023:真実の闇
その日、フェリックスは街の食事処兼宿屋でトレバーと会うことになった。
「その節は、ご助力を感謝いたします」
「陛下からお聞き及びでしたかな。
余計なことをしたと叱られると恐れております」
相変わらず掴み所のない男という印象だ。
「もし、あの別働隊を仕留め損なっていたら、そうなるでしょう。
が、陽動と言っても我々は全力で当たらなければ、阻止出来るか分からなかった」
「本当に……ご無事で何よりです。その上での叱責ならば、歓迎しますよ。
しかし、エンブレアは海軍力が低いのは問題です。
閣下の奮闘は認めますが、さらなる強化が必要です」
「しかも、迅速に――」と、トレバーが声を潜めた。「シパシニス王国で動きがあります」
「シパシニス王国。あの常勝艦隊を有する海の覇者か。厄介だな」
「ええ、オルタンシア公爵よりも遙かに驚異です。
そして、オルタンシア公爵も、勿論、協力するでしょう」
「ただ、”花麗国”王家とシパシニス王家は犬猿の仲だ。オルタンシア公爵の勝手を許すかな。
まぁ、あの王家は、これまでもオルタンシア公爵の我が国への干渉を傍観し、積極的な介入を避けている」
そこまで言って、フェリックスは黙った。トレバーをまだ信用している訳ではない。話しすぎた。
「どうもあなたは人を饒舌にさせるようだ」
「商売人ですからね。お客さまの懐に入るのが仕事です」
トレバーは安心させるように笑った後、試すような目つきになる。
「私どものような商売人がなぜ、女王陛下の為に動くのか、疑問に思っていられるのですね」
それに対し、フェリックスは率直な疑問を述べた。
「商人は利益を求めるものだと考えているからだ。
女王陛下への助力は資金的にも人的にも、利よりも負担の方が多いのでは?」
「確かにその通りです。が、公爵閣下ならば、国が安定しているということは、経済活動の活発化に繫がることをご理解頂けるでしょう。
閣下の領地は他と比べて安全で、道も平らだ。そうするとね、警備費や日数がかからず、運送費が安く済むのですよ。その分、商品を安く売っても儲けが出る」
制海権を得ていないエンブレア王国では、他国との貿易において、その点で不利になっていた。関税も高い。たびたび船を沈められては商売すら成立しなくなるだろう。
「では、さらに強い王を求めはしないのか?」
「女では不足だと?」
「そうだ」
フェリックスは断言してみせる。
「私はそうは思いません。
閣下も我が主にお会いすれば、分かりますよ」
――ドレイク嬢です。もっとも、故あって未亡人嬢と呼ばれておりますが。
「あ……っ!」
エンブレア王国一の経済力を誇るドレイク商会の主人にして、”海の未亡人たち”の首領は女性だったようだ。公に姿を現さないのは、女と知られ、侮られることを厭うからか、それとも、夫となるべきだった男の喪に服し続けているからか。
「我が主は、グウェンダリン王女とお会いして、その能力と誇り高さに、この国の命運を賭けようと決意したのです。同じ女性としての共感も大きいでしょう。女だからと幾たびも悔しい思いをさせて……いえ、してきました。女王が立派に統治する姿を見せることこそ、我らの希望となると申しております。
これはもう、損得の問題ではないのです。
――閣下はいかがですか?」
先代の王の唯一の娘であったグウェンダリンには、王女の頃から、いずれ王座に座る覚悟があった。しかし、それはあまりに突然に訪れた。
先王の不慮の死に混乱する王宮にフェリックスが足を踏み入れた時、一人、毅然と立つグウェンダリンを彼は見た。
手に王冠を持ち、「私が王になる。協力してくれる?」と問う彼女の瞳の奥底には、確かに恐れと不安があった。けれども、決して自分の責務から目を逸らしてはいない。今も昔も、彼女の瞳は、この国と民に向けられている。
「私は“王“に敬意を抱き、忠誠を誓いました。
その“王“がグウェンダリンだったのです」
年齢や性別は関係ない。
「私も個人的に応援しています。
勇敢で面白いお方だ」
フェリックスは苦笑した。実際の所、なかなか困った所もあって、時々、選択を間違えたかも、と思わなくもない。
「さて、見解の一致を見たところで、オルタンシア公爵家のお話をしても構いませんか?」
「オルタンシア公爵家の話?」
「ええ、公爵閣下はオルタンシア公爵家にメイベルと言う娘がいるのはご存じですか?」
「お……」
不覚にも言葉が出なかった。左頬が痙攣している。
「あー、ご存じで」
「いや……分からない」
本当に分からなかった。
オルタンシア公爵家の娘? メイベルが?
