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布田記念記憶研究所  作者: 小雨
3/6

人間ドック

 翌朝、自転車を20分ほど漕ぐと、布田総合病院に到着した。

駐輪場に自転車をとめると、正面玄関でこちらに向かって手を振っている人がいる。

笹川さんだ。軽く会釈をして、小走りで駆け寄る。

「岡崎さん、お久しぶりです」

「お久しぶりです。今日は、すみません。こんなに朝早くから付き合って頂いて…」

「お気になさらずに。私も、書類の準備等ありますから。少し早いですが、中に入りましょうか」

「はい」

混雑している外来受付を右手に通り過ぎると、『健診センターは別棟です』という文字と進行方向が矢印で示された看板が目に入った。自動ドアが開き、屋根付きの渡り廊下を進むとすぐにまた自動ドア。

ドアの向こうに笑顔で会釈する看護師の姿がある。

「岡崎さんどうぞ、こちらへ」

先に笹川さんが中に入り、にこやかに看護師に挨拶する。

「おはようございます。倉田さん。今日はよろしくお願いします」

「おはようございます。笹川さん。お久しぶりですね」

「倉田さん、こちらがご連絡しました岡崎さんです」

倉田さんは、軽く会釈をして微笑む。

「岡崎さん、初めまして布田総合病院、健診センターの倉田です。今日は、健診の案内役をさせていただきます。よろしくお願いいたします」

小柄だが安心感がある女性だ。

「こちらこそよろしくお願いします」

「では、倉田さんお願いします。岡崎さん、12時にこちらにお迎えに上がりますので、健診を受けてきてくださいね」

「わかりました」

「岡崎さん、健康保険証と身分証明書をお預かりします。診察券を人間ドックの間に用意しておきますので。まずこちらの受付でおかけになってお待ちください」

人間ドックのご案内のプリントと体温計を渡される。

完全予約制のようで、受付前のソファーには、4人しかいない。クラッシクの有線が静かに流れている。

体温計がなると倉田さんがすぐにきて書類に書き込んでいる。

「36度ちょうどですね。岡崎さんそれでは、身長と体重から測定しましょう。こちらへどうぞ」

「はい…」

身長・体重測定後、血圧測定、視力検査、聴力検査、採血、尿検査、レントゲン、心電図と順調に進んだ。ふと壁掛けの時計を見ると10時半。

「順調、順調。最後に60分間の脳波測定になりますので、今のうちに水分補給やお手洗いを済ませておいてください。10分後にこちらのエレベーター前に戻ってきてくださいね」

「わかりました」

倉田さんは、スマホ画面を見るとパタパタとナースシューズを鳴らしながら行ってしまった。

自販機で、スポーツドリンクを買い、一気に半分ほど飲み干す。レモン風味が爽やかだ。そのまま近くのソファーで病院の掲示物を眺めながらぼおっとすごす。そういえば、昨夜も寝つきが悪く、夜中に何度も目が覚めた。なんだが体や頭が重くとてもだるい。

パタパタという足音が聞こえてきた。

「岡崎さん、お待たせしました。それでは、エレベーターで3階まで上がりますのでこちらへどうぞ」

「はい」

エレベーターの扉が開くと、外来や健診センターと違って人けがない。

「3階は、総務や会議室、あと脳波検査室のみなので静かでしょ」

「はい」

長い廊下を進み、南側の角部屋に通された。脳波検査室という控えめなプレートがあり、木目調のドアを開けると病室というより、ビジネスホテルといった方が似つかわしい。入口の右側に洗面台やトイレ、シャワールームがあり、左側にはクローゼット。部屋の真ん中にはセミダブルのベッドが一つ。

「こちらのクローゼットをお使いください」

「はい、ありがとうございます」

「検査は、こちらのベットに横になって頂いて行います。60分の検査といっても岡崎さんの緊張がほぐれてからの60分ですので、皆さん平均で一時間半ぐらいかかります。途中で寝てしまってもかまいませんので。今、担当を呼んできますので、横になって靴下は脱いでお待ちください」

「はい。わかりました」

クローゼットに上着やリュックサックをしまって、スニーカーからスリッパに履き替える。靴下は丸めたスニーカーに突っ込んだ。そのままごろりとベッドに横になる。マットレスに適度な硬さがあり、枕も何個かあるので、高さを調節する。

「失礼します」

倉田さんが、重そうな機材を積んだ台車をガラガラと押す女性を伴って戻ってきた。

「こちらは、検査技師の戸部です。」

「戸部と申します。よろしくお願いいたします」

「あっ、岡崎です。よろしくお願いします」

戸部さんは、目元がキリっとしていて色白で背が高く、髪を後ろで一本に結んでいる。春人の手首と足首に大きな洗濯バサミのようなものをてきぱきとつけていく。さらに心電図とお同じ胸の位置にジェルをつけ吸盤を張り付ける。手足の指一本ずつにも小さなセンサーをつけ終えるとベッドの背を起こし、沢山の細い透明な線の束がつながったヘルメットのような機器を頭に装着した。体中センサーだらけでかなり違和感がある。

