五一 四つの巨頭、動き出す
倍達国、南部へ広がる開京界。
「猛虎が来ーた、猛虎が来ーた、つーいーにー来たー」
初級武官・朱剣虎はそこら辺で拾った枝を振り振り、心を込めて歌った。
「音痴ーっ」
「ああんっ」
右にいるハクビシンの獣人、温源へ体当たりしてやる。報復しに跳び込んでくるので華麗にいなし、左にいる占い師、星巫祚へと激突させる。巫祚にまで優雅にかわされ、温源はうそ泣きしてきた。
三人は出陣式が開かれる都大路へ向かっている。
三人は決意した。高句麗独立戦争で武勲を挙げ、力を得る。
三人は義虎と漢の友情で結ばれている。絆が道を開くと信じている。
「お星さま、義虎ずっと黄華側におるかね?」
剣虎が尋ねれば、巫祚は優雅に羽扇をあおぐ。
「うぃー、とぷんすかなさって開京側へおいでになるやもしれませんよ、移動速度が笑っちゃうレベルにお速いので。我々が涙ぐましく働きまして、教科書に載らんばかりに高句麗を荒らして差し上げれば、真っ先に援軍へお呼ばれになるでしょうから」
「そいか゚んなら会えっちゃね、おらたちの計画も相談でき……」
「ちょっと源ぼん。極貧から出世する方法なんざ教えてくれんちゃよ、しかも戦いながらとか……狸おやじの密偵どこにおるか分からんか゚よ」
狸おやじ、のところからは小声でまくしたて、剣虎は目で辺りを探る。
狸おやじ。
易姓革命を企てるタヌキの獣人、南の宰相〈大模達〉である。
大和国の《閻魔》と謀り英雄《風神》を滅するなど、親も含め、あらゆる政敵を抹消しその座を喰らってきた。今回も、倍達国を乗っ取るために邪魔な高句麗界を葬り去るため、国王が開京民族であることを利用し差別的に圧迫し続け、挙兵するようけしかけ反乱軍へ仕立て上げた。
血の雨の降りやまぬ闇を生き残ってきた大軍師、開京界〈三壁上〉の一柱。
大将軍《雨師》劉炉祟。
「おかげで鎮圧軍が召集され。戦いに行けるか゚やけどねえっ!」
剣虎には、将来的にそんな劉炉祟と張り合ていく自信がある。
__否、張り合わんとならん。そして……。
剣虎は義虎と語り合った日を思い出す。
__勝たんとならんよな。
二人は真の友である。
こちらへ駐屯していた一一を介し、義虎へ密書を送っておいた。仲間に引き入れるべき人名の字を教えた。大将軍であり高い影響力をもつ義虎が彼らと接触するだろう。義虎自身と密会する手段は念話し決める。
そして、ともに世界を変える。
『この世は腐っている』
幼い頃から変わらぬ口癖である。剣虎は義虎と近い人生を送ってきた。まっとうに評価されたことなどない。生き残るためなら何でもしてきた。だが一つ、決定的に違うことがある。
剣虎は人の心を失っていない。
過去を忌んでいる。劣情、憤怒、怨嗟、そこからの脱出を志す。
だがここは弱肉強食の人間社会、救いなど断じてありはしない。
闘うしかない。自ら自由を勝ち取るしかない。そのために戦う。
戦って勝ち残るため、今から何をどれだけ蓄積していくべきか。
分かっている。とっくに動き出している。この戦が好機である。
__狸おやじも俺と似とるかもな……。
剣虎にはお見通しである。
劉炉祟は、同じ三壁上を号する《雲師》《風伯》両大将軍を義虎たちと潰し合わせるつもりである。そうして自分へ対抗できる者、対抗してくるかもしれない者を根絶やしとし、倍達国が自分を畏れ従う者のみで満たされた時、必ず成功する謀反を決行する。
「か、えらい集まっとるぜ」
