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一 始まる、戦場実習

 天乱七〇年、四月八日。雨が上がり陽は南中した。

 戦国に空柳義虎(そらやなぎよしとら)が生まれた。

「てっちゃんだ……てっちゃん!」

 幼名は(てつ)、姓はない。苔むし壊れかけた納屋で母の寄緒(よりお)のみに見守られ、育ちきらぬ体で細々と産声を上げた。海原に囲まれる小国・瑞穂国(みずほのくに)の地にありながら、大陸を駆け覇を唱える大国・大和国(やまとのくに)に占拠される、さびれた港町の片隅であった。

 鉄は奴隷の子である。

 それでも寄緒は身籠ってすぐに名を考え、逢える日を待ちわびていた。

 やがて戸が開け放たれ、傷付き疲れきった父の鉢六(はちろく)が飛び込んできた。

「よっちゃん……がんばったね、ありがと……見てみ、鉄の〈覇玉(はぎょく)〉を」

「ね、きれいな紅色(あかいろ)しとるでしょ」

 この世界では、誰もが自分の色の覇玉を握って生まれてくる。備わった能力を発動するための宝玉である。

 それからも父は妻と子の分まで必死に働いた。

 食べる物もろくにないなか、侵略者が祖国を追い詰めるための城造りへ駆り出され、連日のように、昼夜を問わず、重い材木を長い道程で運び続ける。少しでも歩みが遅れれば、容赦なく力任せに鞭打たれる。痛みに耐えかね倒れ、材木が路上へ転がろうものなら、今度は素手で殴り付けられ、手が汚れたとまた鞭に嬲られる。

 四月十七日。鉢六はついに無念を叫び命を焼かれた。

 寄緒は愕然とした。

 悲嘆にひたる暇すらなかった。乳飲み子を抱えながら、妊婦として軽減されてきた分に加え夫の労役まで課されれば、どうなるか。自分まで逝けば、鉄はどうなるか。

 逃げるしかなかった。

 夜を待ち、寝かし付けた鉄を胸に抱き、下水道へ忍び込み、主の館を抜け出した。天上にいる鉢六を想い、私たちの子をどうか守ってと祈りつつ、走り、走って、また走り、暗い森へ飛び込んだ。

 身寄りはない。

 行く当てもない。

 逃避行の算段などない。

 辺りは一面の闇、獣の遠吠えが木魂し、肌を刺す冷たい風が骨までしみる。

 幾度となく木の根や石へ足を捕られ、無理やりに投げ出された。そのたびに鉄を庇い、硬く冷たい土へ腕や背を打ち付けた。鞭で打たれた古傷が開き、気の遠くなる痛みに襲われた。

 だがそれよりも深々と胸をえぐる、底知れない絶望がある。

 この儚い命を、この先いったいどうやって護るというのか。

 鉄が泣かないことが幸いだった。

 当然であった。まともな食事を摂っていない寄緒は満足な母乳をやれていない。

 やるせない。だがどうにもならない。

 やがて鉢六がどうにか遣わしてくれたかのように、小さな洞窟が見付かった。傷付いた体をやっとの思いで引きずり踏み入り、声を上げぬ鉄の頬をなで、(かて)を与えた。

 その時、暗く寒い闇に一節、かすかな希望が漏れた。

 寄緒は目を見張り、声ともならない声を挙げ感涙にむせんだ。

 鉄が泣いた。

 刹那であった。だが確かに泣いた。それは小さな命が力を振りしぼり押し出した、生きてみせるという意志であった。

 寄緒は心に決めた。

 必ずやこの命を、我が子を、護りきってみせる。

 母は子を、もてる力の全てを賭して抱きしめた。



 天乱九七年、四月二四日。大和国に広がる青空の下。

 少女がいる。(みどり)色の合羽(かっぱ)にくるまり、ポニーアップに束ねる黒髪をたなびかせ、(あぶみ)から抜いた細い脚をぶらぶらさせ馬を駆っていく。

「ん、ここぉ?」

 馬脚を緩め、よれよれにした地図と見比べ、けらけら頷き跳び下りる。

「ダサいね! ん、間違った……カワイイ」

 目的地である大将軍の屋敷へ着いた。

 屋敷と聞かされていたが、苔むし壊れかけた納屋にしか見えない。まあ構わぬと、地図を咥え手綱をぐいぐい引っ張り、近くの木へ無造作に巻き付け、少女は釣り目いっぱいに広がる瞳をきらきらさせる。

