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忘れ物

 ある日僕は取引先に忘れ物をした。受け取りに行こうと駅に行ったら彼女がいた。

 ハッとした。

 僕は悪く言うと根に持つタイプ。でも良く言うと諦めないタイプだ。はっきりフラれたわけじゃない。諦めないで行こう。

 作戦変更だ。

『名刺タイプのお近づき作戦』は失敗だった。ここはストレートに『連絡先交換作戦』で行ってみよう。


 自然な感じをよそおいながら声をかけた。

「こんにちは。会社に戻る所ですか」


 

 挨拶をすると多分、名刺に対する多少の罪悪感から、彼女は僕のお茶のお誘いに応じた。

 素知らぬ顔をしていたのに連絡しなかった事を詫びられた。

 素直だな、と好感を持ちつつも、名刺の裏は見ていたのに連絡しなかったのかと憎らしくも思った。


 やっぱり僕が嫌だったのか。

 そこそこ顔のいい男と屈辱君は、もう親友になっちゃいそう。



 彼女に聞かれて僕が忘れ物を受け取りに行く所だと言うと、どれくらい遠くまで書類を取りに行かなければならないのかと心配そうに聞かれた。そんなに遠くない、電話をして向こうにあるのも確認してあると言うと、良かったですね。とニコッとして言った。心から心配してくれているようだった。



 少なくとも心配をしてくれている。今のところ手ごたえは悪くない。作戦を続行しよう。

 せっかくここで彼女に会えたのだ。僕はひとまず屈辱君の事は頭の外に追いやり、話を盛り上げようと子供の頃の忘れ物の話をした。話すと大抵みんな笑ってくれる話だ。



「私は小学生の頃から忘れ物ばかりしていたんです。

 連絡帳に書き写すのが面倒で、連絡帳に書いて来ても家で開かなくて。それに家で連絡帳を開いても字が汚くて読めなくて。


 学校では一ヶ月のうちで誰が何回忘れ物をしたのかシールを貼る紙があって、私がいつもナンバーワンだったんです。


 道徳で『みんなで考えてみよう』っていう授業があった時に、クラス全員で忘れ物の事を考える事になって、みんなで考えて、忘れ物を無くす為に忘れ物ナンバーワンは罰として月末の二日間、おでこにバツマークが書かれた紙を貼って過ごさせようってなったんです。


 バツマークを付けるのは絶対私だって思いましたし、みんなわかってました。

 私はその案は嫌だって思ったんですけれど、賛成の人は手を挙げてって言われるとみんな挙げて、反対の人は手を挙げてって言われた時は誰も挙げなくて、私だけ挙げるのが怖くて何もできなかったんです。


 今になって考えれば、そういう時こそ先生が本当にそれで忘れ物が無くなりそうか、クラスを導くものだと思うのに、それが道徳じゃなかったのかって思うんですけど、その時の先生はみんなの決めたルールで行く事にしたんです。


 良く言えば、『みんなで考えてみよう』っていう学びの場で出したみんなの意見を尊重したとも言えるんですけれども。

 でも八歳くらいでした。八歳だってそんな罰で忘れ物が無くなるなんてみんな思ってないし、わかっていました。

 そしてやっぱり八歳じゃ、どうすれば本当に忘れ物がなくなるかなんて思い付くはず、無いですよね。


 結局私のおでこには学年が変わるまで毎月バツマークが貼られたんです。

 先生もみんなも意地悪して私を『みんなで考えてみよう』の生贄にしたんです。ひどいでしょう。」



 僕の引き出しにある、ちょっとした軽い笑い話のはずだったのに、少しシリアスになってしまった。

 もっと短く話して、いつもみたいに一緒に笑えるはずだった。

 不名誉な記憶のようでここまで詳しく話したのは初めてだった。

 彼女にどうしてこんなに話してしまったのかわからなかった。


 でも、彼女は笑わなかった。笑わないで一緒に怒ってくれた。

 詳しく話したから怒ってくれたのかもしれない。

 物覚えの良さそうな彼女には無縁の世界だろう。けれど、物覚えが良いからこそ、自分が八歳になってそんな立場に立たされている状況をありありと想像できたのかも知れない。


 一緒に怒ってくれた事にビックリして、わかってくれたことがわかって、僕の胸の中で何かがストン、と落ちた。



 少し気まずい雰囲気で始まったこのちょっとした会話は、僕らの距離を思いのほかに縮めて屈辱君は旅に出て行き、別れ際にはお互いの私用の連絡先を交換した。


『連絡先交換作戦』成功。小躍りする気分だった。



 電話の緊張に気づいている事は言わなかった。絶対に、わかっている事を知られないようする、と誓った。

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