つい先日、やっとのことで聞き出した彼女の名前が、目の前の商人からあっさりと出てきたことも衝撃だし、オルタンシア公爵家に娘がいたことも初耳だ。しかも、それがメイベルだと言うのだ。
「そうですか。実は私も分からないんですよね」
「はぁ?」
トレバーは掴み所がない。
今度は懐から何か小さいものを取り出す。
「この指輪は闇市で売っていたものです」
赤い花の意匠の指輪だった。
「この指輪と同じものを持っている人間を知っています。
ただし、花の色は青です」
「赤と青の花……オルタンシア公爵家の家紋か……」
同じ花だが、色が違う。紫陽花だ。
「そうです。この指輪、あの嵐の夜の後に闇市に持ち込まれたことが分かりました」
「一体、誰が?」
「公爵閣下が縛り首にした男です」
やや批判がましく言われた。
しかし、あいつはメイベルを襲い、売り飛ばそうとした男だ――。そうだ、メイベルは恋人にも売られそうになって、ここに辿り着いた。
「メイベル……あの娘が持っていた? オルタンシア公爵家の対なる指輪を……それはおそらくマティアスとの約束の印だったのではないか?」
「と、申しますと?」
あの娘はオルタンシア公爵家の嫡男の恋人で、二人で一緒に逃げようと船に乗って、売られて、裏切られて――滔々と述べるフェリックスの話を、トレバーはただウンウンと聞くしかなかった。
恋は人を愚かにする。
テオを留学に出したのは未亡人嬢とトレバーだった。
グウェンダリンと物理的に離すことで、まだ幼く淡い恋心の内に、良い思い出に上手く昇華させようとしたのだ。
それは成功したはずだったが、帰国したテオは王都で女王一行を目にして、結局、また、恋に落ちてしまう。
すっかり分別がついたテオは、女王陛下の為に自らの心を殺して、影から尽くすこと決めた。
グウェンダリンは自分のことなど、忘れたに決まっている。いずれチェレグド公爵か、他の誰かと結婚するだろう。
それは先刻、承知の上だった。
トレバーは、それでもテオの諦めきれない想いを何度も聞かされた。
そんな時、メイベルが現れた。
テオは自分そっくりの人間を追いかける途中で、彼女が自分のことを忘れてはおらず、それどころか今でも憎からず想っていることを知ったのだ。
同時に自身の出自にも思いを巡らせる。
期待と不安を零し続ける坊ちゃんの為に、トレバーは“マティアス“の正体を探らなければならない。
「――であるから、青い花を持っているのが本当のマティアスだ。
今、彼はどこに?」
「青い花の指輪を持っているのはマティアスではありません。少なくとも、我々は彼をセオドア……テオと呼んでいます」
「テオ?」
フェリックスが聞き返す。
グウェンダリンが執着している男の名前だった。彼女はメイベルをテオと”見間違えていた”。
同じ顔だが、別な性。紫陽花なのか?
「彼は私が拾った赤ん坊です。絹の産着を着て、その中に青い花の指輪が入っていました。
もう十七年も前の話ですよ」
「つまり……どういうことだ?」
「どういうことなんでしょうね」
「それはもしかして、メイベルが男として育てられたことと関係が?」
フェリックスには不可解なオルタンシア公爵家の謎が見えてきた。喉が渇く。
最初に名前を聞いた時、メイベルは自分を”マティアス”だと名乗った為、咄嗟に恋人の名を偽ったのだと疑った。同時に、それにしては嘘をついているようにも見えないのが不思議だった。彼女の瞳には揺らぎがなかった。自分のことを本当に”マティアス”だと信じているようで、彼はそれを”マティアス”として生きる決意だと理解した。
しかし、どうも前提からして間違っていたようだ。メイベルは、ずっと昔から”マティアス”だったのではないか。彼女は自分を謀るつもりはなく、ある意味、素直に本当の名前を伝えたのだとしたら?