 __ついに逢える……空柳義虎(そらやなぎよしとら)大将軍!

 戸を開け放つ。戸が外れて倒れて少女は開口する。

 とりあえず落とした地図を拾いにしゃがめば、床に書き置きがある。

「おらんのかーい」

 __ん、字きれいだな……『ウェルカムらっしゃい新兵諸君! 敵軍が攻めてきたので義虎は出陣しました、よって四人揃ったらば参戦しに灰荒野(はいあらや)まで来られたし』いきなりぃ?

 戦国時代の国境地帯なので致し方ない。

 さて最初の外来語はいかなる意味かと考えながら、草履をほっぽり出し入室する。

 床が抜けた。

 歯をがちがち言わせつつ這い戻り、現実逃避しに書き置きの続きを読む。

『追伸。床を破壊せし咎人は首と胴を離れ離れとしてくれるわ、なははは』

 馬を止めて下りる音が聞こえ、うるうると指を噛みまくるまま振り返る。

「ん、(みどり)だよ、名前」

「初めまし、大丈夫⁉ ……えっ、戦が始まってる⁉」

 肩まで届くか届かぬかの黒髪をそよがせ、空色の着物から傷のない腕と脚を出すその少女へ、碧は書き置きを突き出していた。

「敵って多いのかな、ボクたち戦術とかどうするんだろ、何か聞いてる?」

「もっちろん。聞いとらんよ。この里の戦力も不安だし」

 義虎の領地、琥珀里(こはくのさと)

「笑っちゃうぐらい廃れとるじゃん」

 仮にも、伝統ある大和国全〈覇術(はじゅつ)学校〉選抜新兵による〈戦場実習〉の舞台である。

 それがここへ至るまで、忘れ去られ崩れかけた集落や干からび荒れ果てた田畑が点在するばかりで、人の気配はまるでなく、ないとおかしい城砦すら見当たらなかった。

 そこへ馬のいななきが聞こえた。

「なんと美しい出逢いだ」

 くるぶし丈の上の着物を肩肌脱いで着こなした、黒髪ポニーテールの偉丈夫が下り立ち、美しく回りながら前髪をかき上げていた。そして身をかがめ胸へ手を添え、おもむろに黒い薔薇を差し出してくる。

「嗚呼、これほどに美しい戦乙女たちと苦楽を共にできるとは、美しい身どもにふさわしい美しい運命だ、これからよろしくね。さあ、美しいお名前を聞かせてくれるかい」

 碧はジト目を作ることにした。

「おぉー、あ真珠里の(しんじゅのさと )覇校(はこう)から来た木村(きむら)麗亜(れいあ)、今年で十七歳です」

「身どもは玻璃里(はりのさと)胈又(はつまた)妖美(ようび)、齢十八さ」

「……わーは瑪瑙里(めのうのさと)鳥居(とりい)碧、十四」

「そんで俺が、金剛都(こんごうのみやこ)焔剛(えんごう)猫三郎(ねこざぶろう)、今年で二三!」

 絶妙なところへ駆け入り鞍上(あんじょう)を跳び下りたのは、柿色の袴をはき、ライオンの頭をもつ獣人であった。

「おぉー、威風堂々の名門の人がいて心強いね」

 義虎は違う。

「身どもが聞いた話では。ある戦で、敗れそうになると敵将の幼い息子を捕らえてきてね、撤兵せよと脅したうえに、追い討ちはしないとの約束を平然と破ったとか。しかも返り討ちとされ領土も失ったというから、さすがに美しいとは言えないね」

