六八 王とは何でしょうか
断崖が築いた島に張り出す関弥城。
ごっと、骨羅道が手刀を唸らせ鉄鎖を割り、鉄球をぶら下げたまま殴りかかってくる。義建はとっさに掌で受け止めるも、腕中の骨を内側から爆破されるかのごとき衝撃が奔り、吹き飛ばされ櫓へ衝突し、鎧も壁も砕いて胃液を吐き出す。
両軍がざわめくなか、骨羅道が二撃目を打ち込みに迫ってくる。
「諦めるな……大地の盾!」
岩の壁を築き爆砕される。
「超魂顕現『天陽気武』!」
びっと、覇玉と薄片鎧を白鼠色に輝かせ、大柄な武士が疾駆し飛び入り槍をくり出し、骨羅道に拳を引っ込めさせる。辺りには白鼠色の霞が立ち込めていく。
関弥城の城主を務める将軍《天夜叉》高武である。
「天へ去れ」
掌をかざすや骨羅道が浮き上がり、空高く飛ばされる。
高武は高談徳の親類に当たり、高句麗王室の血を引く熟練たる将帥である。
「奴と話そうとは思うな。猛虎の戦いぶりを聞いたであろう」
言われ、義建は押し黙る。振り向かれ、ゆっくりと頷いた。
「あ奴は、人を捨てたままでおればの猛虎の成れの果てじゃ」
天高く飛ばされた骨羅道が落ちてくる。まるで動じる様子はなく、覇力甲を固める拳をかまえ、こちらを狙っている。
ぎっと、義建は凝視する。
__彼が、猛虎の成れの果て……あの狂戦士の……。
高武に肩を叩かれる。
「完全に心を逸しておるが故、人質を取るなど心理戦はおろか立場を脅かす謀略すら通じはせぬ。さらにだ見よ、あくまで覇術を使おうとせぬ。全開で使わねばまともな戦いにもならぬ猛虎とは違う、使わずとも、たいがいの相手に楽勝できる武才があるのだ」
__心を逸した……。
義建は頷く。砕かれた鉄鎚の鎖へ岩を練り込み修復する。
「ならばなおのこと、話し合わねなりませぬ」
「おい⁉」
疾駆し、跳躍し、突撃する。
__猛虎の戦いぶりを聞いて思った。狂戦士にも二通りある。殺戮に愉悦を感じ興じる塵屑と、身も心も侵され命ぜられるまま戦うことしかできなくなった被害者と……猛虎も司空大将軍も後者なのだ。ならば!
「大地の拳!」
巨大な岩を撃ち出す。殴り壊される。
「それを待っていました。大地の礫!」
骨羅道は飛び散る破片の中を落ちてくる。破片が一斉に動く。さながら散らばる砂鉄が瞬時に磁石へ群がるがごとく、四方八方から骨羅道を穿つ。
「鎧仗顕現『骨爪』」
ことごとく弾かれた。
「くっ、大地の河!」
骨羅道が手甲鉤という、手の甲を覆う骨組みがそのまま指先へ長く伸びる鉤爪を両手へ装着している。だがそれは使っていない。鉄板へ金色の鱗を連ねた壮麗なる歩人甲、そこへ上乗せし固める重厚なる覇力甲、そしてそれらを纏う鍛え抜かれた強靭なる肉体をもって、はね返していた。
半液体にはどうすると、義建は岩で満ちる濁流を放つ。
着地し距離を取りながら、歯を噛み鳴らす。
斜めへ四本、閃光が駆け上げる。
__救わねばならぬ!
濁流を切り裂き骨羅道が現れ、爪を掲げ黙し突っ込んでくる。
「おやめなさい! かような有様で恥ずかしくはないのですか」
がっと、鉄鎚を叩き込み城郭へ打ち落とす。
「恥ずかしい、と言ったか」
左右の手甲鉤を重ね受け止め、脚を開き踏みとどまる骨羅道が、身をひるがえすや背後を取り、斬り付けてくる。柄を突き上げて弾き、鉄球を振り抜き追い払い、義建は語気を張る。
「いかにも。貴官は立ち向かう相手を間違えている」
爪が突き出される。唸る鉄球を放り込み粉砕する。
「大地の挟!」
動物が踏むとばねが作動し一瞬で脚を挟み付ける罠、虎挟みのごとく、床から岩を二つ生み出し骨羅道を拘束する。掌を出し、静止させて語りかける。
「戦う相手が違うと言うか」
「いかにも。お考え下さい。列強諸国が互いに隙あらば喰らい付かんと目を光らせるなか、同族同士で血を流し合い、無益な怨嗟を積み重ねておる場合ではござりませぬ。現に遼東戦線は今、開京軍へ備えるあまり戦力の半分を動かせぬまま黄華の大軍に侵攻されております……何の罪もなく力もない民たちが、惨たらしく殺戮されておることでしょう! 愛しい人と引き裂かれておるのです、軍人たる我々の使命は何ですか、外敵より国民を護ることでしょう!」
「高句麗軍ではなく黄華軍と戦えと言うか」
「否。闘うべきは倍達朝廷です」
びっと、骨羅道の眉が動く。
かっと、義建は眼を見開く。
「そもそも高句麗だとか開京だとか、同じ倍達国の民を歴史が異なるだけで分けて考えることが間違っている。その誤った偏見をもって同族を謀りおとしめ、貴官や本官を潰し合わせ、そして民を残虐に死なせていく……おかしいでしょう! 貴官は大将軍です、それだけの強さと権威を築き上げてこられた。ならば、忌まわしき朝廷の言いなりになり無感情に戦うのみではなく、この恥ずかしき事態を変えんとし……本官とともに、立ち上がるべきではないでしょうか」
高武が睨み、兵たちがどよめく。
かまわず義建は踏み出していく。
「疑問をおもち下さい。感情を取り戻して下さい。信念を見出して下さい」
骨羅道は何も動かさない。
目の前へ立って見詰める。
「貴官がどのような目に遭ってこられたかは、申し訳ないが存じませぬ。それでも思い出してほしい、人の心を。家族はおられましたか。友はおられましたか。師や弟子はおられましたか。護りたい人がおられたはず。愛する人が、愛してくれる人がおられたでしょう」
「……忘れた」
骨羅道は口しか動かさなかった。
__本当に忘れて……諦めるな。
「思い出せます。思い出すのがあまりに辛く、忘れようとしただけなのです。本官とて父や友を喪いました、いや誰しも愛しい人を奪われる痛みを知っている。貴官のそれは我々の想像を絶する大きさなのでしょう……同じ目に遭う人をこれ以上、生み出してはならぬのです」