つまり――つまりマティアスはメイベルの恋人ではない!
「公爵閣下、どういうことですか?
聞いておられますか!? 男として育てられたとは?」
ようやくトレバーの一歩上を行ったのに、そのことに気が付く余裕もなく、フェリックスはここでも早口で自分の抱いた違和感を語った。生粋のエンブレア人のトレバーはきちんと聞き取れた。
「なるほど……! なるほど……あの馬術の腕前も剣術の素養も説明がつく。
それでは坊ちゃんは……」
今度はトレバーが興奮していた。
「坊ちゃん?」
「そうです。坊ちゃんにも……セオドアさまにも関係がある話です」
「――そうだな。その指輪を貸して欲しい。
オルタンシア公爵領に潜入して、真実を探る必要がありそうだ。
事は重大だ。斥候や他の者には任せられないだろう」
「何をおっしゃっていますか。公爵閣下にも任せられませんよ。
私が参ります」
この国は女王も公爵も身軽すぎる。トレバーは頭を振った。
「しかし……」
「危険なのは承知の上です。
私は若い頃から何度も、オルタンシア公爵領を仕事で訪れたことがあります。
土地勘もあれば、人脈も豊富です。
公爵閣下が乗り込むよりも、ずっと適任です」
「――分かった。では、これを持って行くがいい」
フェリックスは自分の懐から一枚の紙を取り出した。
「これは……なんでしょうか?」
トレバーが紙片を開くと、そこには男の字でエンブレアで有名な詩が書いてあった。生き別れになった子を探す母親の詩だ。
フェリックスはメイベルの帳面の中で、目立たないであろう頁をこっそり切り取っておいたのだ。おそらくエンブレア語の練習と手すさびを兼ねて書かれた詩は、見返す率が低いと踏んだ。上手いことに日付もある。
「生き別れの子どもを探す母親。オルタンシア公爵夫人が鍵を握っているではなかろうか?
運良く接触出来た場合、この筆跡を見せれば、メイベルのものと分かるかもしれない。娘が無事なことを知らせれば、信用を得るのに一役買う」
「――言いたくはありませんがね、閣下」
帳面の字を見ながらトレバーは自身の懸念を語った。
「メイベル嬢を売ったのは、オルタンシア公爵夫人の可能性があります。
どうもメイベル嬢を船に乗せる手はずを整えたのは夫人のようなのです」
”海の未亡人たち”の情報網は、公爵家のそれよりも暗部に精通している。
「自分の娘ではないのか!?」
「そうなんですよね。そこが分かりません」
メイベルもまた、真実を知っているはずだが、二人の間で、彼女に直接聞くと言う案は出なかった。
フェリックスにしてみれば、赤ん坊だった彼女が作った秘密でもなければ、彼女が決めた生き方でもないだろうに、真実を語れと迫るにはあまりにも酷な気がしていた。もう一つ、メイベル強情な所がある。これは彼の勝手な事情だったが、無理強いをすれば、ようやく名前を教えてくれるまでになったのに、また口を閉ざしてしてしいまうことを恐れていた。それどころか、どこかへいなくなってしまうかもしれないのだ。
「私がもっと彼女に信用されていれば良かったのだが」
「そういう問題ではなさそうですよ」
フェリックスの述懐に、トレバーは賛同出来ない。
同時にメイベルが望むように、テオと直接やり取りすることにも反対だった。
まるで親鳥が雛にそうするように、一旦、こちらで真実を咀嚼してから与えたい、というのが、未亡人嬢とトレバーの希望である。親馬鹿ではあった。しかし、どんな真実が隠されているか分からないことだらけだ。テオを信じていない訳ではないが、このことに関しては、不安な面が多すぎる。