都大路へ出た。温源の言うとおり、道は兵で埋め尽くされていた。
裏路地を伝い、王宮の見える前方を目指す。見えた。階段上の門が開く。
剣虎は唾を飲み込んだ。
劉炉祟が出てきた。
体はさして大きくなくい、波打つ眉や髭の色は薄い、だが皺は目立たない、傷もない。目を垂らすように縁取る黒に、濁った光が揺らめいている。
「大模達閣下より賜りし軍令を読み上げる」
オオヤマネコの獣人、将軍《虚空夜叉》氷武が進み出て巻物を広げた。
「高句麗界は我らが神聖なる倍達国より永く厚恩を授かりながら、正当なる由縁なく朝廷へ反旗を翻し、今まさに父祖伝来の大地を焦土と化さんとしている。これは民族の精神をおとしめ、民衆の安寧を踏みにじる暴挙であり、断じて容認してはならない。よって我ら官軍は正義をもってこの賊軍を征伐するものである。それでは戦略を発表する」
巫祚は冷笑し、温源はあくびしている。
ぐっと、朱剣虎は拳を握りしめる。
「まずは界境を守る《風伯》司空骨羅道大将軍を先鋒とし開戦、次いで《雲師》桓龍開雲大将軍が地方軍を率い侵攻し、我ら王都軍はこれへ合流する。本軍である王都軍を率いるは《虚空夜叉》氷武将軍、および《鶏林》慶聖強将軍、および《因達羅》車勲士将軍である。総大将は臣《雨師》劉炉祟が務め、王宮を総本陣とし全戦線を指揮するものである」
倍達国、北部へ広がる高句麗界。
前線となっている遼東城から一六〇〇キロの南東にある国内城には、高句麗軍が総本陣を置いている。なぜ総本陣がここなのか。南から来る開京軍へも備えているからである。
高句麗軍総大将を張る北の宰相〈大模達〉もここにいる。
大将軍《地獄仏》乙支文徳。
「閣下、姜義建でございます」
その執務室へ、大柄な若武者が大股で入ってきた。総司令官の机の前へ立つや、右腕を地面と平行に上げ直角を作り鎖骨の前へ固定し、頭を下げた。
「開京軍が動きました。すでに《風伯》大将軍が一万を率い、関弥城へと進撃しておられます」
遼東城が黄華国へ対する要なら、関弥城は開京界へ対する要である。
おもむろに、乙支文徳は色の薄まりつつある美髯をしごき、やや前のめりになり手を組んで、厳然たる眼差しを投げかけた。
「莫離支になりたい」
「……今なのですか」
確固たる意志の揺らがぬ瞳で、乙支文徳は深く頷いた。
「莫離支になりたい」
__二回おっしゃった……。
若武者、義建は知っている。離れること莫く支えると書き、莫離支。高句麗界が高句麗国であった時代に、民族の鑑、唯一無二たる宰相を指してそう呼んだ。
「莫離支になりたい」
__三回目⁉ ああ分かっておる。それほどにお強いのだ、高句麗への想いが。
大将軍《大武神》姜以式。
大将軍《早衣仙》淵太祚
大将軍《地獄仏》乙支文徳。
三人全てが開眼者という、民族の魂が育んだ高句麗界〈三火烏〉である。
火烏とは、高句麗民族の象徴たる三足烏の別称である。
かつて高句麗国を建てた民族の始祖・高朱蒙の異名は《三足烏》であった。
半世紀近い昔、併合され幾ばくを耐えしのぎながら三火烏が創始され、初めて列せられたのが姜以式、淵太祚、そして《風神》皇甫崇徳であり、崇徳は朱蒙の血を引く分家であった。
__もし風神大将軍の血筋を継ぐお方が生きておられれば、お爺さまも閣下も、どれほどお喜びになることか……。
はっと、義建は首を横へ振る。
