九一 義虎と勝助
「名はなんと言うのかね」
「はっ、鉄と申しまする」
天乱八九年。勝助はその少年兵と出逢った。
神童が現れた。初めはそう思った。
南国、ボロブジャヤ国への援軍として出陣し、女将軍《火山神》ペレ率いるハロア国の軍と激突した戦場であった。
中級武官となって間もない勝助は部隊を率い、敵を奇襲すべく山道を進軍したが、見破られ襲撃された。火山雷を轟かすペレの絶大なる破壊力に蹂躙され、壊滅の危機に瀕した。
ペレが迫ってきた。
サメの歯を並べ立てる櫂、ホエ・レイオマノを振り上げられた。
勝助を守るはずだった大柄な新兵が、鼻水を垂らし泣き崩れた。
「どこまで腐りきった人生なんだべよおーっ!」
吾輩こそそう言いたいのだな、と眼を閉じた。
ペレが弾かれ、目を開けた。
味方が斬り込んできていた。
黒いぼろ衣に赤糸縅の甲冑を付け、赤い粗悪な偃月刀を連続してほとばしらせ、将軍を相手にして臆する素振りもなく斬り結んでみせた。頼りなく感じるほどにか細く、かなり若く見えたが、袖から覗く腕には古傷が重なり、どうしたことか左目が赤かった。
だが左脇腹を砕かれ血しぶきを噴いた。
ペレは凄まじく強かった。
瞳を薄め立ち向かってくる少年を認めたのか、火山雷は使わなかった。
少年は兜も穿たれた。かぶったように朱い液体をどくどくと滴らせた。
しかし一切合切もって怯まなかった。歯を喰いしばり斬り合い続けた。
「超魂顕現『鉄刃戦紅』」
少年も猛々しく強かった。
誰もが驚いた。一兵卒でも超魂覇術を使えるようになる者はいる。使って手柄を立て武官となり、将軍となるためである。敵も味方も揃って驚いたのは、少年が上級武官なみに使いこなしてみせたからだった。
速かった。ペレに傷を負わせ始めた。
だが突然、派手に吐血し膝を屈した。
外傷や運動が原因とは思えなかった。
そこへ勝助の上官にして親友である将軍《火神》炎火臆母が駆け付け、ペレと地形を変えるほどの一騎討ちを繰り広げ、追い払った。
落ち着いたあとで、勝助は少年を労い名を尋ねた。
「姓は」
「はっ、ござりませぬ」
「歳はいくつかね、軍属して幾年かね」
「歳は十八、軍属し八年目となります」
手当をしていた先ほどの新兵・山忠が手を止めた。
十歳からの戦場暮らしは、奴隷兵たる証であった。
「……左目はどうしたのかね」
「覇玉を移植してござります」
「なっ……血を吐いたは大丈夫かね」
「はっ、かたじけのう存じます。時間がなく投薬できなんだが故の適応値不足反応にござりますれば、脆弱なる超魂すら満足に使い続けられず、お恥ずかしき限りにござりまする」
驚かされることばかりであった。
勝助を乞食の生活から救った臆母が、鉄を讃えた。
さらに話を聴いて分かった。鉄はすでに中級武官へ昇格し得るに値する手柄を挙げていた。
余さず高天原派にもみ消されていた。
臆母は憤った。
今回、出陣する間際になって臆母軍へ加わったのは、高天原派でありながら見るに見かねた前の上官、将軍《鳳凰》棘帯鷲朧の温情によるものであった。鷲朧は、ちょうど海外遠征へ備え徴兵しており、八百万派の将軍でもある臆母のもとへ移籍すれば、手柄へ報いてもらえるはずだと囁き送り出したという。
臆母は決意した。鷲朧の願いを叶える。
崇敬する将軍《九頭龍》天龍義海へ伝えた。
勝助は勇んで念話を仲介した。
義海は憤り、鉄の処遇改善を朝廷へ上奏し、そして武士としての名を贈った。
晴れやかな想いで字を選んだとのことだった。
奴隷兵・鉄は、初級武官・空柳義虎となった。
