七九 《猛虎》対《天手力雄》
「死へ臥せ」
うっと、義虎はそう真武が唱えるや、喉を蹴破られるように体内より大量の何かにせり上がられ、抑えようもなく吐き出した。朱い液体であった。どうしようもできずに膝が落ち、手を突いて四つん這いとなる。口内に残る朱が糸を引いて垂れ下がり、糸が紐となり流れ落ち、また疼いて紐が綱となる。
「主君、その技を使っては!」
だっと、剱岳に詰め寄られ、真武が歯ぎしりした。
「ああ攻めればこう返される、もはや使うしかない」
「されど猛虎は瑞穂と繋がっとります、ならば……」
義虎は眼を閉ざさない。偃月刀を杖にし、どうにかして立ち上がろうとする。だが汚く聞こえるほどに嘔吐き、倒れて雷の覇術が解ける。
義虎との約束があるため口出しできない骨羅道は、狼狽したいのを懸命に堪えている。
剱岳は声を潜め訴える。
「我らの悲願を成す援けとなるかと」
「頭を冷やせ、奴は敵の総大将だぞ」
真武も声を潜め諭した。
「そなたの気もちは分かる。だが猿虎合戦において、猛虎が山賊をどう扱ったか忘れたか。使役するだけしておいて、用が済んだとたんに騙し討ち残らず焼き殺したのだぞ。こたびも同じだ。加えて奴は総大将、是が非でも自国を勝たせねばならぬ。瑞穂に深い縁があるのは事実やもしれぬが、ならばそれを餌にし我らを抱き込み、開京へ謀反するようけしかけ、自らは高みの見物を決め込みながら開京軍の戦力を削ごうという腹づもりだろう。そもそも考えてもみよ」
ぎっと、真武は歯噛みした。
「謀反しても全滅するだけだ」
ぎっと、剱岳も歯噛みした。
「だからとて高句麗へ寝返るは本末転倒、開京朝廷と通ずる大和はなおさら、よく分かっとります……されど、猛虎は果たして大和の忠臣でありましょうや⁉ まず雷の覇術です、幾度となく国威を負いながら自軍もろとも死地へ落とされたでしょうに、猿虎合戦に至るまでひた隠しにし、明かして後も五行侯や風伯大将軍と死にかけるまで戦いながら、使わなんだ理由は⁉ そして主君への抗い方です、我らを抱き込まんとする芝居であったならば、あまりに命懸けすぎはしませぬか⁉ いや、誠に心を失った奴隷なればそう動くやもしれませぬ、されど思いまするに……」
剱岳は思い出す。義虎はどう語っていたか。
「隷属するだけでは大将軍になどなれませぬ」
踏ん張っては倒れ、また踏ん張る義虎を、剱岳は眺め続ける。
「猛虎こそ謀反するつもりでは」
なっと、真武が目を見開いた。
かっと、剱岳は眼を見開いた。
「公正に一騎討ちし確かめたい」
ざっと、義虎が進み出る。立ち上がっている。
誰もが凝視する。
死へ臥せ。真武の切り札たるこの技は、水を沸騰させ蒸発させるように気力と体力を奪い取り、相手を衰弱させる。傷痍や疾患があればとめどなく進行させ、効果はより絶大となる。
しかし義虎は歩き、そして名乗る。
「遠からん者は音に聞け、近くば寄って目にも見よ、我こそは偉大なる瑞穂国が誇りし偉大なる立山連峰に守護されながら、偉大なる《雷神》雷島片信大将軍の教えと御業を受け継ぎし雷神《建御雷》にして、身一つでもって底辺たる奴隷兵から頂点たる大将軍まで登り詰めし真の戦人《猛虎》空柳義虎なり! そして知らぬは許さぬ、よく聴くがよい、かつて瑞穂に女傑がいた、名を……」
顔が歪む。苦しいからではない
「水橋寄緒」
赤々と光らせ涙する。
