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4話 後に『獅子顔の天使』と呼ばれる修道士


 その青年、カルドはただの修道士だった。

 両親が病に没したために、姉のユリマと共に教会に拾われ、彼女と共に成長した。

 だが、無口で内向的な彼は、成長しても――それこそ、姉や、育て親の老司祭、果ては町の荒くれ男たちの背丈を軽々追い抜いても――人見知りの気が抜けず、その屈強な肉体の割に気弱な性格のまま、教会の力仕事や内職を、外からは人目につかずにこなしてきた。

 そうして鍛えた体格に似合わぬ気の小ささを、子供たちにからかわれ、姉にはどやされる浮かない日々だったが、それでもカルドは、それが一生続いてもいいという程、家族の穏やかな時間を好み、時には聖典の勉強に励む、静かだが幸福な日々を送っていた。


 生まれ育った町の傍に戦火が迫っても、結局カルドは、自ら動くことができなかった。

 頭三つ分も背の低い姉に手を引かれ、言われるままに歩き、時には走って、足を止めれば怒鳴られて、ひたすら東進を続けた。

 噂を頼りに、城へ砦へ。王の死後、王国唯一の希望となった王子に見えるために、と。

 だが、それさえカルドの意志ではなかった。本当はどこかに隠れ住み、戦いなど見ないふりをしたかった。

 それでもカルドが逃げなかったのは、最愛の姉が戦う意思を見せたからだ。

 戦いなど好まない温和な男だったが、それでも姉を傍で守るためなら仕方がないと、カルドは己を納得させて何とか歩を前に進め続けたのだ。


 ユリマとカルドの姉弟は、どちらも修道士、本来なら後方支援である。

 だから、軍に入っても一緒に居られると、カルドはそう思ってアレスの誘いを受けたのだ。

だが、


「済まぬが、カルドとやら……敵襲なのだが、負傷者が多く、敵の進路を塞ぐ重装歩兵が足りぬのだ。お主なら重鎧も大盾も扱えよう。前線の維持に、加勢してくれ」


「え」


 気弱なカルドは、強面のヤギン将軍に頼まれれば、嫌とは言えなかった。

 幼い頃から姉の背を追い、ずっと一緒に過ごしてきた少年は、その日初めて家族から離れ、不安と恐怖に飲まれながら戦い、そして。



***



 ビクターと共に、ユリマとの初陣を終えた後日、ユウは彼女から、弟の相談役を頼まれていた。

 元々アレスの命であったので言われなくても話を聞きに行くつもりだったのだが、ユリマ曰く、弟のカルドが落ち込んでいる原因には心当たりがあるという。


「アレス様も、ご存じだとは思うんです。敢えて仰らなかったのか、言いづらかったのかはわかりません。だからあたしが言っていいのかわかりませんけど」


 それでも、本人から言わせるには酷ということで、ユリマは弟の現状を、本人に代わって話し始めた。

 カルドが姉にべったりな性格なのは、ユウも最初から知っていた。

 それと同じように、ユリマも何だかんだ、弟が可愛くてならないのだ。

 画面の向こうから散々見てきた人格を、肉眼で改めて確かめたユウは、薄く微笑みながら彼女の話を聞き、そしてその事を、後に対面したカルドにもまた伝えたのだ。


「そう、だったのか。姉さんが、全部」


「うん、聞いた……カルドが味方を殺してしまったって」


 酷だと思ったが、ユウは有り体にカルドの所業を話し、その俯いた顔を、黙って見つめた。


 ユウがユリマから聞いた顛末は、こうだ。

 カルドは、ヤギン将軍の要請を受け、対ムート軍の戦線維持のため、重装歩兵として戦地に赴いた。

 アンリ王国は王を、都を失い、既に死に体だ。ならば戦を長引かせたい国はないし、当然、ムート兵は瀕死のアンリ軍に止めを刺すべく、アレスを狙って猛攻を仕掛けてくる。

 そのため、ヤギン将軍は敢えて敵の攻撃を待ち受けて閉所に誘い込み、少数の重装歩兵で道を塞ぎ、数的劣勢をある程度無効化できる策を取ったという。

 カルドは、その重装歩兵の一人であり、彼らの隊は作戦通り、狭い峡谷地帯の街道に敵軍をおびき寄せることに成功した。

 後は崖上に潜んでいた弓兵や工作兵が、袋小路のムート兵に矢や投石をぶつけて止めを刺すだけだったが、それも歩兵が持ちこたえなくては意味がない。

 カルドは必死に、慣れない槍を振るい、戦いが終わるまで応戦を続けたのだが、いざ落ち着いて周りを見てみると、最後に斃した相手は敵兵ではなかったという。

 兵舎に連なる寝台の一つに腰掛けながら、カルドは深々と溜息を吐き、ついに己から話し始めた。


「……俺、目が悪いんだ。だから、槍を振ってても、相手が誰なんだか、よく見てみないとわからない。だから、最後に刺した人が、駆け寄ってきた味方だなんて、気付かなかったんだ……」


