8話
ビルの屋上を人知れず跳躍し続ける志郎であったが、遂には高さ三百メートル以上ある建物の屋上に着地する。
「後を付けられないようにジャンプし続けていたが、十三じゃ一番高い建物の屋上まで来てしまったか……」
志郎はまだ足をローカストレッグにした状態で、建物の屋上から十三の景色を見下ろす。
普段では見ることのできない景色に、志郎は一瞬であるが幼い頃の童心を思い出す。
「こんな景色は初めてだな……」
そう小さく呟くと志郎は、高さ三百メートル以上ある建物の屋上からフラリと飛び降りる。
地上に落下していく志郎。
しかし空中で志郎は体勢を立て直すと、そのままローカストレッグを使って地面に着地する。
ローカストレッグはバネのように伸び縮みすると、衝撃を吸収して志郎を無事に着地させる。
「なんだ……?」
「新しい怪人か……?」
アトラナートに変身した志郎を見て、オオサカシティの住人たちはざわめきながらも、スマートフォンで志郎の姿を写真で取ろうとする。
自分が見世物になるのを嫌った志郎は、どよめくオオサカシティの住人に何も言わず、無言で大きくジャンプするのであった。
一飛で五十メートル以上跳躍した志郎は、ビルの屋上に着地するとそのまま連続してジャンプして探偵事務所に戻り始めた。
――そう言えばあの怪人に二月二日のことを聞くのを忘れていたな……。
志郎はサソリ怪人に、両親と妹を殺したのはNSD党か、問いただすことが出来なかったことに後悔しかける。
――まあいい、あの天魔忍者に復讐について聞かれたくないしな……。
しかし志郎はサソリ怪人に聞かなかったことのメリットとデメリットを天秤にかけると、一人で納得し再度跳躍するのであった。
志郎は誰にも見られていないことを確認すると、アトラナートバックルからスパイダーカプセルを取り出し変身を解除する。
「ただいま……あ?」
探偵事務所の扉を開けた志郎の目に入ってきたのは、汁さえ残っていない空っぽのインスタントラーメンと、気持ちよさそうに腹をなでるゆりの姿であった。
「おい、俺のカップラーメンはどうした?」
「ああ、あれね。美味しかったわ。それに勝手に食っていい、と言ったのは貴方でしょう?」
「ぐ……確かに言ったが、全部食うとは思っていなかったんだ」
まさか全部食べられると思っていなかった志郎は、空っぽになったインスタントラーメンを手に取ると、そのままゴミ箱に無言でシュートする。
「ああ糞、もう一度作り直しか」
腹を空かせた志郎は、電気ケトルに水を入れると再度電源を入れる。そして志郎はリクライニングチェアに座ると、そのまま脱力して背中をリクライニングチェアに預ける。
「なあゆり」
「何かしら?」
背もたれに身体を預けた志郎はゆりに視線を向けると、ゆりは本棚に入っているPCを勝手に弄っていた。
「おい勝手にさわるな! で、あのスパイダーカプセルは何なんだ」
「あれについて知りたいのかしら、なら教えないわ」
PCをポチポチと弄りながらゆりは、嗜虐的な笑みを志郎に見せつける。そしてゆりはセーラー服の懐から二つのカプセルを取り出し机の上に置く。
「これは?」
「いいものよ」
机に置かれた二つのカプセルを手に取った志郎は、カプセルに刻印された紋章を確認する。
二つのカプセルに刻印されていたのは、バッファローとユニコーンの紋章であった。
「バッファロー!」
「ユニコーン!」
志郎がバッファローカプセルとユニコーンカプセルのスイッチを押すと、二つのカプセルから起動音が鳴り響く。
「いいのか、ゆり」
「ええ、代わりに見せてほしいの、貴方の復讐を」
「ああ……」
ゆりの言葉に要領を得ない返事をする志郎。
――俺の復讐はこんなものだったのか。
志郎の胸に渦巻くのは今自分がしていることは、自分が本当にしたいことだったのかという疑念であった。
このままゆりの言うがままに復讐することが、正しいのか分からないまま、志郎は二つのカプセルを懐に仕舞う。
ふと志郎が壁にかけた鏡を見ると、そこには迷った表情をする志郎の姿が映し出されていた。
――カコン。
直後、静寂を破るように電気ケトルが、水が湧いたことを知らせる。
志郎は何も言わずに、カップラーメンの山から無造作に一つカップラーメンを手に取ると、乱暴に包装を破っていく。
