3話 後に『天罰の化身』と呼ばれる修道女
その少女、ユリマはただの修道女だった。
流行り病で親を亡くし、弟一人と共に町の教会に引き取られた彼女は、似たような境遇の子供たちと共に、優しい老司祭に育てられ、やがては彼を手伝って村の教会で働くようになった。
アンリ王国他、大陸諸国で信仰される『アウタナ教』は、主神アウタナの下、全生物同源を解き、それ故に命あるものは皆きょうだいであると相互扶助、相互庇護と融和を強く説く宗教だった。
その教えを幼い頃から受けてきたユリマは、引き取った子供たちにも本当の姉のように慕われ、町の人々の寄付に支えられながら、貧しくも幸せな生を送っていた。
だが、隣町がムート帝国の手に落ちたその日、日常は静かに終わりを迎えた。
優しくも賢かった老司祭は、若年者が帝国に捕まり労働を強いられていることを知っており、年頃であるユリマは同じく修道士となった弟と共に、二人でアンリ王子アレスの下へ落ち延びるようにと言ってきたのだ。
この二人で、という条件が、気の強いユリマを怒らせた。
これから敵が攻めてくる町に、年老いた司祭や、他に行く当てのない子供たちを置いていけと言うのかと、猛反対したのだ。
だが老司祭は一歩も怯むことなく、柔和な表情を保ったまま、ユリマと、同じく渋る弟の肩に手を置いて、どこまでも優しく諭したのだ。
「この通り、ワシは年じゃ。できる事と言えば子供たちを見守るくらいで、それ以上の事はできんからなぁ……よって役夫にもされんじゃろう。それに、ムート皇帝ベルンハルトは本来聡明な君主じゃ。意味もなく年寄り子供を殺させはしまい」
幼い頃から、老司祭は元気で暴走しがちなユリマをあしらうのが上手かった。
どんなに怒っていても、興奮しても、欲しいものがあっても、司祭の穏やかな声で宥められると、ユリマはどうしても感情が長続きしなかった。
「ワシらは大丈夫じゃ。それより、お前さんたちの方が危ない。子供たちなら守れても、お前さんたちは庇いきれん。ワシは自分で育てた子が、臨まぬことを強いられ、苦しむのを見たくはないのじゃ……だから、どうか逃げておくれ」
そこまで言われると、とうとうユリマは根負けし、弟の手を引いて涙ながらに生まれ故郷を後にした。
そして、アレスと合流した二人は戦いに身を投じていくのだ。
生まれ故郷の解放と、大切な家族の救出を志して。
***
ファンタジー世界であるSFSの世界において、聖職者と言えば即ち回復役だ。
このアス大陸を含め、ゲーム・シンボルシリーズの舞台には魔法が、そしてその使い手たちが存在している。
創作物ではお馴染みの火炎弾のようなものから、魔法使いの意思一つで起こる大天災まで、現実世界では戦略兵器のような大破壊を、一人の人間が独力で引き起こすこともある。
そのため、建物や技術の文明は現実の中世ヨーロッパレベルであるが、その戦いが齎す被害は、現代戦と然程変わりはない。
当然負傷者はつきものであり、ならば彼らの傷を手当てする者には際限なく仕事が回ってくる。
修道士ならびに修道女は、その傷の治療を担う回復の魔法使いだ。
この世界の神職の修行は、回復魔法への理解を高める作用があり、国によって崇める神が違っても、僧侶たちは人々を癒す医者の側面を以って、どこでも重宝がられていたのだ。
ユウの部下となった四人の一人、ユリマもまた、そんな修道女の一員だった。
劣勢で人手が足りないアンリ軍において、負傷者を救う回復魔法の使い手はまさに願ってもない人材であり、当然の如く大いなる期待と共に迎え入れられたのだ。
だが、
「お祈りですか、ユリマさん」
「あっ……隊長さん。こんにちは」
ユリマの姿は医務室にはなく、砦の外の海岸に設けられた小さな墓所の前にあった。
着慣れた白のローブに身を包み、そこらの海岸で見繕ったのだろう、質素な墓石の前で膝をついて祈る姿はいかにも聖職者然としていたし、それ自体は何の違和感もない。
だが、墓参りは本来、暇な時をみてするものだ。
砦にはまだ負傷者がおり、人手不足のアンリ軍が修道女を暇にしておくはずもないのだが、それでもユリマは一人、ここにいた。
ユウは持ち場にいない彼女を探し歩いた末、何とか見つけ出した次第だった。
