお……あんたは」
ブラフの目の前に立つダークワンの主人公は、怪訝な表情でブラフをチラリと見た。
「…………」
主人公はうつむいて、頭からかぶっているぼろ布で顔を隠したようだった。
「あんた、俺の……いや、ええと、ここに泊まるのか?」
「……はい。なんですか?」
主人公は不安げにぼろ布の隙間から目を覗かせて言った。
「この方が泊まりたいそうだ。主人。手続きしてやってくれ」
ブラフが、この人物がダークワンの主人公だと気づいたのには、もう一つ理由があった。
それは、腰から下げている装具に付いている、暗い緑色の、オーブである。
これはシナリオ上で重要なアイテムであった。主人公が最初から持っている、強力な力を秘めたオーブだ。
「…………」
主人公が番台で宿泊の手続きをしている姿を、ブラフは手を組んで背後で待っていた。
数度、恐る恐るこちらの様子を伺うように、主人公が振り向く。
「さあ、いこう。主人、宿を案内してくれ」
ブラフがずうずうしく言うと、主人が番台から渋々と出てくる。
その後、宿をひとしきり見て周り、ブラフも宿の手続きを済ませた。
ブラフ、スズナリは主人公に出会えた事実に、安心して息を付いていた。
主人公の部屋、二人は居間で向かい合って話している。
「あんた。お疲れのようだな、どこから来たんだい?」
「……西から来ました」
「ほお。で、どこに行くんだい?」
「竜の穴です」
「竜の穴……ああ、ダークリザードの」
「はい、とある町への襲撃を企ててるとか。その襲撃を取りやめてもらうために、話をつけに向かうんです」
ブラフは主人公の言葉にさらに思い出した。
この先、主人公と、そして女王アムリタと共に、主人公の言葉にあった竜の穴という場所に向かい、そしてそこで、ダークリザードの一派の襲撃を受けるのだ。
そしてそれを撃退する。
「一人で?」
「はい」
「ダークリザードは強力な種族だ。一人で、は無理だろう」
「というと」
「俺も付いていく」
「私はあなたのことをよくしりません。そんなことされる義理もないですよ」
「いや、俺にはあるんだ。俺は……」
そういうシナリオだからだ、と危うく口にしようとして、やめた。
主人公にしてみれば、スズナリの背景などは知ったことではないからだ。
「とにかく、俺も付いていく」
ブラフは、硬い意志を込めた目で主人公を見た。
「それにこんな装備じゃ無理だ。こんなナイフ一本では」
主人公の腰から銀色に光るショートナイフを抜いた。外の光を受けて、ギラリ、と輝いている。
「魔法は?」
「そんなもの覚えていません」
主人公の身なりを考えるに、ステータスを素早さに振り割ったのだろうか。攻撃力や、守備力に乏しそうだとブラフは思う。
「せめて、これぐらいの武器は持て」
腰の鞘からロングダガーを引き抜き、主人公に見せる。
「へえ……」
興味深そうに目を輝かせた主人公に、ロングダガーを手渡してやる。
「鎧もちゃんとつけた方がいいのではないか。相手を見切り、かわしきるというやり方もわかるが……」
「あなたは、何故こんな私によくしてくれるのですか?」
「……さあな。一眼見た時から、あんたが気にかかるんだよ」
「…………」
「もし、あんたが良ければ、俺を仲間に加えてくれ。なんでもするぜ」
ボロ布越しの主人公の目が、ちら、と揺れたと見えた時だった。
胸に激痛が走った。
「!?」
ロングダガーの刃が鎧の隙間から自分の胸に突き立てられている。
ブラフは、わけもわからず、救いを求めるように主人公を見た。
「はっ……」
主人公は、これまで見せていなかった酷く冷たい笑みを浮かべながら、こちらを見下ろしていた。
「バカな!?」
ブラフが叫ぶのと同時に、胸からロングダガーが引き抜かれた。
ブラフの口端から血が溢れた。
主人公が手にしたロングダガーが振り下ろされる。
刃がブラフの棘のある表皮を縦に深く引き裂いた。
「…………」
何か言おうとしたが、言葉が出てこなかった。
痛みもそれきりだった。ブラフの意識は途切れた。
しかし、竜人に備わった超再生能力が、切り裂かれた皮膚を再生させ、次第に、ブラフの意識も回復していった。
気がついて上体を起こすと、あたりは自身の血飛沫で赤く染まっていた。
「やりやがったな……あのやろう……」
強い怒りが腹の底から湧き上がってくるのを覚えた。全身の鎧が剥ぎ取られ、さまざまなものを収めていた雑嚢も奪われてしまったようだった。
果たしてやつは主人公だったのだろうか。それには一つ確証がある。オーブを持っている。それがやつが主人公である証拠である。
ブラフは、猛烈なスピードで立ち上がると、身を投げ出すように走り出した。
主人公の匂いは覚えている。それを頼りに彼を追った。
「ふざけやがって……」
町の人々がトカゲのように地を這って走るブラフを目撃した。
町のはずれ、巨大な岩盤の手前で、彼を見つけた。
「いた!」
騒がしさに振り返ったであろう主人公が、ブラフに目を見開いた。
「ぐあ!」
ブラフは、走る勢いのまま肩口から主人公に突撃した。
猛烈な勢いで跳ね飛ばされた主人公が、岩盤に激突した。
衝撃で、岩盤が強く抉れた。
「がは……」
岩盤からずるりと落ちた主人公が力無くうつ伏せに倒れた。
殺してしまったか?
一瞬、ブラフは思ったが、主人公が腰から下げたオーブが怪しく発光したのを見て、認識を改めた。
立ち上がってくる----そう思った通り、主人公はゆらりと身を起こしたのだった。
「へへへ……」
主人公はニヤニヤと笑みを浮かべている。
オーブの力で回復したのだろう。
どうする……ブラフは思った。こいつは主人公なのか? 彼の思いもよらぬ行動に翻弄され、一度殺されかけた。彼についていくべきなのか? この悪人に? それは違う。
「全部返せ、そうしたら、殺さずに見逃してやってもいい」
「勘違いするな、あんた、どういうつもりだ。自分が有利な立場にあると思っているのか?」
「オーブか……オーブの暗黒面に取り込まれている。きっとそうだ……お前には治療が必要だ」
「はっはっはっ。何言ってるんだ、あんた」
ブラフは、間髪なく主人公へ飛びかかった。
その片腕を、手刀で肩ごと引き裂いた。
血が吹き上がる。
うめいてよろめいた主人公の首を、片手で強く締め上げる。
「あんたを竜人の俺は簡単にころせる。よく聞け、竜人の血が荒ぶると危険だぞ。自制できん。いくら仮面をかぶっていると言ってもだ」
「はっ……はっはっは」
「何がおかしいんだ」
「竜人の血ね。いいだろう。利用してやる。あんた俺の仲間になりたいって言ってたな。望み通りにしてやるよ」
咄嗟に危険を感じて主人公から飛び退ったブラフだったが、オーブから放たれた暗い光に、飲み込まれた。
再び、意識が途切れた。