 銃撃戦が主体の現代の戦争でも、兵士の死因の半分近くは味方からの誤射だという。

 白兵戦の時代ではいくらか割合も減るのだろうが、それでも狂乱状態で武器を振るう人間の群れの中では、相手が味方といえど迂闊に近づくのは危険なことだ。

 ましてカルドは近視を煩っており、遠くが見えない。この世界で眼鏡は貴重品らしく、硝子の装備は割れる危険性もあるので、そもそも前衛の歩兵に装備させるのは危険だ。

 誤射誤爆は戦場の付き物であるし、酌量すべき点のあったカルドは咎められる事こそなかったが、初戦を終えた後に隊を外された。

 その後、練兵の参加を促されることもあったが、その事がトラウマになっているようで武器を握ることもできず、今やエキュたち小姓に混じって下働きをするのが精々となっていたのだ。

 例によって、ユウは予め知っていた事ではあるが、本人から悲壮な顔で体験談を語られると、既知の話でも感じる重みが違う。

 戦場の経験値としては全く同じなだけに、そもそも人を斬れなかったユウは只々感心しながら話を聞いていたのだが、それだけでは話が進まない。

 カルドの話が終わった後、兵舎をしばらく重い沈黙だけが包んだが、ユウは慌てて会話を繋いだのだ。


「と、とりあえず、話はわかったよ、辛かったね……だけど、君が気に病む必要はないんじゃないか? 将軍もアレス様も、戦場に事故は付き物って言っていたんだろう? 少なくとも故意じゃないんだし、敵と戦っている最中だったんだから」


「その敵と戦うっていうのも、俺は本当は嫌なんだ……! 人殺しなんて、したくない……でも、姉さんが逃げないって言うから、俺」


「うーん……」


 大柄なカルドが、俯きがちになって弱音を吐くのを見て、ユウは思わず唸ってしまった。

 これまで話を聞いたビクターとユリマの二人は、一応は自主的に軍に参加した、文字通りの義勇の士だった。

 しかしカルドは、姉のユリマに引きずられここに来て、そして彼女のために逃げ出すこともできないと、主体的に軍に参加しているとはとても言えない。

 逞しい身体の割に情けない話ではあったが、ユウが反応を示したのは呆れたからではなく、強い共感を覚えたからだ。

 カルドが話すのは暗い話題ばかりだったのだが、ユウの表情は意識しない間に緩んでいたらしい。


「……隊長さん、どうして、笑ってるんだ?」


「え? あ、うん……ちょっと嬉しくて。馬鹿にしてるんじゃないけど、俺と同じで、臆病な奴もいたんだなぁって」


 カルドに指摘されたユウは、初めて自分が笑っていることに気付き、同時にその感情の理由にも気がついた。

 他人と共有できる気持ちがあることは、無条件に嬉しいものだ。

 勇者たちの群れの中に、自分と同じ一般人が混じっていたことは、ユウに強い安心感を与えていた。

 同時に、そんな恐怖の中でも逃げずに戦う勇気を絞り出すことがどれだけ難しいかも、ユウは初陣の時に思い知っていたのだ。

 それを素直に白状するのも、また気恥ずかしいことではあったのだが、それでもユウは打算も何もなく、己の身の上や初陣のことを、カルドの前に話すことができた。

 ユウから彼の初陣での醜態を聞かされたカルドは、これまた例によって例の如く、英雄の孫の思わぬ頼りなさに目を丸くしたのだ。


「え……でも隊長さんは、英雄ハイネスの孫なんだろう? それなのに俺と大して変わらないなんて、そんな」


「あはは……ビクターにも似たようなことを言われたよ。でも本当のことさ。というより、俺はそもそも敵を倒すこと自体出来なかったんだし、力も見た目の通りだよ。腕力でもカルドに遠く及ばないと思う。だから、素直に君のことは尊敬するよ」