「えーっと……隣、いいですか。あと俺、お祈りわからないから、教えてほしいんですけど」
「え? えぇ、勿論。あと、敬語は結構ですよ。あなたは隊長さんなんですから」
「あ、あぁ……うん」
ビクターと同じことを言われたが、ユウはユリマとすぐに打ち解ける自信がなかった。
挨拶はしたものの、ユウは女性と話した経験が少ない。美人となると会った経験もない。
ヒロイック・ファンタジーの仲間キャラということで、ユリマは中々の美少女だ。飴細工のような紫の髪も、白い肌も、程よく大きな黒い瞳も人形のように可愛らしい。
何とか隣に跪き、ユリマの教授で墓標に祈ってはみたが、ユウは緊張から、声を掛けるだけでもややしばらくの時間を要したものだ。
だが、立場の割に威厳がない分、腰の低い隊長の態度は、多少なり彼女の警戒を解いてくれたらしい。
少し安心したように微笑むユリマを見て、ユウもようやく僅かに緊張を緩めて、用件を伝えることができたのだ。
「治癒部隊長のユベールさんが探していたよ。急ぎの用があるわけじゃないけど、一人でいなくなって心配だって……どうかした?」
ユベールは、アンリ王都の神官であり、ヤギンと共にかつてからアレスの傍に仕える重鎮の一人だ。
ユリマの捜索は彼の依頼であり、然程怒ってはいなかったものの、今は仮にも戦時中だ。突然消えた新人が心配だったらしい。
首尾よく探し人を見つけたユウは、それとなく持ち場に戻るよう促してみたのだが、それを伝えるなりユリマは再び俯きがちになった。
「あたし、ダメなんです……医務室に戻っても、役に立てないんだもの。だからせめてこうして、お墓にお祈りしていようって、思って」
「ダメって、何が?」
ユウは、努めて優しく訊ねた。
聞きはしたが、彼女が何に悩んでいるのか、ユウは既に知っている。
だが、だからといって最初からそれを明かしてしまうと、余計な疑惑を生むことになるので、回りくどかろうと相手が自分で話すのを待つしかないのだ。
ユリマが黙っていたほんの数秒はかなり長く感じたが、ややしばらくで話す決心がついたらしい。
溜息に続いて、話が始まった。
「実はあたし、修道女なのに回復魔法が苦手で……弟と一緒にアレス様に仕えたまではよかったんですけど、負傷兵の手当てが上手くできなかったんです。結局それで、あたしが最初に診た人はそのまま……」
「……そうか、それは辛いね」
そう、ユリマは長年修道士の修行を積みながら、回復魔法の適性が無かったのである。
負傷者の生死を預かる者として、期待を込めて軍に加入した彼女はしかし、仲間たちの期待に応えられず落ち込んでいた。
結果、軍内に仕事も居場所もなくした彼女は、こうして墓に参るより他にできることがなかったのだ。
話しながらも膝をついたまま、墓石の前で俯くユリマの表情は、無念と罪悪感が滲み出るようだった。
「どうしよう、あたし、いつか司祭様を助けに町へ戻らないといけないのに……このままじゃ皆にも顔向けできません。弟も鈍いなりに、立派に仲間を守っている筈なのに、あたしがこんな有様じゃ、恥ずかしい」
ユリマは、隊長の隣であるのも構わず、止まらない溜息を吐き続けた。
家族を敵国より救い出すという、ささやかだが、誰も否定しようのない正義の志を持って、ユリマは弟と共にアンリ軍に参加した。
きっと何かできることがあると信じて。
それが、こうも自分の無力を思い知ると、いたたまれないのだろう。
そんな失敗続きの人間の気持ちは、ユウには地球の経験からよくよく理解していた。
本来のアバターであれば、豪傑の祖父と比べた自分の未熟を話すところなのだが、ユウはそんな恩師にも恵まれた試しもない。
だからこそ、その励ましの言葉は、ゲーム内でのそれよりもずっと謙遜で実直なものだった。
「それでも、ユリマは立派だよ。俺なんて、失敗したら落ち込むばかりで、すぐに何かしようなんて思えなかったんだから」
「そう、だったんですか。やっぱりハイネス様は、厳しい人だったんですね……」
「爺ちゃんだけじゃないよ。色んな仕事をしたけど、失敗したらけっこうきつく叱られた。立ち直るだけでも結構時間がかかったんだ。だからさ、魔法ができなきゃお祈りを、なんて、そんな発想の転換、できなかったんだ。その点ユリマならすぐ、自分にできることが見つかるよ」