義虎はこの〈第一次東南諸島合戦〉において手柄を量産し、あっさりと昇格した。その後も、いったいどれだけの死線をくぐり抜けてきたのかという戦闘力、洞察力、精神力を駆使して次々と手柄を叩き出し、勝助の席次を抜いていった。
だが人間性を捨てていた。
衝撃を受けた。
義虎は害となり得る者がいれば迷わず斬った。
暗殺し、情報を裏取引し、山賊団と密約した。
密かに人体実験を受けに行ったこともあった。
脳下垂体を改造し、分泌される成長ホルモン、黄体形成ホルモン、卵胞刺激ホルモンを絶えず〈覇術ホルモン〉へ変換することで、覇術適応値を向上させ、適応値不足反応を起こさず髄醒覇術まで使える体にするという手術であった。
「幕僚に置いておくは危ういのだな」
そう臆母へ進言した。本気だった。
「彼は被害者だ、救われねばならぬ。お前たちと同じくな。故に」
臆母は微笑んだ。
「真の友となれる」
勝助にとっては、臆母の言葉こそが絶対であった。
受け入れようと努めてみれば、難しくはなかった。
生き残るため要る覚悟だと悟り、結束も深まった。
天乱九三年。
そんな臆母軍が死地へ陥った。
襲来する敵の全容が知れた時、義虎は地面を殴り付け凹ませ、声を震わせた。
「嵌められたよ……大和朝廷に」
「こちらの機密を敵へ漏らされていたのかね」
「うぃー、索敵部隊も暗殺されとったと思う」
「なんでだべ! いくら政敵だからって……」
「そこまで。嘆いたとて何も変わらぬ、それより今成すべきは」
かっと、臆母は眼を見開いた。
「一人でも多く生き延びること」
黄華軍を率いる《太公望》姜子牙が北から迫り、《托塔李天王》李精が北西から迫り、《水神》湖塚礎霙が西から迫り、《斉天大聖》孫悟空が南西から迫り、《南伯侯》鄂崇禹が南から迫っていた。
司令が飛んだ。
「南東から抜け兵たちを逃がす、宣子さんと山忠が先導せよ。勝助は南伯侯軍へ幻術をかけ時を稼げ、七瀬が護衛せよ。義虎と義白は機動力を活かし、斉天大聖軍をかく乱せよ。鋼城は太公望軍の行路にある崖を破壊し封鎖せよ」
「李天王と水神はいかにするのかね」
「俺がまとめて防ぐ。異議は許さぬ」
臆母は皆を出陣させたが、勝助と義虎を呼び止めた。
黄色い羽織を脱ぎ、亜空間袋へしまえと義虎へ差し出した。
「都にいる妻子へ届けてくれ。生きて届けるがお前の役目だ」
「……必ずや」
臆母は微笑み、草色のバンダナを取って勝助へ差し出した。
「使ってくれ」
「……いらんのだな」
「なんて顔をしてやがる」
「……時が惜しい、もう行くのだな」
勝助は義虎を行かすや踵を返した。
「相棒」
うっと、立ち止まらされた。振り向きたかった。だが振り向いてはいけないと思った。何を言われるかも分かっていた。もし振り向き、必ずやと答えてしまえば、本当に二度と会えなくなってしまうと思った。
「きららを頼む」
「たわけ! 自分で護らんでどうするのだな」
振り向かず返事も聞かず陣幕を飛び出した。
すぐに悔やんだ。どうせ結果は変わらない。
最後に顔を見ておけばよかった。
義虎が待っていた。念話を繋ぐよう頼まれ、分かれて駆け出すや吐露された。
(さっきは天狗さまを安心させるために必ずやとか言ったけどだ、嘘だよ、実行する気なぞさらさらない。石猿軍をかく乱させ次第、義虎は天狗さまを援けに飛ぶ……是が非でも火神を死なせはせぬ。勝さんはどうする?)
はっと、涙があふれ出た。
義虎は諦めていなかった。
かたじけないと奮起した。
(援けに行くのだな。そちらが終われば義白をよこしてほしいのだな)
(かしこまった、念話は維持しといてね?)
