七六 この義虎を討てる者などおらぬ
義虎は骨羅道に言わせた。
謀反を起こし朝廷を負かしたいと。
心をなくし、疑問も抱かず忠誠も抱かず感情も抱かず、主である朝廷に命じられるまま無味乾燥に破壊を尽くす殺戮兵器。そう思われていた狂戦士に、初めて闘志を抱かせた。初めて興味を抱かせた。初めて願望を抱かせた。
「めちゃくちゃ心強く思いまするぞ……では」
すっと、義虎は立ち上がる。
「お手前を雇ってよろしいか」
義虎は多くの者が知らぬ理を理解している。
奴隷を正式に味方にする言葉は一つである。
同じく知る骨羅道が毅然として立ち上がる。
「そなたは大和軍総大将、地位は申し分ない。そして武人の本能が言っておる、鞭打って酷使してくる味方よりも、拳と拳で語り合った敵をこそ友とすべし……そなたほど大将軍《風伯》司空骨羅道を奮わす武人はおらなんだ。大将軍《猛虎》空柳義虎であれば、わしを今の主から無断で引き抜くに……」
かっと、骨羅道が眼を見開いた。
「支障はない」
どっと、猛虎は右腕を地面と平行に上げ直角を作り鎖骨へ打ち込んだ。
どっと、風伯も右腕を地面と平行に上げ直角を作り鎖骨へ打ち込んだ。
奴隷将軍と奴隷将軍の間は、それでよかった。
「さて、そうと決まればどう動く。さっそく二人して高句麗軍へ合流しに行くか」
「うぃー、せっかくなので開京朝廷へ与える打撃をなるたけ大きくしたいですな」
義虎は回る頭をマッハへ加速させる。
大好きである。そして大得意である。
己が頭脳一つで万のうごめく盤上をかき回し、幾重にも暗躍して大軍略を練り込み、驚天動地の戦果をうち立て勝利することは。誰にも負けぬと確信する不撓不屈の精神力と合わせ、そうして破格たる手柄を連発し続け、才気にも身分にも見放されながら、才気溢れる傑物たちを追い抜き突き放し、若干二四にして最高武官という格を鷲掴んでみせた。
にっと、戦上手は腕をかく。
心強き協力者へ策を伝え、勇ましく笑わせた。
互いに寝転び、心身を休めながら待ち始めた。
待つほどもなかった。
ばっと、義虎は身を投げ出し矢をかわし、起き上がる骨羅道から離れていった。
義虎の策が始まった。
「鎧仗顕現『鉄刃』」
偃月刀一閃、襲いくる矢の雨を晴らす。
「不意討ちは通じぬか。ならば包囲せよ」
男と聞き違えんばかりの女将の司令が奔り、打てば響くように兵が展開する様は、さながら冷気が吹き抜けるかのごとくであった。出どころを見据えれば、率いる女将が進み出てきた。
「うぃー、開京界将軍《地夜叉》真武だね?」
「……当てた褒美だ、楽に逝くがよい」
四方八方より一斉掃射が来る。踏みきり飛び発ち、中心を突っきりかわす。
「超魂顕現『地陰気武』!」
びっと、覇玉と甲冑を黒鼠色に輝かせ、真武が掌をかざす。辺りには黒鼠色の霧が立ち込めていく。いつもの義虎なら、霧に呑まれ相手の覇術に支配されぬよう逃げおおせていた。だが今は、動けなかった。
__なんつう激痛……ちっとばかし動いただけでっ。
骨羅道戦で負った傷みが大きすぎた。みすみす支配された。
「地へ伏せ」
どっと、地面へ叩き付けられる。
__うぃー、覇術甲は間に合ったが……浮いとれんくなった? 重力か?
「重力ではない、陰の気を司るのだ。そなたにとって相性は最悪であろう」
「……無問題」
真武が来るのは分かっていた。
義虎は開京界にいる同胞より念話を受信し、こう聴いていた。
索敵に長ける《仁王》魏光龍の動きが速い。もともと彼らより海側にいたという利点もあるが、義虎自身と通信できる彼らにさえ先んじ、義虎を見付け出してしまう可能性がある。
昨日、高句麗界と開京界の境にある関弥島上空で戦った義虎と骨羅道は、その南東、開京界の南西へ広がる近海へ落下した。そこから漂着するならばと、光龍は義虎たちの居場所を二択まで絞り込んだ。
一つは、姜義建も捜索していた湾岸であり、光龍自らが急行した。いま一つは、世界全土を表す地図では確認できないほどに小さな、湾内へ浮かぶ無人島である。その探索は、骨羅道軍の後続として進軍しており、船戦に精通し艦隊も所持している真武へ依頼していた。