いや、謙遜、実直というより、卑屈で素直というべきだ。ユウは言ってみてから、その事に気付いた。
言葉の端々から地球で溜めた毒が漏れるようで、ユウは愚痴に等しい己の言葉に嫌悪感を覚えたものだが、それでも聞く側からすれば実感のある助言だ。
ユリマは本来気丈で前向きな性格であり、そもそもいつまでも落ち込んでいるような人物ではない。
一度きっかけを得た彼女が、立ち直るのは早かった。
「……そうよね、傷の治療ができなくたって、できることはあるんだもの。こんなことで落ち込んでたら、それこそ送り出してくれた司祭様に申し訳が立たないわ」
そう言って、立ち上がるユリマの顔は、早くも明るくなっていた。
この切り替えの早さは、ユウからすれば心底羨ましいものだ。
アレスと話した時にも思ったことだが、やはりものが違うのだと。
この復活の早さが、凡人と英雄を分けるのだと、そして自分は前者であり、彼女は後者なのだと、ユウは否応なく思い出される。
ただ、
「そう、そうよ。傷の手当てができないなら、敵をやっつければいいんだわ! なんで今まで考え付かなかったのかしら!」
「えっ」
可愛らしい少女の口から、こう荒っぽい言葉が出てくると、流石に戸惑いを禁じえない。
ユウは、ユリマがこういう発想の転換に至るのは知っていた。だが目の前で実際に、爽やかな顔で血気を滾らせる女性を見れば、所謂草食系男子の動揺はさもありなんというところだ。
そんな隊長の混乱を他所に、跪いていたユリマは立ち上がり、墓の代わりに天を仰いで、声高に祈り始め、
「あぁ、命の源、アウタナ様! 家族を救うため、あたしはあなたの末裔の一人として、これより戦いに赴きます! 徒に同胞を傷付ける者に、この手を使ってどうか天罰をお与えください!」
しかもあろうことか、その祈りにはすぐに応答が返ってきたのだ。
ユリマの前では墓石が光り始め、晴れていた筈の海岸には、見る見る黒雲が満ちて周囲が薄闇に覆われた。
雨雲ではない。スチールウールのような鈍色のそれは、祈祷によって喚ばれた雷雲だ。
明らかに不自然で、明らかに危険な色味の雲は、不定形に泡立つ表面に稲妻を奔らせながら、海上に結集し、
「……あれ?」
何が起きたかと戸惑う召喚者の前で、さながらSF映画のビーム兵器のような極太の雷を海上に落とし、大量に海水の蒸気を残して、何事も無かったように霧散していった。
ユリマも、訳を知っている筈のユウも、空が晴れ、なおも騒ぎの止まない砦からアレスらが迎えに来るまで、そのまま呆然と立ち尽くしていた。
さて、この世界では、魔法は自然の力が宿った呪い石『ルーンストーン』を媒介に発動される。
魔法の素養を持つ者がその石を前に祈ることで、各々が適正を持つ自然現象や祈りの力を、攻撃や回復の魔法として発動させる、という仕組みである。
砦近くの墓石は、ユリマが近くから拾ってきたものだったのだが、それがたまたま、そのルーンストーンだったのだ。
それが図らずもユリマの祈りに応え、攻撃魔法を発動させたのだが、たった今放たれた強烈な雷撃こそが、SFSにおいて彼女を最強の一角たらしめた一因だった。
その名もそのまま『天誅』の術。直撃すれば、それこそラスボスのベルンハルトすらも二撃で沈黙する恐るべき大魔法である。
ゲーム内での使用者は、後に登場する敵の大司祭とユリマだけという少なさであり、これを扱えるがために、ユリマはこの魔法と共に、ゲーム内最強の一角と名高いキャラクターだった。
そう、魔法使い。修道女でなく、単純な攻撃魔法使いこそが、ユリマの天職だったのだ。
ゲームでの転職の条件は、アバターとの隠し会話イベントなのだが、部下と話すようにとのアレスの計らいによって、ユウは隊の初陣前から、そのイベントを発生させてしまったのだ。
ラスボスが二発で沈む大魔法。序盤の敵に撃てばどうなるかなど、わざわざ語るまでもない。
神の雷を好き放題に振り回す少女は、やがて『天罰の化身』と呼ばれアンリ王国内外で畏れられることになるのだが、彼女がその名を生涯嫌うことは、現状ユウだけが知るところである。