「岡崎さん。準備できました。部屋を暗くしますね。音楽とか希望があれば流せますけど」

「何でもいいんでかけてください」

「では、何かかけますね。センサー類が検査中に点滅したり機材音が気になるかもしれませんが、できるだけリラックスしていつも通りにしてください。目はできるだけ閉じて頂けると助かります。眠ってしまっても構いませんので」

「はい分かりました」

「私と倉田は、別室で待機しておりますので、何かありましたらこちらのナースコールでお知らせください」

「わかりました」

倉田さんと戸部さんが部屋を出ていくと静かにベッドの背もたれが倒れていきカーテンも閉まっていった。遮光性が高いようで部屋が薄暗くなった。センサーの光や機材音が少し気になる。クラッシックが静かに流れ始めた。1週間ほどよく眠れていないため、体は疲れ切っているが、頭や手足に大量のセンサーを付けた状態では、リラックスと言われても無理がある。色々な雑念が度々湧きつつも目を閉じて体を緩める努力をした。

「岡崎さん。検査終わりましたよ。既にカーテンは開けられ、日差しが差し込んでいる」

検査の後半に少しまどろんでいたようだ。手際よく戸部さんがセンサーを外していく間に倉田さんからプリントを手渡された。

「岡崎さん、本日の検査はこれで終了です。笹川さんが会議室で待っていますから、そこで人間ドックのサービスとなっております昼食を召し上がってからお帰り下さい。ここの病院食おいしいって評判なんですよ。こちらのプリントに本日の献立と結果の送付日について書かれているので、読んでくださいね。あと、これ診察券です。保険証と身分証明書もお返ししますね」

「ありがとうございます」

身支度を整えてから器具の片づけをしている戸部さんに会釈をしてから、倉田さんに連れられて部屋を出た。向かいの会議室のドアを開けると、窓際の席で笹川さんがにこやかに微笑んでいる。

「岡崎さんお疲れ様です。お昼ご飯ご一緒しましょう」

ロの字型に机が並んでいる窓際の隅に2人分食事が用意されている。

「ここの病院は食事がおいしいって評判なんですよ。さあ、温かいうちにいただきましょう」

雑穀入りごはんとミネストローネ。メインがチキンの照り焼きで添え物の蒸し野菜には胡麻ドレッシングがかかっている。副菜には、高野豆腐とカボチャの煮つけがそえられ、デザートは豆乳プリンきなこ黒蜜掛けとオレンジが一切れ。

どれも丁寧に調理されており、塩分控えめだがだしがきいており優しい味わいだ。春人は、豆乳が苦手だが、残しては悪いのでプリンを一口食べてみた。きなこと黒蜜のコラボレーションで豆乳の香りが和らいで美味しかった。20分ほどで間食した頃、倉田さんがトレーを下げあたたかいほうじ茶を出してくれた。入れ替わりに背の高いやせ型の男性が入ってきた。

「治験担当の砂田です」

丸メガネの奥の目じりが下がり気味で、眉毛も似たようなアーチを描いている。優しそうな印象で、髪はくせ毛なのかパーマなのか判断はつかないが全体的にゆるいウエーブがかかっている。

「はじめまして。岡崎です。よろしくお願いします」

砂田さんは、春人の隣に腰掛けて、書類の挟まったクリップボードを机に置く。

「私から、治験に関して少々説明しますので、お時間よろしいですか?」

「ええ、大丈夫です」

「先ほどの、健診内容をざっとみまして、おおむね健康状態は問題なさそうですがちょっと痩せ気味なのが気になりました。脳波関連は、後日詳しく診ますが…。」

「はい、少し前に退職して、食欲があまりなくて…」

「そうだったんですね。何でも良いので食べられそうなものがあれば、食べてみてください」

「はい」

「あと、先ほど検査中に脳波計を観察していたのですが、最近よく眠れていないのではないですか?」

「ええ、退職前からなんですけど、ここ1週間は、特に寝つきが悪くて。夜中に何度も目が覚めますし…」

「ベッドに入ってからも脳波計で緊張状態が取れてくるまでに時間がかかったのであまり眠れていないんじゃないかなと思いまして…」

クリップボードの書類にボールペンでなにやら書き込んでいる。

「そうなんです。前の会社の夢を見てうなされて起きることもよくあります。病院の処方薬を飲んでるんですが、効果あるかよく分からないんです。あっこれ、お薬手帳です」

「処方薬名をメモしますね」

またなにやら書き込んでいる。走り書きの字はお世辞にもきれいとは言い難い。何かの暗号のようだ。本人が読めるなら問題ないが…。

「処方薬は、しっかり主治医の処方通り継続してくださいね。あと、夜眠れなくて辛いかもしれませんが、毎朝決まった時間に起きて、太陽の光を浴びるようにしてみてください。体内時計が整いますから。日中に少し体を動かすのも良いですね」

