彼女はのんびりと話す
彼女はのんびりと話す。
昨年仕事先で知り合い、今は僕の彼女になった美人さんは、僕と同僚が持参した資料を見て丁寧にのんびりと話した。僕らはIT企業のエンジニアで、彼女は顧客の新しい担当者だった。
美人なのに、と言うと世の美人に対して語弊があるけれど、のんびりなのがなんだか少し頭が弱そうな、残念な印象だった。
彼女は僕らの資料を見ながらいくつか質問をして、ちょこちょことメモを取り、資料はメールでも送っていただけますか?と言った。
でも最初の残念な美人の印象に反して、彼女は次のミーティングでは難しい用語について大体を把握してきた。
専門用語を混じえないで説明するのは僕らエンジニアにとってなかなかに難しい。日常で話している。
けれど彼女はそんな話を正確に理解したようで、その場で分かり易い言葉に置き換えてまとめて復唱して、間違いがないかどうかを確かめてきた。
頭の回転までのんびりしている訳ではない。そして勤勉だ。
用語を勉強したのかと聞くと、
「はい。ミーティングは早く終わった方がお互い楽ですよね」と少し誇らしそうに言った。
確かにいちいち説明しなくてもすんなり終われるのは効率的でとても良い。
のんびりとした話し方に反したそんな勤勉さや理解力の速さに、僕は物覚えが良いんだな、頭が良さそう。世の中は不公平だ。でもまあ、そういうものか、と思った。
その後、彼女はミーティングで会うたびに、
「以後はメールでお願いします」
電話をしても、
「では、後はメールで」
「メールで」
「メールで」
と言った。
彼女が担当者になってからはメールでのやり取りが増えて、代わりにミーティングは減り、仕事は以前よりも速やかに進むようになった。効率が良くなった。
けれど、いつもいつも「メールで」と言われて僕は、そういうものか。効率的だからか。確かにメールはデータが残って便利だし相手の時間を邪魔しない。でも電話で十分な時もあるのに。
なんか面倒くさい人だな、と思った。
ある日電話をしていていきなり気が付いた。
面と向かって話していたらわからなくても、電話は声だけなのに、だからこそ内心がさらけ出されてしまう事がある。
ミーティングではわからなかった、電話越しに徐々に滲んで見えて来た彼女は『のんびりとしている頭のいい美人さん』とは真逆の人だった。
丁寧さは激しい緊張を悟られないため、勤勉さは絶対に失敗しないという痛々しい程の決意のため、そしてゆっくりと話すのはそれを隠すためだったのだろう。何故だか急に手に取るようにわかった。
正確なところはわからないけれど、単純なパニック障害のような物では無いような、何らかの強迫観念のような物のように思えた。彼女が暗い場所に独りぼっちで何かに怯えているのが見えるような気がした。
『のんびりと話す丁寧な、物覚えが良くて頭の回転の速い女性』そう思った彼女は全然、全然、そういうもの、そういう人じゃなかった。
強迫観念に怯える、孤独な努力の人だった。
僕は彼女を知りたくなった。