親ガチャについて
昨今、この『親ガチャ』という言葉をネットや本、人の話の中でもよく見たり聞いたりするようになった。
これがどういう意味なのか、私はすぐに分かった。私自身がそうだったから・・・。
こういうことを公にできるようになったのはごくごく最近の話で、私の時代は完全黙秘みたいな雰囲気があった。先生にも友だちにも親類にも言えない、独りで抱えるしかない問題で、誰にも言えなくて小さな胸に押し込むにはあまりにも大きな闇で、大人になっても消えない闇。
かえって大人になればなるほど自分自身のトラウマとして蘇ってきて、時には心と身体を縛り、またある時には自分の価値を見いだせないという状況を作る、なんとも厄介なものです。子どもながらに世間体をとても気にする両親のことを分かっていて、このことを誰かに言うのは『恥』とさえ、思い込んでいたほど。
自分が親になると、子どもに対して、あの頃の思い出がフラッシュバックする。そのフラッシュバックをどうにか乗り越えて、子育てをしなければならない。例えば親の暴力を受けていたとすると、子どもを叱る時に、目の前の子どもを力の加減なく叩きたいという薄黒い感情が頭をもたげるのだ。この時、グレーの靄のようなものがかかる。その靄を振り払い、正気に戻らねばならない。私は頭の隅にある少ない理性を復活させ、正気に戻るためにいろいろなことをした。
自分の子どもには、この『負の輪廻』を継承して欲しくない、自由で自分を大切にする子どもに育って欲しいとその一心だった。
親と闘ったこともある。だが、悲しいかな・・・。何度話しても、論点がずれ、何の収穫もなく、勇気を持って告白した私自身が凄まじい心の打撃を受けると言うはめになった。
理解してくれる親でないと、更に闇が深くなるという構図があることに気づいた時は、雷の集中劫火を全身で浴びたような感覚だった。
そうなると、『なぜ、自分だけがこんなに辛く悲しくならなければいけないのか?』という疑問にぶち当たる。そこから周囲へのリサーチが始まる。友だちの身辺を探るのだ。自分と似た体験をしていないかどうか・・・そこには自分と同じような境遇にある人がいることで、『自分だけではなかった』だから、頑張って行こうと思いたい気持ちが強かった。
しかし、私の周りに・・・この時そんな人はいなかった。というよりも、彼女たちも親の呪縛から放れられず、私と同じように口をつぐんでいたと言った方がよいのかもしれない。深い闇を話すには、それだけこちらにも相手にも相当の覚悟が必要だと言うことではないかと思う。
後々、大人になって知ることだが、友だちのひとりが父の傍若無人な圧の中で怯えて暮らしていたと聞いたのだ。あの時にこのことを知っていたら、もう少し楽になったかもしれないと思う。
最後になるが、光はあるのかという話をしたい。
私の考えになるが、あの頃に与えられなった親の愛情をずっと求めているのではないかと。また、与えられなったものの代償を追い求める心が存在するように思う。求める代償は、親の反省やいたわりの言葉かもしれないし、自分の為に親がなにかをしてくれるということかもしれない。私の場合は後者で、反省やいたわりの言葉はなかったが、父が子育ての大変な時に私の力になってくれた。これは非常に大きなことで、私の心の闇にすこし光を与えた。母は早々に逃げ出すと言う状況だったが。だから両親でも、父に対しては優しくなれるが、母に対しては冷たい感情の自分がいることに気づく。
細かく言うと、お金をもらうと言うことではない。お金のやりとりで起きた感情はもらった方はすぐに忘れるが、あげた方は忘れられないように思う。この両者間のずれやお金で処理したと言うことが複雑な感情を後に生むのではないかと考える。
『なんでもいい、心を込めて、自分の為に親がその心や体を使って、やってくれるということが大切なんだと』
私には姉妹がいる。姉は今も心の闇と闘い、両親を心の中で憎んでいるように見える。憎んでいても、血の繋がった親だ、それなりに気を遣っているのは分かる。でもたぶん、親から得たいものをまだ得ていないからではないかと、私自身の経験からは思う。
提案するとすれば、親からなにがしかの自分が欲しかった言葉を引き出すか、自分のために協力して欲しいとお願いして叶えてもらうということで、少しは心が晴れる部分があるのではないかと私は考える。
まあ、前に話したように返り討ちにあう可能性も高いので、自分の心のままにとでも言っておきましょう。
もう一つは小さなことだけど、実家に帰った時や、日頃の生活の中で、ご飯を作ってくれた、洗濯してくれた、優しい言葉をかけてくれた、そんなひとつひとつを発見していくことも良いのかもしれない。そこで新たな自分の感情にきづくことがあるかもしれません。