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そして、何者にも成れない筈の青年と、消える筈のプリンセス④


 その少女、レーゼはムート帝国の姫君だった。

 アス大陸は中央から北方にかけて、大陸最大の国土を誇るムート帝国は、寒冷な北部から出でて武によって版図を拡げ、現在の隆盛に至った、国力的にも最大の国家である。

 その大国を支える、現皇帝ベルンハルトはレーゼの兄。両親が早逝した今、唯一の肉親だ。

 十歳も年の離れた兄は、もう一人の父のような存在だった。

 幼い頃、病弱な父皇帝は広い国土を治めるため、公務に追われて子供に構う暇など無かった。

 だから、幼いレーゼの遊び相手は、いつでも兄だった。

 自らも帝王学を学ぶ傍ら、暇を見つけては妹に構い、昼は散歩に遊猟に連れていき、夜は寝物語を語る、心優しい兄だった。

 それも、即位するまでのことだ。

 父皇帝が病に没し、翌年に太后も後を追った帝国で、新皇帝の仕事の量は推して知るべしである。

 そんな兄を支えたかったレーゼは、幼い頃から様々な研鑽を積んできた。

 剣術に、兄と同じ学問を修め、子供だてらに諸侯の顔を見に奔走し、微力でもと若い皇帝を支えてきたのだ。

 そんな健気な彼女には、諸侯から個人的な協力を持ちかける者も現れ始め、十七の現在に至る頃には、立派に一勢力の長として多くの人々を従えるようになっていた。

 国のためではない。愛する兄のためだ。

 優しい、愛しいお兄様が、父のように激務でやせ細り、険しい顔をしなくて済むようにと、レーゼは必死に努め、それは立派に彼を、ひいては国を支えて、民たちもまた彼女を慕っていた。