「奴隷となり夫も姓も奪われ鞭打たれるも、天乱七一年、四月八日、息子を生み通し、一切合切の希望なきなか身一つでもって守り逃げきってみせた! そして七四年、十二月三一日、執拗なる追手の槍衾についに捕らわれ……刺し貫かれっ! 殴り潰されえっ! 引き裂かれえええっ! それでも息子を抱きしめ離さず傷付けさせず励まし続けえええっ! 死にながら守り生かしきってみせたのだあああっ!」
だっと、赤をかき出し朱を洗い流す。
じっと、誰もが黙し聴いている。
かっと、義虎は眼を見開く。
「その息子がこの義虎である」
吐き出す。
「答えよ、さようにして生かされしこの義虎を、討てるなどと思うてか! 誰の息子だと思うておる! どれだけ闘ってきたと思っていやがる! よく聴け、母がいかに闘ったかを知る我が御仏、すなわち片信さまは、義虎を抱いて立山を見せ瑞穂に脈打つ士魂を説き、そして壮烈に大往生されるに際し、他の何よりも優先すべしとして『死ぬな』と厳命された……義虎は奴隷、主命へ永劫絶対服従す! さればここに改めて断言しよう……この義虎を討てる者などおらぬ」
がっと、赤い鎧を叩いて鳴り渡らせる。清々しい。言いきった。
そっと、骨羅道が眼を閉じた。
「……想い出しておったのだな」
「感服いたしたちゃ」
ざっと、剱岳が進み出てくる。義虎は凝視する。
真武が覇術を解き兵を下がらせ、剱岳を示した。
「決着付かぬまま一騎討ちを切り上げるは忍び難いが、我が同胞たっての願いだ、聴き届けてやってくれ。さあ、振るいし雄弁に偽りなしと示してみせよ」
「いざ、神妙に一騎討ちをば」
剱岳が来て手をかざしてくる。
「棺桶はいらぬ 見えざる糸もて真綿はくぐる 朱色あらば膚色に冷やす 不老長寿の桃 行燈を焚き暗香を誘い按摩を塗り 水蔘 白蔘 紅蔘 熊の胆 麦門 葛根 冬虫夏草 千古の泉に研ぎて優れよ 纏いて立てや薬食同源」
紅葉色に光らせてくる。体が楽になっていく。
万能治癒であった。
「うぃー、かたじけない、されど何故に」
悠然と光る大きな手が差し伸べられた。言われた。
「ご自身で言われたねか、立山さまに護られとると」
にっと、義虎は握って立ち胸をかいた。
「ほんに奮えっちゃね、拳で語り合うは」
だっと、義虎は一〇〇メートルを瞬時に詰めて斬りかかる。
__うぃー、おそらく瑞穂の遺民でしょう、されば是が非でも組みたいが……。
それ以前に湧き上がる興味がある。
__上級武官の身で万全の《猛虎》と渡り合えると?
がっと、偃月刀と大薙刀がぶつかり合い、火花を散らし弾き合う。目を見張られる。義虎は、くの字に折り曲げられた柄を前へ開いて握り叩き付け、弾き合う衝撃を利用し強引に直線状へ戻していた。それに覇力甲を纏わせ補強し、矢継ぎ早に斬り込みながら解析する。
__覇力は高い。
全回復し、離れて立って開戦するまでに五分を要した。
万能治癒では、使う者の覇力量が多いほど早く治せる。
びっと、下段で斬り付け、防がれるのを支点にし回り背後を取り、柄の尻を突き出され左腕でいなし抱え込み、右腕で斬り付け柄を鷲掴まれ、蹴り込むに先んじ背負い投げられる。
__みどママに負けとらんしね?
碧珠にも今回とほぼ等しく傷付いたのを治してもらったが、治療時間もほぼ等しかった。つまり剱岳の秘める覇力量は、髄醒覇術を使い慣れた超級武官へ匹敵する。
__武勇もある。
ばっと、投げられ着地する前から上体をひねり、間、髪を入れず跳び込んでくる一閃をかわす。かわしつつ脇腹を蹴り付けるも強靭な腹筋をもって踏みとどまられ、大薙刀を放り込まれ、偃月刀を叩き込み打ち落としつつ着地する。と見せかけ死角へと足をさばき、刺突し跳びすさられ追いすがり、鋭く、重く、速く、獰猛に畳みかける。