同刻、広大に落ちくぼむ盆地の中央へそびえる遼東城。
義虎は軍議を終え、城内へ建つ役所から出てきた。
__うぃー、どう人選しよっか。
昨日、高談徳や姜以式とともに戦い時間を稼ぎ、白舞夢に敵情を探らせた。
士気は高いか。
どの将軍にどれだけ武官が付いてきているか。
負傷した将兵はどれだけおり、復帰しそうか。
兵糧はどれだけあり、いくつに分散して格納され、警備はどれだけ厚いのか。
李哪吒に捕縛された仲間、牟頭勇はどこに囚われ、警備はどれだけ厚いのか。
__殿下が惚れるわけだね?
舞夢はつぶさに調べ上げた。
それをもって将軍たちは論議した。
義虎は戦略を立案し、許諾された。
__敵さん動かんし、こっちから仕掛けんとでしょ?
城郭を見上げれば、視力強化や覇力感知などを使える兵たちが一定間隔を開けて並び、交代しながら見張りを続けている。即戦力である碧たちにはよく休み、いつでも戦えるよう備えよと言ってある。
「お話してもよろしいですか」
門を出ると談徳が待っていた。
安価な麻で織られた無彩色の韓服を着て、思い詰めたように微笑んでいた。
快諾し、景色でも眺めながら語ろうと誘い、連れ立ち城郭へと歩みだした。
「王とは何でしょうか」
問われ、義虎は横を見上げた。
目を曇らせつつ前を見ている。
「太子殿下はどのような大王におなりあそばしたいですか」
義虎も前を向いて言った。
「それがしは三人の王に逢いました」
マハラーマ国の大王・インドラ。
かつて命を懸けて戦い、煮え湯を飲ませた。
「豪傑王にござる。されど戦へ入れ込み政をないがしろにし民には恐れられる」
大和国の天皇・天龍匣飾。
自国を治める主だが、何も期待していない。
「傀儡王にござる。横暴する奸臣を鎮める腕前もなく気概もなく民へ施さない」
エジムト国の王・ツタンカーメン。
談徳より一つ年上、実権を求め闘っている。
「少年王にござる。独断と偏見で申さば、この御方こそ民が欲する王にござる」
はっと、談徳に見詰められた。
見詰め返し、城壁の階段を上っていく。
「王に出逢わねば、それがしは名もなき奴隷兵のまま……人でも虎でもなき鉄のまま、誰にも知られずとうに朽ち果てていたでしょう……もし王が助けを請うて下されば、何もかも捨て去りて駆け付けまする。国家がどうだの立場がどうだの、知ったことではござらぬ」
じっと、談徳に見詰められていた。
城郭へ出た。煌々と日輪が照っていた。
「救われたのですね」
「命も、そして心も」
しばし立ち止まり、陽へ見入る。
「他国の方にすらそこまで想われるとは、さぞすばらしい御方なのですね」
「太子殿下のようにお強くはありませぬ。されど他国の奴隷をも救う……」
陽を背にし義虎は笑う。
「慈愛をおもちにござる」
ぐっと、談徳が頷いた。
ちょうど交代した見張りたちが歩いてきて頭を下げた。
「ありがとう。よく休め」
「うぃー、皆そのまま傾聴せよ、太子殿下よりお言葉がある!」
驚く談徳へ笑いかけ、義虎は一言でいいと促した。頷かれた。
ざっと、談徳が前進する。
「誇り高き高句麗の戦士たちよ、いつどう動くか分からぬ敵を見張り続けてくれて感謝する! 定刻通りに交代ししかと休むように! 苦労をかけるが、全ては偉大なる我らが祖国をうち建て民族の誇りを取り戻すためぞ! ともに闘おう!」
「「はい、太子殿下‼」」
「……よき声にござるな」
談徳に振り向かれた。幾度も頷き、櫓へ導いた。
「ははは、いきなり喋ろとは困るではありませぬか」
「うぃー、いきなり拝聴しとうなりまして。初めにねぎらわれた者たちが、いかなる顔をしたかご覧になられたでしょう……それがしが王へお見せする顔そのものにござった」
はっと、談徳に見詰められた。
ぐっと、義虎は大きく頷いた。
「それがしは想うのです」
かつて奴隷であった大将軍は王位を志す少年と並び、光り輝く天を眺める。
「民へ感激を授け得る御方こそ、慈愛という、王の器をおもちなのだと」
「……私は今の姿勢を高めていけばよいのでしょうか」
「そう思いまする。皆が付いていきたくなりますれば」
談徳は微笑んだ。
「お気持ちは晴れましたか。では心おきなく戦いましょうぞ」
にっと、義虎は櫓から身を乗り出した。
「今宵おそらく敵は夜討ちしてきます故」
「え」