四五 四天王は揃い碧は交じる
黒く艶めくポニーアップをそよがせ、碧は大きな瞳を煌めかせた。
__《風の巫女》鳥居碧……だって!
義虎に異名をもらった。
来たるべき、大舞台へ立つ時に名乗れと。
伝説の雄豪たち《海神》に《恐竜王》そして《天照》の見守る前で。
__ん、もぉやったるぜ!
「繋がったよ念話、今から《白虎》と一騎討ちするって!」
「おや、先刻《毘沙門天》と一騎討ちしたばかりなのにね」
高句麗界へ向かい行軍するなか、横で麗亜が顔を引きつらせ、現地で戦う義虎の様子を伝えてきた。妖美も腕を組み、戦況はどうなっているのかと考えている。
「客将なのに無茶しすぎだよ……碧ちゃん聞いてる?」
「ん、聞いとらんだ」
すっと、碧は叫びたげな麗亜の口へ指を立てる。
「やりたいようにさ、やらせたげればいいじゃん」
義虎には戦人に沸々と湧く本能を教わってきた。
__わーも早く暴れたい!
大和軍の戦列は太く、そして長い。すでに戦い始めている高句麗軍と黄華軍も、かたや、祖先と家族の息づく地を守るため総力を挙げ、かたや、それを落とすため十二人もの将軍を出陣させたと聞く。
〈高句麗独立戦争〉。
ここ数年間はなかった、歴史を動かす大戦となるだろう。
__そんなすっごい舞台で、大注目されるんだ……。
義虎は《建御雷》を名乗った。
麗亜が念話で聞いただけで、現地にいる者の他はまだ義虎隊しか知らない。だがじきに天下へあまねく響き渡り、全世界をこぞって注目させるだろう。
そこへ、さらに《風の巫女》が名乗り出る。
風神雷神の伝説が再誕する。
熱き記憶を呼び覚まし、津々浦々を震撼させる巨大な渦の中心に、碧は立つ。
にやけずにはいられない。
こんな逆転劇は思ってもみなかった。
ほんの三年前まで、碧は乞食だった。
小さな少女の身一つで放浪してきた。
行く当てはない。金もない。守ってくれる人などいない。怖かった。寒かった。ひもじかった。虚しかった。
寂しかった。
だが《剣の天女》嵐山鉋を見付け、女中にしてくれと頼み込んで快諾され、安息を得た。食事と寝床に加え賃金も得て、覇術学校に入ることができた。すでに、十分に信じられない転機であった。
__大将軍《猛虎》空柳義虎。
碧の運命は、義虎と出逢って覚醒した。
義虎に風神雷神の縁を示された。彼は碧を幼くして放浪させた陰謀を看破した。そして、碧が今なお大和朝廷に命を狙われていることを告げた。
最初は恐ろしかった。
いったいなぜ、自分ばかりがこのように大変な目に遭わねばならぬのか。自分が何をしたというのか。しかし義虎は言った。
『おもしろくなるよ』
今の碧は心からこれに賛同できる。
__否、賛同したい。
ぐっと、義虎に連れられ《海神》の流刑地を訪ねたことを思い返した。
八月八日、深夜。
「ん、なんで今すぐ行かんの?」
碧は義虎に抱えられ、空から海神のいる孤島の山麓へ侵入した。
「うぃー、海神はエロじじいなので。夜中に訪問したら青少年の教育上よろしくないんだよ、野宿してから明朝に登山しよ?」
碧は察し、さっきまでくっ付いていた義虎から離れてやった。
爆笑された。あっかんべーをして寝た。
八月九日。
朝起きて早々、通りかかった衛兵たちの首筋へ背後から手刀をお見舞いし気絶させた義虎に、ドヤ顔を見せ付けられた。てきとうに褒め流し、足音を忍ばせつつ、海神の住む山頂の小屋を目指した。
紅い鳥居が見えてきた。
「おはよう、よく来たな」
はっと、碧は立ち止まった。声はしたが姿はない。
すっと、横で義虎がひざまずいた。ひとまず倣ってみると、義虎が言った。
「初代さま。お出迎え、かたじのう存じまする。鳥居碧を連れて参りました」
「大儀であった。そして碧よ……」
目の前の空気が紫色に揺れ始め、形を取り始めた。碧は目を見張った。
「逢いたかったぞ」
紫に光る、体の透ける仙女がいた。
__ん、ほんとに本ものですか……。
紅真虹覇力眼をしている。紅い瞳の中心に座す紫の太陽より、七つの光跡を放射線状に刻んでいる。
体は小さく顔は幼げ、だが目尻に紫苑の火焔を描く隈取。今では見かけぬ古式の着物を纏い、太陽をかたどる金色の冠を額にいただき、勾玉を連ねた天皇の証たる首飾りには、紫色に輝く覇玉を息づかせる。
大和国を建国せし初代天皇。群将の世を鎮め天乱の世を拓いた初代大納言。
__大将軍《天照》天龍卑弥呼。
とうに没したはずの英霊が、そこにいた。
と、口をきけないでいる碧の真横へ、どすっと何かが落ちてきた。
「美少女だね。ばあちゃんにそっくりじゃ」
碧はぎょっとした。降ってきたのは、爬虫類であった。
エリマキトカゲの婆さん。