「髄醒顕現『鉄刃空紅戦人』」
のちに〈火神の戦い〉と呼ばれるこの戦で、義虎は髄醒覇術を発現させた。
誰よりも弱かった奴隷兵が、古今東西、最速の生物となった瞬間であった。
その最速をもって義虎は翔け付けた。礎霙ともども崩れいく臆母が、今まさに李精に討ち取られるというところへ飛び込み、抱きかかえ離脱した。それでも遅かった。
臆母は致命傷を負っていた。
勝助は駆け付ける途中で義虎に知らされた。息ができなくなった。行き先を変えて急いだ。ずっと息ができなかった。山忠たちへ合流した。
臆母が寝かされていた。義虎に手招きされた。
「……来たのだな、相棒」
「……待ってたぞ、相棒」
バンダナを差し出された。握りしめた。
「楽しかったな」
「全くなのだな」
炎火臆母、討ち死に。
勝助は動けなかった。だが義虎に揺り動かされた。
「主の遺志を継がねばならぬ。まずは兵を逃がすよ」
自嘲した。後輩に勇気付けられてばかりだと。そして誓った。
臆母は偉大な英雄である。その臆母が覇業を託した大人物こそ、義虎である。
今度こそ希望を護る。
二度とこんな悔恨はご免である。
生涯かけて義虎を支え、臆母の夢を叶えてみせる。
義虎も同じ気もちであった。仲間を護ると誓った。
こうして、絶対の信頼で結ばれる主従が誕生した。
天乱九七年。
これより、畜生道を無効化していた煌丸が去り、動物化させられ知能を失うという時になって、勝助は臆母が遺したバンダナを握りしめていた。
__猛虎なら必ず気付いてくれるのだな。
しかし、畜生道では武装していても裸の動物にされてしまう。
つまり、身に着ける衣類や手に持つ道具はなくなってしまう。
バンダナを残すには、動物化する前に手放しておき、動物化してから身に着け直さねばならない。上級武官たる勝助の覇力があれば、それをせねばならぬ、という思考を保つことはできるだろう。
__否、保ってみせるのだな。
問題は別にある。
幻術を維持し、草食獣となる仲間を肉食獣から隠すよう頼まれている。
それもせねばならぬ、という思考をも保っていられるか。自信はない。
__決めねばならんのだな、どちらを優先するか……。
義虎を支えるという誓願か。
兵たちを守るという職責か。
個人の友情か。
大勢の生命か。
我欲か。
責務か。
『自分らしく生きんと悔いまくって禿げてしまうよ?』
かっと、勝助は眼を見開いた。義虎はそう薄く微笑んでいた。
__吾輩は我欲を通すのだな。たとえ鬼畜生と罵られようと。
眼を閉じ、開けた。
シマウマとなった。
鼻づらでバンダナを拾い首へ落とした。
幻術は消えており肉食獣が襲ってきた。
草食獣が食い殺されるなか一人逃げた。
やがて襲われなくなり、頭へこだます命令に縛られるまま、朦朧としながら大河を泳ぎ中央へ集まり、整列しただ待っていた。
はっと、瞳を潤ませた。
__来てくれたのだな。
すぐに分かった。覚えていた。
臆母を助け出した雄姿である。
今度は己のもとへ来た。
獅子奮迅、不撓不屈、気炎万丈、終生支え続けると誓った主、世界の誰よりも勝たせたい友が、生物の王たる姿を燃えたぎらせ戦っている。
勝助は本能のほとばしるまま駆け出した。
周りも突っ込んでいく。勝助だけは真逆の心で走る。
__助けるのだな。
義虎は傷付き疲れきっている。そして多勢に無勢がすぎる。
そんななかで気付いてくれた。こちらを目指し進んでくる。
「勝さん! 勝つぞおーっ!」
__是が非でも猛虎を死なせはせぬ。
勝助は気張りに気張って駆け込んだ。
ばっと、義虎が背へ跳び乗ってきた。
「突破するよ」
__おう!