5話 後に『鉄の黒薔薇』と呼ばれる商家令嬢
その女性、マリアンナは、何の変哲もない商家の娘だった。
父に付き添って辺境の屋敷から都へ、品物や人員の運搬を手伝い、跡取りとしての挨拶回りで過ぎていく日々。
裕福ではあったが、過剰な華美さもない、奢りもなく慎ましやかで上品な人物として、方々でも人気の高い女性だった。
そんな日々は、一つの急報と共に終わりを告げた。
王都の陥落だ。
マリアンナの父はアンリ王家用達の品を多く取り扱っており、必然、王城が一番の得意先だった。
その城がムート帝国の手に落ち、マリアンナの家は主な取引相手を失ってしまったのだ。
他の商会は取引先を王国から帝国へと鞍替えしたが、王家と近い彼らはそうもいかず、商会は没落の一途を辿ることになった。
マリアンナの父はその衝撃で体調を崩してしまい、商会は混乱のままにほとんどの取引を止めて、所属する商人たちも路頭に迷うことになった。
だが、再びの報せは、そんな彼らに早くも活動の場を与えたのである。
アレス王子が、祖国解放に向かい立ち上がったのだ。
マリアンナは倒れた父に代わり、残った商人たちと共に、アレス軍に武器の提供をすることになったのだが、寄せ集めの義勇兵ばかりの戦いは快進撃とはいかず、戦は防戦一方となっていた。
それでも必死に帝国に抗う義勇兵たちは健気なものだったが、後衛で物資を扱う商人たちには他人事である。
数少ない正規兵たちに叱られながら訓練を受ける彼らを見つめ、口さがない一人が、無遠慮に呟いた。
「酷いもんだよな、素人ばっかり……あの様子じゃ、ウチのお嬢様の方がまだ使えるよ」
「……!」
その商人は、思いもよらなかっただろう。
己の一言が、大事な『お嬢様』の、人知れぬ気の強さを刺激してしまったと。
――そうよ、私は剣を習っているんだった。私は戦えるんだったわ。
マリアンナは、良家の娘の教養として、馬術や護身術を習っていた。
それを思いだしたマリアンナは、その時から仕事の合間に剣の訓練に参加し、無経験の義勇兵に少しの手ほどきをするようにもなっていった。
それだけなら良かったのだが、案外と勇敢だったマリアンナは、ある日自分も戦闘に参加したいと言うようになったのだ。
ほんのわずかとはいえ弟子として育てた人々が戦地へ赴き、自分はいつまでも後方支援という現状に、マリアンナは静かな不満を溜め込んでいった。
最初は部下たちが必死に抑えていたのだが、それでも本人が心変わりを起こすことはなく、傍目にも悶々とした様子が隠せなくなっていった。
そんな時だ。アレスが義勇兵を集めて新たな小隊を組み、一人の新兵をその長にするとの噂が、マリアンナの耳にも入った。
戦力不足の今、できたばかりの小隊ならば、自分が突然押しかけても邪険にされないかもしれない。
思い立った瞬間、マリアンナは走り出し、配下たちが制止する暇もないままに、アレスに話を付けていた。
この軍の将アレスは勇敢ではあるが、軍隊の長としては腰が低く温和な性格だ。
敵には果敢に剣を取る彼も、味方の女性に熱心に詰め寄られれば弱く、
「ま、まぁ、君にその気があるのなら、僕は構わないよ。これから隊の初顔合わせだから、君も部屋で待っていてくれ」
かくしてアレスの許可を取り付けたマリアンナは、小隊の一席に滑りこんでしまうのだった。
***
転生前の知識を活かしたユウの導きにより、隊員のビクター、ユリマ、カルドの三人は見事な成長を遂げた。
将を狙い打つビクターの矢で度重なる砦への襲撃を退け、ユリマの『天誅』の術は逆に帝国の拠点を壮絶に破壊し、その退路を狙う追手はカルドの盾に止められる間にアレス本隊の救援に追いつかれ、散る。