そして電気ケトルを手に取った志郎は、カップラーメンにお湯を注いでいく。
お湯を注がれていき、ふやけていくカップラーメンの麺は、まるでゆりと出会って変わっていく志郎のようであった。
カップラーメンに規定の量のお湯を注ぎ終えた志郎は、カップラーメンに皿を乗せるとタイマーをセットする。
タイマーをセットした志郎は、三分間待つためにもう一度椅子に背中を預ける。
そして志郎は懐からスパイダーカプセルを取り出すと、何も言わずにじっと眺めるのであった。
――何度見てもよく分からん物体だ。
ゆりからスパイダーカプセルを渡されて一日が過ぎた。その間に志郎は何度もスパイダーカプセルを眺め、観察した。しかし専門的な知識を持たない志郎には、スパイダーカプセルが一体何なのか、検討もつかなかった。
また志郎には学術的な人間に繋がるツテも持っていないために、誰かに頼むことも出来なかった。
そうして志郎がスパイダーカプセルを眺めている内に三分経過したのか、タイマーから甲高い電子音が鳴り響く。
「もう三分経ったのか……」
ゆっくりと立ち上がった志郎は、完成したカップラーメンの蓋を開けきる。蓋の開いたカップラーメンからは、暖かい湯気が吹き出す。
「いただけます」
カップラーメンから漂う醤油味の匂いは、腹を空かせた志郎にとって拷問に近かった。
「いただきます」
急いでキッチンから箸を取っていた志郎は、両手を合わせるとカップラーメンも食べ始める。
息を吹きかけて熱々の麺を冷ますと、一気に口に入れてすする志郎。
志郎の口の中に醤油味と、カップラーメン特有の麺の食感が広がっていく。
「はふ、はふはふ。美味いな」
たとえ安価なカップラーメンでも、美味いものは美味い。そう思いながら志郎はカップラーメンを味わっていく。
そしてカップラーメンに残った麺の量が半分を切った事を確認した志郎は、急いで立ち上がるとレンジで温めるご飯を用意する。
「一分半っと」
そのままご飯をレンジに入れると、ご飯の容器に書かれた時間をセットしレンジを起動させる志郎。
そしてレンジが温めている間に、志郎は残ったカップラーメンの麺を食べきっていく。
志郎が残った麺を食べ切ると同時に、レンジが温めを終了したことを報告する音を鳴らす。
「できたか……」
レンジから温め終わったご飯を取り出した志郎は、ご飯をそのままスープだけになったカップラーメンに投入する。
ボトボトとスープに沈んでいくご飯の塊。それをみてゆりは興味深そうに視線を向けるが、志郎はゆりの視線について何も言わなかった。
――反応するな志郎。もしかしたらこのカップラーメンもゆりに食べられてしまうかもしれん。
そう思った志郎は突き刺さるゆりの視線を合わさずに、ご飯の入ったカップラーメンに手をかける。
ラーメンの汁を十分に吸ったご飯は、スープと同じ色になっていた。
わざとゆりに見せつける様に、ゆっくりとご飯を食べる志郎。
「あ……」
そんな光景を見たゆりは、思わず口から声を漏らしてしまう。
ラーメンライスを食べたそうにしているゆりを見て、志郎は思わず獲物をいたぶる猫の様に口角を上げてしまう。
「なんだゆり、ラーメンライスが食べたいのか?」
「そんなわけ……ないでしょ」
楽しそうな志郎の言葉に、若干言葉を濁してしまうゆり。
「別に食べたいなら、食べたいと言えばいいのに」
「……食べたいわ」
物欲しそうな表情をしたゆりは、志郎の言葉を聞いて思わず食べたいと言ってしまう。
「ならさっきのカップラーメンを食べたことを謝れるよな?」
「ぐっ……ごめんなさい」
口を歪めてしまうゆりであったが、ほんの数秒悩んだ末に謝るのであった。
悔しそうなゆりの表情を見て、志郎は無言で立ち上がると食器棚から取皿を取り出すと、カップラーメンの中身を半分に分けるのだった。
「志郎……」
「食べないのか? ゆり」
「もちろん……いただくわ」
志郎の差し出した取皿を受け取ったゆりは、箸を片手にラーメンライスを食べ始めるのだった。
先程勝手に食べたカップラーメンとは違う味に、夢中になってラーメンライスを食べるゆり。そんなゆりの姿を志郎は、微笑ましいもの見るかのように視線を向ける。
そうして志郎とゆりは二人仲良くラーメンライスを食べるのであった。