プロローグ
人類最大の版図、アス大陸を揺らした戦乱は今、終わりを迎えようとしていた。
突如、隣国アンリ王国に侵攻を開始し、その他の小国をも巻き込んでアス大陸に覇を唱えんとしたムート帝国は、アンリ王子アレスと、彼の下に集った勇者たちの逆襲に遭い、無数の死闘の末、ついに彼らを玉座の間に迎えていた。
正に帝国興亡の一戦が起こらんとしていたその時、最後に起こったのは、皇帝ベルンハルトと、その妹レーゼの問答。
兄の戦いに異を唱え続けた妹が、最後の機会にと説得を呼びかける。
それが『シンボルオブフレイムサーガ』と題打たれた物語、その最終盤の佳境。
同時に、最後の悲劇の一幕である。
***
照明を落とし、深夜の暗がりの中で、モニターの映像だけが過剰な輝きを放っている。
聞こえるのは何度聞いたかも知れない前語り。
おどろおどろしくも勇壮なBGM。
白石と金細工が惜しげもなく散らされ、質の良い赤絨毯の敷かれた豪奢な部屋。
月並みながらも戦記ゲームの終盤を盛り上げる調べに、演出に、そして舞台の一幕のような景色に、ユウこと比叡裕は今日も一人、酔いしれていた。
だが、演出は飽くまで背景である。
例えば人物画を見れば、後ろの黒塗りの手法などほとんど誰も気にはしない。演劇を見るにしても、多くの場合観衆の視線は、背景の大道具よりは演じる役者の方に注がれている事だろう。
このゲームの曲も雰囲気も好きだったが、それでもこのシーンで最も目を惹くのは、たった今画面の中央を凛々しくも華やかに飾る美少女の姿。
ムート帝国が皇女レーゼが、兄皇帝ベルンハルトと対峙する姿だった。
「お兄様、もうやめてください。戦いの趨勢はもう決しました。これ以上戦って、一体何になるというのです!」
レーゼは、己の仲間たちと兄の軍勢の間に立ち、涙ながらに訴えた。
前後に構える兵士たち同様、自身もドレスの上から銀の鎧で武装していたが、流れる白金の髪と、白い細面の美貌は、戦装束の無骨さを補って余りある。
こんな娘が涙ながらに何かを懇願すれば、自分なら一も二もなく了承するだろうと、ユウは場違いながらも考えていた。
しかし、今彼女と対する相手は、そんなことで靡いてくれるほど軟な相手ではなかったのだ。
前方を兵士に固められ、自らの傍にも美しい女戦士と、もう一人屈強な老将が左右に控える中、高台の玉座に座する男は、厳めしい顔を険しく歪めて、眼下の少女を睥睨していた。
「……敵に与したお前を、最早妹とは思わぬ。話すことなどない、失せるがいい」
「お兄様っ!」
レーゼは帝国を出奔し、その敵国であるアンリ王国に落ち延びていた。
兄に反発するレーゼは広がる戦火に心を傷め、ついに兄皇帝を止めるべく、自らに縁の諸侯に謀反を呼びかけたのだ。
結果、たった今この状況を招き、それはともすれば自国を滅ぼしかねない暴挙であったが、それでも人々がついてきたのにもまた立派な理由がある。
兄の正論に、しかし怯むことなくレーゼは一喝し、その気迫に前線の帝国兵は思わず道を開ける程だった。
何せ、裏切ったとはいえ自国の姫である。
それがこうして国を憂う思いを表明しながら進み出てくれば、彼らは手出しのしようもない。
武装した兵士の群れが、聖者が海を割るが如く左右に失せて、レーゼはその中を悠然と進み、兄の座する玉座の目前まで歩み寄った。
「この戦いには、大義がないではありませんか……散っていった臣下たちは皆、お兄様を信じていましたが、彼らが戦ってくれたのは単に忠誠のためです。お兄様が語らぬのなら、きっと言えぬ訳があるのだろうと、ならば聞くまいと……そう信じて死ぬまで戦いました。私の言葉には耳も貸さずに……それでもなお、ここまで戦い続けたのはどうしてなのです」
「………」
「答えてください、お兄様っ!」
やがてレーゼは兄の元に辿り着き、剣を抜きもせずその胸に掴みかかった。
「お兄様……! 一体どうしてしまわれたのですか。昔は、何でも話してくださってではありませんか。お父様にどれだけつらく当たられても、私にはずっと優しかった……」
ベルンハルトは、変わらず何も答えない。
妹が涙を流しながらどれだけ訴えても、彫の深い顔は表情の変化すら伺えず、華奢な身体を押し付けられても玉座の上の巨躯は小動もしない。
脇に控える女騎士も、反対側の老将も、どこか心配そうに君主の兄妹を見つめていたが、やがて。
「ビッソン」
「はっ」
「貴様は下がれ」
「……御意」
ベルンハルトは、この土壇場で、右腕を守る腹心の一人を、己の傍から遠ざけた。
先代皇帝よりの旧臣ビッソン将軍は、決して主人の命に背かず、皇帝のどんな無理も叶える男として名高かった。
そして左腕を守る女戦士もまた、忠臣としては稀代のものと鳴らした人物である。
ベルンハルトは残る彼女の方を向いて、同じ指示を飛ばしたが、
「フロレート、貴様もだ。ビッソンと共に下がれ」
「………」
「……愚か者め」
紫髪の美人、フロレートは無言で王命に背き、しかし主人の方は悪態一つのみで咎めだてはしなかった。
何にせよ、緊迫した場で側近を遠ざけた事は、見様によっては戦意喪失ともとれる。
兄の心変わりを期待したレーゼは、表情を明るくしてベルンハルトを見上げたが、
「お兄様、話をする気になってくれたのですね」
「………」
