八九 将軍ハン・ス
__うるさい。
がんがん騒ぎ立てる鐘がやまない。頭が振動し痛んでくる。
しかし韓殊は勘付いた。これは敵の合図である。何らかの策に嵌められた。
__私が討たれれば皆を加護できなくなる、打開せねば。敵の策はなんだ。
すぐに分かった。
突風を炸裂させ、轟々と炎上する巨鳥が飛来し陽を遮った。
呼応し、遥か下にある敵陣より、巨大な覇力が噴き上がる。
「超魂顕現『東護青龍』!」
「髄醒顕現『西護金霊白虎』」
「髄醒顕現『北護水霊玄武』」
ぞっと、韓殊は敵陣のど真ん中にあって大刀を落としかけた。大地が揺れている。黄華軍が南側より離れていく。とてつもない、大きく重い何かがそちらへ突き上がってくるのが分かる。本能的に分かる。現れる前に手を打たねばならない。打たなければ討たれる。
しかし打てない。
「おのれ……高句麗軍も南側より離れよ!」
思いきり跳躍すれば味方のもとへ戻れるが、戻っても変わらないだろう。
__心せよ。私は気高き早衣を統べる長、もとより生きては帰らぬ覚悟。
びっと、姜以式へ念話を飛ばす。
(じき私は討たれます。加護が消えれば……)
(諦めるな! 朱雀が行ったなら相対していた烏巫堂を向かわす、それまで粘るのじゃ)
(なりませぬ、烏巫堂には私へ代わり皆を五悪陣から守護してもらわねば。もし来ても)
東壁が踏み抜かれ遼東城が傾いた。
(揃いし〈四神〉は止められませぬ)
朱い鳥が浮いている。体長二五〇メートル、翼開長三五〇メートルにも達する。
青い龍が浮いている。体長二五〇メートルにも達する。
白い虎が立っている。体長二五〇メートル、体高一〇〇メートルにも達する。
黒い亀が立っている。体長一四四〇メートル、体高二四〇メートル、重量八〇〇万トンにも達する。四肢を水へ変え滝登りするようにして、飛んでいく青龍や駆け上がる白虎に遅れず断崖を登ってみせた。
「《朱雀》火霊ある」
「《青龍》竜吉です」
「《白虎》崇黒虎である」
「《玄武》蘇護。提案があるのだが聴くか」
縦横無尽に鋭く奔り抜け轟かせ砕き割ってなお、みしみしと鈍く広がり轟かせ砕き続ける大質量にいたぶられ、長年にわたり長大にそびえていた城壁は、暴れる噴煙を止められぬまま、足場を奪われ悲鳴にまみれ落ちていく早衣たちを守れぬまま、粉微塵に瓦解していく。
だが誰も死傷しない。加護が効いている。
ざっと、韓殊はそちらへ踏み出していく。
姜以式らが助けにくるというが頼れない。
「申してみよ」
「戦えば確実にそなたは死ぬ。そうなれば多くの高句麗兵が同じ末路を辿るだろう。拒みたくば、この場を動かず烏巫堂へ念話し実行させよ。山城と化した遼東城をもとの平城へ造り直させ……」
「黙れ!」
かっと、韓殊は眼を見開く。
「大高句麗が宿す士魂を愚弄するは許さぬ」
「忘れたか。我が覇力はそなたを上回る、加護を破ることができるのだぞ」
「忘れたか。我ら早衣は命惜しまず戦い侵略者を駆逐する、私はその長ぞ」
だっと、玄武の目を潰さんと跳躍する。
ぼっと、玄武が水と化し呑み込まれる。
ごっと、白虎が爪をえぐり込んでくる。
こっと、白虎の力を完全に受け止める。
ばっと、白虎の目へ向け肢を駆け上る。
どっと、青龍が牙を剥き突進してくる。
さっと、青龍の顎へ回り背負い投げる。
水中戦であるが、自らを加護し液体を避けて通らせる韓殊には関係ない。
__ぬっ、姜桓楚も動いたか。
警戒していた。故に見えた。落とされた青い麒麟、聳孤を再来させ騎乗した。
しかし東壁の指揮を武官へ任せ突っ切って、姜以式のいる中央へ向かっていく。黄飛虎と二人がかりで足止めするつもりだろう。飛べる烏巫堂、碧珠も来る気配がない。鄂崇禹と哪吒に二人がかりで足止めされているのだろう。北壁には速く走れる牟頭婁がいるが、もとより手薄であるそこを空けることはできないだろう。西壁に至っては離れすぎているうえ、もとより守将に髄醒使いが一人もおらず、空けられるはずがない。
白虎が爪を唸らせ突き込んでくる。
いなしながら斬り付け流血させる。
青龍が身をくねらせ反転してくる。
__戦うは一人で十分……。
白緑に輝く覇力甲を刃へ固め、牙へ叩き込み受け流す。
__しかし黄華が総力戦へ踏みきるとは。ぬかったな。
踏みきれないと踏んでいた。
確かに将軍たちなら、単身であれば断崖絶壁を登ることもできる。
しかし、神出鬼没に遊撃してくる、義虎という存在が雲隠れした。
黄華軍は兵糧などを守るため、全将軍を投入して城攻めできない。
はずだった。
__猛虎どのがその場で戦い始めたか。
義虎は回復したらしい。そして頭が切れる。敵に捕捉されたなら、遼東城が総攻めを受ける可能性を見過ごさず、畜生道を探るにしても、雲隠れを続けながら探ってくれるだろう。
だがそうしなかった。否、そうできなかった。
__畜生道の方も急を要するのだな。ならば。
(韓殊! 諦めるな!)
