1話
異世界に転生して、もう半年ほど経つことになることに、今しがた気づいたところだった。
トラックに轢かれ死に、神に会い、能力を貰い転生することになったあの時から、半年。
「はあ……」
随分慣れたもんだ。
あんなに怖かったモンスターも今はもう怖がらずに殺せるようになったし、難しかった魔法の調整も完璧に近くなっている。神から貰った能力も強く、それと魔法を組み合わせれば負けることなんて一度も無かった。
もっとも負けそうになったことは何回もあり、その度に心がへし折られそうな気分になっていたわけだが。
最初の頃は宿に住んでいたが、今はもう自分の家を持っている。冒険者という職業は非常に夢のあるもので、上手く行けば俺のように一攫千金なんてのもありえない話ではないのだ。
ともかくとして。
半年と言うのは良い区切りだ。この際、やりたいと思っていたことをやってみるのもいいだろう。
棚から小包を取り出し、ポケットに突っ込む。一応剣を腰に下げてから、俺は街へと繰り出した。
†
何度見ても、RPGなんかで見たような景色だった。
中世ヨーロッパのような世界観。初めて見たときはとてもワクワクしたのを思い出す。
今はもう見慣れてしまっているが、改めて見直してみると、やはり綺麗な街並みで。
俺は街の中心を通る道から外れ、脇道をしばらく歩く。少しづつ空気が変わっていくのを肌で感じて、思わず身震いしてしまった。
ここは、通称――たしか奴隷通り、なんて物騒な呼び方をされていたはずだ。
その名の通り、もう少し進めば、ほら。明らかに周りと風貌の違う構えの店が何件も連なっている。
それぞれに下げられている看板には、人のマーク、人に耳と尻尾が生えているマーク、動物のマークがあり。要するにその店でどんな奴隷が扱われているのかが、簡単にわかるような仕組みになっているわけだ。
迷わず、俺はその中の亜人の奴隷を扱う店へ向かい、その戸をゆっくりと開いた。
チャリンチャリン、なんて似合わない可愛らしい音がなって、奥の受付のような所にいた男がこちらへと目を向ける。
「いらっしゃい。どんな御用で?」
スキンヘッドで、片目には傷があり潰れているようだった。残った片目で、彼は俺を見る。
「戦闘と、家のことをさせるように一人づつ欲しい」
俺は少し威圧感を込めた話し方をする。舐められないように。今までこの世界で過ごした半年で培った処世術の一つだった。
「ここは亜人ですが?」
「理解している」
亜人の奴隷なんていうのは、この世界ではかなり下の扱いを受けている。どうやら宗教的な理由に基づく差別らしいが、元々日本人にありがちな無宗教だった俺にはよく分からなかった。
男が立ち上がり「こちらへ」と案内してくれる。それに続いて俺も歩くと、薄いカーテンで仕切られた先に檻が大量に並べられた部屋へと行き着いた。
妙に静かで、檻の中にいる奴隷につけられているのだろう、金属製の拘束具が立てるカチャリという音が妙に耳に残る。転生前に考えていたような奴隷市場――アニメとか漫画とかラノベとか、そういうので見たようなうるさい場所では無かった。
「性別は?」
こちらに振り向かず、男は問うてくる。
「女が良い」
答えれば、男は歩き出す。周りを見てみればここは男の奴隷がいる区画のようで、狼耳の男の奴隷と目があった。
少し前の俺なら会釈でもしていただろうが、黙ってそこを通り過ぎるのみに留めた。
「女の奴隷で戦えるのというと、こっちでしょうかね」
そう言って男はある檻を指差す。そちらの方に目を向ければ、気弱そうな顔だが明らかに目を引く少女が、冷たいだろう金属製の床にぺたりと座り込んでいた。
背中に見える翼。透明で透けているが、あれはまさか……?
