そして、何者にも成れない筈の青年と、消える筈のプリンセス③
ユウの輸送に不安があるとして、作戦の可決を渋っていたヤギン将軍だが、ビアンカが自らユウの護衛に就くと進言したことで、大いに慌てふためいたという。
勿論、ビアンカは王子の許嫁という特別な身分だ。ユウ以上に危険な目に遭わせるわけにはいかないと、当初は猛反発を喰らった。
だが、
「今、アンリ軍の一角獣騎士は私ただ一人……それも相手に警戒されていない以上、奇襲にはこれ以上ないほどうってつけでしょう? それに、ユウ様の作戦が確かなことも、これまでの戦で実証済みです。きっと上手く行きますわ。それとも叔父様は、姪可愛さにみすみす上策を取り逃すのですか?」
「……と、僕も同じように言われてね。ユウ以上の策を用意できない以上、僕らの負けだよ、ヤギン将軍」
「……う、ぐぐぐ……」
こんな具合で、首脳陣は見事にビアンカに丸めこまれたらしい。
道中、ビアンカはその時の顛末を団員たちに伝えながら、当時の叔父の表情を「しわしわの林檎みたいだった」と、しきりに笑っていた。
ユウ隊の一行は話に合わせて笑うしかなかったのだが、当然、口角の動きが固くなる。
特に男性陣は、隊員の二人も含めて女性陣の勇猛さに少しを怯んでいたようで、情けなくも小動物のように寄り集まってこそこそと密談を交わしていた。
「なんだか、ウチの国の女は誰も気が強いな」
「れ、レーゼ皇女はきっとおしとやかだべ。仲良くするべ」
「残念だけど、ビアンカ様くらいは勇敢だよ」
「……隊長さんの好い人は取らないべ。おいら、頑張って嫁探すべ」
馬鹿なやり取りだが、何にせよ、ビアンカは頼もしい助っ人である。
かくして、紆余曲折はあったものの、ユウ隊の潜入作戦はビアンカの交渉によって可決され、決行の時を迎えていたのだ。
ビアンカを目付け役兼、ユウの運搬役に迎えた一行は、城壁の内側に侵入を果たしていた。
ユウはビアンカのユニコーンに便乗し、夜間の飛行ということで兵士に見咎められることもなく侵入ができたのだが、隊員の四人もビクターの先導で何とか城壁を超えたらしい。
一行は暗闇の街の中、強襲地点である城門近くの路地裏で合流し、兵士に見咎められないように注意しながら辺りを警戒していた。
「うわぁ……憧れてた景色だけど、不気味だなぁ……」
ユウは小声で、思わず呟いた。
石畳の道路を挟んで、ハーフ・ティンバーと呼ばれるドイツ民家に似た建物が無数に立ち並ぶハルジアの町は、昼間であればさぞや情緒的だったことだろう。
だが、アンリ軍が接近しているためか町は厳戒態勢であり、街灯にも松明が入れられていない。
勿論、夜明け前という時間の悪さもあるが、落ちかけの月と星に半端に照らされ、家々が濃い影となって延々と並ぶ様は、とても情緒など感じようもない。
獣の吐息のように生暖かい初夏の風は、毛羽立った毛皮が肌を擦っていくような、居心地の悪い不気味さだ。
更に、遠くで兵士たちが動く音が聞こえる。
不寝番だろう。外の警戒のために数は少ないだろうが、街中の方にも巡回の兵士がいるようで、否応なく緊張を強いられる。
うっかり蜂合わせて騒ぎでも起こされれば作戦は破綻だ。
更に、城壁の内門の両脇もきっちり兵士が固めており、排除しなければ進めない。
慎重に動かなければならなかったが、
「……んで、隊長。おいらたち、あの門を開ければ良いんだべな?」
「え? うん」
「で、巡回の兵士は……んー、足音の感じ、大体隊長の見立て通りに動いてるべな。人数もやっぱり予想通り。門の左右、二人ずつで回ってるみたいだべ」
「ちょ、ビクター」
「よっし、マリアンナさん。おいらは右をやるべ」
「じゃあ、私は左として……カルドさんとユリマさんは、隊長とビアンカ様をお願いしますね。大丈夫、バレないようにやりますから」
「え、マリアンナ、待って」
ユウが躊躇している間に、ビクターとマリアンナは弓と剣を手に路地を飛び出し、言葉通り左右に展開していってしまった。
更に、残された姉弟も特に騒ぐ様子もなく、二人でそれぞれ路地の両側の入口に身を置き、近づく人影を警戒し始めたのだ。
ユウもビアンカも、あまりに思い切りのいい隊員たちの動きに言葉を失っていたのだが、そんな二人を見たユリマは、去り際ににっこりと笑った。
「何驚いてるんですか隊長さん。これ、隊長さんが立てた作戦通りでしょう? 状況も時間も予定通りなんだから、そんなにびくびくしなくても大丈夫ですよ」
「それこそ、想定外はビアンカ様がいることくらいだ。それも、俺の盾から出なければ問題はない……隊長を運んでくれただけで十分助かったし、後は俺たちに任せてくれ」