地名を密友島という。
「地へ伏せ」
また矢の雨を射かけられる。飛ぼうとするができない。
__陰とか言ったね……下降させる力か。舐めんなよ?
かわし、愛刀を振り弾いていく。速く動くほどずきずきと痛む。だがやめない。
__飛べねば詰むとでも思うたか、飛べぬ戦なぞいっくらでも経験してきたわ。
「動を怠れ」
ちっと、目を歪める。思うように動けない。回避しきれない。
ぎっと、歯を噛みしめる。鋭く痛みが奔り抜け脳を突き刺す。
__うぃー、減速させる力もか。
矢がやんだ。すでに右胸、左腕、右脚に矢が刺さり、血が滲み滴っている。
「勝てぬと分かっただろう。おとなしく降伏すればこれ以上は傷付けまいぞ」
「え頭無問題?」
胸へ突き立つ矢を握り込む。
「奴隷兵への理解が低すぎる」
痛みをこらえ引っこ抜き、投げ上げ向きを変え、持ち直し振りかぶる。
__この程度じゃあ心がびくともせんわ。そもそも……。
真武へ投げ込み、払うため抜剣させる。
__猛虎の神速を封じれるとでも思うか、そして何よりぃ⁉
同胞との念話は続いている。落ち合う場所も示し合わせた。
近くまで来ている。
骨羅道は傍観している。義虎を案じていそうだが、しっかり廃人を演じている。
__うぃー、真武も来たしここが密友島だと決定したし……運命、感じるねえ⁉
義虎はさらに真武の甲冑を指差した。
「短甲でしょ、歩人甲ではなく」
所属する国ごとに鎧仗覇術で形成する甲冑が異なるのは、軍や覇術学校でこれを生み出せと指定され、大多数が準じるからである。別の甲冑を生み出したいなら、賊徒でもない限り、上官から許可を得ねばならない。
__されど短甲にするとは……。
大和国でも甲冑は当世具足で揃えるよう奨励されるが、夷傑一族は古式の大鎧を重んじて纏い、胈又妖美はかつて故郷で重宝された歩人甲を選んでいる。また、大和国で生まれ育ちながら黄華国へ移った《蚩尤》袴連鋼城が、着慣れた当世具足ではなく郷に従い明光鎧を着用しているように、修練して甲冑を変えることもできる。
同様にして、昇格したり移籍したりすれば、装飾を加えたり塗装を変えたりすることもできる。義虎も今でこそ華美で赤々とした当世具足を現すが、昔のそれは粗悪で黒ずんでいた。幼い日に見て憧れた鎧を模し、袖という肩当てや草摺という脚当てを作ろうとして、図に乗るなと鞭打たれたことがある。
__雷さま、お慶び下さりませ。
思わず目頭が熱くなってしまう。
__首尾よく巡り会えましたぞ。
開京界の場合は歩人甲を推奨され、上位武官の使う金色の鱗で覆われたそれは特に魚鱗甲と呼称される。だが真武軍だけは、大鎧や当世具足に見られる袖の原形だという肩当てなどを付属し、鉄板一枚で胴を覆う短甲を装備していることで知られる。
__ちゃんと大将のだけ黄色く塗っとりますよ?
「うぃー、知っとるか、短甲も義虎もともに……」
ぐっと、義虎は《雷神》雷島片信を想う。
「瑞穂国に縁深きと」
真武に揺らぎが見えた。義虎は畳みかけた。
「短甲を出すは何故にござる、瑞穂と関係は」
「……教える義理はない。射よ!」
弦音が弾け羽音がこだまし、数知れぬ矢じりに義虎の姿が見えなくなった。
「超魂顕現『鉄刃戦紅』」
ことごとく空ぶった。
「くっ、速くなるとは聞いていたが、こうもか」
「だが飛べもせず速さも抑えられておるのだぞ」
「立ち上がるもやっとの身で、矢傷も受け……」
「うぃー、二度も言わすな」
赤い陣羽織をひるがえし、赤い当世具足をきしませ、赤い偃月刀を担いで猛虎は大地を踏みしめる。赤い覇力甲を体内から突き上げ、刺さった矢を抜け落とさせ、赤い覇力甲を体表へ固め止血しつつ、落ちる矢をすくい取るや投げ付ける。
__とりま脱出する。
ざっと、真武が剣を二振りし打ち払う間に、斬り込みに走る。
真武を取り巻く側近が射撃してくる。かわせる間合いはない。
__それでもかわす。
横へ跳んでかわし、着地すると同時に踏み出す。狙い撃たれ、一瞬にして身を伏せかわし、伏せった姿勢をばねにし前進する。撃ち込まれ、柄を構え力を籠め、防ぐ衝撃を耐えきりなお突進する。
えぐられた傷が開き出血する。今すぐにでも倒れ伏し身をよじり悶絶したい。
__黙れ。
大上段、偃月刀一閃。
防いだ真武の剣を弾きのける。のけるや刃を返し斬り上げ、無理な体勢を強い受けせる。すかさず蹴り抜き、落馬させ上を取り襲いかかれば、脚の傷を蹴り返される。
ひるまない。
ひるむものと思い込んでいた真武がひるむ。
叩っ斬る。
寸前で受けに出された刀身を打ち砕く。転がって逃げていく。追いすがる。
側近がかかってくる。薙ぎ払い、絡め取り、転げ倒し、突破口を切り拓く。
「髄醒顕現『地陰気源静武』!」
__うぃー、髄醒してきた、引きずり出したよ?
真武が姿を変える。下半身を鋼で生成し盛り上がり、正座するようにして両脚を複数の車輪と化し連結しキャタピラを通し、新たに槍を引っさげる。
「地へ伏せ、動を怠れ」
髄醒覇術の力をもって、地面へ押し付け動きを遅くしてくる。
超魂覇術の力をもって、義虎は踏みきり飛び込み斬り付ける。
がっと、火花が弾けるなか、真武たちが目を見開く。
かっと、義虎は眼を見開いた。
「驚くな。立腹するわ。無知を恥じ教わるがいい。かつて瑞穂に我が御仏あり、そして厳命されし金言あり、そへ絶対服従し積みに積み上げし至極の戦歴あり、従って……この義虎を討てる者などおらぬ」