「力が強いからか?」


「俺より力が強い奴なんていくらでもいるよ。ビクターが凄いのは、怖がりながらでも逃げずに体を動かしたことさ。俺にはできなかったから」


 重傷の敵兵を前に、立ち向かうこともできなかった己が、ユウの脳裏に思い出される。

 その点、味方への攻撃は擁護しきれないが、それでもカルドは初陣を最後まで戦った。

 それを可能にするカルドの勇気の出処は、予備知識とは関係なく、今の会話の中からでも掴めるものだ。

 当の本人からすれば、当然すぎて気付きようもないことだったのだろうが、家族から離れ独身だったユウに彼の強みは眩しく、見逃しようのないものだった。


「君は本当に、仲間やお姉さんを愛しているんだね」


「………」


「だから、どんなに怖くても逃げずに戦えたんだろう? 俺じゃなくてもわかるよ……アレス様もわかっているから、今でも君を仲間として期待して、傍にいてほしいと思ってるんじゃないかな」


 ユウは、口うるさい家族を疎んじて一人暮らしを始めた己を振り返り、裏表なくカルドを敬う言葉をかけていた。

 ユウが知る限り、ユリマはかなり騒がしい人物だった筈だが、カルドはそんな姉に辟易することなく、ただ愛して、戦場に姉を一人残さぬように戦ったのだ。

 そして、その愛の向かう先は身内だけに留まらない。

 兵士としては石潰しに等しい存在になっても、カルドがこの砦で、然程嫌がられることなく居場所を与えられているのは、少なからず彼が人々に好かれているからだ。

 現に、扉が開け放しの部屋の入り口には、覗き込む小さな影が見え隠れしていた。


「……あー、エキュ、ちょっと待ってて。カルドに用事なんだろう? もう少しで終わるから」


「え、エキュ?」


 一応、邪魔しないようにと隠れていたつもりだったようだが、声をかけられると観念したらしい。

 扉の影からは少し身を縮めながら、なにやら籠を手にしたエキュが現れ、しかし部屋に入ってくることは無いまま、どこか気遣わしげな笑顔で話しかけてきた。


「お邪魔して申し訳ありません。ご用事じゃなくて、ただお顔を見に来ただけなんですが」


「お、俺のか?」


「はい。カルド様、この頃お元気ないから、砦中で皆さん、心配してますよ。いつも力仕事をしてくれるのに、お顔色が優れないから、少し差し入れって……あ、ユウ様も、どうぞ」


 言うと、エキュはようやく部屋に入ってきて、手にした篭をユウとカルドの間にそっと置いて、


「みんなで作った焼き菓子です。お二人で分けて食べてくださいませね。カルド様が早く元気になりますように」


 忙しいのかすぐに、しかし笑顔と心置きの言葉は忘れずに、部屋を辞していった。

 この通り、カルドは多くの人を救い、同じく彼らに愛されていた。

 少なくとも、彼の力はささやかながら誰かの助けになり、多くの人に慕われていたのだ。

 去っていく小さな背中を見送りながら、ユウは改めてカルドに声を掛けた。


「別に、敵を倒せなくてもいいじゃないか。アレス様の受け売りだけど、人間誰でも、得意なことも不得意なこともあるんだし。君の姉さんだって、司祭なのに回復魔法は苦手だけど、前の戦いでは魔法攻撃で大活躍したんだ。カルドは人を支えることが得意なんだから、それを活かせばいいよ。最悪、戦場じゃなくてもさ」


「……でも、俺は姉さんを守りたいんだ。黙って見送ることなんて」


「うーん……じゃあさ、こういうのはどうかな。カルドは本来司祭なんだから……」


 ユウはカルドに、予め考えてあった作戦を伝えた。


 軍団戦であるシンボルシリーズには様々な兵種が存在するが、重装歩兵を始めとした前衛は、白兵戦の能力の代償に魔法が使えない、もしくは苦手とするキャラクターがほとんどだ。RPGではお決まりの特性である。

 そんな中において、カルドは非常に数少ない例外、その中でも唯一、鎧を纏いながら回復魔法を得意とする特殊職『アーマープリースト』の、ただ一人の適正者だった。

 武器が当たらないため攻撃能力はないものの、その巨躯で大盾を構え、前線で敵を防ぎながら回復の魔法で即時に自分や味方を回復させ、負傷した前衛を退却させることなく戦線を維持するという、地味ながら非常に強力な作戦を展開する不死の要塞として名高かったのだ。

 左手に盾を、右手には槍の代わりに回復魔法のルーンストーンを握り込み、味方を庇い、傷を癒し、敵を傷付けないまま、しかし己も不退を貫く、生きた、そして死なない鉄壁。

 その気高い姿は『獅子顔の天使』として、敵味方共々に称えられ、サーガの端々に名を残すことになるのである。


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