カルドも、厳つい顔をにやりとほころばせ、勇ましく守りを引き受けた。
手分けして任に当たるユウ隊の隊員たちの背を、ビアンカは何とも言えない表情で見つめていたが、やがて小声で、ユウに耳打ちをした。
「皆さん、随分頼もしくなりましたね……最初の頃が嘘のようですわ」
「………」
ビアンカは当然、進んで前線に出るような人物ではない。ユウ隊の活躍も、伝え聞く程度でしか知らなかっただろう。だから、彼女が知る隊員たちの最後の姿は、俯いていた新入の頃のものだ。
それが、状況を自ら把握し、敵陣の真ん中で号令も無いまま、隊長の作戦を疑いなく実行できる程勇敢になったとは、軍の誰が見ても驚くべきことだった。
ユウも、彼らの潜在能力を知りながら、いざ飛躍する姿を見るといちいち驚いていた。
最初は、自分と同じ落ちこぼれだったのに、随分遠くに行かれてしまった、と。
乾いた笑みと共に口から出た言葉には、寂しさと、微かな落胆が混じっていたが、
「……全く、俺には勿体ないですよ。彼らが俺なんかの部下なんて、何かの間違いみたいだ」
「あら、そうかしら?」
「え」
直後にビアンカに首を傾げられ、ユウは顔を上げた。
「皆さんが急成長なされたのは、あなたの部下になってからです。アレス様は、彼らから特別なものを感じてらしたけど、的確な助言は思いつかないと言っておられたから……あなたに彼らを任せてよかったと、本当に喜んでいましたわ」
「でも、俺は何かを提案したり、作戦を作ったりするだけで、実際に戦えは」
「その作戦も助言も、今まで上手く行っていたんでしょう? アレス様は、今回もきっと大丈夫と信じて、私がお目付け役になることを許したんですよ……ほら」
「はい?」
「今回の作戦。手筈通りなのでしょう? ビクターさんたち、行ってしまいましたけど、これからどうなるんです?」
「………」
これからどうなる。そう言われて、ユウは何度となく繰り返した戦局のシミュレーションを、ビアンカに語り聞かせ始めた。
「……まず、ビクターとマリアンナが、夜警を無力化します。できるだけ殺さないように口を封じてほしいと言ってありますけど」
ユウはムート兵をできるだけ殺したくなかった。
理由は言わなかったが、隊員たちは何も言わずに微笑み、これまでの戦いでその願いを叶え続けてくれた。
そして今回も、ユウたちの見えない彼方で、それは忠実に遂行されていたのだ。
城門側の道を見守るユリマが、やがて小さく声を上げた。
「隊長、二人とも、無傷で戻ってきましたよ。うん……ちゃんと兵士二人ずつ、手足も口もふん縛って引きずってるわ。ほら、ビアンカ様も」
「……本当ですね。ユウ様、次は?」
「門番の排除です。でもあの二人なら、すぐに」
背中側をカルドに任せ、ユウとビアンカは姿を見せた斥候二人を見守り始めた。
と、同時に戦いはすぐに終わった。
ビクターとマリアンナの二人はどちらも、身のこなしに自信があったのだ。
ユウたちの視界に姿が映った途端、ビクターは身を隠しながら、手にした弓で門の少し上方向を射た。
勿論、命中したのは壁だ。乾いた音と共に矢は弾かれ、番兵たちの足元に落ちる。
音で番兵の視線は上に、直後落ちた矢に気付いて下に泳ぎ、それぞれ前後への注意が散漫になる。
その数秒の内に、既にマリアンナは兵士たちを剣の間合いに捉えていて、
「……! 貴様」
「ぐあっ」
叫ぶ間も与えず、剣で二撃。
片や首の後ろを剣の平で殴られ、片や鳩尾に柄を突き刺されて沈黙し、二人の兵士は音もなく地に崩れ落ちた。
かくして、門は丸裸だ。
だが、鉄の落とし戸である正門は装置がなければ開けられず、目の前にある内門を通らなければ辿り着けない。
その内門も、常人ではどうしようもないほど重い扉であり、普通はこのまま侵入などできないのだが、
「カルド、出番よ」
「応」
一行の背中を守っていたカルドが、ここにきて出張ってきた。
見張るものの無くなった道を堂々と進み、大扉の右側に巨体が陣取る。
そして、
「ふん……!」
カルドが全身を踏ん張って扉を押すと、大きな扉が鈍い音と共に開かれ、その向こうの正門が姿を現した。
重々しい鉄の格子の向こうには、朝日が登り始めている。
そして、それを背にした軍勢は、アレス率いるアンリ軍だ。
彼らを阻むものは、既に正門ただ一つ。
その門を開ける巻き取り機のレバーには、既にマリアンナが手を掛けている。
砦の上の物見たちは、この状況に気付きもしない。
門を超えられもしないのに、あの王子たちは何をやっているのかと。
頭上から降ってくる、そんな声を遠くに聞きながら、四人の隊員たちは隊長の最後の号令を待った。