身長は三〇センチ、尻尾は七〇センチ。首周りにたたむ大きな楕円状の襟巻きが目立つ。きっちりと着込む苺色の直垂に重ねるのは、大将軍のみが着ることを許される、袖の付いた赤い陣羽織である。
大和国を永く支え、八百万派が五代目大納言へと推す自由なる侍。
__大将軍《恐竜王》大襟巻音華。
姿をくらまし久しい英傑が、そこにいた。
「うぃー、ばば様。どこが似とると?」
「ああん、トラ坊! ぶっ飛ばすよ?」
「はいミルクセーキ、利子一〇〇パー」
「倍額か! あいよ」
などと戯れながら、音華は〈防音結界〉という覇能を使っている。音華の周りにいる限り、話し声は山へ響かない。また山頂付近を見張る兵たちは、海神がその威信へ照らし懐柔している。見られても構わない。
と、つい先ほど義虎から聞いた。
ならば島へ潜入した際、始めから山頂へ降りればよかったではないか。と言うと義虎に、それでは碧の隠密練習にならないと一蹴された。
「はーはっはっはっは、てっちゃん来たか、ほぉれ!」
と、音華や卑弥呼の後ろから勢いよく、紅い盃が飛んできた。
義虎が手へ納めた。碧は固まるしかなかった。
__出た、大本命……。
神が、近付いてくる。踏み出すたび、地鳴りがするようである。
__大和の〈生ける護国神〉……。
二メートルを優に超す、筋肉の結晶せし魁偉。深々と刻まれし皺やしみ、そして古傷の群れ。純白に眩い、逆立つ炎髪と長く豊かに広がる美髯。赤い、大将軍羽織を揺らめかせ、黄色い、剛毛の毛皮を肩へなびかせ、青い、黄金雲と大海原を描く着流しをそよがす。無造作に肩から垂らす、大玉の連なる数珠に古い覇玉が青々と輝いている。
大和国歴代最強を誇りし三代目大納言にして、いついかなる戦でも先陣を駆り、愛する息子たちと呼んで将兵を鼓舞し、大和国を押しも押されぬ大帝国へと導いた大将軍中の大将軍。
海の神、雷の神、風の神、三国を代表する開眼者〈三大神〉が結束し、民が平和で自由な世を志した〈三神同盟〉唯一の生き残り。
__大将軍《海神》仙嶽雲海。
轟く伝説に語られる英雄が、そこにいた。
「うぃー、三代目さま。ちゃんと美味い酒にしてくれましたか?」
「はーはっはっはっは、無問題じゃ、カルーアミルクじゃからの」
紅いひょうたんを掲げ、義虎が突き出す盃へなみなみと甘酒を注ぎつつ、雲海は碧を覗き込んできた。
「なぁんじゃ、ちびっこいではないか」
「何を期待しとったんじゃ、ド変態が。この音華ばあちゃんにゃあ及ばんにしろ、十二分に傾国のべっぴんじゃろうがよ」
「うぃー、爺婆のもうろく話になんざ耳貸さんで無問題だよ?」
「「おい粗相、ふぁい‼」」
みごとに揃ったと、とっさにハイタッチをかます老雄たちに、碧はあがぁと開口する。どうしたものかと義虎を頼れば、盃を押し付けられたので飲んでみる。
「うぃー、未成年飲酒は罪だよ?」
「ん、コーヒー牛乳だから無問題」
「師に緊張をほぐしてもらったな」
卑弥呼に微笑まれた。義虎を見れば、微笑まれた。
雲海がおもむろに大将軍羽織を脱ぎ、投げてきた。
最高武官たる権威が、頭から背へかぶさってきた。
__ん、やばい今……。
四人並び立つ、大将軍に囲まれる神域にあって、碧は仲間へ入っていた。
雲海が笑う。
音華が笑う。
義虎が笑う。
卑弥呼が手を差し出す。
「ようこそ、大和が武士の宴へ」
「なっ、なに、敵襲⁉」
はっと、碧は麗亜の緊迫した叫びで我に返った。
「前方だね、あそこには《禍津日》将軍の隊列がある」
妖美の指す先は遠く、小高い丘を挟みかすかに砂煙が見えるにすぎない。だが碧たちがいる街道までも、怒号と悲鳴、そして命を奪い合う切迫した空気が流れ込んでくる。
ここは大和国の端である。三キロばかり北上すれば、大和国、黄華国、倍達国、三つの国土に囲まれた三国海へ出る。人もほとんど住んでおらず、敵が密かに上陸し警備を破っていてもおかしくはない。
「落ち着くべよ。義虎軍、鎧仗して待機するべ」
義虎軍の副将を張る山忠が司令し、みな武装する。
「ん、援軍に行く?」
碧は大将代理を務める勝助へ尋ねる。
「いや、今はここを持ち場とし、別命あるまで守るのだな。奇襲しにきた敵はあれ一つとは限らぬ、それに将軍たちには援けなどいらんのだな」
碧は知っている。
このたび出陣した将軍たちは、灼熱の時代を築かんとする天下の帝王や強者たちが一様に注目する大戦において、大和国の覇気と武威を高らかに知らしめるために選抜された。
腕が翼となるハクトウワシながら、揺るぎなき人望を誇る《鳳凰》棘帯鷲朧。
中二病の末期症状に侵されながら、軍事の天才と謳われる《禍津日》嶺森樹呪。
モヒカンにグラサンを決めながら、圧倒的な戦績を魅せる《孔雀明王》彩扇煌丸。
義虎が言っていた。
いずれも義虎を負かし得る、万夫不当たる豪傑だと。
いずれ戦い、勝たねばならぬと。