プロローグ
瞼を閉じていても、激しい光が眼球を刺すようだった。
ここはどこだ。
体が浮いている。ゆらゆらと海面のように光が揺れているのが分かる。両腕両足が投げ出され、何かの抵抗を受けて浮かんでいるのがわかった。
海の中だろうか。そんな疑問が浮かんだが、すぐに霧散してしまった。まどろみの中にあり、半睡眠状態にある脳は次の瞬間には別の認識を男に与えた。
夢か……。
夢の中で夢を認識しているのだろうか----。
「よくあることだ」
口を動かしてみる。発声出来た。そう確信に思えた瞬間から、意識は次第に覚醒していった。
現実へとーーーー
五感が緩やかに目覚めていく。
視覚がとらえたのはやはり光だった。まばゆい光。窓の外を縦に引き裂いた稲光である。
窓を激しい雨が叩いている。
上体をゆっくりと起こした。
何時であろうかとベッドの隅を見やったが、そこに時計はなかった。
「?」
ベッドの傍らに置いているはずのライトもないし、シーツの感触も今までのものとは違った。
男はアゴに手をあてて思案した。それが男の癖だった。
ガリ、ガリ、と音がした。
指の感触が顎髭のそれとは違うと感じ、さらに指を立ててガリ、ガリ、とかいた。
「!?」
この感触はなんだ?と立ち上がり、棚やそこに置いてあるミラーもないとしるや、動揺した。
男、スズナリは黒い窓に自分の像を求めてそちらを向いた。
「!!」
そこに自分が知るスズナリの像はなかった。代わりに、青白い顔をした男が立っていた。
スズナリが動くと、その男も動いた。
スズナリは窓に顔を近づけた。
「なんだこれは……」
青白い男の顔はよく見ると、トゲトゲとした鱗が覆っていた。
これがガリ、と音を立てたのだ。
青白い男の眼球は血のように真紅で、棘の鱗は、顔だけでなく全身を覆っているようだった。
その時、また稲光が黒い窓を裂く。
思わず、目をつぶって、開いた。
真紅の眼球を、半透明の黒い膜が覆っていた。遮光シャッターの機能なのであろうか。
そんな青白い爬虫類のような男が、「自分」であると認めることなどできるだろうか。
スズナリは、まだ自分が夢の渦中にあるのだろう、と無理やり納得しようとした。
しかし窓を叩く雨の音はひどく明瞭だし、現実味がある。
ベッドに腰掛けて、考えた。
頭が回る感覚があると言うことは、現実なのだろうか。
連日の仕事の疲れで、ついに狂ってしまったのだろうか、そんなことを考えた。
雨が降る音が徐々に静かになっていく中で、スズナリは部屋の中にあったクローゼットを開いた。
すると、そこにいくつかの服と、銀色に光る、これはなんなのだろう、鎧、だろうか。それを見つけた。
「鎧……」
中世の騎士が身につけるような鎧一式が、クローゼットから出てきたのだ。
それともう一つ、目を覆うような、仮面。
スズナリはその仮面を手に取り、被った。
「…………」
その姿を窓で確認した時、グラッと頭を殴られたような衝撃が走った。
仮面を被ったこの青白い男に、見覚えがあったのだ。
と、背中で部屋のドアが開く気配がした。
「あ……起きたのかい」
振り向くと、爬虫類のような顔をした、人間。
あるいは人間のような姿をした、爬虫類だ。つまり今のスズナリと同じような生物だった。
「誰だお前!」
スズナリは後ろへ飛び退った。
「まあまあ……」
その生物は、手にしていた瓶をテーブルに置くと、落ち着くようにと両手でジェスチャーして、スズナリを宥めた。その生物は、背格好はスズナリの半分ほどであった。
「子供か……」
スズナリは思った。
「僕、アレク、よろしく」
子供は、そう言って、スズナリに握手を求めるように手を差し出した。
この生物は流暢な日本語を発音している。
スズナリは恐る恐る手を出して、アレク、と名乗る爬虫類のような生物の子供と握手した。
「だいじょぶ?顔、ちょっと赤いよ。熱あるんじゃない?」
「……なぜ俺がここにいるのか、知ってるのか?」
「もちろん、あんたは崖から落ちた。多分。道に倒れてたよ。それを僕が助けたってわけ」
「なんだって? 俺が?」
「嘘は言ってないよ」
困惑するスズナリをよそに、アレクはテーブルに置いた瓶から、白いゲル状の何かを指で掬うと、スズナリに言った。
「背中向いて、大きな傷があったよね」
白いものは何かの薬であろうか、スズナリは理解した。
渋々と言われるまま背中をアレクに向けた。
「あれー?」
大きな傷がある、とアレクはいったが、スズナリは、背中に痛みなど感じない。
「もうほとんど再生しちゃってるねー。さすが竜人」
竜人、確かに、俺は竜人だ。リザードの上位種の、竜人。
先刻みた仮面をつけた自分の姿に見覚えがあった。
それは、スズナリが関わったことのあるダーク・ワンというゲームに出てくるある竜人の男だ。
スズナリは、キャラクター物を得意とするデザイナーであり、ダークワンにもクリーチャーのデザインなどで参加した過去があった。
そのダークワンに出てくる竜人ブラフの姿が、今のスズナリである。
「じゃあ、他の小さな傷も、大丈夫そうだね」
アレクは指についた薬を瓶に戻した。
「お兄ちゃん、そういえば、名前、何?」
「……」
スズナリは言葉に詰まっていた。そして、若干うわずりながらも、
「ブラフ、だ……」と口に出した。
「よろしく、ブラフ」
咄嗟にゲームの方の自分の姿の名を名乗っていた。そのおかしさにたまらず自分の顎の鱗に指を立てた。