「……ほら、皆さん、お待ちかねですよ、隊長さん」
「………」
一瞬溜息を吐いて感心していたビアンカが、そう言ってユウに促した。
勝手に始めてしまったが、あなたが立てたこの作戦は、あなたの号令で終わるのだと。
隊員たちの目はそう言っていた。
自信と信頼に満ちた部下たちの微笑みと視線を受け、ユウは震える声を何とか抑えながら、努めて厳粛に、
「開門」
作戦を終える号令をかけた。
マリアンナが大きなレバーを引くと、壁についていた巨大な滑車が回り、鎖を巻き取り始める。
ぎりぎりと音を立て、開いていく重い格子戸。
直後、暁の空の下で鬨の声が上がり、砦の上で人々の悲鳴が轟き始める。
油断していたムート軍の守備隊は、城壁の外には一切布陣していない。
そのため、何とか門を再び閉じようと、遅れながら城壁の守衛が駆けつけてきたが、それを通さないためのユウ隊だ。
「姉さん、準備を」
「ん、了解。やっと出番ね……やるぞー」
殺到してくる兵士たちは、しかしカルドの巨体と盾に阻まれて、装置の部屋まではいることができない。
カルドの脇を抜けて来ようとする兵士もいたが、盾から顔を出した途端にマリアンナの剣とビクターの弓を喰らい、
「あ、ここならお助けできそうね……やあっ!」
そこにビアンカの槍まで伸びてきて、一人も入り込むことができなかった。
そして、先頭が詰まれば、後続の足も止まる。
門の入り口から後ろには、先に進めない兵士たちが少しずつ溜まって密になっていた。
密集し、動きの止まった人間の集団。
それは即ち、的だ。
カルドの背に隠れながら、拳大のルーンストーンを手にユリマが祈祷を捧げると、兵士たちの頭上には黒い雷雲が満ちていく。
兵士たちの中からはあれは何事かとざわめく声が聞こえるが、わかったところでもう遅い。
あの雲は魔法だと、気付いた一人が声を上げかけたが、
「ユリマ、手加減してよ」
「わかってます隊長……! 発射!」
散会を促す声は轟く雷鳴に消え、雷の魔法を喰らった兵士たちは体から黒煙を上げながら地に倒れた。
これで、隊の仕事は終わりだ。
既にアレスの本隊は、ユウの背後に迫っており、隊は左右に道を開けて、彼らのために道を開けた。
「ありがとう、ユウ。あとは任せて」
すれ違いざま、白馬の上でユウに笑顔を向けたアレスは、文字通り無人の野を苦もなく駆け抜け、軍勢と共に瞬く間に己の都へと雪崩れ込んでいった。
これこそが、SFSのアンリ王都解放戦において、最小被害、最短時間を誇る戦法だ。
虎刻、現実で言うところの午前三時、夜明け前に城内で暗躍し、番兵をなぎ倒す様からネット上で『虎アサシン』と呼ばれるこの策は、失敗すれば潜入部隊が全滅し、更には警備の穴も見直されて城の警戒がさらに困難になる危険な一手でもある。
だが、成功すればこの通り、ほぼ無血で城壁を突破し、ムート軍は碌な抵抗もできないままに市街の制圧となる。
そして市街を制圧すれば、戦いは終わりだ。
城壁は外敵からの攻撃には強いが、逆に内側からの攻撃には無力であるのが常だった。
対外用の兵器や弓兵は完全な置物と化し、逃げ道の階段も出口も市街側から塞がれ、中に詰める兵士たちは身動きが取れなくなってしまう。
結局、退路を塞がれた城壁の兵士たちは、応戦も許されずに投降した。
これで、アンリ軍の前には、丸裸の本城が残るのみである。それも、城壁を失えば戦いにもならない。
現城主が敵襲の報告を受けた頃には、既に趨勢は決していたのだ。
後はユウ隊の出る幕さえなく、アレスと共に城の包囲に参加している間に、やがて降伏の報せが届いた。
かくして王都は、アンリ軍の手に戻ったのだ。
そして、間もなく本陣に、一つの報せが届いたのである。
「……何? ムートの姫君が!?」
それは、帝国の貴人と思しき女性を捕らえたという、兵士からの報告だった。
ユウには予見できていた事だが、本気で驚くアレスの反応を見るに、彼は何も知らなかったようだ。
ビアンカは秘密を守ってくれていたらしい。
アレスに合わせて驚く演技をしながら、ビアンカはそっと、ユウに耳打ちした。
「昔お会いしたことがありますけど……レーゼ様は、兄君のように堂々とした男性が好きと言っていましたわ。実績は十分なんですから、もっとしゃんとしないと、嫌われてしまいますよ」
「……が、頑張ります」
根暗な自分には難しいことだと思いながら、そう背を押されると、ユウには逃げ場もなかった。
待ちに待った、出逢いの時だ。
ビアンカの進言で、ユウ隊も城内への面会を許されることとなり、アンリ軍は取り戻した自国の主城へと、凱旋を果たしたのだった。