__だが理想と現実は違うのだ。どれだけ、先祖代々受け継いできた民族の誇りと精神を護りたくとも、どれだけ、皆して長年その一念へ命燃やしてこようとも、どれだけ、無念であろうとも……民を苦しめてまで! 固執してはならぬのだ。
将軍《大地神》姜義建。
姜以式の孫にして、倍達国へ尽くす忠臣は、目を伏せざるを得なかった。
「莫離支となられる道は、戦しかないのでしょうか」
「幾星霜と様々に試みた。戦しかない、そう悟った」
乙支文徳が立ち上がり、出ていこうとした。義建はおし留めんと叫んだ。
「本官へお任せ下さい」
黄華国、東部へ広がる危星州。
高句麗界へ接するここには大遠征を指揮する総本陣が敷かれていた。今はない。全軍をもって遼東城へ進軍している。その中心で馬を進める、近付きがたい三つの存在がある。
黄華国〈五龍神将〉へ名を連ねる、現人神たちである。
「ひっく、ちゃいちゃい哪吒ちゃんが起きたそうですぞ」
見上げんばかりの巨躯に堂々たる虎髭をこしらえる、豪傑の中の豪傑。
大将軍《鎮国武成王》黄飛虎。
「仇討ちならず。では遠慮なくわしが猛虎へ仇討ちしましょう」
「そうなりますぞ。ところで彼女は《牛頭》を捕らえましたな」
羽扇をあおぎ、純白に流す髪と髭に高官を示す五梁冠をくくる大軍師。
大将軍《太公望》姜子牙。
「こちらへ連行して下され。遼東城を揺さぶります」
「よかろう」
そして鋭い眼光の光る、黄華軍三〇万と将軍十二の頂点へ立つ総大将。
大将軍《雷帝》聞仲。
かつて《雷神》雷島片信と互角に戦い、暴君と恐れられる皇帝・楊広をよく諌めるもと守り役にして、宰相〈大都督〉へ就く《炎帝》崇愛鎧剣と双肩を成し、長年にわたり黄華国の世界一位たるを支える強大なる重鎮である。
「《大武神》や《馬頭》が動じぬならば、首をはねよ。して武成王、子息の無念を晴らす前に、わしにも一騎討ちをさせてもらう。猛虎は《建御雷》を名乗ったのだ……若き日に陶酔せし純粋なる熱情を懐かしみたい。重責を忘れあれへ浸れば、むしろ戦もよく進もう」
「「御意」」
大和国、中部へ広がる金剛都。
宮中の中心へそびえる将軍閣、よく整った畳が敷き詰められる最上階へ、厳かなる準礼装、黒い狩衣に赤い羽織を重ねる宰相〈大納言〉が鎮座している。
大和国〈九重柱〉へ名を連ねる、絶対権力者。
大将軍《閻魔》富陸毅臣。
外は明るい。だが閻魔は陰影へ沈み、ただ隻眼の光るのみ。
「どうして、晴清は帰らせて樹呪は行かせたの」
明るい露台へたたずみ、高句麗界へ続く空を眺めていた女武者が振り向いた。
将軍《浄玻璃》武道沙朝。
大将軍《猛虎》空柳義虎、将軍《月詠》月宮晴清をよく知る同期であり、将軍《禍津日》嶺森樹呪には先輩に当たる。
「何故かは分かっておろう」
沙朝には、毅臣が薄く笑ったように見えた。
「……晴清がいたら、お鉄を庇うかもしれないから」
鉄。かつて義虎はそう名乗っていた。
沙朝は再び空を見つめ、つぶやいた。
「国境である琥珀里の領主が空席になったので早々に埋めねば、ちょうど倍達国で客将をやる任期が終わった晴清を赴任させたい、倍達内乱へは代わりに内地の将軍を援軍に送る……上手な建前だよね」
ふっと、毅臣が息をついた。
「そなたを行かせなんだも同じ理由ぞ」
「と言いつつ別の任務で行かせるよね」
静かに、閻魔は眼を閉じた。
沙朝は知っている。高句麗独立戦争へ臨む巨頭たちの中で、最も巨大にして深淵なる術数を時代へ沁み込ませているのは誰か。
ぐっと、沙朝も眼を閉じた。