「はい、試してみます」

「では、治験の件ですが、1週間後に治験可能か判定が出ますので、岡崎さん宛に人間ドックの結果表と共にお送りします」

「はい」

「治験可能の場合、同意書を同封しますので、治験希望の場合は、記入し返信用封筒で郵送お願いします」

「はい」

「同意書到着後最短1週間で治験を受けられます。本人の意思を尊重しますので、治験の施術直前まで中止することが出来ますので安心してください。治験は、1泊2日で行います。夕方に来ていただき翌日の夕方まで経過観察をします。その後ご自宅まで車でお送りします」

「はい」

「施術は、脳波検査と似たようなセンサーを付けて行います。外科的な処置はありません。ただ、治験の前に鎮静剤を打ちます。今までにお薬や麻酔でアレルギー症状を起こしたことはありますか?」

「いいえ、特にありません」

「退院後、1月間は、1週間ごとにオンラインで私との面談がありますので、よろしくお願いします。その後順調であれば1か月に1回の面談になります。あと、これはあくまでもお願いなのですが、できれば3か月間は、記憶を戻す施術をお控え頂きたいのです。治験を受ける方、皆さんにお願いしているのですが…」

「それは、なぜですか?」

「この治験は、PTSD治療を研究の目的としていまして、どのような体験が心に傷を残すのか、その痛みを和らげるためには何が有効なのかを探っています。そのためには、記憶の解析をあらゆる角度から行う必要がありまして、そのために1人の治験につきまして3か月ほどお時間が必要です。解析が完了して初めて治験が完了するわけです」

「はい、特に思い出したくないので大丈夫です」

「でも、あくまでもお願いですので、どうしても戻したいときは、ご遠慮なさらずにいってくださいね」

「はい」

「では、治験の説明は以上です。事務的な内容につきましては、笹川が説明しますので、私はこれで失礼します」

クリップボードを抱えるとペコっと軽く頭を下げ部屋を出ていった。

「ここからは、私がこちらの説明をしますね」

笹川さんは、カバンをごそごそして水色のノートを取り出す。表紙には備忘録とある。

「備忘録?」

「ええ、治験を受ける前にあらかじめ必要と思われる事柄をメモしておくためのノートです」

パラパラとページをめくると、氏名、経歴・職歴、知人のアドレス等項目がある。

「例えば、経歴・職歴等は、転職活動の際に必要ですし、職務経歴書を作成するときに部署名や異動した年月等記入する欄がありますので書いておくと便利ですよ。転職用の履歴書や職務経歴書の書き方の資料も備忘録と一緒にお渡ししますね」

「ありがとうございます。あの…、実は7月末でアパートの更新が切れるので、実家に戻る予定なんですが、その前に治験受けられますか?」

「ええ、順調にいけば間に合いますよ。ただ治験の前に引っ越しの手続きや役所の手続きを終わらせて、術後の生活をイメージして準備をしておくことをお勧めします。治験後に落ち着いて過ごせる場を確保した方が安心できますので」

「わかりました、引っ越しの準備等さっそく始めようと思います」

「治験の際には、私も付き添いますので安心してください」

「ありがとうございます。なんだかいつも申し訳ないです…」

「いいえ、お気になさらずに。退院時は、ご自宅までお送りしますが、ご実家の方でよろしいですか?」

「ええ、千葉なんですが大丈夫ですか?」

「もちろん大丈夫ですよ。治験の同意書と一緒に入院のご案内も同封されていますのでそこに退院時の送迎先の住所を記入しておいてください」

「はい、わかりました」

「他に何か質問はありますか?」

「あの、治験を受けたいという気持ちに変わりはないのですが、笹川さんは受けて良かったですか?もう一度お聞きしたくて」

「ええ…。私も色々ありましたから…。治験を受けて後悔はありません。施術に痛みはありませんし、翌朝目が覚めた時から、日差しが心地よく、すごく気持ちが軽くなったのを今でも覚えています」

「そうですか…」

「では、本日の説明は以上です。朝から検査続き、説明続きでお疲れでしょう。帰ってゆっくりしてください。私は少々手続きがありますので、ここで失礼します。気を付けてお帰りください」

「はい、今日は、ありがとうございました。ではまた」



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