 だからこそ、アンリ王国への侵攻は寝耳に水の話だった。

 ムート帝国は元々、戦で拡大した国だ。

 そうでなくとも帝国の北方の海からは、年中問わずに異大陸からの侵攻があるため軍は精強であり、実際呆気なくアンリ王は死に、都は陥落した。

 だが現在、国は安定し、他国から食料、物資の略奪など必要はない。

 無用な殺生はしなかったようだが、それでも理由が無ければ納得のしようもなかったレーゼは、兄皇帝に詰め寄ったのだ。

 だが、


「お前には関係のないことだ」


 そう言って無碍にされて以来、ベルンハルトは顔を合わせてもくれなくなった。

 その顔は、まるで晩年の父のように険しく、重々しい影がさしていた。

 兄の腹心にして、レーゼにとって姉のような馴染みに相談しても、何も教えてくれなかった。


 だからまた、レーゼは走ったのだ。

 兄と自分の双方に忠義する臣下を頼り、戦の原因究明に血道を上げた。

 そうしているうちに、恐ろしい事に気が付いた。

 皆、戦の理由を知らなかったのだ。

 戦の理由は、皇帝の一存。

 皇帝直属の腹心たちはなにも答えず、その下は何も知らされないまま、ただ隣国に侵攻した。

 ただ一つ掴めたのは、帝国軍がアンリ王国から、何か物資を奪っているという情報のみ。

 国内ではそれ以上は何もわからず、業を煮やしたレーゼはついに、僅かな部下を連れて国を飛び出した。

 全ての真相を掴むために、まずは、手にしたアンリの王都へと。

 死出の旅路とは知らぬまま。

 そして、その運命を変えようという者がいるなど、想像もできないままに。



***



 王都を奪還したアンリ軍は、突入の以前から城を囲み、脱走者を逃がすことはなかった。

 そのため、王城に詰めていたムートの官吏たちは、アンリ軍の攻勢を受けても逃げることができず、余さず捕らえられていた。

 全ては、軍師ユウの進言だ。

 ムートの兵士たちがそうであるように、アンリの人々もまた、自国が侵略された理由を知らなかった。

 そのため、ヤギン将軍も特に迷うことなく策に同意し、アンリ軍は作戦通りにムート軍の逃亡を許さずほぼ全員を捕虜とできたのだ。


 勿論、理にかなった作戦ではある。

 だが、立案者であるアンリ軍師ユウのその真意は、城からただ一人を逃がさないための策だった。

 その人物こそがムート皇女レーゼ。

 誰もが驚いた彼の人物の捕獲は、最初からユウの計画通りだったのである。

 そんなことを知らない兵士たちは、仮にも異国の姫を牢に入れるわけにはいかず、重要参考人の一人として客間に軟禁されていた。

 賓客とまではいかないが、ひとまず無碍にはできない相手だ。

 部屋の外に出ることは許さなかったが、一応は応対をつけるようにとアレスが達し、レーゼの座る卓の前には、ビアンカ嬢が紅茶を片手に座っていた。


「こんな形で再会するとは、本当に残念です、ビアンカ様」


「そうね、私も残念ですわ。あなたに会うなら、もっと楽しい席が望ましいのに」


「……あの、お顔が笑っていますが」


 囚われのレーゼは、敵国の王妃候補を前に、少し厳しい顔になった。

 齢十七の若さだが、整った顔立ちは美しく、それ故に表情を尖らせればよりきつい印象を与える。

 ビアンカとレーゼは十年前、ベルンハルト皇帝即位の式典で会ったことがあり、その時に意気投合してからは文通友達だった。

 そのため、交流自体はあったのだが、直接会うのは久しぶりのことだ。

 レーゼにとっては古い友人と、敵味方別れての哀しい再会だったのだが、ビアンカの方はそんな暗さを一切感じさせない表情で、敵国の姫と対していた。

 何せ、ビアンカはこの再会を、予め知っていたのである。

 驚く演技にも疲れてきた彼女は、とうとう表情を繕えなくなってきており、何もかも計画通りのこの状況に、ついつい笑いが止まらなかった。

 レーゼに訝しがられたビアンカは、笑顔の理由を何とか誤魔化すべく、必死に言い逃れて空気を保つことにしたのだ。

 彼が来るまで。


「いえね、レーゼ様。状況は残念ですけど、お会いできたのは嬉しいわ。敵味方ですけど、今は戦う理由もないのですし、そう緊張しなくてもいいのでは?」


「……嬉しい、ですか。私は敵国の姫ですよ。兄が戦など仕掛けなければ、ビアンカ様はアレス様と今頃……」


「では、レーゼ様も、兄皇帝様の動機についてはご存じないのね?」


「………」


 レーゼは重々しく頷いた。

 ビアンカは「そう」と、残念そうな反応をしたが、実を言うとレーゼの反応もわかっていたのだ。

 同時に、ビアンカは確信を深めていた。

 何もかも、あの青年の言う通りであると。

 彼我の状況に、人々の動き。

 ならばレーゼの言もまた真実であり、帝国は一枚岩ではないのだろうと。

 そして、この先に待つ運命もきっと、彼の言った通りになる筈だと。

 そこまで思い至ったビアンカは、既にレーゼを敵国の皇女ではなく、一人の仲間として見ることができたのだ。

 死んでほしくない人物の一人として。

 だから自然と、掛ける声も優しくなっていた。


「大丈夫……お兄様のお気持ちはすぐに知れますわ。そのために皆頑張っているのですし、レーゼ様も奔走なさったのでしょう?」


「え、えぇ……でも、大したことは、何も」


「焦らなくても、きっとこれから結果が出ますわよ。レーゼ様にも、味方は沢山いらっしゃるのでしょうし、それに」


「それに?」


「それに……ふふっ」


 ビアンカは、全てを言えないのがもどかしかった。

 敵国に身を置きながら、あなたを想って、あなたのためだけに戦う人が、アンリ軍の中にいるのだと。

 この部屋に招いてある彼のことを、レーゼになんと紹介したものかと、ビアンカは必死で、そして楽しく言葉を探していたのだ。


 やがて、ビアンカがそれを伝え、笑いをこらえられなくなった頃に、客間の扉が叩かれた。


「あ、来た来た……ユウ様ですわね? 入ってくださいな」


「し、失礼します……!」


 ユウが部屋に入ると、そこにはずっと探していた姿があった。

 客間の椅子に腰掛ける、華奢な人影。

 ゲーム内で見る鎧姿でも十分美しかったが、衣装棚から借りたという清楚な蒼いドレスは、そこから伸びる白い首に、髪に、手に、とても良く映える。

 本来は、こうして着飾るのが普通の人だった。

 馴染まない鎧を纏い、最期の時まで戦場を駆ける、そんな人ではなかったはずだ。

 プリンセス・レーゼ。

 そのあるべき自然な、そしてもっとも美しい姿を見たユウは、彼女の顔をまじまじと凝視したまま、部屋の入り口で固まってしまった。

 初対面の女性の顔を、挨拶もなしにまじまじと見つめ、何の反応もないなど不敬なことだ。

 レーゼは一瞬不審そうに眉根を寄せたが、腹を抱えて笑っているビアンカの手前、あまり礼儀をとやかく言う気にもなれなかったらしい。

 無礼を怒るというより、どちらかと言うと困惑の強い表情を浮かべながら、レーゼはユウの前に歩み寄り、優雅なカーテシーで挨拶をすると、


「初めまして、アンリの軍師、ユウ様。私はムート帝国が皇女、レーゼ。ビアンカ様から、お聞きしたのですが」


「えっ、あっ、はい。な、何を」


「あなたが私の『王子様』、なのですか?」


 衝撃的な発言で、強張っていたユウの体を完全な石となさしめたのである。


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