当の本人は妹をフロレートの方に押しのけると、立ち上がった。
剣を手に。
妹が空けた軍勢の隙間を、その威容で埋めるように。
その背に、確かな殺気と、戦意を滲ませて。
「お兄様」
「フロレート、命に背いた罰だ」
「はっ」
心変わりはない。そう悟ったレーゼはにわかに焦り出し、ベルンハルトは声だけで腹心に命を下す。
あまりにも短い指示は、余人には意味がわからない。
だが、
「……その愚妹を、頼む」
「……はっ」
罰を告げる割には、あまりにも優しい「頼む」の一言。
その意味を汲んだフロレートは、涙交じりに承服する。
そして、皇帝と同じく忠義を尽くした姫君の前で、フロレートは背中の槍を抜き放ち、
「お許しを、姫様……」
レーゼの豊かな胸を、槍の一突きで貫いた。
***
ベルンハルトの思惑は、プレイヤーなら誰もが知っている。
誰も、好きで戦など始めたがりはしない。ベルンハルトが引き起こした争乱には、れっきとした、やむにやまれぬ事情があった。
そして、それはビッソン将軍やフロレートのような最側近にしか、相談もできないことだった。
それは帝国の抱える暗部に関わる理由であり、それ故に素直で正義感の強いレーゼは、妹でありながら何も知らされていなかったのだ。
綺麗事で、国は回らない。問題の全てを解決することもできないし、一つの癌を取り除いたためにさらなる問題を引き起こすこともある。
レーゼは国にも、兄にも献身し、少女だてらに公務に必死に努めてきた。
だから、そんな彼女にベルンハルトは何も言えず、だから、離反された。
それをどれだけ悔いたかは知れない。それでも、ベルンハルトは皇帝だ。
敵に与したレーゼのことを、妹だからと手心は加えられず、断腸の思いで斬り捨てた。
フロレートは、せめてベルンハルトに妹殺しをさせまいと、身代わりに手を汚したのだ。
そして、その事をアレスたちが知るのは、二人をその手で討ち取った後である。
知れば知るほど、やりきれない話であり、そのためベルンハルトは厳つい風体の割にファンも多いキャラクターだった。
勿論、そのことはユウも全て承知である。
だが、
「まーたやってくれたなぁ、クソ兄ちゃんよぉ……」
何度と迎えたこの場面、ユウは毎回ベルンハルトに殺意を滾らせていた。
レーゼは、ユウの所謂推しキャラだったのだ。
『SFS』こと、この『シンボルオブフレイムサーガ』含むシンボルシリーズは、ルート分岐が兎角多いことで有名なシミュレーションRPGゲームだ。
発売から五年が経っても攻略本すら出ず、攻略情報も揃いきっていない、手強すぎる、そして奥が深すぎるシミュレーションゲームとして界隈で話題だった。
だからレーゼが死なないルートがあるかも知れないと、初回プレイで彼女に恋に落ち、そしてその死を目の当たりにしたユウは、何度となく開拓を続けてきた。
百を超えた試行、そしてまたしても迎えた悲劇に、否応なくプレイヤーの殺意は高まりを見せる。
お前の事情など知ったことか。
よくも、またしても、俺が惚れた女を殺してくれたな。
二次元に恋するゲーマーの思考は、こういった呪詛で埋め尽くされ、そしてそれは全て戦意というプレイ意欲に変わる。
この時のために鍛え上げた仲間たちを初期配置につけ、来る増援、後詰めへの備えに武器や道具を目一杯持たせて、憎きベルンハルトの首をとってやるのだと。
ゲーミングPCのキーボードと、手に馴染んだスティックとボタンとを何度も連打して準備を終わらせ、ユウはいざ開戦、と画面上の戦闘開始ボタンにカーソルを合わせた。
「……あ」
その瞬間、眠気が襲ってきた。
この青年、比叡裕はパートタイムの下働きである。
三年前に地元を飛び出し、何となくで上京して一人暮らしを始めたはいいが、高い家賃と物価に安い給料にとで、瞬く間に首の回らない生活となった。
そのため、朝の七時から働いて、今日も仕事を終えたのは午後十一時。その後はストレス解消にゲームをするので、ほとんど眠らない日々を続けていた。
「……五徹は無理、かぁ……」
ユウはこの一週間、まともに眠っていなかった。
一人暮らしを始めてから、眠るように促してくれる人もいない。
そのためタガが外れたままゲームに没頭する日々で、こうして急に意識が遠のき始めるのも初めてではなかった。
そんな状態でも、ゲーマーの生きる活力は結局、ゲームだ。
そのために働くし、そのために生きている。
ゲーミングチェアの上、薄れゆく意識でユウが考えるのは、現実の仕事のことではなく、虚構の中の美少女の運命だった。
「レーゼの、死亡フラグ……明日こそ、折って……や、る……」
指が掠めて決定ボタンが圧され、画面の向こうのアス大陸では、最後の決戦の幕が上がる。
だが、両軍は睨みあったまま、ついに動くことはなかった。
朝が来ても、また日が傾いても。
電話が何度も、何度も鳴っても。
ついに田舎の両親が部屋に乗り込んできても。
息子の様子を見た彼らが驚き、咽び泣き始めても。
両軍睨みあいの姿勢のまま、サーが最後の戦いは、ぴくりとも動かなかった。
プレイヤーが消えたからだ。
この世界で、ユウに明日は来なかった。
医師の診断は、過労死だ。
それをユウが知ることは、勿論、なかった。
他の連載作品共々、月ごとに数話ずつ投稿します。
Ⅲクロや精霊の使徒シリーズ共々、応援よろしくお願いします。