「レースドラゴンのハーフか?」
「お目は確かなようで」
レースドラゴンというのは、俺も一度戦ったことのあるドラゴンの一種だ。翼が透明なことからそう名付けられたらしいあれは、圧倒的な火力の炎がかなり戦いづらかったのを思い出す。
「そりゃ強いだろうな……」
ドラゴンのハーフなんてものは、それだけで強そうなもんだが、彼女からは強烈な魔力を感じる。この娘の才能なのか、はたまたドラゴンのハーフはみな大量の魔力を有しているのか。
「魔法は使えるのか?」
「いえ、教育は施しておりません」
なるほど。だがこれは、教えこめば相当な戦力になるはずだ。俺には及ばないがかなりの魔法を使うことができるだろう。
「幾らだ?」
「金貨5枚で」
日本円換算で50万といったところか。通常の奴隷が30万ほどだから、少し高いようには思える。
ポケットから小包を取り出し、中から金貨を取り出す。5枚丁度を男に手渡すと、男はそれを確認したのち掌をその奴隷に向かって向ける。
「《誓約解呪》」
パキ、と魔法が割れる音がする。
「どうぞ」
要するに、契約はご自分でどうぞというわけだ。お前は自分でできるだろう、なんて言い草が男の目から伝わってくる。
俺は彼女を見やる。
肩ほどまである黒髪で、低身長で華奢な体。透けた翼はその体躯に比べれば少し大きく見える。彼女は俺を見て、少し俯いたようになった。
「《誓約》」
魔法陣が展開される。
半年間、ずっと魔法に触れてきた俺だが、はっきりいって仕組みは全くわかっていない。言葉を発すれば発動する不思議な力というのが、俺の認識だった。
魔法陣が、彼女の頭上にも展開される。一瞬発光して、2つの魔法陣はあっという間に消え去っていった。
《誓約》という魔法。奴隷契約に使うらしいことは知ってはいたが、使うのは初めてだった。
「では、檻を開けますので」
言って、男は魔法を起動する。なんの魔法かは分からないが、柵の部分が崩れて檻は開け放たれた。
目で、指示するように促された俺は彼女に向かって口を開く。
「付いてきてくれ」
《誓約》の魔法は、奴隷に対して強制力を持つらしい。主人が言えば、例えどんな命令でも実行しようとする。それが例えば……自殺しろなどという物騒な命令でさえもだ。
奴隷も抵抗はできるらしいが、強制力に逆らえばタダでは済まないらしく、それに怯えているのか抵抗する奴隷を俺は見たことがなかった。
「はい」
小さく透き通った声が聞こえて、立ち上がった彼女は俺の後ろへとつく。
今気づいたが、かなり粗末な布地を体に巻き付けて服としているらしい。あとで服屋によるか、魔法で適当な服を作らなければいけないな。
「そういや、名前は?」
思い出して、問う。
「ご自由にお付けください」
なるほど、どうやらこの娘には名前がないらしい。
俺が付けなければいけないのかと思っていると、男は次へと話を移す。
「それで、家事ができるのでしたっけ?」
「ああ」
「それじゃあ、あちら辺ですかね」
男が示す檻へと向かう。見れば、その一帯には――言葉を選ばずに言えば巨乳の女の奴隷達が、檻の中に並んでいた。
まあ、見栄えの為だろう。奴隷を買うやつの大抵は戦力が欲しい若しくは身の回りの世話をさせたいかのどちらかでしかない。戦闘なら分からないが、身の回りの世話をさせるのなら、なんてことを考える気持ちも理解できなくは無い。
だが俺が今日ここに来たのは、正直言って戦力の為とか家事をさせるためだとか、そんなのは二の次で。
俺はただこの節目に、せっかく異世界に来たのだからやってみたいと思っていた――奴隷を購入し従えるという行為を体感してみたかっただけであって、勿論買ったからには今後も責任を持つことは当たり前だが、結局の所正直何でも良かった。折角だから、そりゃ外見がいいのを選びたいのはそうだが。
俺も、根はただの日本人のオタクでしかなかった。人間なんてそういうもんだろう。
沢山の檻を眺めてみる。本当見事に巨乳ばかりで、どの世界でも男の考えることは同じなのだと哀しいような面白いような。
そんな中、ある亜人が目に入る。
白い猫耳を生やした、端正な顔立ちで白髪ロングの少女。胸は――いや、大きいのだろうが如何せん周りがでかすぎるので相対的に小さく見えるが、ともかくとして。
余りにもベタすぎるだろうか。猫耳メイドなんてベッタベタなもの、とっくの昔に流行りは過ぎ去っているように思えるが……。
「金貨3枚ですが」
男が金額を提示する。日本円にして30万、普通くらいの数字だ。
まあ、いいか。オタクとして通る道だったのかもしれない。
金貨を渡して、男はさっきと同じように魔法を使った。それに続いて俺も《誓約》を使用し契約を結ぶ。檻が開いて、俺が声を掛ければ彼女はそこから俺の横へと付いた。
後ろに奴隷の少女が2人もいるというのは、感覚としてなれないものがある。
男は金貨を乱雑にポケットに突っ込んで、俺の方へと顔を向ける。
「では、いいですか?」
「ああ、助かった」
他に用事もない。帰ろうとして、ふと振り返った。
「ああ、出口は来た方を戻るんですよ」
「いや――名前は、彼女も無いのか?」
「ん? ええ、当然無いですが」
……なるほど。
「そうか、ありがとう」
店を出ようと歩く。
頭の中は、異世界で奴隷を買ったという、夢を叶えたような満足感と、後ろに歩く少女たちの名前が全く浮かばないことに対する焦りとでいっぱいになっていた。