遊撃としては破格の戦果を無数に上げたユウ隊の活躍もあって、アレス軍は体制を立て直し、ついに拠点を拡げるため、籠城していた砦から出陣する運びとなったのだ。
今や、ユウを人が斬れない無能と侮る者はなく、彼自身は名将として、隊は軍内でも一目置かれる戦力として、知らない者はいないところまで名を上げていた。
そんな中、ユウ直属の四人の部下で、ただ一人仕事を与えられず、後方支援に徹している人物がいた。
身目麗しい彼女は今日も、軍内の男性陣と、一緒に砦に入ってきたという部下に囲まれ、ちやほやと甘やかされる日々を送っていた。
「大人気よねぇ、マリアンナさん」
「いやぁ、なんせ美人だからなぁ。一緒の隊になれて、おいらは幸せだべ。ぐへへ」
「……ビクター、あんた意外とわかりやすいんだな」
行軍中、野営の時間になった時のことである。
マリアンナは、アンリ軍に武器を供給する商団の手伝いで、荷物運びをしようとしていたのだが、そこに軍の男たちが寄ってたかって手伝いにきていた。
詰まるところ、誰もが彼女の気を惹きたいのである。
夜の闇に溶けながらも艶やかに光るマリアンナの黒髪は、同性のユリマから見ても羨ましいようで、すらりと整った顔立ちを見ればビクターはいつも鼻の下が伸びていた。
そんな美しい彼女に力仕事などとんでもないと、頼んでもいないのに男たちが無数に押し寄せ、彼女から荷物を奪って軟派に声をかけるのだ。
お陰で荷運びは早く終わったようだが、当の本人は自分の仕事ができず、どこにいくにも付きまとわれて困った顔をしている。
商人たちもやがて、マリアンナに仕事を任せるのを諦めてしまい、彼女は助けもないまま、浮かれた兵士たちの群れの中に取り残されてしまっていた。
「連中、ふざけすぎだな。仕方がない……」
「あ、カルド、抜け駆けはずるいべ。おいらもマリアンナさんとお喋りしたいんだべぇ」
「あぁ、ちょっと、カルド、無茶しないの。ビクターは何で混ざろうとしてるのよ……隊長も止めてくださいよぅ」
「えぇ……俺も行くのぉ?」
結局、見かねたカルドが助け船に向かい、ビクターはそれに便乗し、ユウもユリマに巻き込まれて、マリアンナを迎えに行くことになった。
はっきり言って、ユウは全く乗り気ではなかった。
カルドは巨漢で怪力だし、ビクターも今や立派な射手だ。ユリマはそもそも男を尻に敷くタイプであり、彼らが出向けばユウの出る幕などない。
何より、マリアンナの潜在能力を知るユウは、彼女に助けが必要だとすら思っていなかった。
しかしユウは、隊員に巻き込まれるまま兵士たちの群れの只中に放り込まれてしまい、カルドたちに混ざってマリアンナと兵士たちを隔てる壁として、矢面に立たされてしまったのである。
「そこまでだ、あんたたち……彼女は俺たちの仲間だ。いい加減返してもらおう」
「なんだぁ、てめぇ。義勇兵のくせに正規兵にたてつくとは、いい度胸をしてるじゃねぇか」
元々姉を守ってきたカルドは、こういう場面では勇敢だ。
歴戦を積んで堂々としてきた彼は、中々の迫力で兵士たちを睨んだが、ユウからすれば迷惑な話だった。
辛い行軍の中、美人との会話を邪魔された男たちは当然の如く機嫌を悪くし、柄の悪い数人が詰め寄ってきた。
指揮官は好青年だが、アンリ軍も所詮は軍隊だ。血気盛んな者も、粗暴な者も混じっている。そういった人間の方が戦意を高めやすい以上、仕方のないことだ。
とはいえ、荒っぽい者が手綱を離されれば、こうして内部での衝突が起こるのもまた事実である。
既にアレスは就寝中であり、ヤギン将軍は別動隊だ。喧嘩が始まれば、制止役がいない。
娯楽の無い兵士たちにはこんな事でも楽しみであるため、遠巻きに見る者たちも、ユウ隊と男たちの小競り合いを見物し始めたのだ。
「カルドとか言ったな、貴様……最近功を積んでるからって、随分生意気になったじゃないか。ちょっと前まで小姓共と一緒に、兵舎でお留守番だったくせによぉ」