__されどもう付いてこれんよ?
体躯では子供が大人へ挑むほどに劣っている。だが経験においても実績においても優劣は逆転している。そして互いに超魂状態にある。従ってもとより速い義虎の剣技が今、倍速で閃く。
__根性はどう?
ごっと、斬り合い押し込み、打ち合い押し込み、突き合い押し込み、絡め合い押し込み、蹴り合い押し込み、薙ぎ合い押し込み、穿ち合い押し込み、疾風迅雷、残像も消えぬうちから轟然と唸る嵐の吹き荒れるがごとく叩っ斬りまくり、鎧をかすめ砕き割り、衣をかすめ断ち切り、肉をかすめ斬り払い、そびえる巨躯がたまらず揺らぎ後ずさるまで押し込んでいく。
「上りて貫け・剱岳」
本能で察し、急上昇して回避する。
鋭く尖り、岩山が猛然と突き上がってきた。突き上がり続けてくる。
__剱岳って言ったよね……。
機敏に飛び回りかわしていく。
__うぃー、立山信仰における針山地獄なんだよねえ⁉
技として繰り出す分、突き上がる数も大きさも先ほどの比ではない。加えて、幹から太い枝を伸ばし、さらに細かく枝分かれするように、すでに突き上がった針山から新たな針山が突き出し、それが延々と繰り返される。
しかし重いぶん、突き出す限界があるだろう。
そう見抜き、義虎は電光と化し逃げ回りつつ、突出が鈍るのを待つ。
鈍った。止まった。どっと、剱岳目がけ突貫する。
行く手に網がかかるように、針山が伸びて茂る。だが細い。
「斬る」
高速で斜めに回転しながら網を粉砕し、突っきる。
「焼きて呑め・御厨池」
本能で察し、急旋回して回避する。
巨大な泡が弾けるように、朱い水が噴出してきた。噴出し続けてくる。
「超魂顕現『鉄刃戦紅』」
回避しつつ、覇術を唱え直して腰帯に太刀を出現させ、抜刀しながら投擲する。
しかし太刀は水を貫通せず、絡め取られ、そして燃えるように溶かされていく。
だが義虎は奮える。
__うぃー、ミクリガ池、すなわち血の池地獄!
血の池、つまり熱泥の池。
地下の高温と高圧にさらされ発生した酸化鉄や酸化マグネシウムが、熱い粘土となって噴出するものを指す。立山連峰にあるミクリガ池は、かつてこれに例えられた。
義虎は剱岳の左手へ逃れ出たが、血の池は円状に高々と噴出しながら広がり、突入口が彼の上部のみへ限定される。時を同じくして音と振動が震え振り向けば、突き出ていた針山群が逆に縮み、沈んでいっていた。
飛んでかわす。
足もとから針山が突き出してきた。
突き出す限界はあっても、突き出したものを収めれば新たに突き出せる。
そう見抜きながら、唯一の突き出せない場所にして血の池も噴出できない攻め口、剱岳の直上へと電光石火、飛び込んで突入する。
がっと、十文字を描き武器が激突する。
剱岳は大薙刀を唸らせ受け止めてきた。
ぎりぎりと押し合いつつ笑い、囁いた。
「《天手力雄》」
はっと、見詰められた。
「うぃー、もしまだ異名をもたれぬなら、是非にもそう名乗ってほしい」
天手力雄は、大和神話においては闇に覆われた世界へ光を取り戻し、立山信仰においては祭神として、立山連峰で最も険しい剱岳そのものを神体にし崇められる、怪力を誇る神である。
すっと、剱岳が落涙した。
「いずれ必ず、堂々と名乗れるようにするちゃ」
「されば今は、その力もっと見してほしいか゚よ」
ぐっと、義虎は押し込んでいく。頷かれる。
「這きて蝕め・地獄谷」
義虎は硫黄の煙に食された。