「俺はさ。華奢すぎてな、一兵卒に腕へし折られたって聞いたぞ」

「うーんボクも、部下が裏切るの見抜いたのに、完敗して止められなかった、なんて話聞いたよ」

 __どこが悪いのさ……。

 義虎に指定された灰荒野(はいあらや)へ向け馬を走らせながら、碧は指を噛む。

 __卑怯を忌み力を讃えるとか、環境と力に恵まれる輩のおごり。

 指が泣き叫ぶ。

 戦いたくなる。知らずに小声で唱え始める。

(とき)はある 筆を上げよ 花霞(はながすみ) 村雨(むらさめ) 胡蝶(こちょう) 空寂(くうじゃく) (じょう)もて響かし ()ゆらば(にお)え ()ますに震えて(しるべ)()かん」

「おっし!」

 なんじゃと顔を上げれば、麗亜が腰に巻く羽織の袖を引きしめていた。

「それでも大将軍になった人だから、大丈夫。みんな、がんばろうね!」

「ん、戦もう始まっとるけど」

「「なんと」」



 突風のごとく、四人の新兵は馬を駆る。

 覇術がぶつかり合う場所を感知する碧を先頭に、延々と岩が転がる里道を抜け、砂しかない原を突っきり、枯れ草が両脇に積もる山道を越えていく。視界が開け、眼下一望、天幕の群れる台地が現れる。

 義虎軍の陣へ来た。

 怒号が轟いてくる。悲鳴がこだましてくる。

 そこへ岩かげに潜んでいた大和兵が走ってくる。戦場実習生かと問われ頷けば、今すぐ参戦するよう請われる。台地の先にある平原で合戦しているという。

 劣勢らしい。

 しかし戦場実習生一人の戦力は、一兵卒一〇〇人分にも相当する。

 いきなりかと、麗亜と猫三郎は萎縮する。

 いよいよだと、碧は熱く血を波打たせる。

 ともかく様子を見に行こうという妖美へ応じ、碧は二人を促し陣中を突っきっていく。血の臭いが吹き付けてくる。後ろで麗亜が吐きかけている。

 初めて見る、大勢の殺し合う朱い煙が目へ飛び込んできた。

 その時。

髄醒顕現(ずいせいけんげん)鉄刃空紅戦人くろがねやいば・そらくれないのいくさびと』」

 どっと、麗亜が倒れ、猫三郎が胸を押さえ付ける。

 ぼっと、妖美が顔をこわばらせ、だが薄く微笑む。

 じっと、碧は息を忘れ去り、釘付けとなっていた。

 __義虎だ!

 大空を飛ぶ戦人がいる。

 赤く硬い大きな翼を広げ、赤く角を突き出す黒髪を肩まで流し、赤く鱗を固める尾を伸ばし獣脚を張る。引っさげるは、長柄に幅の広い刃を反らす偃月刀(えんげつとう)。晒した華奢な上半身は人のままでも、それさえ赤く揺らめいて見える。

挿絵(By みてみん)

 その戦闘能力〈覇術(はじゅつ)〉を生み出すエネルギー〈覇力(はりょく)〉の凄まじさたるや、一キロ近く離れた彼女らを問答無用で痛め付ける、そんな圧力を噴き出す号砲である。

 だが戦人へ相対し雲に乗る、猿の獣人は高らかに笑う。

「きききっ、もう最終形態なっちまうか? まぁ相手がこれまで九戦九敗した、究極軍神、超絶天才、絶対最強たるこの黄華国(おうがこく)大将軍《斉天大聖(せいてんたいせい)孫悟空(そん・ごくう)さまじゃあ、出し惜しみなんざできねえか」