「やいやい、おめぇさん。正規兵だってカルドさんには散々庇ってもらってたべぇ! 生意気言っとるのはどっちだべかぁ、えぇ?」
「全くよ、男のくせに肝が小さいったら。隊長も何とか言ってくださいよ!」
案の定、ユウも言い合いに引っ張り込まれてしまった。
ユリマはともかくビクターは短い間に随分と態度が大きくなったものだとユウは内心呆れていたが、一応は隊の長だ。彼らの喧嘩を他人事にはできない。
仕方がないので、なんとかマリアンナを回収しようと、ひとまずは穏便に済むように双方を宥めにかかった。
「ま、まぁまぁ、その辺で……俺たち、これから会議なんです。カルドの言う通り、マリアンナは隊員ですから、そろそろ解放してもらわないと」
「うるせい、どけ!」
「だよねっ!」
「あぁ、ウチの隊長をやったべなぁ!? 仕返しちゃる!」
無論、それで片付くほど行儀の良い相手ではない。
案の定というべきかユウは殴り飛ばされ、ビクターが騒ぎ出し、終いには周囲の兵士が煽り出して収拾がつかなくなった。
こうなればお互いに頭が冷えるまで殴り合いに付き合うしかない。
幸い、経験を積んだビクターは小柄ながらに喧嘩が強く、今更一兵卒など相手にはならない。カルドがマリアンナを庇い、ユリマがユウを介抱している間に、喧嘩殺法で五人中二人を畳んでしまっていた。
ただ、ビクターが一度に見られるのは二人までだ。二人が倒れ、二人がビクターと継戦し、残った一人がマリアンナの背後に迫ってきているのに、目の悪いカルドでは気付くことができなかった。
「きゃっ」
「むっ」
「へ、へへ……捕まえたぁ……諦めて酌くらいしてくれよ、お姉ちゃん」
兵士の一人がマリアンナの肩を掴み、カルドからひっぺがしてきた。
兵士は彼女をそのまま群れに連れ込んで、何なり悪戯でもするつもりだったのだろう。
だが、
「あっ、まずい……」
「ちょっとカルドっ、早く助けてあげて……」
「い、いや、そうじゃなくてあの兵士」
ユウが心配したのは、マリアンナではなく彼女を攫おうとした兵士の方だ。慌ててカルドに出そうとした指示も、ユリマの想像とは違う。
どちらにせよ、遅きに失していた。
カルドがマリアンナを取り戻そうと手を伸ばした時には、細腕が兵士の肩を引っ掴んでおり、
「……え」
「放して、くださいっ!」
唖然とする陣営の真ん中で、マリアンナの腕が振り上げられると同時に、大の男の大柄な体は、上空に放り投げられていたのだ。
マリアンナは、アンリ軍でも随一の怪力の持ち主、ゲーム的には最強の物理攻撃力を持てる潜在能力を有していた。
護身術程度で教わっていた剣術は、しかしその怪力によって強烈な剛剣と化し、戦場の経験を積むごとに、いつしか凶悪な殺人剣へと昇華していくのだ。
後についた称号は『鉄の黒薔薇』。
美しいが、寄らば斬られるユウ隊の切り込み隊長は、本人の穏やかな人柄とは裏腹に多くの人を恐れさせることになる。
仮にも商人である本人は人に嫌われたいわけではない。なので厳つい呼び名は不本意な事だっただろうが、悪い虫がつかなくなった彼女には、代わりに良い縁がついてくるのである。
ユウ以外にも気付く人はこの時点で気付いていたようだが、
「あの、カルドさん、さっきは助けていただいて、ありがとうございます」
「うん? あぁ、いや……ほとんど自分で何とかしていたようだが……まぁ、無事でよかった」
「……なんか、臭いべなぁ、あの二人」
「何の話よ、ビクター」
隊の中ではよりによってビクターだけであり、ユリマは目の前で未来の義妹ができたことをまるで感知できていなかった。
後に、弟の浮いた話で騒ぐ彼女を、ユウは何とか宥める羽目になるのである。