生存者Ⅰ 刑務所
それが始まったのは俺が厨房で皿洗いの作業に従事している時だった。
洗っても洗っても全然減る気配のない汚れた皿の山にげんなりして厨房の向こう側の食堂で、黙々と食事をしている収容者たちとそれを監視する看守に目を向ける。
皿に盛られた料理を食欲が無いのか2〜3口食っただけで食事を終えた奴を見て、それしか食わねぇんだったら最初から食うなよと思っていたら、通路側から食堂の扉が開けられ青白い顔をした看守が蹌踉めくような足取りで入って来て、食堂から出ていこうとしたメキシコの麻薬組織の幹部の首に齧りつき、首の肉を引き千切るように噛み千切ると咀嚼して飲み込んだ。
麻薬組織の幹部に付き従っていた同じ組織の構成員の手下たちが、肉を引き千切られた首から吹き出る血を手で押さえ止めようとしたり隠し持っていたナイフを看守の腹に突き刺したりした。
腹を刺された看守は痛がる素振りも見せずナイフを腹に捩じ込む構成員のスキンヘッドの頭を押さえ付け、構成員の顔に齧りつき幹部の首の肉を噛み千切ったように顔の肉を噛み千切った。
食堂の中に顔の肉を噛み千切られた男の悲鳴か響く。
「ギヤァァァー!」
その悲鳴で扉近くの騒動に気がついた食事中の収容者を監視していた看守が扉近くに走りより、警棒で青白い顔の看守の腹にナイフを捩じ込み顔の肉を喰われている男を制圧しようとした。
それなのに青白い顔の看守は自分の腹にナイフを捩じ込んでいる男を制圧しようとしている同僚の腕を掴み、腕に齧り付く。
青白い顔の看守だけで無く、首から大量出血していた麻薬組織の幹部の顔が見る見るうちに顔が青白くなって行くと、突然床に横たわっていた身体を起こして彼の首から吹き出る血を押さえていた構成員の腕を掴み、腕の肉に齧り付いた。
その光景を見て、食堂内で食事中だった収容者たちは食堂から先を争うように逃げ出して行く。
俺も逃げようと両手に持っていた皿とスポンジを流しに放り込み駆け出そうとした時、次の食事の準備を始めていた通いの料理長が胸を押さえて崩れ落ちる。
料理長の指示の下、次の食事の準備作業を行っていた収容者たちが床に崩れ落ちた料理長を助け起こそうとしたら、青白い顔になった料理長はその1人の上腕部に齧り付いた。
その時また通路側から食堂の扉が開けられ、散弾銃を構えた看守が中に入って来て手下の肉を頰張る麻薬組織の幹部の腹に向けて至近距離から発砲する。
至近距離から放たれた散弾により幹部の腹に大きな穴が開いたにもかかわらず、幹部は手下の肉を食い千切る作業を止めない。
散弾銃を構えている看守に最初に食堂に入って来た青白い顔の看守が掴みかかり、首筋に噛みつき肉を引き千切る。
腹に大穴を開けられて動けるなんて、映画の中のゾンビそのものじゃないか?