(ご安心くだされ大将軍。断じて、戦うを諦めてなどおりませぬ。力尽きるまで戦い抜き、あわよくば勝ち残りて、偉大なる高句麗を加護する気高き早衣の魂を刻み付けてくれましょう)
(よう言うた! 負けてなどおれぬわい、のう烏巫堂)
(ええ、敵の大戦力をまとめて討ち果たす好機ですし)
(おお、討ち平らげて助けに間に合おうではないか!)
韓殊は微笑み、白虎の目へ斬りかかる。
「固まれチタン」
弾き返される。
「なっ、間違いなく目を斬った、なぜ傷すら付いておらぬ」
「すまぬが白虎の全身をチタンへ変質させたのだ。これは」
黒虎が大斧を唸らせ打ち込んでくる。
「鉄より軽いが鋼鉄より硬い金属。加護がなければ、そなたの刃が折れておる」
水中へ火花を振り撒き、振り抜き弾いた大刀を持ち直し斬り込まんとするも、白虎に跳び上がられ水面から突き出される。轟々と燃え盛る巨大な朱雀の鋭利な鉤爪が待ち受けている。
「将軍を舐めるな」
轟然と、回し斬って弾きのける。
熱は効かない。斬られない、刺されない、裂かれない。当たれば速度も消し質量も消し衝撃も消し、砕かれもせず潰されもせず飛ばされもしない。
覇力で凌がれない限りである。
蘇護が合図し白虎が跳びのく。
「真・亀甲渦潮・大地獄車輪」
玄武が甲羅より上を実体化し、下を渦潮と化し回り出す。
__おのれ……おのれ、おのれえーっ!
巨大すぎる。
__傷一つとして付けられぬのか……。
あまりにも大きすぎる。重すぎる。首と尾を含めれば一キロを四四〇メートル超える。生物でありながら、遼東城という要塞の直径すらも超えている。そんなものが高速で回転し殺しにくる。
__今日まで積み上げてきた全ては……この命は……。
そして、朱雀が陣取っていたのは鉤爪で突くためだけではなかった。玄武の大技を確実に当てるため、翼開長三五〇メートルという途方もない翼を広げ覆い込み、退路を断つためでもあった。
__こんな程度か。
「諦めるなあーっ!」
ごっと、黄飛虎を蹴散らし聳孤を両断し、天をも斬り裂く剣圧が飛んでくる。
先には真・亀甲渦潮・大地獄車輪を一撃にして止めた、大将軍の神威である。
《大武神》姜以式の士魂である。
がっと、地をも砕き割らんばかりに咆哮し、白虎が跳び込み尖爪を叩き込む。
閃光が爆ぜ轟音が爆ぜ衝撃が爆ぜ、白虎が着地し、城が揺れ煙が舞い上がる。
相殺されていた。
早衣たちが茫然とする。武器を落とす。涙する。
姜以式も、碧珠も兵たちも悔し涙が溢れてくる。
そして、真・亀甲渦潮・大地獄車輪が炸裂する。
朱雀へ。
「「なっ⁉」」
誰もが目を疑った。翼を張り覆い込んでいた朱雀がにわかに体勢を崩し、つんのめって玄武へ直撃し、絶叫している。その鉤爪には、姜以式の作った隙を逸さず抱え込み、鍛えに鍛えた満身はたき出し背負い投げた、白緑に輝く覇力が沸々とたゆたっている。
「よぉし!」
黄飛虎をいなし、姜以式が叫び抜く。
早衣たちの悲涙が感涙へと一変する。
「「《早衣監》将軍んーっ‼」」
「情けなき姿を見せてすまぬ、だが案ずるな。私は、気高きお前たちの長」
韓殊は着地し、愛弟子たちを振り返る。
「戦うを諦めぬ」
「それでも四神を、一体も倒せなかったあるね」
朱雀が全身を炎に変えた。玄武をすり抜け蒼穹へ昇り、実体化した。
__視界が……朱く変わった……。
高速回転する玄武が迫りくる。
退路はない。四神に囲まれた。
まずいと、姜以式が黄飛虎の物量攻めを掻いくぐり走ってくる。
それより早く、身長四〇メートルを誇る《馬頭》牟頭婁が走り込んでくる。韓殊に次いで早衣をまとめる杜沙呉に、北壁の敵は将軍を含め全て自分が喰い止めるから、韓殊を救いに行ってくれと頼まれていた。中央にて手の空きつつあった談徳らが、代わりに北壁へ向かっていた。
「ごめんなさい……」
鬼の形相で泡を吹き城壁を揺らす牟頭婁が、竜吉に立ち塞がられる。
「それでも行かせないです!」
__ふっ、そうこなくては。
青龍が蛇行し、牟頭婁に跳びかかり絡み付く。
朱雀が降下し、めった刺しに突き込んでくる。
白虎が猛進し、必死に進む牟頭婁を突き倒す。
玄武が旋回し、瞳を薄め刃を唸らせ朱雀へ抗う韓殊は、肉薄される。
「くそおっ、粘れ韓殊どの、皆が来てくれる、耐えしのぐしかない!」
牟頭婁は白虎に組み伏せられ、碧珠は九頭の火龍に拘束されている。
どっと、青藍にぎらつく神威を暴発させ、冷汗にまみれ過呼吸を起こしながら、姜以式が気張り黄飛虎を吹き飛ばす。諦めるな。そう喉が裂けるほど何度も叫び、まっすぐ玄武を狙い覇力を高め炎上させ、偃月刀を振りかぶり叩き下ろす。
「髄醒顕現『黄華尊雷獣帝』」
雷が落ちた。剣圧は踏み潰されていた。
そして、真・亀甲渦潮・大地獄車輪が炸裂した。