「斬る」

 びっと、戦人が羽ばたき、目にも止まらぬ速さで斜めに回転しながら突っ込んでいく。

「三六番、変われ!」

 ごっと、悟空の振りかぶる棍棒、如意棒(にょいぼう)が一閃される。如意棒は一瞬にして天をも貫く柱と化し、火花と金属音が弾ける直後、遥か下の地面がかち割れた。

 碧は愕然とした。

 朱黒く砕ける地面から、打ち落とされた戦人が転げ出た。

「うそ……死んじゃっ、た」

 涙声で麗亜がへたり込む。

「まずいね、何らかの手段で耐えていたとしても重傷だろう。それでなくとも各所で指揮を執る武官の数が足りない、前線が崩れ始めたよ」

 妖美も眉をひそめ、猫三郎はただ凍結する。

 しかし碧は踏み出す。

「わーたちで武官の数補えばいい。だってあれ見て」

「遠からん者は音に聞け、近くば寄って目にも見よ、我こそは」

 碧たちは揃って凝視する。

 戦人が立ち上がっている。 

「大和国大将軍《猛虎》空柳義虎(そらやなぎよしとら)なり!」

 ばっと、赤き翼を雄々しく広げ、空へ舞い上がり大音声(だいおんじょう)、大和兵へと呼ばわっていく。

「我が愛する友たちよ! 我が誇らしき侍たちよ! 我が分身たる虎たちよ! 苦しゅうない見せてやれ猛り狂え、援軍も来たぞ! 大和全土より選りすぐられし武官級が四人なるぞ、さあ(たが)を外せ、いざともに前線なぶり潰してやれい!」

「「うぉおおおーっ‼」」

「何より誰ぞ、皆とともにある大将軍は⁉」

「「猛虎‼ 猛虎‼ 猛虎‼」」

「その猛虎が練り上げし石猿(いしざる)討滅を成す策は実に七つ! これで負ける道理があろうか、いざ猛虎へ続け詠わん、我ら勝つ!」

「「我ら勝つ‼」」

大和魂(やまとだま)いま燃えたぎれ!」

「「大和魂いま燃えたぎれ‼」」

「灼熱猛虎となりて進まん!」

「「灼熱猛虎となりて進まん‼」」

「全軍……押し出せえーっ!」

「「うぉおおおーっ‼」」

 気炎万丈。刀を閃かせ、槍で突き崩し、矢の餌食とし、黒地に赤い日輪の浮かぶ国旗〈()(てらす)〉と赤地に黄色い猛虎の吠える軍旗〈猛虎印(もうこじるし)〉を小隊ごとに堂々とひるがえし、一挙に大和軍は盛り返していく。

 なぜ(げき)一つで戦況を一変させられる。

 いったいどれだけ兵の心を掴んでいればこうなる、義虎とは卑怯で貧弱で凡庸と嘲られる存在ではなかったか、そもそも地上数百メートルから地面へ叩き付けられた重体のはずではないかと、麗亜たちは驚倒する。

 びっと、赤く尾を引き義虎は突貫する。

 偃月刀を光らせ唸らせ叩き込み、如意棒を振り込む悟空を弾きのけ、火花を撒き散らし打ち合いながら、矢継ぎ早に司令する。

光有(みつあり)騎馬隊、右から斬り込め! 丼井囲(どんぶりいもり)足軽隊、己已巳(おのれすでみ)騎馬隊の左前が手薄ぞ、向かって崩せ! 雲峰(うんぽう)騎馬隊、一点突破し後ろへ回り込め、凸凹(でこぼこ)足軽隊はこれを援護し、抜けるを待たず挟み討て!」

「「おう‼」」

「遅れるよ、行こ」

 ばっと、碧が腕を振り上げる。細く小さな体を守るように覆っていた合羽(かっぱ)がはね上がる。あらわとなる細い腕には、鋭く、斬り傷が刻まれている。

 はっと、麗亜が、猫三郎が噴気する。

 妖美の微笑を背に、碧は義虎を見る。

 いちいち次元が違う。大和国の大将軍たちはそう畏れられる。義虎の位階はその怪物たちと同格である。

挿絵(By みてみん)

 __さあ見せてよ、猛虎を。

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