後の料理長を取り押さえようとしている騒ぎも治まって無い、だから俺は流しの側にあった包丁を手にして料理長のこめかみに力を込めて刺し捻じる。
やっぱりこいつ等ゾンビで映画と同じく頭が弱点だわ。
料理長が動かなくなったのを見て、料理長を取り押さえようとしていた収容者たちも食堂から逃げだして行く。
食堂に残っているのは俺と喰われた顔を押さえて泣き叫んでいる男、それにゾンビの手から逃げようと弱々しく身体を動かしている看守たちにその肉を齧りとり飲み込んでいるゾンビ共。
俺は厨房内にあった包丁を全て持ち彼等の下に歩み寄り、次々とその頭に包丁を捩じ込む。
ゾンビだけで無く、放っておくとゾンビになるであろう哀れな犠牲者たちを含めて残っていた奴等全部を屠った。
それから看守たちが所持していた散弾銃と拳銃に弾を頂く。
散弾銃を手に持ち食堂の扉を細めに開けて通路を窺う俺の耳に、刑務所のあちこちから人の叫び声と怒号それに銃の発砲音が鳴り響いているのが入る。
鉄格子が嵌められた窓の外に目を向けると、此のドサクサに脱獄する事にしたのか建物の出入り口から収容者がまろびでて来て、刑務所の門の方に走って行くのが見えた。
だけど、此れだけの騒ぎが刑務所で起きてるのに外からパトカーのサイレンか全く聞こえて来ない、って事は、もしかして此の騒動は刑務所の中だけで無く刑務所の外でも同じように起こっている事なんじゃないかな? って思うんだが。
だから俺は刑務所内のゾンビとゾンビに噛まれた感染者、それに刑務所の収容者て俺と仲が悪い奴等を駆逐する事にした。
俺が収容されている此の刑務所は周囲を高い塀で囲まれているから、中にいるゾンビを全て葬れば立て籠もるのに最適な要塞になるだろうからな。
食堂から通路に出て、刑務所内を彷徨いているゾンビやゾンビに噛まれ助けを求める奴等の頭を撃ち抜く作業を始める。
面白く無い事に仲の悪い奴等は殆どゾンビになっていた。
看守だったゾンビを屠る都度、看守か所持していた拳銃の弾を頂く。
疲れると食堂に戻って来て厨房の冷蔵庫を漁り腹を満たし、扉の前にバリケードを築いて眠る。
数日そのパターンを繰り返す。
刑務所内では俺と同じように刑務所内のゾンビを屠って周っている奴がいるようで、屠った覚えの無い頭を撃ち抜かれている人だかゾンビだかの死体も転がっていた。
数日のあいだ刑務所内での駆除作業中に感染していないと断言できるのは、懲罰房に入れられていた奴等くらい。
「出してくれー!」「助けてくれー!」と言われたが無視した。
こんな奴等を野放しにしたら、何時後から襲われるか分かったもんじゃないからな。
刑務所内のゾンビを駆除し終えたのかゾンビの姿が見当たらなくなったので、駆除作業を行っている最中見つけた管理棟の刑務所長の部屋でコーヒーを入れる。
コーヒーで満たされたポッドとマグカップを持って所長室の近くの監視ルームに行き、次々と切り替わる監視カメラの映像を眺めながらコーヒーを飲む。
監視カメラの映像を眺めていたら此の部屋に近づいてくる若い看守に気がついた。
監視ルームに入って来た若い看守は俺に気が付いて腰のホルスターから拳銃を抜く。
抜いた拳銃を俺に突き付けながら問いかけて来た。
「ゾンビじゃないよな? ゾンビに噛まれてもいないよな?」
「ああ、ゾンビでも感染者でも無い」
拳銃の銃口を下に向けた若い看守は話しを続ける。
「なぁ、一緒に此処から逃げようぜ、1人だと不安だけど2人なら何とかなるだろうから」
「何処に逃げるって言うんだ?」
「何処でも良い! 此処以外の何処かだよー!」
「俺は此処に立て籠もった方が良いと思うよ」
モニターに映る刑務所の門の外を彷徨く、収容者や看守の成れの果てを指差しながら返す。
「彼奴等は禄に武装せずに刑務所から逃げた、だからゾンビになったんだ! 管理棟の武器庫に行けばまだ沢山の武器弾薬がある、それを持って出ていけばゾンビに襲われても何とかなる筈だ」
「落ち着けよ、あんた家族は?」
「いない」
「じゃ恋人は?」
「恋人では無いけど、女友達が近くの町に」
「俺みたく刑務所から刑務所に渡り歩いてるような奴と違って、あんたには守るべき人がいるじゃないか。
此の刑務所を拠点としてその友達を保護した方が良いと思うよ。
此の刑務所は屋根にソーラー発電のパネルや風力発電の風車が設置されてるから停電の心配が無い。
水も地下水を利用しているから断水の心配も無い。
食料も騒動が始まる2日前に、刑務所の収容者500人の腹を満たす2週間分の食料か納入されている。
それに終身刑の爺共が作っていた菜園の野菜もあるしな。
まあ立ち話も何だから座れよ」
椅子を顎で示してから所長室に行ってマグカップをもう1つ取って来ると、そのマグカップにコーヒーを注ぐ。
「ほら飲みな」
コーヒーが入ったマグカップを若い看守に手渡す。
コーヒーを飲み少し落ち着いたらしい若い看守は俺の提案を検討する事にしたのか、目を瞑り黙り込み考える素振りを見せる。
それを見ながら俺は此れからの事を1人検討するのだった。